難問を乗り越える魔法の力
休憩とお茶目な思い出話(アンドレにとっては悶絶ものの黒歴史)が一段落し、二人は再びノートを広げて勉強を再開した。
最後に控えているのは、今学期最大の難関――英語の勉強だった。
母国語であるフランス語とは語順も発音の仕方もまるで異なる英語に、二人は早々に頭を抱えていた。何より厄介なのが、担当のブラウン先生の授業スタイルだ。ブラウン先生は授業中、徹底して英語しか話さない。しかも生徒の名前まで英語風に発音するため、クラス中がいつも大混乱に陥るのだ。
「ブラウン先生の授業、本当に聞き取るのが大変だよな……。俺の名前なんて『アンドリュー・ランベート(Andrew Lambert)』って呼ばれるから、最初の頃は自分が当てられたことにすら気づかなくてさ」
アンドレがため息混じりに零すと、セシルも思わず苦笑いした。
「ふふ、私もだよ。私の名前も『スィースル・サルヴェイル(Cécile Salvaire)』って呼ばれるから、最初は誰のことか分からなくてキョロキョロしちゃったもん」
二人は英語の構文や前置詞の使い分けに頭を悩ませながらも、自然とクラスの仲間たちの話題になった。
「でも、そう考えるとルイって本当にすごいよね」
セシルがノートにペンを走らせながら言うと、アンドレも深く頷いた。
「ああ、あいつは本当に謎だ。文法なんてめちゃくちゃだし、英単語も全然知らないはずなのに、持ち前の激しい身振り手振りと気迫だけでなぜかブラウン先生と完璧に意思疎通が成立してるからな……クラスの七不思議だよ」
「あはは、身振り手振りだけで先生を納得させちゃうんだもんね。ルイらしいというか、ある意味才能だよね」
「一方で、マリアは本当に努力家だよな」とアンドレが続ける。
「うん、マリアは来年、第二外国語でイタリア語を選択したいからって、語学の基礎になる英語を一生懸命勉強してるもんね。簡単な日常会話から毎日コツコツ練習してて……今じゃブラウン先生が何を言っているか分からなくなった時、マリアがみんなに通訳してくれるくらいだもん。本当に尊敬しちゃう」
セシルは友人の頑張りを思い浮かべ、自分も負けていられないとペンを握り直した。
二人がそんな高校生らしい難関に奮闘している傍らで、クロードとイザベルはエマに英語での動物の勉強を教えていた。
「エマ、英語ではね、動物さんの名前も鳴き声も、フランス語とは全然違うんだよ」
クロードが優しく教えると、エマは目を丸くして身を乗り出した。
「えっ!? なまえもなきごえも違うの? この子たちもみんな違うの!?」
テーブルの周りに並んだ8匹のぬいぐるみたちを指差すエマに、イザベルが笑顔で頷いた。
「そうよ。例えばクマさんは英語で『Bear』、ゾウさんは『Elephant』、キリンさんは『Giraffe』、アルパカさんは『Alpaca』って言うの」
「ベア! エレファント! ジラフ!」
エマにとって、英語の響きはどこか特別でとても格好よく聞こえたようだ。クロードが発音する英語を真似して元気に復唱し、イザベルにスペルを一文字ずつ教えてもらいながら、クレヨンで一生懸命ノートに書き留めていく。
「キツネさんは『Fox』、ウサギさんは『Rabbit』、ネコちゃんは『Cat』、ヘビさんは『Snake』だよ」
「スネーク! かっこいい!」
さらに鳴き声のレッスンも始まった。
「ネコちゃんはフランス語だと『ミャウ(Miaou)』だけど、英語だと『ニャーオ(Meow)』って言うんだよ。ヘビさんはシューッじゃなくて『ヒス(Hiss)』って音を立てるんだ」
「ニャーオ! ヒス〜!」
文化が違えば言葉も鳴き声も変わるという不思議な世界に、エマの好奇心は刺激されっぱなしだった。
ふとエマは、隣のテーブルで英語の長文読解に頭を抱え、眉間にシワを寄せているアンドレとセシルに気づいた。
エマは両親の顔を不思議そうに見上げた。
「パパ、ママ……アンドレおじちゃんとセシルおねえちゃん、なんだか元気ないよ? どうしたの?」
クロードが二人の奮闘ぶりに温かい視線を送りながら、娘に優しく耳打ちした。
「二人はね、エマが覚えた動物さんの英語よりも、ずーっと難しくて長い英語を勉強しているんだよ。頭をいっぱい使って、少し疲れちゃったんだね」
「エマも、おおきくなったら英語をべんきょうする日がくるの?」
イザベルが優しく微笑み、エマの頭を撫でた。
「ええ、いつか必ずその日が来るわよ。でもね、ほら、二人を見てごらん」
視線の先では、アンドレが辞書を引き、セシルが構文の要点をメモして互いに教え合い、二人で頭を寄せ合って一つの難問を解き明かそうとしていた。
「勉強は一人きりで抱え込むものじゃないの。エマ一人じゃなくて、学校のお友達みんなで力を合わせて、一緒に問題を解いていくのよ」
両親のその優しい言葉とエマの無邪気な視線に気づいたアンドレとセシルは、張り詰めていた肩の力をふっと抜き、思わず顔を見合わせて微笑んだ。幼いエマの愛らしい気遣いが、疲れ切った頭をじんわりと癒してくれるようだった。
エマはトコトコと二人に近づき、くりくりとした瞳で尋ねた。
「おじちゃん、おねえちゃん、えいごのべんきょうはたのしい?」
セシルは目線をエマに合わせ、ふわりと微笑んで答えた。
「うん、英語はとっても難しいけれどね、楽しいよ。私たちにはね、すごく素敵な友達がいるの。言葉が通じなくても、手や体を使って一生懸命自分の気持ちを伝えちゃう友達や、他の国の言葉を話せるようになるために毎日たくさん英語を勉強して、みんなに意味を教えて助けてくれる友達がいるんだよ」
続いてアンドレも、穏やかな笑顔でエマに語りかけた。
「さっきパパとママが言っていた通りだよ。どれだけ難しい勉強でも、一人じゃなくて、みんなで力を合わせて助け合えばちっとも怖くないんだ」
二人の話を聞いたエマは、胸の奥で何かがぱっと輝いたように、小さな両手をきゅっと握りしめた。
「エマね、おおきくなって難しいえいごをべんきょうするときは、みんなといっしょにがんばる! 手をいっぱい動かしておともだちと仲良くなったり、エマがいっぱい勉強してお友達をたすけてあげるの!」
誇らしげに胸を張る姪の姿に、アンドレは心の中で(……いや、ルイのあの謎のジェスチャーまで真似するのはちょっとどうなんだろうな……)と苦笑いしつつも、その真っ直ぐで優しい決意に胸を打たれていた。
テーブルを挟んでお互いを支え合いながら学ぶ高校生たちと、そんな二人の背中を見て未来に胸を膨らませる幼い娘。
ソファーからその光景を並んで見つめていたクロードとイザベルは、お互いに顔を見合わせ、自分たちがかつて机を並べて夢中になって学んでいた学生時代を、懐かしく温かな気持ちで思い出していた。
皆さんは苦手な勉強に対してどのように乗り越えていますか?




