憧れの大人
失恋のショックから驚異的なスピードで立ち直ったルイと、冷静なマリアが、改めて土曜日の出来事について尋ねてきた。机の周りに残っていたクロエ、エロワーズ、ジュリエットの三人組も、写真では座っていて正確なプロポーションが掴めないイザベルの実際の容姿や人柄に興味津々な様子で耳を傾けている。
「でさ、セシル! 結局土曜日はどんな一日だったんだよ?」
ルイが身を乗り出すと、セシルは土曜日を思い返しながら、楽しげに笑みを浮かべて話し始めた。
「イザベルさんはね、アンドレよりも背が高くて、すっごく面倒見が良い人だったわ。私、『こんな人がお姉さんだったらいいな』って本気で思っちゃったくらい。お昼ご飯をごちそうになって、そのあと美味しいケーキまで出してもらって……」
「えっ、アンドレ(174センチ)より背が高いの!?」
ジュリエットが目を丸くし、エロワーズも「それは確かにモデル並みのスタイルね」と感嘆の声を漏らす。セシルは嬉しそうに頷きながら続けた。
「うん! それにね、写真にあったエマちゃんとも一緒に勉強したの。たくさんの動物のぬいぐるみを使って、アンドレは動物たちの生態について教えて、私はその動物たちが世界のどこで生まれたのかを教えてあげたのよ。なんだか、可愛い妹ができたみたいですごく楽しかった!」
無邪気に語るセシルの横で、アンドレもどこか照れくさそうに微笑んでいる。
だが、そこでセシルは少し真面目な顔になり、ルイとマリアに向き直った。
「……それでね、二人に朝話したことの続きなんだけど。集中しすぎて勉強が18時過ぎまで長引いちゃったって言ったでしょ? アンドレが19時の寮の門限に間に合わなくなるっていう、あの話」
アンドレに処分がなかったことでホッとしてしまい、肝心な帰宅の経緯を聞き逃していたルイとマリアは、はっとして身を乗り出した。
「あ! そういえばそうだ! アンドレが寮に帰れなくなったのは分かったけど……セシル、お前はどうやって帰ったんだよ?」
「まさか、セシルまで一緒に泊まったわけじゃないでしょうね?」
マリアが灰色の瞳を鋭く光らせて問い詰めると、アンドレとセシルは慌てて両手を振って否定した。
「「ち、違うよ!!」」
息の合った二人の否定に周囲がクスッと笑う中、セシルが説明を続ける。
「私はね、次の電車を使って自力で帰ろうとしたの。でも、イザベルさんが『こんな暗い時間に、女の子が夜道を一人で歩くのは絶対に危険だから』って強く止めてくれて……彼女の車で、私の家の近くまで送ってくださったの」
その話を聞いたルイは、目を丸くして心底感心したように唸った。
「へええっ! 自分の弟の門限トラブルでバタバタしてるはずなのに、セシルの安全を真っ先に考えて車を出してくれるなんて……めちゃくちゃ男前……いや、かっこいい姉ちゃんじゃん!」
マリアも納得したように深く頷き、眼鏡のブリッジを押し上げるような仕草を見せた。
「素晴らしい判断ね。最近は物騒な事件も多いし、高校生の女の子を夜間に一人で電車や徒歩で帰らせないというのは、大人として極めて責任感のある、的確なリスクマネジメントだわ」
すると、後ろで聞いていたクロエが、胸の前で両手を組み、うっとりとしたため息を漏らした。
「なんて素敵な女性なのでしょう……。ご自身の弟のことだけでも慌ただしいはずの状況で、招いた客――それも年下の少女の安全に対して、そこまで細やかで毅然とした配慮ができるなんて。まさに気品と責任感を兼ね備えた、本物のレディですわ」
エロワーズも涼しげな黒髪を揺らしながら賛同する。
「ええ。口先だけで心配する大人は多いけれど、即座に行動に移して車で送り届けてくれる決断力と行動力は、同じ女性から見ても本当に憧れるわね」
ジュリエットもハニーブラウンのお団子ヘアを揺らしながら大きく頷いた。
「身内を優しく見守るだけじゃなくて、他人の安全にも全力で寄り添える視野の広さが本当にかっこいい! お昼のケーキの気配りといい、完璧なお姉様だよね!」
女子生徒たちの絶賛の嵐に、アンドレは居心地悪そうに鼻先をかきながらも、自慢の姉を褒められて満更でもなさそうな、誇らしげな表情を浮かべていた。
教室が和やかな空気に包まれる中、ふと思い出したように一人の男子生徒が声を上げた。
「そういえばさ、この前の休みに買い物に行った時、サルヴェールが見知らぬ男と一緒に歩いてるのを見かけたんだよな」
その一言に、周囲の空気がピクッと跳ね上がった。「えっ、どんな男だったんだよ?」と別の男子が身を乗り出すと、目撃した生徒は記憶を手繰り寄せるように語る。
「めちゃくちゃ背が高くて、絵に描いたようなイケメンだったぜ。二人とも、すごく仲良さそうに話しながら歩いててさ……」
すると、別の男子生徒が慌ててその生徒の脇腹を小突き、小声で鋭く突っ込んだ。
「バカッ! アンドレの前でそんな話すんなよ!」
気まずい沈黙が流れかけた瞬間、ルイがすかさずアンドレの肩に手を置き、痛ましげな表情で慰めにかかろうとした。
「アンドレ……元気出せよ、世の中には色んな――」
だが、ルイが言葉を紡ぎきるより早く、セシルが小首をかしげてあっけらかんと言い放った。
「あ、あの人なら私のお兄ちゃんだよ?」
さらに、慰めの体勢に入っていたルイに向かって、セシルは不思議そうに言葉を重ねる。
「ルイ、大丈夫だよ? アンドレには前にお兄ちゃんがいること、ちゃんと話してあるもん」
「……えっ!?」
教室が一瞬にして凍りついた。時が止まったような静寂の後、セシルは何事もなかったかのように続ける。
「あの日は一緒に買い出しに行ってたの。お兄ちゃん、重い荷物を全部ひとりで持ってくれてたでしょ?」
最初に目撃談を語った男子生徒は、目を白黒させて顎が外れそうなほど驚愕していた。
「お、お兄さん……!? 俺、今までずっとサルヴェールの彼氏だとばかり思った……!」
男子生徒たちからは、安堵と同時に、そんな完璧なハイスペック男子が身内に実在することへの驚きの声が漏れる。
一方、女子生徒たちは「お兄さん」という甘美な響きに即座に色めき立った。
「えっ、セシルにお兄様がいたの!? 何歳なの!?」
「重い荷物をさらっと持ってくれるなんて、なんて紳士的で優しいお兄様なの……!」
「ねえセシル、写真! 写真はないの!?」
女子生徒たちの熱烈なリクエストに押され、セシルは少し照れながらスマートフォンを取り出し、最近撮ったばかりの写真を見せた。
画面を覗き込んだ女子生徒たちから、一斉に黄色い歓声が上がる。
写真には、166センチあるセシルと並んで立つ青年が写っていたが、その身長差は一目瞭然だった。フレデリック・サルヴェール、22歳。整えられたブロンドヘアーとすらりとしたモデルのような体躯で、身長は実に182センチもある。目はセシルと同じ青であった。
「うわぁ、本当にかっこいい……! セシルより頭一つ分以上高いじゃない!」
「高身長のイケメン……漫画から飛び出してきたみたい……!」
セシルは嬉しそうに目を細め、自慢の兄について付け加えた。
「お兄ちゃん、今は料理人をしてるの。家でもよくご飯を作ってくれるんだけど、プロの味ですごく美味しいんだよ」
その瞬間、教室中が完全に撃ち抜かれた。
「高身長、イケメン、優しくて、さらにプロの料理人……!?」
女子生徒たちは「完璧すぎる……!」「そんなお兄様が家にいたら毎日直帰するわ!」とうっとりとし、男子生徒たちも「くそっ、非の打ち所がなさすぎて嫉妬すら湧かねえ……」「男として憧れるわ……」と、畏敬の念を抱かざるを得ない。
だが、そこでセシルが悪気なく、さらりと決定打を放った。
「あ、ちなみにね、お兄ちゃん彼女いるから」
女子生徒たちは一瞬「あぁ〜……」と残念そうに息を漏らしつつも、すぐに深く納得したように頷き合った。
「……まあ、そりゃそうよね。あんな素敵な男性を世の女性が放っておくわけないわ」
「彼女がいるのも納得の完成度だわ」
一方で、男子生徒たちは、フレデリックへの純粋な憧れと、「天はなぜあの男に二物も三物も与えて、俺たちには何も与えてくれないのか……!」という理不尽な現実への慟哭が入り混じり、頭を抱えて机に突っ伏した。
そんな男子たちの嘆きを冷ややかに見つめていたマリアは、灰色の瞳を呆れ半分に細め、淡々とした知的な口調でこう言い放った。
「遺伝子と他人の環境を嘆く前に、自分を省みたら? 身長は変えられなくても、重い荷物を持ってあげる気配りや、料理の腕を磨く努力なら、今からでもできるはずよ。カメレオンだって生き残るために環境に合わせて不断の努力で進化しているのに、何もしないで指をくわえているだけの男に、彼女ができる道理なんてないわ」
マリアの容赦のないド正論のメスが突き刺さり、男子生徒たちはぐうの音も出ずに沈黙するのだった。
学生時代、こんな大人になりたいと思った人はいませんか?




