懸念と大人としての使命
アンドレの足音が廊下の彼方へと消え去り、面談室に再び深い静寂が戻った。
一人残されたモルヴァン先生は、老眼鏡を鼻筋へと押し上げ、机の上のメモ用紙を凝視しながら、苦々しく眉根を寄せた。
「……まさに、彼女の危惧していた通りの事態になってしまったな」
低く漏れ出た独白は、重苦しく室内に落ちた。
先週、とある寮生から「寮の生活規則の解釈について相談したいことがある」と申し出があったと報告を受けた時のことを、モルヴァン先生は鮮明に思い出していた。形式的なアンケートや噂話ではなく、生徒自身の生の声、現場の実態を直接把握したいと考えた彼は、男子寮担当のルフェーヴル先生、女子寮担当のジラール先生を同席させ、彼女との面談の場を設けたのだった。
その時の彼女の態度は、大人の教育者たちを驚かせるに十分だった。
感情的な不満や個人的な愚痴を一切挟むことなく、分厚い規則集の条文と言葉の厳密な定義を徹底的に読み込み、法学者さながらの緻密な論理で問題点を浮き彫りにしていったのだ。
その際、モルヴァン先生は彼女へ真摯に問いかけた。
「――君は、寮生たちが規則の内容をこれほどまでに間違えて覚えてしまっている現状と、それがもたらす影響について、どう考えていますか?」
彼女は少しも視線を揺らすことなく、完璧に背筋を伸ばした凛とした姿勢のまま、淀みない口調ではっきりと答えた。
「ルールを制定した先人たちの真意が、現場に正しく伝達されないまま形骸化し、誤った解釈だけが一人歩きしている状態だと考えます。このまま放置してしまえば、私たち生徒が不当な萎縮を強いられるだけでなく、いずれ先生方の間でも指導基準の誤認やズレが広がり、学校という組織そのものが混乱を招くのではないかと危惧しています。現に、学生寮にまつわるあの極端な『噂』は、いまや寮生にとどまらず、自宅から通学している生徒たちまでもが事実として信じ込んでしまっている事態に陥っています。
規則は絶対に遵守されなければなりません。しかし、何が正しくて何が逸脱なのかという明確な線引きや、『なぜこの規律が必要なのか』という本質的な説明を欠いたまま、歪んだ噂や誤解が広がり続けることこそが、最も取り返しのつかない事態を招くはずです」
あの冷徹なまでに的確な警鐘が、今、ランベール君の身に起きた出来事と完全に符合していた。
今回の件も、まさに根深い「規則の誤解」から派生したものだ。
ランベール君にはあえてその場で言及しなかったが、彼は先ほど「学生寮は異性を建物に入れることが一切禁止されているため、勉強場所として姉の家を選んだ」と話していた。
(……やはり、あの過去の事件が尾を引いているのか。「異性を建物に入れたら即刻退学になる」などという極端で歪んだ噂が、生徒たちの間でまるで不文律のように定着してしまっている……)
本来、共同生活の秩序と防犯、プライバシーを守るために厳格に管理されるべき「私室内への立ち入り制限」が、いつの間にか「建物全体の敷居すら跨いではならない、触れれば即退学のタブー」へとすり替わっているのだ。
彼女が指摘した通り、これらの一連の歪みを一刻も早く是正しなければ、本当に取り返しのつかない事態へと発展してしまう。モルヴァン先生の胸中を、強い危機感が駆け巡った。
もしこのまま放置されれば――
規則違反のレッテルや厳罰を恐れるあまり、体調不良や怪我を隠蔽して手遅れになる生徒が現れるかもしれない。あるいは、今回のように門限に間に合わないとパニックに陥った生徒が、夜間の危険を顧みず無謀な移動を強行して交通事故や凶悪犯罪に巻き込まれる恐れもある。さらには、実情を知らない保護者と学校側との間で「そんな理不尽な規則など聞いていない」「教育的配慮に欠ける」と激しい不信感と泥沼の法的紛争に発展し、伝統あるルイ・ル=グランの社会的信用が根底から失墜することすらあり得るのだ。
「……明日、登校時間に合わせてルフェーヴル先生とジラール先生へ直ちに報告せねばならんな」
ランベール君の事案を具体的かつ決定的な実例として提示し、来週の職員会議で規則の再定義と全校生徒への周知徹底を急がねばならない。
モルヴァン先生は老眼鏡を外し、胸ポケットのケースへと収めた。
静まり返った学生寮の重い扉を押し開け、決意を秘めた足取りで夕暮れの空の下へと踏み出していった。
噂が広がるきっかけとなった事件とは何だと思いますか?
規則について相談した女子生徒の正体は誰だと思いますか?
補足:モルヴァン先生の回想はep16を参照するとわかります。
次はお昼ぐらいに投稿する予定です。




