第三十九話
「なっ……!?」
カイルが声を上げた時には、既に武猿の姿は消失していた。
直後、視界を埋め尽くしたのは黒い霧の奔流──。それは突風というにはあまりに重く、逃げ場のない暴力の塊となってカイルに肉薄する。
「カイルッ!!」
ユーの叫びに、カイルは反射的に最大出力の耀気を解放した。燃え上がる白き炎のごとき光が全身と大斧を包み込む。防御力を極限まで高めた、カイルの全霊を懸けた『纏身着化』。
だが、極級魔獣・獄炎武猿は、それを嘲笑うかのように不気味な笑みを浮かべた。
黒い霧を纏った拳が、防御を固めた大斧の腹にめり込む。凄まじい衝撃波が円形に広がり、周囲の樹木をなぎ倒した。カイルの身体は木の葉のように宙を舞い、背後の巨木へと叩きつけられる。
「カイル! ……嘘……っ!」
リアナが悲鳴に近い声を上げ、水耀の青き光を宿した矢を放つが、武猿の勢いは止まらない。
今度はユーへと狙いを定めた。
「よそ見してんじゃねえぞ!」
横から割り込んだのは、カッセルの大剣だ。大抵の魔獣を両断する焔の一撃が武猿の横腹を襲う。
同時に、ユーも片手半剣を抜き放ち、耀気を纏わせた。師の動きに呼応し、死角から鋭い刺突を繰り出す。中級の枠をとうに超えた、淀みのない連撃。
「──!? 捌かれた……!?」
だが、ユーの瞳が驚愕に揺れる。
武猿は避けることすらしない。カッセルの大剣に対しては「手の甲」で側面を叩き、その軌道を逸らした。さらに、ユーの剣先が喉元を貫く寸前、猿の「手刀」が剣の峰を鋭く弾き、ユーの重心をわずかに崩させる。
それは魔獣の野性などではない。洗練された、あまりに高度な「武」の練度。
(おいおい、冗談だろ……こいつ、完全に俺たちの動きを見切ってやがる!?)
カッセルが心の中で毒づく。
体勢を崩した二人の隙を逃さず、武猿の追撃が始まった。
黒霧を纏った蹴りがカッセルの腹部を捉え、その岩のような巨体を軽々と浮かせる。ユーが即座にカバーに入ろうとするが、武猿の尾が鞭のようにしなり、ユーの腕を強打した。
「ぐっ……!」
耀気を纏っていたにもかかわらず、剣を握る右手が痺れ、視界が火花を散らす。
上級になりたてのカイルを一撃で排除し、極級のカッセル、そして経験を積んだユーの二人を相手に、肉弾戦だけで圧倒する武猿。
絶望が場を支配する中、ユー腰にある革袋の中の紫の結晶がかつてないほどの脈動を始めた。それは、目の前の怪物がただの魔獣ではないことを告げていた。




