第四十八話
場所は、王都ディエーリスから遥か遠方の山背。かつて王族の静養地として愛でられた広大な私有林は、今や管理する人間が一人としていなくなった巨大な「森の廃墟」へと成り果てていた。
荒れ果てた庭園の最奥、静寂を湛える白亜の洋館のテラスで、その男——フェルゼンは優雅に読書に耽っていた。
整った顔立ちには常に薄笑いが張り付いている。だが、彼がそこに佇むだけで周囲の空気は歪み、季節外れの寒気が肌を刺した。それは生物が本能的に抱く「生理的な拒絶感」そのものだった。
「……ふむ。目覚めた者がいたか」
無機質な銀灰色の瞳が細められた。
テラスの影から滲み出した赤黒い粘液――武猿から逃げ出した自身の分身体が、言葉にならない音を立てて報告を終える。
「ユー……? 誰だったかな、そんな名に心当たりは……」
フェルゼンは銀のスプーンを手に取り、白磁のカップに入った紅茶をゆっくりとかき混ぜた。ねっとりと耳にこびりつくような、甘い不快感を孕んだ声が静寂に溶ける。
「……ああ、思い出したよ。あの一族の出来損ないか。ヴェルライトは『魔獣食い』の食性ゆえに魔獣の生命エネルギーへの耐性はあったが、魔の力を得る者など誰一人としていなかったはずだが」
チィ、とスプーンがカップの縁を叩く。
「あの惨めな子が、そうか……。医者のふりをして里に潜り込み、分身体の種を撒いて『疑似的な病』を流行らせたが、すべてを網羅できていたわけではなかった。運良く生き延びていた個体がいたというわけだ。突然変異や特異体質みたいなものだろうか?」
フェルゼンの口角が吊り上がる。瞳の奥には、かつて自分が「実験体」として扱ったサンプルを思い出したかのような、純粋な狂気が宿っていた。
「しかし、皮肉なものだね。使いとして『魔の力』を探すためにここへ来たというのに、今やその力が私の自由を脅かす不確定要素になるとは」
フェルゼンは立ち上がり、死に絶えた庭園を見下ろした。
彼の気配に呼応し、石畳を粉砕し、巨木をなぎ倒しながら、青白い月光の下に巨大な影が滑り出してきた。劫斧竜だ。
「彼の目的など、もはやどうでもいい。私は自由だ。私は魔人となり、この世界を統べる王となる。……ふふふ、案ずることはない。ただの出来損ないを狩りに行くだけのことだよ」
袖から覗く禍々しい黒い刃が、月光を浴びて鈍く輝く。
「彼を殺さなくてはね。ユー・ヴェルライト……君には私の自由のために、ここで完全に消えてもらうよ。……行こうか。魔獣専門の狩人ギルドのある──王都ディエーリスへ」
フェルゼンが自身の寄生能力で従えた漆黒の馬型魔獣に跨ると、呼応した劫斧竜が大地を割り、咆哮と共に疾走を開始した。
静まり返った廃園には、ただ男の狂った笑い声だけが、夜風に溶けていつまでも響いていた。




