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第四十五話

「ガ、アアアアッ!」


ユーへの接近を本能的に恐れた武猿が、吠えた。

その両手に纏われた黒い靄が密度を増し、炎の弾となって連続で射出される。


だが、ユーは立ち止まらない。

迫りくる炎の弾に対し、ただ右手を無造作に振る。

黒いオーラを纏ったその手が触れるたび、轟音を上げるはずの炎弾は、まるで最初から存在しなかったかのように音もなくかき消されていく。


「な……に、あれ……ユーどうしちゃったの?」


「嘘だろ、……ユー……お前」


倒れ伏していたカイルとリアナが、信じられないものを見るかのように目を見開く。

師匠であるカッセルでさえ、言葉を失い、弟子の背中を凝視していた。


武猿はさらに狂乱し、自らの両腕をズタズタに引き裂く。

そこから溢れ出した『赤蝕』が、十数本もの赤い触手となって、四方八方の死角からユーへと殺到した。


しかし、ユーは避けようとすらしない。

ユーはその全てを、まるで「次に何が起こるか」を既に見終えているかのように、最小限の動きで捌いていく。


「…………」


無言のまま振るわれるユーの手刀。

それは、触手が硬質化して突き出される「瞬間」に、あらかじめその軌道上に置かれていた。

武猿が攻撃を繰り出すよりも早く、ユーの反撃がその拠点を断ち切っていく。

切断された触手は、地面に落ちる前に黒い靄に巻かれ、塵へと還った。


武猿の目に、初めて「理解不能な存在」への絶望が浮かぶ。

炎も、物量も、この少年の瞳に映る範囲では、あらゆる『攻め』が実行される前から無効化されていた。

一歩。着実に、ユーが距離を詰めいく。


「オ、ガ、アアアアアアッ!!」


もはや、炎による攻撃も、赤蝕の能力も、武闘家のような動きも、武猿の脳内からは消え失せていた。

目の前の少年を、ただその爪で引き裂くこと。獣としての剥き出しの本能だけが突き動かす。


左右、上下。狂乱と共に振り下ろされる鋭利な爪の嵐。

しかし、その全てはユーの真紅の瞳に『数秒先の残像』として焼き付いていた。


「…………」


紙一重。否、ユーにとっては必然の回避。

無駄のない足運びで、ユーは嵐のような爪撃を全て紙一重でかわし切る。

一撃も掠めることのないまま、ついにユーの右拳が、武猿の懐へと深く踏み込んだ。


ドクン、とユーの右腕が鳴る。

纏っていた黒いオーラに、血管を伝うような禍々しい「赤」が混ざり込み、パチパチと微弱な放電を発する。

ユーは静かに、その赤黒いオーラを纏った拳を握りしめる。


武猿が恐怖に目を見開いた瞬間。

ユーの右拳が、武猿の胸板を捉えようとした——その刹那だった。


バチィッ! と弾けるような音がして、ユーの右腕を駆け巡っていた赤黒い放電は消失。


「……っ!?」


拳に宿っていた圧倒的なオーラが、まるで風船に穴が開いたかのように、急速に萎んでいく。あれほど禍々しく、重くゆらめいていた漆黒の奔流は、瞬く間に薄く、小さくなり、霧散していった。真紅に輝いていた右目の光が、急速に色褪せていく。


「あ……」


喉の奥で、掠れた声が漏れた。武猿の喉元まで迫っていた拳は、力を失ってその胸板に弱々しく触れるだけで止まる。


限界を超えて引き出された異能の代償を払うかのように、ユーの意識は深い闇の底へと突き落とされた。

膝から崩れ落ち、泥の中に沈んでいくユー。


決着を告げたはずの少年は、トドメの一撃を放つ直前、糸の切れた人形のようにその場で意識を失った。

静寂が戦場を包む。眼前には、九死に一生を得たものの、恐怖で身動きの取れない武猿。


そして背後には、動けないカイル、リアナと、呆然と立ち尽くす師匠カッセル。誰もが、今起きたことを理解できずにいた。


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