不安と慰め
月曜日の朝、セシル・サルヴェールは重い足取りで通学路を歩いていた。
プラチナブロンドのミディアムヘアーをすっきりとポニーテールにまとめた彼女の澄んだ青い瞳には、いつもと違う深い影が落ちていた。
(アンドレ、大丈夫かな……。おとといのことが原因で、もし厳しい処罰を受けたりしたらどうしよう……)
土曜日の夕方に勉強に集中しすぎたことでアンドレは寮の門限に間に合わなくなってしまった。イザベルさんが寮に電話して「暗い道を歩かせるのは危険なので安全のためにアンドレはうちで泊めることにします」と言ったが、アンドレはこの日外出届を出していた。外出届は19時までに寮に戻らないと規則違反になると聞いている。アンドレは無断外泊になるのではないか。もし自分のせいでアンドレが不当な処分を受けてしまったら――そう考えると胸が締め付けられ、学校へ向かう足取りは自然と鈍くなってしまう。
「おーい、セシル! おはよー!」
通りの先から、よく通る陽気な声が響いた。
顔を上げると、琥珀色の髪をふわりと揺らした少年が大きく手を振っていた。ルイ・シャルボニエだ。クラスのムードメーカーでお調子者の彼は、いつも周囲を明るくする屈託のない笑顔を浮かべている。
そのすぐ隣を歩いているのは、マリア・ルッセだった。艶やかな黒髪のボブヘアーに、冷静で知的な光を宿した灰色の瞳。大のカメレオン好きで、物事を常に一歩引いた視点で観察する聡明な少女だ。
「おはよう、セシル。……なんだか顔色が優れないみたいだけど、何かあったの?」
マリアがセシルのこわばった表情にすぐさま気づき、静かに首をかしげた。
ルイも近づいてくるなり、ニヤリとからかうような笑みを浮かべる。
「そうだぜセシル、そんな浮かない顔してどうしたんだよ? ていうかさ、先週『土曜日にアンドレのお姉さんの家に行く』って言ってたじゃん! 俺もマリアも、あの後どうなったかすっげー気になってたんだよな〜。アンドレの姉ちゃんってどんな人だった? アンドレと何か進展はあったのか〜?」
普段なら照れて言い返すところだが、今のセシルにそんな余裕はなかった。セシルはきゅっと唇を結び、すがるような眼差しで二人を見つめた。
「……ルイ、マリア。実は、からかわれている場合じゃないの。土曜日の帰り、大変なことになっちゃって……」
セシルの真剣で今にも泣きそうな声色に、ルイは冗談を引っ込めて目を丸くし、マリアも表情を引き締めた。
歩道の脇、街路樹の木陰に立ち止まると、セシルは土曜日の夕方に起きた出来事を二人に打ち明けた。
お姉さんの家で楽しく勉強していたこと、勉強が長引いてしまいアンドレが寮の門限である19時に間に合う時間帯を逃したこと。そして、外出届を出していたため、無断外泊で重い処分が下されるのではないかと思い詰めてパニックになってしまったこと――。
「アンドレのお姉さんがすぐに寮に連絡を入れてくれたんだけど、学校では『門限を破ったり異性とトラブルを起こすと退学になる』って噂が広まっているじゃない? アンドレ、今朝モルヴァン先生や舎監の先生たちと面談するって言ってたの。もし、何の落ち度もないのに重い罰を受けたりしたら……私、どうすればいいか分からなくて……」
話し終えたセシルの瞳には、不安で涙が滲んでいた。
ルイは琥珀色の髪をがしがしと掻きむしり、いつもの軽薄さを消して真剣な顔つきになった。
「おいおい……そんなのは不可抗力だろ!? しかも姉ちゃんがちゃんと連絡を入れて理由を話したんだろ? 寮の門限に間に合うことはできないと。 それでアンドレが罰を受けるなんて、絶対に筋が通らないぜ」
「ええ、ルイの言う通りよ」
マリアは灰色の瞳をすっと細め、知的な口調で冷静に状況を整理した。
「カメレオンが環境の変化に合わせて擬態するように、人間も突発的な事態には臨機応変に対処するものよ。保護者であるお姉さんが事前に連絡を入れているなら、正当な手続きは踏まれているわ。家族からの連絡があり、時間通りに寮に戻ることが不可能である以上、学校側が『悪質な規則違反』として処罰するはずがないわよ」
マリアの理路整然とした分析と、ルイの率直な怒りに、セシルは張り詰めていた肩の力をわずかに抜いた。
「……そう、かな……?」
「そうに決まってるだろ!」ルイが力強くセシルの背中を軽く叩いた。「アンドレが規則を破るような奴じゃないってことくらい、先生たちだって分かってるはずだ。なあマリア?」
「もちろん。それに、もし不当な扱いを受けるようなことがあれば、私たちも一緒に抗議するわ。だからセシル、そんなに一人で抱え込まないで」
二人の温かい言葉に、セシルの青い瞳にようやく少しだけ光が戻った。
「……うん。ありがとう、ルイ、マリア。私、アンドレの顔を見るまでずっと怖くて……二人に話せて本当によかった」
「よし! じゃあ早く学校に行って、アンドレの無事なツラを拝みに行こうぜ!」
ルイが元気よく歩き出し、マリアがやれやれと肩をすくめながらセシルに微笑みかける。二人に励まされたセシルは、アンドレが待つ校舎へ向かって、今度は確かな足取りで歩みを進めた。




