23 アリシア・ワトスン伯爵令嬢3
週末をゆっくり過ごすことなど、母国を離れて以来、初めてだった。いつも朝からホアンの所へ出掛けて、あれこれ世話を焼いて一日を潰していた。しかし、今日は十時頃まで部屋でだらだら過ごして、伯母のエレノアと共にブランチへ出掛けた。その後は買い物へ行き、普段着のドレスを三着、それに合わせた靴まで買ってもらった。
「伯母様、何の日でもないのにこんなに買って頂いて……」
休憩のためエレノアの行きつけのカフェに入り、注文を終えるとアリシアは改まって言った。
「あら、何も気にすることなんかないわ。私が楽しくてやっているだけなんだから」
エレノアが明るく笑う。
「……ありがとうございます。わたし、迷惑かけてばっかりなのに」
「貴女は私の自慢の姪なんだから、もっとお洒落してほしいのよ。こんなに可愛いのにもったいないわ」
エレノアは昔からアリシアを猫可愛がりしている。今日も、「ホアンの元へ行かない」と告げると、何も聞かずに買い物へ誘い出してくれた。
「……伯母様は、どうしてわたしの味方をしてくれるの? 留学のことも両親を説得してくださったでしょう?」
アリシアの問い掛けに、エレノアは少し間を置いて、ふふっと笑った。
「私も貴女と同じだったからよ。旦那様を追いかけてこの国へ来たのよ」
「……それ初耳です」
「学校に交換留学で来た旦那様に一目惚れしてね。一年間猛アタックしたの。あまり反応はよくなかったけどね。でも諦められなくて、旦那様が帰国なさるとき、半ば無理やりついてきたのよ」
アリシアが驚いて目を見張っていると、
「だから、貴女のことも応援したいと思ったの」
とエレノアは優しく笑った。夫のスカラ侯爵の方が、エレノアをとても大事にしていた印象が強い。エレノアが嘘を吐いているわけではないだろうが、スカラ侯爵は憎からずエレノアを思っていたはずだ。迷惑がられてついてきた自分とは全然違う、とアリシアは思った。
「……でも、わたしはもう駄目みたい」
ホアンのことを、いつまでも隠しておけない。アリシアは笑顔を作って言った。
「ホアン様と何かあったの?」
「何もないわ。いつも通り何もなくて、嫌になっちゃったの」
アリシアは言ったあと、自分の言葉が本当にその通り過ぎて、無性に泣きたくなった。隣国まで追いかけてきて何をしているんだろう。これからどうすればいいのだろう。もう早く帰国した方がいいんじゃないか。なんと言って? 振られたからおめおめ帰ってきたんだ、と言えばいい? きっと笑い者になるだろう。事実、笑えるから仕方ないけれど。
「そう、だったらこれから新しいことを沢山始めたらいいわ」
「え?」
「新しい恋を始めるのもいいし、友人と交流を深めるのもいい。一人で夢中になれる趣味を見つけるのだって、とてもいいわ。私は貴女がしたいことはなんでもさせてあげるつもりよ。だって、貴女は、こんなに美人で、賢くて、思いやりのあるいい子よ。誰に臆することもない。やりたいことをして堂々と楽しまなきゃ、宝の持ち腐れだわ」
エレノアが、まるで何かの演説みたいに手放しに褒めるのでアリシアは肩をすくめた。
「褒めすぎよ。わたしそんなんじゃないもの」
「何言ってるの。貴女の唯一悪いところは自信がないところね。よし、わかったわ。仕切り直しよ。今からヘアケアと化粧品一式を揃え直しに行きましょう。月曜日から、心機一転やり直しなさい」
エレノアは「決定事項よ」と付け足したので、アリシアは呆気にとられて何も言えなかった。
これまで全く身だしなみに気を遣わなかったわけじゃない。だけど、ホアンが目立つのを嫌がるから、自分もそれに合わせてできるだけ地味に、人に笑われない程度の格好をしていた。お洒落したいと思わなかった。いや、思わなくなっていた。子供の頃は、可愛いリボンを幾つも集めて毎日髪型を変えてもらっていたはずなのに。
(……お洒落)
学校には制服があるため着飾るには限度がある。でも、化粧することも、髪型をアレンジするのも、アクセサリーを着けることも、自由にできる緩い校風だ。
アリシアは流行りのリップや新作の香水をつけて出掛けるときの、わくわくする感覚をぼんやりと思い出した。
(別に今からでも取り戻せるわよね)
エレノアが、お勧めの店を次々に挙げ、どう回るのが効率的かと悩んでいる。アリシアもいつの間にかその話に真剣に耳を傾けていた。
いつもは動きやすいようにひとつに括っている長い栗色の髪を、今日は下ろした。両サイドを少しずつ編み込んで後ろで結び、残りは背中に流している。ふわふわとした癖のある髪からは、歩くたびにほのかな薔薇の香りが漂った。化粧も、先週までは下地をつけて眉を整え、色のないリップを塗るくらいだったのを、今日はフルメイクに変えた。明るいピンクの口紅が、アリシアの白い肌によく映えている。
(なんだか気後れしちゃうわ)
一息吸い込んで教室へ入った。まだ生徒達は半分くらいしか登校していない。全員が一斉にこっちを振り向いたが、すぐに視線は分散されたので、ただ入口に気配を感じただけなのだろうと席についた。
座席は決められていない。基本的に後ろから埋まっていくため、ぎりぎりに入室するアリシアは残った前列に座る。今日はまだ後ろにも空席があった。だが、なんとなくいつも通り前の席に座った。
試験が来週に控えているので教科書を出してざっと目を通す。ホアンは勉強に関して尋ねると、他の話題をするより反応がいいため、アリシアはホアンのところへ行き、時間ができると、その日の授業を復習する習慣がついた。おかげでテスト前に慌てる必要がない。
(今となっては、これだけは感謝だわ)
アリシアは皮肉な結果に変な笑いがこみあげてきた。一人でへらへら笑うのは不気味なので顔を隠すように俯いていると、
「ワトスン様」
背後から声を掛けられて飛び上がった。振り向くと見慣れない男子生徒がいる。
「えぇっと……はい」
なんと言ってよいか分からず間抜けな返事がでてしまう。男子生徒は笑顔で、
「お客様ですよ。ワトスン様を呼んで欲しいって」
と出入り口の方を指差した。アリシアは、素直に指先の方へ視線を送った。ドアに隠れて半身しか見えないけれど、そこにいるのは間違いなくスカーレットだったので、思わず立ち上がった。
諍いを避けるため、上級生が下級生の教室に入ることは基本的に禁止されている。だから、この男子生徒に頼んだのだろう。
「すみません。有難うございます」
アリシアはお礼を述べると、足早にスカーレットの元へ向かった。廊下に出ると、スカーレットは申し訳なさそうに、
「急に訪ねてきて、ごめんなさいね」
と謝罪した。
「そんな! 謝らないでください。いつでも大歓迎です」
アリシアが慌てて答えると、スカーレットは微笑んだ。
(わたし、何言ってるんだろう)
アリシアは途端に恥ずかしくなって口ごもった。
「なんだか今日はいつもと雰囲気が違うわね。髪を下ろしているからかしら? 素敵だわ」
「え、あ……ありがとうございます」
アリシアがボソボソ言うと、
「ほら、みんな貴女をチラチラ見ているわよ」
スカーレットはイタズラっぽく笑った。確かに盗み見るような視線を感じる。母国にいた頃のように、こそこそ陰口を叩かれている嘲笑めいた感じではない。でもそれはスカーレットに注目が集まっているからだろう、とアリシアは思った。
スカーレットは、同じ制服を着ているのになぜ? というほど、その場にいるだけで華やかに見える。目鼻立ちがはっきりしていて、妖艶というか煙り立つような色気がある。実際、驚くくらいいい匂いもする。王太子の婚約者であるから誰もちょっかいを出さないだけで、もしそうでなければ五人や十人や二十人くらいは、常にスカーレットを取り巻く男子生徒で溢れているだろう。ただ、それを口に出して言うと、おべっかを使っているようでアリシアは躊躇った。なにか返さないと、とアリシアがもごもごとしていると、スカーレットは微笑んだまま続けた。
「今日来たのは、この間お約束したランチのことなの。せっかくだから女子会を開こうと思って」
「……女子会ですか?」
「えぇ。女性同士が集まって、飲食したりおしゃべりしたりすることを言うそうよ。ですので、今回はアラン様は不参加よ。代わりにというわけではないのだけれど、カレン様のご友人が参加してくださる予定なの。だから、もしアリシア様もどなたかお誘いしたい方がいらっしゃるならご一緒に参加してくださいね。あ、ただし女性限定よ」
アリシアは「そんな友達はいない」と答えようかと口を開きかけたけれど、一瞬脳裏に浮かんだ顔があったのでやめた。
「わかりました。有難うございます。日程は決まっているのですか?」
「木曜日にしようと思っているわ。どうかしら?」
「わたしは大丈夫です。友人が参加できるようであれば、またご報告に伺います」
「そう。有難う。じゃあ、楽しみにしているわ」
「はい! わたしもです」
なんだろう。こんなにいいことばかり続いていいのだろうか。アリシアはスカーレットが颯爽と去って行くのを幸福なため息と共に見送った。
アリシアが転入してきたとき、学校案内をしてくれたのがクラス委員のヨハナ・バークマンだった。ホアンに夢中でクラスの誰とも関わってこなかった中で、僅かに交流をしていた人物と言える。
腰まである艶やかな黒髪が印象的な美人で、理知的で責任感が強いタイプと思っている。
(突然誘ったりしたら迷惑かしら)
アリシアは散々迷ったけれど、ダメ元でいいか、と昼休みに入るとすぐ声を掛けに行った。
「ヨハナ様、今少しお時間よろしいかしら?」
教室の後方に設置されている鍵つき戸棚に、教科書をしまっているヨハナに背後から告げた。
「アリシア様! はい、大丈夫です。どうかされました?」
ヨハナが振り向いて言った。やはりいきなりランチに誘うなんて変じゃないか、とアリシアは一瞬言葉に詰まったが、
「……あの、今週の木曜日に、ロマニー公爵家のスカーレット様からランチに招待されているのですけれど、よければヨハナ様もご一緒にどうかと思いまして……」
と思い切って一息に告げた。 ヨハナは目を見開いた。
「私も参加していいんですか?」
「え? えぇ、もちろんです。スカーレット様にもお誘いしたいご友人がいれば是非にと仰っていただいているんです」
「だったら是非参加させてください!」
それまで硬い表情だったヨハナが花が咲いたみたいに笑うので、アリシアの緊張も一瞬で解けた。
「よかった。スカーレット様には、わたしからお伝えしておきます。フォスター家のカレン様とそのご友人も参加されるそうなの。女子会と言うんですって」
「そうなんですね。楽しそう」
ヨハナの言葉に、アリシアも本当に楽しそうだと思った。
「じゃあ、また詳しいことが決まったらお伝えしますね」
「有難うございます」
「あの、それから……今更なんだけど、あの人のことでいろいろ迷惑かけてしまってごめんなさい。ずっと伝言係みたいなことさせてしまって」
「いえ、そんな。仲直りはできたのですか?」
仲直り、と言われてアリシアは返答に困った。謝罪はされたし受け入れた。でも、以前のようにホアンが世界の全て! みたいな状態ではなくなった。嘘でも「はい」と言えばよいのかもしれないが、何故かそれは言いたくなかった。
(どう答えたらいいのかしら)
アリシアが考えあぐねていると、
「あ、ごめんなさい。余計な詮索してしまって」
とヨハナが頭を下げたので、アリシアは慌てた。
「あ、いえ、違うんです。和解はしたんですけど、あの人とは少し距離を置こうと思っていて。それをどう言えばいいのかわからなくて」
「距離ですか?」
「えぇ、あの人のところに行くのはやめたの」
ヨハナは驚いた顔をしたけれど、すぐに、
「もしかして、昼食もホアン先生とは召し上がらないのですか?」
と尋ねてきた。
「えぇ」
「だったら、一緒に食堂へ行きませんか?」
今度はアリシアが目を瞬かせた。
「え、いいんですか?」
「私も、兄みたいな幼馴染と食べることが多かったのですけど、それをやめようと思っていたんです」
そんな偶然ある? とアリシアは思った。けれど、突っ込んで尋ねていいのかわからずに、
「ヨハナ様が構わないなら、是非ご一緒させていただきたいです」
と笑顔で答えた。
「もちろんです。お勧めのお店が幾つかあるんです」
先週一人で行った時は、適当に一番空いてる店を選んで食べた。本当に全部が怖いくらいにいい方へ向かっている。つい先日まで、飯炊き女街道を突き進んでいたのに。
(そういえば、プレイヤーの声が最近聞こえないわね)
アリシアは、ふいにあの声のことを思い出した。
「アリシア様、今日の髪型素敵ね。私もいつも下ろしてるだけだから、たまにはアレンジしてみようかしら」
「ヨハナ様は艶々のストレートだから、下ろしていてもとても綺麗よ。でも、アップにしてみても似合うと思うわ」
しかし、食堂へ向かいながらヨハナとの話に夢中になるうちに、プレイヤーのことは直ぐにまた忘れていった。




