22 スカーレット・ロマニー公爵令嬢3
学園に入学するまでは週五日、入学してからは週末の二日間、王妃教育に費やしてきた。朝の九時に登城して家庭教師につきっきりで指導を受ける。大人でも嫌気がさす厳しいスケジュールに、スカーレットは一度も泣き言を吐いたことはなかった。アランが自分と同じように頑張っていたのもあるし、かつて婚約者候補だった令嬢達が今も虎視眈々と自分の失脚を待っているのを知っていたから。辛い、苦しい、やめたい、と考えるよりも課されたカリキュラムをこなすことに心血を注いだ。そのお陰で、最高学年となった現在は王妃教育が終了し、ゆとりのある日々を過ごしている。
そんなスカーレットが、婚約者として同行を依頼される公務以外に、月に一度、必ず王宮に訪れる日がある。現王妃であるマグノリアとの茶会のためだ。昔からスカーレットを気に掛けて、王妃教育の息抜きに、と話を聞いてくれていた。それが今も続いている。
「本日は、お招きにあずかり有難うございます」
王宮のサロンに通され、既に席に着いていたマグノリア王妃に、スカーレットが恭しく挨拶すると、
「よく来てくれたわね。どうぞ座って。今日は貴女の好きなヒュースオレンジを用意したのよ。今年の初物よ」
と、マグノリアは気さくに笑いかけた。
マグノリアは隣国の王弟の末娘で、ジェラルド王に嫁ぐため、十五の時にこの国に留学してきた。慣れない他国での生活と王妃教育を両立させた。スカーレットの憧れであり、目標とする人物だ。
「有難うございます。嬉しいです」
人を招く時は、相手のことを念入りに調べて好物を用意する。当たり前の気遣いだが、人任せにする貴族は多い。マグノリアは王妃となった現在でも全て自分で手配している。
「最近学校はどう?」
席についたスカーレットは、マグノリアに優しく微笑まれて満ち足りた気分になった。
「とても充実しております。最近は、フォスター侯爵家のカレン様と昼食をご一緒しているのですが、今度『女子会』なるものを開催することになったのです。下町で親しい友人のみで集まり、飲食しながら、おしゃべりに興じることを言うそうなんです。わたくし、そのようなことは初めてで。どう準備したらよいか調べているところなのです」
スカーレットは、珍しくはしゃいだ子供みたいに語った。スカーレットが茶会を主催したことはこれまでに幾度もある。社交の一環、王妃教育の一つとしてだ。招待客のリストを作成し、席順を決定して、会話の内容から茶葉の種類まで、揚げ足を取られぬように注意を払って選定した。楽しかったことは一度もなかった。でも、女子会は違う。少なくともスカーレットの中では。
「まぁ、素敵ね。私も学生の頃は親しい友人と集まったものよ。今は女子会というのね」
マグノリアが微笑む。スカーレットは、女子会と茶会の違いを説明するまでもなくマグノリアが汲み取ってくれたことが、嬉しかった。
「王妃様もそのようなご経験があるとは知りませんでした。よろしければ、どういった準備をすればよいかご教示いただけませんか。わたくしは、市場の店にケイタリングを頼みたいと思っているんです。参加者が決まりましたら好みを調べて、視察に行くつもりではいるのですが……」
スカーレットが答えるとマグノリアは慈しむように笑った。
「視察なんて大袈裟ね。そんな風に畏まらずに、貴女が好きな物や食べたい物を振る舞えばいいのよ」
「……ですが、お招きする以上、相手に合わせた料理を用意するのは最低限のマナーでは?」
「もちろん料理は美味しい方がいいわ。でも、そういった場で一番大切なのは誰にも気兼ねせず話せることよ」
「気兼ねなくですか?」
「そうよ。招く側だけが皆をもてなすのではないの。皆で一緒に楽しむのよ。そうね。好物を一品ずつ持ち寄るのもいいかもしれないわね」
皆で一緒に楽しむ、という言葉がスカーレットの耳に強く残った。女子会を有意義なものにしたい、と意気込む気持ちはあった。準備すること自体に心が踊っていた。きっとその場にいるだけで楽しい。けれど、一緒に輪の中に入るという意識は持てていなかったから。
「そうですよね。わたくしも一緒に楽しんで良いのですね。王妃様、有難うございます。きっと楽しい女子会になると思います」
スカーレットは胸元に手を当ててほうっと息をつきながら言った。マグノリアは、その表情を優しく見つめた。
スカーレットの社交界での評判は申し分ない。派閥の令嬢達を招いての茶会も上手くこなしている。だが、学校に親しい友人がいるとは聞いていない。王妃教育を優先させた弊害だと思っている。カリキュラムの見直しを打診したこともあるが「わたくしの習得が遅いからでしょうか」と逆に落ち込ませてしまって以来、その話題は出さなかった。だから、嬉々として女子会について語るスカーレットを見てほっとしてしまった。マグノリアはスカーレットをとても気に入っている。国母になる器があるとも思っている。だが、あまりに一人で抱えすぎて潰れてしまうのではないかと、心配していた。そのうえ最近は、一人息子であるアランのスカーレットに対する態度にも、ある噂にも思うところがあった。
「ところで、そのフォスター侯爵家のカレン嬢と昼食を取るようになったのは、アランが言い出したことなのでしょう? 婚約者との昼食に女性を同席させるなんてねぇ。アランに尋ねたのだけれど、貴女は快く承諾したのだとか? 本当なの?」
マグノリアは、今日の本題にしようと思っていたことを尋ねた。
スカーレットは言葉に詰まった。いつもならば、アランの不利にならないように発言する。それに受け入れたのは事実だ。しかし、快諾などしていない。全ては事後に知らされ、勝手に決められていた。
「……そうですね。アラン様からは、フォスター侯爵に直々に頼まれた、とお聞きしました。それがどういったことか、わたくしも重々理解しております」
スカーレットはそれだけ答えた。王党派の重鎮に逆らうのは得策ではない。まして孫娘の面倒をみるくらい瑣末なこと。そう考えるアランの判断は、王太子として正しい。
「愚かな子ね。情けないわ」
マグノリアがぽつりと呟いた。スカーレットは背筋が冷えた。あの言い方では不満があると丸わかりだ。よりによって王妃に愚痴を零すなんて、何をやっているのだろう。でも、今日は抑えられなかった。さっきまでの浮かれた気持ちから一転してずんと暗く沈んだ。スカーレットは、視線を下げて膝の上で握った拳を見つめた。
「ジェラルド王は私に対して、そんな不躾な扱いをしたことは一度もなかったわ」
マグノリアの怒りを孕んだ声音に、スカーレットは驚いて顔を上げた。まさか「愚かな子」がアランに向けた言葉だとは思わなかった。
「いえ、不躾だなんて……それにカレン様は本当に素敵な方で、彼女がいなかったら女子会を開くこともありませんでした。わたくし、とても感謝しているのです」
咄嗟に言葉が口を衝いて出た。
「それはあくまで結果論の話でしょう」
マグノリアの冷静な言葉に、スカーレットは何故か自分が叱られているような気分になった。それを察したように、
「スカーレット、ごめんなさいね」
とマグノリアは続けた。
「そんな……! 王妃様が謝罪なさることではございません!」
スカーレットは胸が熱くなった。同時に呼吸が浅くなる。マグノリアにも、他の誰にも謝られたくなかった。だって、自分は謝罪を受けるような扱いを受けているのだと現実を突きつけられるから。逃げきれなくなるから。それに、
「わたくし、本当に平気なんです」
アランは自分を内側の人間と見ている。同志と言ってもよい。将来、この国を治める王と王妃として。目指すものが同じと思って。だから、国の安寧を保つため、その土台となる人脈を築く上で最善の選択をしたまでのこと。間違いなのは、王命により、アランの後ろ盾となるべく決められただけの婚約なのに、こちらが勝手に好きになったこと。悪いのはアランに恋してしまった自分だ。でも、それももう止めたから本当に大丈夫だ。ちゃんと本来の形に戻した。
「スカーレット……それは……」
マグノリアが少し困った顔をしている。
「わたくし、マグノリア様のような立派な王妃になりますわ」
スカーレットは笑って言った。アランが婚約破棄を宣言しなければ、という言葉は呑み込んだ。マグノリアに心配を掛けるのはスカーレットの望むことではない。それより、今は楽しい話題に戻したかった。
目が合うと、マグノリアは何か言おうとした。しかし、すぐに視線はスカーレットの背後に流れた。スカーレットもそれに気づいて振り向くと、アランがサロンへ入って来るのが見えた。
「あら、お前が茶会に顔を出すなんて珍しいこともあるのね」
こちらに向かってくるアランに、マグノリアが皮肉げに言った。
「時間があるなら顔を出すよう言ったのは母上でしょう」
アランは真面目な顔で答えた。スカーレットは立ち上がり挨拶しようとしたが、アランが座ったままでよい、と手で合図するので、
「アラン様、ご機嫌よう」
とだけ告げた。
月一のこの茶会にアランが顔を出したのは、これまで一度だけだ。毎回マグノリアが声を掛けているが、忙しいと言って参加しなかった。今日に限って何故来たのか。スカーレットは、正直少し迷惑に感じていた。
アランは、テーブルまで来ると空いた席に腰を下ろした。
「お前の分のお茶なんかないわよ。来るなら来ると前もって言いなさい」
「俺は呼ばれたから来たのですが」
「まぁ、いいわ。用意させてくるから」
マグノリアが席を立つので、スカーレットが慌てて「わたくしが伝えて参ります」と告げた。しかし、マグノリアは、
「ここは私のサロンよ。貴女は私の大事な客人なのだから」
と言い残してサロンを出て行ってしまった。
アランと二人きりになると居心地の悪い沈黙が落ちた。二人になることは珍しくない。だが、今日は会話が一つも浮かばない。
「何の話をしていたんだ?」
アランが先に沈黙を破った。「貴方がカレン様を許可なく昼食に招いたことへの愚痴です」と馬鹿正直に言えないので、
「今度の女子会についてです」
とスカーレットは決して嘘ではない回答をした。
「そうか。準備は順調なのか」
これまで幾度も茶会を開いて来たが、こんな質問をされたことなどない。やはりカレンが参加するから心配なのだろうか、とスカーレットはすんとした気持ちになった。
「出席者も決まっておりませんのでなんとも……」
アランはいつも正確な情報を欲しがるので、ありのまま伝える。
「そうか」
「正式に決まりましたらご報告いたします」
「別に心配していない。お前なら上手くやるだろう」
「有難うございます」
なんだろうか、この会話。もう公務に戻ってくれないだろうか、とスカーレットは思った。
「……ウィーズリー運河の件だが」
「え?」
「昨日、話しただろう。来週の木曜日に視察がある」
あぁ、とスカーレットは昨日の昼食時にアランに言われたことを思い出した。同行して一人で露店を見に行けばよい、という誰得なのかわからない提案をされて断った。
「もちろん、覚えております」
「一時間ほど時間が取れることになった」
アランは、いつになく手持ち無沙汰な様子でテーブルクロスを摘んだり皺を伸ばしたりしながら目を合わさずに言った。スカーレットは勘の悪い方ではないが、アランの言いたいことが分からなかった。というか、いつもズバッと端的に結論を言うのに今日に限ってなんなんだ、という感情が湧いた。
「一時間休憩が取れるようで良かったです。ご無理なさいませんように」
無視もできないのでスカーレットが返すと、
「いや、だから、その間、露店を見て回るのに付き合うと言っているんだ。俺と一緒なら烏滸がましくないだろう」
とアランは察しが悪い人間を責めるみたいに言った。それでようやくスカーレットは会話の意図することを理解できた。が、
(昨日、お断りしましたわよね?)
と若干むっとした。時間など作ってもらわなくて結構だ。アランと行った所で楽しくない。そう、アランといても楽しくなどないのだ。昨日から突然「市場に行きたいのだろう」と意味不明な提案をしてくるが、頼んでない。わざわざ露店を見て回るためにウィーズリー運河まで行きたくない。
「わたくし、アラン様に露店に行きたいなどと言った覚えはありません」
「え?」
「それに、アラン様とわたくしでは食べ物の好みも、趣味も違うではないですか。公務であれば同行しますし、公務の最中に少し空いた時間に、というなら不仲に見えては困りますから、お供することもやぶさかではございません。けれど、それ以外にわざわざ一緒に出掛ける必要がありますか? わたくしも暇ではないのです」
スカーレットが思いのままに返した。言い切った後、不敬だったかしら、と一瞬不安になったが、義務は果たしているのだし別によいか、とすぐに思い直した。そして、アランの恩着せがましい発言に段々腹が立ってきた。
そもそも、カレンのことだっておかしい。ロマニー家は筆頭公爵家だ。フォスター侯爵の機嫌を損ねたくないからカレンの面倒を見ると言うが、それで自分を怒らせてロマニー公爵家を敵に回したら元も子もない。その辺を全く考えない時点で舐められている。こっちは王妃教育も、公務も完璧にこなして、義務もきちんと果たしている。卑屈になる要素も、下手に出る必要もない。今だって行きたくないから行きたくないと言ったまでだ。自由に楽しめる時間を、無駄にアランに消費されたくない。何か問題があるか。
アランは目を丸くしている。その反応をスカーレットは冷めた心情で見つめた。
(何を驚いているのよ。ご自分が望んできた関係性でしょ)
発言を撤回する気はないのでスカーレットが黙ったままいると、
「……そうか。すまない」
アランが小さく告げた。アランに謝罪されるなどいつ以来か。だが、今回に関しては謝らないで欲しかった。「そうか、わかった」で良かった。悪くもないのに変な罪悪感を抱いてしまうから。
「いえ、わたくしも言い方が不躾でした。申し訳ございません。アラン様には、これまで通りにして頂ければ、わたくしは十分ですので」
でも、流石に王太子に頭を下げさせたままではいられない。スカーレットは仕方ないので、一応謝罪を口にはした。地獄みたいな空間ができた。スカーレットは、早くマグノリアが戻って来てくれないか、と切実に願った。




