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鬼哭の湊  作者: 無暗道人
第二章
7/22

1

 休みの日に、部屋でじっとして居る趣味は無かった。元々寝るためだけの、何も無い部屋だ。

 商店街を駅の方へ歩く。五年間暮らした街だ、顔見知りとすれ違う事も多い。その度に愛想よく挨拶をするが、未だに河上(かわかみ)はここが自分の街だと言う思いにはなれなかった。作り笑顔で頬の筋肉が疲れる。

 ホテルから電話を掛けたのは、十一時頃だった。


「一緒に昼飯を食うだけさ。真昼間から口説いたりはしない」


 恵美(えみ)の受け答えは曖昧で、どこか警戒している様な、もしくは単に戸惑っているような感じだった。

 湾来(わんらい)の小さなクラブのホステス。店でも一番若い娘だ。単純にこういう経験に乏しいから、やたらと警戒しているのだろう。

 それでも四度通って、自宅の電話番号を聞く事は出来た。気があると言うよりも、女と言うにはまだまだな娘を、どう攻略するかを楽しんでいる。


「だって、ホテルでしょう」

「ああ、ホテルだ。あのホテルのレストランはシェフの腕がいいからな。ちょっと気取ったランチをするにしても、一人じゃ恰好がつかないからな」


 電話口の向こうから、小さな笑い。それから承諾の返事。待ち合わせ時間を正午に指定して、電話を切った。

 待ち合わせ場所まで、歩いても三十分で着く。当ても無く街を歩きながら時間を潰した。

 国際貿易港としての姿を取り戻しつつある湾来は、いつだって人が多い。そんな大勢の人間の中の一人として歩いている自分が、河上には不思議だった。

 零細貿易会社の社長で、商売はそこそこ順調に進んでいる。金持ちと言うほどではないが小金はあり、独り身で気楽に生き、時々昔の仲間と酒を飲んで騒いでいる。

 世間的に見れば恵まれている方だろう。ささやかな幸せを味わいながら、まだまだ人生はこれからの歳だ。

 しかし時々、本当にこれで良いのだろうかと思う。今の自分は擬態しているのではないか。本当の姿を隠すため、ちょっと小さな成功をおさめた、ごく平凡な若者に擬態しているのではないか。

 そしていつの間にか、擬態が擬態では無く、本物になっていくのではないか。本当の自分は、自分でも気づかないうちにゆっくりと死んでいくのではないか。

 時間を確認しようと腕時計を見たら、止まっていた。戦争中に支給された品だ、いい加減限界が来てもおかしくは無い。舌打ちしたが、時計くらい探せばどこかにあるだろう。

 花屋があった。珍しいとも言えるし、珍しくないとも言える。花など、別に無くても良い物だ。しかしそういう物を売る商売が、成り立つような世の中になったという事だ。

 どこか遠い異国産の、名も知らない花を店員が世話していた。河上と同じくらいの、まだ二十歳そこらの娘だ。

 ふと、昔どこからか摘んできた花を籠に入れて、一輪ずつ売っている少女を見た事を思い出した。今頃は店員の娘くらいだろう。

 もしやあのときの少女がと言う思いが一瞬よぎったが、そんなうまい話がそうそうある訳も無い。

 結局、ただの客として小さな花束を一つ買っただけで店を後にした。店内の時計が、そろそろ待ち合わせの時間である事を告げていた。

 ホテルの喫茶室で、恵美が待っていた。


「女を待たせるのね」


 ちょっとすねたような口調だった。


「花を買っていたのさ」


 花束を喫茶室のテーブルに置く。女を喜ばせるのは、物だ。いくら言葉を費やしたところで、喜ぶのは最初だけ。

 それも成金が金に物を言わせて高い物を買い与える様な贈り方より、こまめに邪魔にならない様な物を贈る。

 その際、見返りと言うか、効果は期待しない。喜んでもらえればよし、五秒でゴミ箱行きになっても、次の参考にしようと言う気持ちでいる事だ。好感を得ようと言う下心に、女は敏感だ。

 ゲームの様なものだ。定石を抑えれば、そこそこ上手く行く。その上で更に攻略法を探すゲームだ。


「可愛い服を着ているんだな」


 ピンクの花柄のワンピース。少女の服装だ。店に出る時は、黒いロングドレスなどを着ていた。

 最初に会ったとき、微かに男の気配を感じた。別に珍しく無い事だが、会う度のその気配は薄れて行った。

 男が居たが最近別れたのか、それにしては男の気配は完全には無くならない。それに、男が居るにしては初々しいと言うか、不慣れな感じがする。

 それは微かな引っ掛かりとして残り続けたが、気にしたところでどうなるものではない。


「私、あんまりお金は無いわよ」

「俺が奢るさ。女の方が金を持っていたとしても、男に奢らせてやるもんだ」

「河上さんって、本当に社長さん?」

「なんだ、藪から棒に」

「違う仕事をしている人みたいに感じたから」

「戦場上がりだよ。もう五年も前の話だがな」

「昨日帰って来たと言っても信じそう。だってまだ若いじゃない」

「若い奴が他に居なかった訳じゃない。平均年齢よりは若かっただろうがな」


 自分ではこの五年、一市民として生きてきたつもりだった。しかし、戦場の臭いは未だ色濃く漂わせているという事か。

 立ち上がり、手を差し出す。恵美が手を取って立った。


「何が食べたい?」

「ロブスターとか食べたいかな」

「俺は、鹿肉のローストがいいな」

「鹿肉って、食べた事ないわ」

「昔戦友がな、良く槍一本で仕留めてきて皆で食ったんだ。レストランで食べる様なお上品なものじゃないが、思い出の味ってところだ」

「嘘みたい」

「本当の話さ」

「分かってる」


 立ち上がると恵美の頭は、河上の背の高さもあって、顎の高さだ。


「いつも昼飯は食べるのか?」

「どういう意味?」

「いや、好きな時間に好きな物を食べてると、勝手に想像してた」

「じゃあ、今が好きな時間」


 立たせた後は、手を取ったりはしない。横にも並ばず、背中を見せて前を歩く。


「ねえ、河上さん。私を好きにならない方がいいわよ」

「ずいぶん自惚(うぬぼ)れてるな」


 好きになるな。本心は、好きにさせるなだ。


「ほんとよ。私、こう見えて悪い女よ」

「そんな台詞を言われたら、こっちこそ()れられたかと思うぜ」


 初めて恵美の隣に立ち、肩に手を乗せた。微かに香水の香りがする。また一手攻略の駒を進めた。


 本当にお昼御飯だけなの。別れ際に恵美はそう言った。ホステスを食事に誘ったのだから、別の魂胆があると思われて当然だろう。恵美も、どこか身構えている様な所があった。

 食事だけと河上は言っていたし、最初からそのつもりだった。女相手に手練手管を使うのは性に合わないし、どうしても恵美の体が欲しい訳でも無い。ただゲームを楽しんでいるだけだ。

 女を知らぬ身ではない。だが女を抱くのは、二・三ヶ月に一度か、それ以下だった。他人がどうかは知らないが、多い方ではないだろう。

 女を抱いたところで、どこか冷めているのだ。欠けている何かを、違うもので埋めようとしている事が際立ってしまって、むしろ嫌だった。

 酔って全てを忘れたいときに飲む酒に限って酔えないのに似ている。酒ならばまだ浴びるほど飲めばいいが、女に溺れたところで疲れるだけだ。


 店に入ってから、三十分ばかり恵美は来なかった。休日の夜ではあるが、奥の方に十人ばかりの団体客が居る。

 小さなクラブなので、それだけでもうほぼ一杯で、女の子たちも大抵そちらに行っている。

 奥の団体客が立ち上がった。

 見送りに出ていた恵美が戻ってきて、河上の隣に座る。入れ違いに、それまで河上の相手をしていた女が席を立った。

 無言で飲み続ける河上を、どう扱えばいいのか困っていたのかもしれない。


「今日は待たせるんだな」


 抑揚を付けずに言う。受け取り方によっては不機嫌に聞こえるだろう。


「大事なお客さんだったの。大きな会社の営業部の人達で、オーナーがご機嫌を取れって」


 ちょっと困った様な顔で言い訳をする。


「分かってるさ。仕事だもんな。ちょっとすねてみただけだ」


 少し困らせて、困った顔が見たかった。これもまた、気まぐれな遊びだ。


「何時に出られる?」


 恵美の眼がこちらを向いた。


「店が終わるのは何時なんだ?」

「口説いてるの?」

「聞いてみただけさ」


 つまみのクルミを割った。乾いた音がする。こういう時、煙草を咥えて見せて、火を点けさせれば格好がつくのだろう。

 吸わない性質のせいで、気障(きざ)な仕草で煙草を吸うと言う選択肢が取れないが、ハンデがあった方が面白いだろう。


「一時を過ぎたら帰っても良い事になってるわ」


 時計はすでに一時半を指していた。


「じゃあ、行こうか」

「やっぱり口説いてるのね」

「甘ったるい言葉を並べるのが似合う様に見えるか?」

「この前は花だけ渡してスマートに帰った癖に」


 別に気取った訳ではない。本当に昼食を一人で取るのが何か物足りないから誘ったのだし、行きがかりに花屋を見つけたから、その場の思いつきで買っただけの事だ。


「行くぜ。外で待ってる」

「強引」


 強引で結構だ。若い娘相手なら、強引に引き寄せる位が良いだろう。

 すでに顔見知りとなった店のマネージャーが、にやりと笑みを浮かべて店のドアを開けた。

 店の中にはまだ数組の客が残っている。ホステスと一緒になって踊っている客もいる様だ。そんな気配を背中に聞きながら、河上は夜の帳の中へと出た。

 恵美はすぐに出てきた。店の中での格好に、カーディガンを羽織り、ハンドバッグを持っただけだった。真っ赤なハンドバッグが、妙に浮いている。


「どこへ行くの?」

「君の部屋にしようか」


 一瞬、恵美の足が止まりかけた。それを隠す様に、腕を河上の腕に絡めてきた。


「ホテルじゃ駄目なの?」

「君の部屋じゃ駄目なのか?」


 今日のゲームの目標は、恵美の部屋に行く事と決めていた。少しばかり、大きな勝負という事になるだろう。


「河上さんって」

「ん?」

「やっぱりちょっと他の人とは違うわ」

「芝居が下手なだけだ。女の子の部屋に行ってみたいから行きたいと言うだけさ」


 くすりと恵美が笑った。だがまだ躊躇(ためら)う様な気配がある。部屋に案内される事に、ある程度自信が有ったので、意外だった。

 どこかで何かを間違えただろうか。それとも、部屋に連れて行きたくない理由があるのか。考えられるのは他に男が居る事だが、その気配は希薄だった。

 嫌だと言うならやめておこう。そう口にする前に、絡めた腕に微かに力が込められるのを感じた。


「いいわ、行きましょう。私の部屋」

「遠いのか?」

「近く。お酒飲んで帰ると大変だから」


 恵美の住んでいるアパートは、いわゆる下駄履きと言う奴だった。一階が店で、二階以上がアパート。恵美の部屋は四階だった。


「家賃いくらなんだ?」


 少なくとも高そうには見えない。


「このくらいかな」


 恵美が掌を広げた。この街としてはだいぶ安い。


「いわく付きかと思う値だな」

「一階のお店、棺桶屋さんなの」

「なるほど。そいつは安くしないと借り手が居ない訳だ。気持ちのいいもんじゃない」


 ドアには番号を書いた札も出ていなかった。恵美が鍵を差し込み、回す。闇。微かな香り。

 明かりを点けると、ワンルームのこじんまりした部屋だった。キッチンと部屋の間に掛かっている暖簾には、デフォルメした動物のアップリケが施してあった。

 どこか子供っぽさが残る、大人になり切れていない部屋だった。らしいといえばらしい。

 部屋の三分の一をベッドが占拠していた。鏡台、ラジオ、小さなソファとテーブル、洋服箪笥。あとは小物が少々。男の気配はしなかった。


「ここでどのくらい暮らしてる?」

「一年くらいかな」


 恵美がカーディガンをソファに放り、カーペットにじかに座る。河上も傍に座った。


「恋人はいない様だな」

「さあ、どうかしら」


 恵美が服を脱ぎ始める。河上は黙ってそれを見ていた。下着だけは大人っぽい。下着姿にガウンを掛けて、恵美が立ち上がる。


「お風呂の用意をするわ」


 湯を出す音がする。小さな浴室だ。戻ってくるときに、冷蔵庫から缶ビールを持って来た。

 ソファに腰を移し、缶を開ける。泡が噴き出してきて、慌てて(すす)る。あまり冷えてはいない。冷蔵庫が古いのだろう。


「男が何とかするものじゃないの?」

「俺は、女が脱ぐのを見ている方が好きだね」

「いや、はずかしいわ。電気も消して」

「君がそう言うのなら、そうしようか」


 こだわりが有る訳ではない。もっと言えば、抱こうと言う気も無い。今日のゲームは部屋に招待されるかどうかだ、それ以外をする気は無い。

 しかし、女の部屋に上がり込めばそれはついて回るイベントだ。そう割り切って、身を任せた。


 妙な時間に起きた。一応、この部屋にも朝日が差し込むようだ。窓の外からは日の出前の空の白けが見える。

 寝たと言うよりも、意識を失っていたと言う方が近い様な寝方だった。恵美は隣でまだ寝息を立てている。

 体がだるく、身を起こすのが辛いので、しばらくそのまま天井を眺めた。天井を眺めながら、この次はどうしようかと考えた。

 部屋に案内されて、一晩共に過ごした。これ以上の攻略目標は浮かんでこない。

 潮時か。内縁の妻気取りになられる前に、少しずつ疎遠になっていって、自然解消できれいに終わらせる事が最後の目標だろう。あまり面白くもなさそうだった。

 いや、これまでも面白かった訳では無い。ただ漫然と時間を過ごすよりは面白みのある暇つぶしとして、偶々出会った大人になり切れていない娘で遊んだだけだ。

 女絡みで燃えるような思いになる事は無いだろう。復縁する事をやけぼっくいに火が点くと言うが、燃え尽きた灰が再び燃える事は無い。

 起こさないように静かにベッドから出て、脱ぎ散らかした服を着た。真っ赤なハンドバッグの中を漁り、部屋の鍵を見つける。

 ドアの方に一歩足を出して止めた。ベッドに戻り、恵美に布団を掛け直してやる。寝顔には、やはりまだ子供っぽさが残っていた。

 部屋を出ると鍵を掛け、鍵を郵便受けの中に入れた。早朝の港町は、濃いミルク色の霧に包まれてまどろんでいた。


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