第六十話
フェルゼンの顔から、優越感に満ちた微笑が完全に消え失せた。ユーが宿した力の正体が、彼の想像を絶する領域にあったからだ。
フェルゼンは喉を鳴らし、自身の肉体を、かつてないほど激しく波打たせた。
「ありえない……あるはずがない……認めない、認めない……認めんぞ!」
フェルゼンの人型の輪郭が、どろりと赤く濁った粘液へと溶け崩れていく。
灰色の長衣を引き裂き、膨張する肉体。それはもはやスライムのような不定形の塊でありながら、見る者を圧倒する巨大な人型へと再構築された。
人型の顔に位置するであろうその中心には、すべてを見透かすような巨大な一つ目。その下には、あらゆる命を喰らい尽くすような、牙の並ぶ巨大な裂け目(口)が穿たれている。
「……それが、お前の正体か」
ユーは低く、地を這うような声で言った。
フェルゼン──否、魔獣の本性が、その巨体から無数の触手を爆発的に突き出す。先ほどまでのものとは比較にならない速度と質量。
一撃一撃が、洋館の壁を容易く粉砕する暴威となってユーへ殺到した。
だが、ユーの真紅の右目は、既に「数秒先の未来」を捉えていた。
(……見える。見えるぞ!)
触手が空気を切り裂き、ユーの眉間を貫く未来。その軌跡が視界に焼き付く。
ユーはわずかな体捌きで、紙一重、いや「当たるはずのない必然」としてそれを回避した。
「おおおおおっ!!」
ユーは赤い雷霆を纏う右腕を一閃させた。
空間ごと削り取るような赤黒い雷の奔流が、迫りくる触手の嵐と激突する。
──ジュッ、と音がした瞬間、粘液状の触手は弾け飛び、蒸発する。
「おのれっ! おのれっ! ノルクス風情がぁあああああ!!」
逆上のあまり、フェルゼンの巨大な一つ目が血走る。
すると彼は、赤き雷撃で蒸発していく自身の触手さえも囮として使い、ユーの「視覚内」をあえて粘液の嵐で埋め尽くした。
ユー自身でさえ知らないその眼の能力の現時点での弱点。それは、視界に入る敵意ある攻撃のみの未来しか捉えられないのだ。
その一瞬の隙を、フェルゼンは見逃さなかった。
「……死ねぇッ!!」
正面から迫る触手に意識を割かれたユーの背後。死角から地面を這い、鎌の形に硬質化した刃が、音もなく跳ね上がった。
(……っ!?)
魔眼が未来を捉えた時には、既に刃は肉を断っていた。
——グチャリ、と嫌な音が響く。
「……あ、……が……っ!!」
赤い雷を纏っていたユーの右腕が、根元から無残に切り裂かれ、闇の中に舞った。鮮血が夜風に散り、赤き雷光の消えた右腕が地面に転がる。




