第六十四話
「……ふむ。これがノルクスの肉体か」
ユーの口から漏れたのは、地を這うような、聞いたこともないほど低く冷徹な声だった。
彼は自身の右手を、何度も握っては開き、その感覚を確かめるように見つめる。
「……くっくく、前代未聞だな。ノルクスが魔人になるなど。運命とは皮肉なものだ」
不気味に首を回し、骨の鳴る音を愉しむように笑う。その姿は、まるで新しい服の着心地を確かめる子供のようでもあり、同時に絶対的な強者の余裕を湛えていた。
「忌々しい聖剣だ。だが、この聖剣に残る力と私の力を使えば、再び入口を作ることも可能……くっくく、つきが回ってきたな」
黒竜が愉悦に浸り、冷たい笑い声を廃墟に響かせていた、その時だった。遠くから激しい蹄の音が迫り、三騎の軍馬が火花を散らすような勢いで廃墟へと滑り込む。馬が止まるのも待たず、一人の少年が泥を跳ね飛ばして駆け寄った。
「ユーッ!!」
カイルの絶叫が静寂を切り裂いた。
「無事か!? 終わったのかよ、おい……!」
後に続くリアナ、そして大剣の柄を握りしめたカッセル。
だが、彼らはユーの数メートル手前で、まるで見えない壁に衝突したかのように足を止めた。
「……え?」
リアナが、震える声で漏らした。
見覚えのある銀砂の髪、ボロボロではあるが、見覚えのある黒い革鎧。
けれど、それはかつてのユーではなかった。
それは、生物としての本能が全力で警鐘を鳴らす、圧倒的な「死」の気配。
「おい……ユー、だよな……?」
カイルが戦斧を握りしめたまま、困惑と恐怖が混ざり合った表情で後ずさる。
目の前に立つ少年は、ゆっくりと顔を上げた。
かつてのコバルトブルーの光は消え、ただ一つ悍ましく燃えるような「真紅の魔眼」。
その瞳が彼らを捉えた瞬間、空気の密度が変わり、三人の肌に刺すような痛みが走った。
「……ユー……お前一体」
カッセルの瞳が鋭く細められる。彼はかつてないほどの警戒を露わにし、愛弟子の姿をした「何か」を見据えた。
「小僧……お前の仲間か。いい仲間を持ったな。お前のために、必死でこの場に駆けつけたように見えるぞ」
ユーの唇が弧を描く。だが、その微笑みには温もりなど微塵もなく、他者の感情を観察して楽しむような、無機質な愉悦だけが宿っていた。
「な、なぁ。ユー、何を言ってるんだ!? 終わったんだろ、フェルゼンは倒したんだろ! さあ、帰ろうぜ!」
カイルが必死に声を張り上げ、一歩踏み出そうとする。しかし、ユーの周囲に渦巻く赤黒いオーラが物理的な圧力となって、彼の身体を押し留めた。
「そうよ! ユー! 雰囲気は少し違うけど……そこにいるのは、ユーなんでしょ!?」
リアナの声は震え、瞳には涙が溜まっている。
「ユー……お前……」
カッセルだけは、その巨躯を強張らせ、苦虫を噛み潰したような顔で沈黙していた。分かっていても、理解したくない現実。目の前に立っているのは、自分たちが心から案じていた弟子でも、仲間でもなかった。
「……ユー。この小僧の名前か。お前が何をして、どうしてあのような姿になったかは、私にとってはまるで興味がないことだ」
ユーの口を借りて、黒竜の魂が尊大に告げる。その言葉は、カイルたちの必死の訴えを無慈悲に切り捨てた。
「私は私がいるべき所へ、ただ帰還する。お前という器を使ってな。私をこんな目に遭わせたあの聖剣使いの小僧……。奴に、相応の仕返しをしてやらねば気が済まぬのでな」
ユーの右手が、ゆっくりと、しかし確かな力強さで握りしめられる。漆黒のオーラが腕を走った。




