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開通したばかりの汽車を使えば、湾来から都内までは近いものだった。
指定の場所は、結構な高級料亭だった。屋号を入れた提灯が並び、本日貸し切りの看板が出ている。
中へ上がり、女中に案内されて広間に入ると、すでに二十人以上は集まっていた。入った途端に気さくな挨拶が飛んでくる。
「俺が一番最後か?」
「来ると言った者達では最後だな。他に何人か行けたら行くと答えた者が居る」
「葛城さん、急に席を用意してもらって済みません」
「全くだ。昨日の夜に突然電話をしてきて、今夜集まろうと言うのだから。用意をするこちらの身にもなれ」
口で言うほどに、本気で迷惑に思ってはいない。昔からそういう人だった。こうして席を用意してくれたことからもそれが解る。
葛城はまだ四十にもなっていないが、それでも義介よりは十五も年上で、ずっと上の上官だった。
面倒見の良い性質で、昔から後輩の世話を何かと焼いていたらしい。義介はその後輩の部下または戦友になるが、それでも大分世話になったと言う思いがある。
「お前、最近はどうしている? 急に昔の仲間で集まって飲みたいなどと言い出すから、何かあったのかと思ったぞ」
「大した事は起きてやしません。いつも通り、騒がしくやってます」
「なら、良いのだが。もう戦争の頃や戦後すぐではないのだから、あの頃の気分のままでいると、碌なことにならんぞ」
「言われなくても分かってますよ」
面倒見が良いのはいいが、それが小言とおせっかい焼きと言う形で発揮されるのは、変わっていないようだ。
「俺なんかよりも、葛城さんの方がよほど神経使うでしょう。閣僚ともなれば、こうして飲んでるだけでもまずい事になるんじゃないですか」
葛城は戦後政治家に転身した一人だ。むしろそちらの方が向いていた様で、今では戦場上がり組では初にして唯一の閣僚として、政府で重きをなしている。
政治には興味が無いのでどんなことをしているかは知らないが、元部下や知人を中心に、帰還兵の戦後生活を公私共に気にかけているようだ。
「弱みを握られる様な事は無い。昔から、戦うよりも逃げる方が得意だったからな」
「確かに葛城さんには、逃げている印象しかねえな」
冗談めかして言っているが、葛城の危険を嗅ぎわける嗅覚と言うか、勘の様なものには何度命を救われたか分からない。それを思えば、政治家として弱みを握らせないくらいは楽なものなのかもしれない。
「まあ、逃げるのも悪い事ばかりではない。おかげでこうして生きて酒が飲めるのだからな」
「逃げることを嫌った連中は、みんな死んじまいましたからね」
「長生きするコツは、嫌な事からは逃げる事だな。お前も逃げたくなったらいつでも逃げていいのだぞ。その時は私の所に来るといい」
逃げる。それは必要な事だという事は、分かっている。一万の敵に、無策なまま百人で突っ込む様な指揮官は馬鹿だ。そういう時はさっさと逃げる。逃げて、生きる事に全力を尽くすべきだ。
だが逃げる事を、自分は良しとする事ができているのだろうか。自分も逃げる事を嫌った奴らと同じで、たまたま生き残っただけと言う気もする。
「俺は心配要りませんよ。曲がりなりにも小さな会社の社長に収まってるくらいですから。むしろどう生計を立てていいか分からないでいる連中が、まだ結構いるでしょう」
「まさに、そういう者達をどうしてやるべきか、頭が痛くてな。五年も経ってしまった今では、落ち着き先も無い」
「今だからこそ、落ち着き先もあるでしょう」
「何?」
「今ならば、そこそこ大きくなった会社って奴があるでしょう。そういうところに口を利いてやればいいんです。
軍隊と同じですよ、上の命令に従って、規則に沿って行動する。仕事が戦争じゃないってだけです。戦場上がりならまだ体力もあるだろうし、建設会社でも紹介してやったらどうです?」
「なるほど。そういう手があるのか」
「いや、ただの思いつきなんで、本気にされても困りますよ」
しかし葛城は、熱心に何かを書き留めている。メモ魔な所も変わっていない、むしろ拍車がかかったようで、分厚い手帳に付箋やら何やらが挟まって、膨れている。
付き合う理由も無いので放っておいて、膳に少し手を付けながら、他の者達と近況を語り合う。
懐かしい顔ぶればかりだが、昔とは顔つきが変わったと思う。単に歳を重ねたという事ではなく、生き方とでも言うべき何かが変わったという事だろう。
「よう、やってるか?」
「杉」
杉が隣に腰を下ろした。ウイスキーのボトルを握っており、口を開けてこちらに差し向けてくる。グラスを突きだすと、かなり多めに注がれた。
「良い酒、らしいな。俺はこういうのはあまりやらないが」
「良い酒だとも。甘くて、苦くて、目が回る。心地よいほどに」
「詳しいのか?」
「俺の会社で輸入している酒だ」
「なるほどな。そりゃ道理だ」
グラスを傾ける。本当に、良い酒だ。昔は望むべくも無かった。
「お前は今でも軍人らしいな」
「中佐になった。だからどうという事も無いが」
「家出したはねっ返りのおぼっちゃんが、今や中佐殿か」
杉は義介が志願した義勇兵の隊長だった。そこそこの良家の子だったそうだが、半ば家出同然で義勇兵を組織して戦地に赴き、葛城を呆れさせた。
しかも義勇兵を組織する資金は、ちゃっかり実家から持ちだしたと言う。そのはねっ返りぶりが受けて、真っ当な軍人では無い義勇兵の支持は絶大だった。
そんな問題児のたまり場の様な義勇兵も、戦後正規兵に組み入れられた。杉が正式な将校になったのも、その時だ。
「まあ、中佐と言うだけで何の仕事も無いがな。回されたところでやる気は無いが」
「変わってねえな。いい歳してまだ悪がきのがき大将か」
誰もが多かれ少なかれ変わっている、変わらざるを得ない中で、杉だけは顔つきから何から変わっていない。
今日は軍服ではなく私服だが、派手な色合いの服を軽く着崩しているところまでも昔のままだ。
これが最近のチンピラならば、馬鹿な見かけ倒しを晒して歩いている様なものだが、杉が着ると凄みすらある。
「まあ、悪がきなら悪がきで、お前くらいでなけりゃあな。最近のチンピラときたら、意気地が無くて反吐が出る。
喧嘩をする度胸も無いのなら、大人しく良い子にしてりゃいいものを。外面だけ強がって、堅気の人間を威しまわりやがって」
一息に喋った勢いで、グラスの中を呷る。一瞬甘く、その後苦い。
「大分腹に据えかねてるようだな?」
「正直に言うとな、最近酒が増えた」
少し目が回ったが、しばらくすると落ち着いてきた。まだ酔う様な量ではないはずだ。
「それで、昔の仲間を集めて懐かしもうってか?」
「いや、いっそ酔った勢いで喧嘩でもしてみるかと思ったのさ」
「やめておけ。『紅夜叉』と喧嘩したら、死人が出る」
「昔はそれが当然だったろう。喧嘩も命がけ。負けを認めて謝れば済むようなものじゃない」
「もう、そういう時代じゃねーのさ」
「らしいな。この歳で年寄臭く昔を懐かしむとは思わなかった」
「ならもっと年寄臭く、昔の思い出話でもするか。それも、死んだ人間の思い出話」
「いいな、それ」
見栄を張る時は張るが、その必要が無い時は遠慮無く無様を晒せる。ここに集まったのは、皆そういう仲だ。無様に懐古主義に浸るのも良いだろう。
「まず、誰から始めようか」
「吉田はどうだ。お前、仲が良かっただろう」
「ああ、気持ちの良い奴だったな」
吉田は河上と一番仲の良かった男と思われている。間違いではないが、仲間思いで誰が相手でも馴れ馴れしいくらいの奴だった。
槍を振り回せば敵う奴はおらず、何度も大立ち回りを演じていた。大抵は河上も一緒になって暴れていたものだ。
「子供が親に教えられる立派な人間を、いい意味でそのまま信じて大人になったような奴だったな」
「退くときはいつも殿を買って出ていた。よく覚えている」
「突っ込むときはいつも先頭、退くときはいつも殿、怪我した仲間は必ず拾うし、武器を捨てた敵には手を出さない」
「お前は丸腰の相手でも容赦が無かったよな」
「当たり前だ。武器を置いたから助けてくれなんてほざくくらいなら、最初から武器を手にしなければいい」
「だからテメーは夜叉なんて呼ばれるのさ。その点、吉田は仏みたいな奴だったな」
「それは酷だろう。仏の様な、優しい人間ってのは、いつだって無能者の同義語だ。あいつは無能どころか、馬鹿な理想像を本当にやってのけるだけの力を持った、男だった」
「だから死んだ」
「そうだな」
あのとき、吉田を含む隊は本隊とは別行動をとっていた。本隊が正面から攻撃を掛ける間に背後に回り、奇襲を掛ける手はずだった。
だが作戦が読まれていたらしい。別働隊は逆に敵に包囲された。吉田はそこから単身切り抜けてきて、本隊に救援を要請してきたのだ。
そして急を告げると、止めるのも聞かずに取って返して行った。ただ一人で、包囲された味方を助けるべく、敵に斬り込んだのだろう。
しかし本隊は救援に動けなかった。別働隊を封じた事を確認した敵が、大攻勢を仕掛けてきて、総崩れにならない様に支えるのが精一杯だった。
吉田の死体が倒れていた現場には、吉田が倒したと思われる敵兵の屍が二十以上も転がっていた。吉田の体は、文字通り満身創痍だった。
「あいつらしい死に方だった」
「河上、あのときどうして吉田は一人で戻ったと思う? 元々、考えるより先に体が動く様な馬鹿だったが」
「それが土壇場で命を救った事も一度や二度じゃなかったさ。ヤバイ気配を感じたら、ヤバイと感じる前に体が動くからな。
多分、あいつには助けに行かないなんて選択肢は無かったんだろう。助けられない事が分かっていても助けに行く。それをしなかったら、吉田は吉田じゃなくなる。
それを感じていたから、行ったんだろう。行けば死ぬと分かっていてもだ」
「馬鹿だな。死ぬ奴は何時だって大馬鹿だ」
「そうだな。だが馬鹿でなければ吉田じゃない。馬鹿な死に方をした大馬鹿野郎だ」
「馬鹿な死に方と言えば、日下部も大概だったな?」
「日下部さんか」
日下部は正式な軍人で、砲兵の中隊長だった。砲兵は一番数学ができる奴が行くところで、日下部も例に漏れずインテリだった。杉とは一つ上の幼馴染で、葛城とも親しかった。
義勇兵とは共に行動する事が多く、別部隊とは思えないくらいによく顔を出していた。本人は、杉は目を離すと何をしでかすか分からないからと言っていた。
実際その通りだったから、みんなして笑っていたものだ。杉が独自に作戦を立案して勝手に奇襲を掛け、後から日下部の砲兵が的確な支援砲撃をするという事も、何度かあった。
今にして思えば、ずいぶんな無茶をやったものだ。しかしあの頃は、そういう無茶を嬉々としてやっていた。問題児扱いも当然と言えた。
「日下部を死なせたのは、惜しすぎる損失だ」
葛城が話に入ってきた。日下部を最も評価していたのは、日下部の上官だった葛城だろう。
「あいつもまた、戦場よりも戦後の政界の方が活躍できる男だと期待していた。生きていてくれたら、どれほど私が楽になった事か。それどころか、いつかは宰相にだって成れただろうに」
「葛城さんがそこまで言うのも珍しいな。俺や杉はけちょんけちょんなのに」
「その理由を自分の胸に手を当てて考えてみろ。あの時、自ら死地に赴こうをする日下部を、どうやったら止められたのかと今でも思う。止められはしないと分かっていてもだ」
日下部は、馬鹿の道連れになって死んだ。
どこぞの馬鹿指揮官が、無謀な作戦を強行して、窮地に陥った。それを救援しろと言う命令が、近辺に居た部隊に下された。ずっと上層部からの命令だった。
しかし状況は、救援どころか一刻も早く逃げなければ、巻き添えを食いかねないと言う有り様だった。誰もが嫌がる中、日下部は自分が行くと志願したらしい。
何故そんな無謀な救援命令が出たのかは知らない。どこも慢性的に不足している戦力を、むざむざ失いたくはなかったのかもしれない。あるいは、墓穴を掘った馬鹿指揮官が、お偉いさんの関係者だったか。
今となってはどうでもいい事だ。ただ一つはっきりしているのは、日下部が僅かな兵を率いて救援に赴き、最後まで踏みとどまって全滅したという事だ。
それで助け出す事の出来た兵は、ただの一人もいなかった。いや、日下部の犠牲のおかげで、俺達は逃げる事が出来たのだから、助けられたと言えるかもしれない。
「葛城さん、日下部さんは何故死に行く様な事をしたんですかね? 何か知ってるんでしょう?」
「まあ、な。良い機会だから、話しておこうか」
葛城が、手に持っていたグラスを置く。
「日下部が行く前夜、あいつは私に別れを告げに来た。私が何故行かねばならないのかと問うと、あいつはケジメを付けなければならないと言った」
「ケジメ?」
「あいつは早くから作戦を無謀に過ぎると反対して、上申を繰り返していた。だが結局は止められず、多くの兵を危機に晒したのは、自分の責任だという事だろう」
「馬鹿な。責任を問われるとしたら、部下を道連れにしてくたばった無能だろう」
「私もそう言ったさ。だがすでに部隊を救援しろと言う命令は下されていた。ここで誰もそれをしなかったら、今度は味方を見殺しにした責任を問われる事になる。
誰かが死ななければならない。誰かが全滅は承知で救援に赴けば、他の部隊は巻き添えを食わずに逃げられるし、上層部からにらまれる事も無い。
日下部は、私達を守ったのだよ。敵からも、味方からもだ。そのために死ぬのが、自分の責任であり、ケジメのつけ方だと言っていた。部下には申し訳がないが、と添えていたな」
「理不尽だな。胸糞悪い」
「だが、他にどうしようもあるまい。今から見てもだ」
理解はできる。当時は何処も泥沼の戦いで、誰もがそれに嫌気がさしていた。かと言って、嫌になったから戦争を止められる訳でも無い。
戦う事に嫌気がさした人間を戦わせるために、督戦隊による粛清が激しい頃だった。それは軍紀を引き締めて、兵士の犯罪を抑止する事に一定の効果を上げた。
だが一方で、妥当な撤退も敵前逃亡として粛清の対象にされる事もあった。あのとき救援は不可能として撤退したら、間違いなく敵前逃亡罪を適用されていただろう。何せ特戦隊に命令を出しているのは、救援せよの命令を出したところと同じなのだ。
「あのときの上層部は、今どうしてる?」
「仇討ちでもする気か?」
「今更そんな気は無い。ただ気になっただけだ」
「まあ、仇討ちをする気になったところで、無駄な事だがな。全員死亡している」
「死んだ?」
「敵の工作員による爆弾テロで全滅だ」
「暗殺やテロも珍しくなかったからなぁ」
敵も、味方も、憎い相手も、愛した相手も、皆死んだ。全ては、もう過ぎ去った過去の事になっている。
「ずいぶん死んだもんだな。そして俺達はずいぶん殺した」
懐かしむ様に、そうつぶやいていた。考えた事が口に出る。少し酔ったか。
「死人の恨みが聞こえる様じゃねえか。鬼哭啾々ってな」
杉が皮肉な物言いで応えた。鬼哭啾々、浮かばれぬ亡霊がか細い声で泣く。
だが河上は、必ずしも死者の声は、恨みの泣き言とは思わなかった。死者の事を思い出すと、懐かしさがこみあげてくる。味方だけではない、恨まれて当然のはずの、殺した相手の事すら懐かしい。
あの頃は楽しかったよなあ。あの修羅場が俺たちの青春だった。酷い青春だが、それでも友が居て、敵が居て、それぞれ命を懸けて、全力だった。そこにしか無い熱があった。
自分の中の死者は、皆そう語りかけてくる。そしてそれを、否定する気にはなれない。確かにあの修羅場は、心地よかった。
だがそれも過ぎ去った事だ。時代は移り、俺達は分別のある大人になった。もう昔の様に、例えどうなろうともやりたいようにやる、という訳にはいかない。
「なあ義介よ、お前は今の世の中に、満足か?」
何か含んだような物言いだった。杉がこういう物言いをするときは、決まって何か企んでいるときだった。
だが杉だって、何時までもがき大将ではいられないだろう。それに、飲み過ぎたのか頭が回らない。
「満足だろうとなかろうと、死にたくなけりゃここで生きてくしかあるまいよ」
しゃべりながら杯を重ねすぎた。どれほど飲んだだろう? ウイスキーをダブルで五杯くらいか。そんな事だけは妙に確信がある。
河上の記憶が機能していたのは、そこまでだった。




