解かれた謎と解けない謎
ピーーーッ!
授業終了を告げる鋭いホイッスルがグラウンドに響き渡った。
「よし、全員集合! 今日の授業はここまでだ! みんなかなり走り回って疲れてるだろうから、水分をしっかり取って、帰り道に怪我しないよう気をつけて帰れよ。良い週末を過ごせ!」
デュポワ先生の爽やかな掛け声に、生徒たちから「ありがとうございました!」と声が返る。
木陰に戻り、タオルで汗を拭いながらルイが肩を回した。
「ふい〜! 疲れたけど、いいゲームだったな!」
「ああ、お互いよく動いてたよ」とアンドレも白い歯を見せる。
その時、セシルが隣でどこか上の空になっている友人の顔を覗き込んだ。
「マリア、どうしたの? さっきの休憩の時から、ずっと何か考え事をしているみたいだけど……」
セシルに声をかけられ、マリアはハッと我に返った。
「あ……ごめんなさい。実はね、さっきの休憩の時から、あの『ロシュフォール』っていう名前がどうしても頭から離れなくて。絶対にどこかで聞いたことがあるはずなんだけど、どうしても思い出せないの」
マリアの告白に、三人は顔を見合わせた。
「デュポワ先生が言うには、俺たちとは違うクラスのセコンデ(高校1年生)なんだろ? 今まで直接話したこともないしな」(アンドレ)
「リセに入る前の学校……コレージュ(中学校)とかで一緒だったんじゃないか? 俺とセシルはリヨン育ちだし、アンドレもコレージュからリヨンにいるけど……あんな鷹のような目つきで、軍人みたいに背筋が伸びたスーパー女子なんて、見覚えあるか?」(ルイ)
「ううん……あそこまで文武両道で目立つ子なら、同じ学校にいたら噂になってるはずだよね」(セシル)
首をひねる三人に、アンドレが提案した。
「マリア、ひとりで抱え込まずに、一度その人の情報をみんなで整理してみないか? 話しているうちに何かわかるかもしれないし」
「ありがとう、助かるわ」
マリアは小さく息を吸い、三人をまっすぐ見つめた。
「実はね、さっきデュポワ先生は私が体力測定の結果を見て落ち込んでるって勘違いしていたけれど……私はあの記録の『ある不自然な点』に気がついて見ていたの」
「体力測定の種目……ええと、全部で8つあったよね。50メートル走、シャトルラン、上体起こし、長座体前屈、立ち幅跳び、反復横跳び、握力、ハンドボール投げ」(セシル)
「ええ。私の記憶では、ロシュフォールさんの記録はどの種目も女子の学年平均を大幅に超えていたし、ほとんどの種目で男子の平均点と同等かそれ以上の数値を出していたわ。……でもね、私が注目したのは、左右それぞれの力を測る『握力』と『ハンドボール投げ』の数値なの」
マリアはスマートフォンを取り出し、画面をタップして三人に提示した。
「まず、彼女の『右手』の記録よ。握力は25.2kg、ハンドボール投げは14.2m。フランスや同世代の統計データと比較すると、15〜16歳の女子の平均握力は約23〜24kg、ハンドボール投げは約13〜14mよ。つまり彼女の右手は、女子の平均よりほんの少し高い程度なの」
画面を見た三人は眉をひそめた。
「待ってくれ。男子の上位陣と渡り合えるほどの体力があるのに、右手の握力が25kgで投げが14m……? それじゃ、さっき先生が絶賛していた話と完全に矛盾するぞ」(アンドレ)
「そうね……確かに女子の平均よりは少し上だけど、男子と張り合える数値じゃないわ」(セシル)
「おいおい、ってことは本番の測定の時に、右手を突き指か何かで怪我してて本気を出せなかったんじゃないか!?」(ルイ)
ルイの推測に、マリアは静かに首を振って次のデータを画面に出した。
「それが違うのよ、ルイ。彼女の『左手』の測定結果を見て。……左手の握力は46.8kg、ハンドボール投げは30.5mよ」
マリアは素早く画面を切り替え、同世代の男女の平均値と並べて見せた。
女子平均(左手:握力約21kg/投げ約11m)はおろか、男子平均(握力約38〜40kg/投げ約24〜26m)をもぶっちぎりで凌駕する圧倒的な数値だった。
「「「ええっ!?」」」
三人の驚愕の声が重なった。
「右手の時は平均並みだったのに、左手の記録は女子どころか男子の平均すら遥かにぶち抜いてる……!」(ルイ)
ルイの驚きの言葉に対して、マリアは三人に対して冷静に結論を言う。
「そう……右手で力を出せなかったのは、怪我のせいじゃない。右手ではあの数値が限界だったのよ。彼女が最も自然に、最大限の力を発揮できるのは左手側……つまり、導き出される結論は――」
マリアの言葉に、四人の思考がピタリと一致した。
「――彼女は、左利きなんだ」
四人が同時に呟き、顔を見合わせた。
「なるほど……! 全身運動の走力や跳躍力は桁違いなのに、右手だけ一般人並みだったのは、右手が利き手じゃないからか!」(アンドレ)
「すげえ……! 左手で握力46kg超えって、男子の俺でも勝てる気しねえぞ! 左利きのアスリート女子だったのか!」(ルイ)
「すごい推理ね、マリア! 左右の記録の差からそこまで見抜いちゃうなんて!」(セシル)
感心する三人に、マリアは人差し指を立てて冷静に付け加えた。
「でも、これだけじゃまだ断定はできないわ。もう一つの仮説があるの。さっきルイが言ったように、もともと右利きだった彼女が右手を負傷したため、急遽左手を使った結果あの数値を叩き出した……つまり、両手利き(アンビデクストラス)の可能性よ。生まれつき、あるいは訓練によって左右両方を自在に使いこなせるタイプね」
「左利きか、それとも両手利きか……。それを確かめる方法はあるのか?」(アンドレ)
「確かめる一番確実な方法は、彼女が普段の学校生活でペンやハサミ、道具を使う時にどちらの手を優先して使っているか、その目で直接確認することよ。……だけど、現段階で私たちが持っている『姿勢が良い』『足が速い』『成績優秀』といった情報だけじゃ、他クラスの女子の中から特定するのは難しいわ。該当しそうな生徒が何人も出てきてしまう」
「じゃあさ、そのクラスの生徒とか、授業を教えてる先生に『ロシュフォールさんってどっち利き?』って聞き込みするのはどうだ?」(ルイ)
「それは絶対にやめた方がいいわ」(マリア)
マリアは即座に首を横に振った。
「身近なクラスメイトや教科担当の先生ならすぐ答えを知っているでしょうけど、面識もない他クラスの生徒について裏で嗅ぎ回っていたら、不審がられるに決まってるわ。噂が広まって本人に伝わったら、『なんで私のことを調べてるの?』って警戒されるのがオチよ」
「うっ……確かに。ストーカーみたいに思われたら最悪だもんな」(ルイ)
「それなら、デュポワ先生に直接聞くのが一番自然よ」(マリア)
「おいおいマリア、さっき聞き込みは怪しまれるって言ったばっかりだろ!」とルイが突っ込むが、マリアは灰色の瞳をいたずらっぽく細めた。
「聞き方を工夫するのよ。デュポワ先生になら、怪しまれずに聞ける決定的な理由が三つあるわ。
第一に、さっき先生は『私が体力測定の結果を見て落ち込んでいた』と勘違いしていたでしょ? だから『先生に励ましてもらって気になったのですが、一位のロシュフォールさんは測定当日、右手を怪我されていたんですか? 左右の記録に差があったので……』と、競技の疑問として相談する形を取れば、体育教師への質問として極めて自然よ。
第二に、体育教師は生徒の出欠だけでなく、日頃の健康観察カードや見学理由、怪我の有無をすべて正確に把握している立場よ。
そして第三に、デュポワ先生自身が彼女の球技の授業を受け持っているのなら、彼女が普段のゲームでボールをどちらの手で投げていたか、一発で記憶しているはずだわ」
「「「おお……!!」」」
完璧な論理の組み立てに、アンドレもセシルもルイも思わず感嘆の声をあげた。
「これなら先生も怪しむどころか、『熱心に分析してるな』って喜んで教えてくれそうだな」(アンドレ)
「うん! 先生の勘違いを逆手に取った、すごく自然でスマートなアプローチだと思う!」(セシル)
「この方法を使えば、彼女が左利きか両手利きかという謎は、ほぼ100%の確実性で解けるはずよ」
マリアはそう言って満足げに頷いたが――ふっと視線を落とし、小さくため息をついた。
「……でもね。新しい可能性は見えてきたけれど、そもそも『どうして私がロシュフォールという名字に聞き覚えがあるのか』っていう一番肝心な謎は、これじゃ何も解決していないのよね」
秋風が吹き抜ける中、マリアの胸の奥に残る小さな疑問符は、依然として解けないまま静かに揺れていた。




