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電話が鳴った。事務所の電話ではなく、社長専用の電話だ。すぐに取った。
「今からご報告しても良いですかね」
「構わない」
四日前に雇った探偵からだった。知らない仲ではない。山縣と言う元中尉で、情報担当将校だった。戦場で足を負傷し、歩く分には問題無いが、駆け回る事はできなくなり退役した。
戦後になって偶然再会した時にはもう、興信所を開いていた。商事または人事について秘密に調査する機関という事だが、要は探偵だった。お似合いの仕事だと思う。
「岡田に河上さんの会社を買う金なんて無いですよ。それどころか自分の店まで取られる寸前ですな」
「借金か?」
「調べた限りでは八百万ありますね。最近は自分の賭場にも顔を出していない様で」
三十人も入れば満員の小さな賭場だった。それに最近は、戦後すぐの様に形ばかりの取り締まりでも無い。先細るのは当然だろう。
しかし、そうなるとますます分からない。何故岡田は金も無いのに河上商会を買いたいなどと言ったのか。
「その岡田の借金を肩代わりしようって奴がいるみたいです。いや、肩代わりとは言っても、要は足元を見て安く買い叩こうって事でしょうけど」
「誰だ?」
「河上さんも良くご存じの方ですよ。武市雑貨店のご主人です」
「武市のおっさんだと?」
最近しつこく遊びに誘ってくる事と、何か関係があるのだろうか。
「岡田は最近、武市の所でかくまってもらっている事が多いようですな」
「確かなんだな?」
「細かい事までは分かりませんが、岡田と武市がベッタリなのは確かです。これ以上は岡田が動かないので調べ様が無いですね」
「武市が何を企んでいるのか、洗ってもらえるか?」
「そりゃ、別の仕事って事で」
「分かっている。依頼料はこの仕事の金とまとめて送っておく」
「いつまでに調べればいいんで?」
「なるだけ早い方が良いな」
「なら明後日のこの時間には連絡を入れますよ」
それで電話は切れた。受話器を置くと、小松が来月の仕入れをどうするか聞いてきた。
「来月は少し仕入れを減らそう。今月仕入れた物がまだ倉庫に溜まっている」
「やっぱり嫌がらせの影響ですかね?」
「分かり切った事を言うな」
嫌がらせを受けていると知られると、取引先も巻き添えを食う事を恐れて、取引を延期する所が出た。仕方の無い事だが、痛手には違いない。
「ボーナスに響きますかね、こりゃ」
「嫌なら契約を取って来て、早いとこ損を埋めるんだな」
自分が直接嫌がらせを受けるよりも、ずっと腹立たしさが尾を引いている。
「でも良かったです」
「何が良かったんだ」
「社長が参っていない様で」
参っては居ない。だが腹は立っている。そんな事も分からない様なのんきな物言いが、やけに気に障った。
山縣に依頼をして、それで終わりにするつもりは無かった。送金の手続きを済ませたその足で、岡田の賭場を覗いてみた。
客は少ない。岡田は居ないが、賭場を開く分には問題無いようだった。手がかりは期待できないが、ともかく少し遊んで、様子を見ようと思った。
「入れてくれ、今日は何をやってる」
「丁半」
「なんだ、それだけか」
「この客の入りじゃ、二つ三つ用意したところで閑古鳥なんでね、最近はずっと丁半しかやってないよ」
「ならそれでもいいや」
賭け札を買って席に着く。賽が振られた。
「さあ、丁か半か」
「丁」
やる気なくそう答えた。運を試すような博打は嫌いではないが、それは一度きりだから熱くなれるものだ。小金を賭けて何度も運試しを繰り返したところで、何の面白味も無い。
賭場の中をざっと見まわす。うらぶれてはいるが、場末の賭場などこんなものだろう。特に借金で苦しんでいる事を窺わせる様なものは無い。
交互に丁と半に賭けながら、五、六回遊んだところで切り上げた。何も無いと言うより、誰も居ないのでは何も知り様が無い。
賭場を出たところで、張り込んでいる男に気が付いた。警察ではない。張り込んでいると言うより、待ち伏せていると言う感じだ。
おそらく借金取りだろう。まず帰ってはこないと思いながらも、岡田が現れるのを待っている。この様子だと、大分執拗に追われているらしい。
ちょっとしたいたずらを思いついた、待ち伏せている男に近づく。男の方はまるでこちらに意識を向けていない。
「よう、景気はどうだ?」
突然馴れ馴れしく話しかけられて、男は目を剥いた。すぐに睨みを利かせてくる。
「なんだ、テメェは」
「俺も岡田を探してるのよ。まあ、ここには来やしないだろうが、一応な」
男が少し戸惑った様子を見せる。こちらが何者なのか、判断が付きかねているのだろう。
「まあ奴を見つけたら、お宅らの方にも連絡は入れてやるさ。しかしとっ捕まえたとして、金返せるのかね? この土地をいただいたところで、大して金になりそうもねえな」
「だからってこのまま逃がす訳にもいかねえよ。払えるだけ払ってもらうしかねえだろ」
「道理だな。まあ、いつまでも逃げられやしねえだろう。今頃金策の一つでもしてんだろうな」
「こっちとしちゃあ、貸した金返してもらえるならなんだっていいさ」
「違いねえや。邪魔したな」
長く話してボロが出ないうちに切り上げる。話しているうちに、向こうは完全にこちらを同業者だと思った事だろう。
あれは所詮下っ端に過ぎないだろうが、それでも借金取りが岡田に何かさせている訳では無い様だ。こちらの線は完全に消えた。
となればやはり、岡田は武市に使われていると見るべきか。借金を返す金を作るために、武市のために働いて、その上賭場も取られようとしているのだろう。
しかし、改めて見るとやはり岡田の賭場は立地が悪い。表通りに店を構える訳にはいかないが、いくらなんでも悪すぎる。
区画のうち、通りに面した四方にビルが建ち、真ん中だけがぽっかり抜け落ちた。そんな場所だった。日当たりはほとんど無い。
利用価値の無い二束三文の土地を欲しがる奴もいないだろう。ならば武市は、何故岡田の土地を買い叩こうとしているのか。
それどころか、河上商会への嫌がらせも武市の指示と見るのが妥当と言うものだ。何が本当の目的なのか。それとも――。
「武市の裏にもう一人、か?」
それならそれでまた同じ疑問が湧く事になるが、少なくともその何者かが誰かという事が分かれば、もう少し見えてくる物もあるかもしれない。
ともかく、岡田の事は置いておいて、武市を洗ってみた方がよさそうだ。
武市雑貨店は、繁盛しているとは言えないが、まあそこそこの客入りだった。雑貨店とは言うが、最近事業を拡大して、食料品も扱っている。
「武市さんいるかい?」
裏の社員用入口から中に入って、声を掛けた。すぐに武市が顔を出した。
「や、これは河上さん。仕事サボって何の御用で?」
「サボってとはずいぶんなご挨拶だな。金の振り込みをしたついでに顔を出したのさ。お邪魔ならすぐ帰るけどね」
「いや、せっかくだから上がって行ってください。狭い事務所ですけどね」
やはり、引き止めてきた。最近の武市のしつこいくらいの誘いからすれば、当然の反応だろう。これで帰ってくれと言ってきたら、それはそれで何かある。
店の裏、細長い部屋に机を置いた事務室に案内された。仕入れた品か、段ボール箱が積み上がっている。
武市の奥さんがコーヒーを出した。もういい歳だが、若い頃はそれなりの美人だったのだろうと言う奥さんだ。
「この間は悪かったな。流石に酔いつぶれた武市さんに支払い全部押し付けるのはやりすぎた」
「いや、いいんですよ。私が誘った事だし」
「しかし武市さん。良い奥さんが居るんだから、遊びもほどほどにしなきゃ駄目ですよ。いくら若い子が恋しくなったって、奥さんに気の毒だ」
「そんなんじゃないですよ。娘に小遣いやってるような気持ちです。妻も承知の上ですよ」
そう言えば武市夫妻には子が居なかった。昔は娘が居たと言う話も聞いた事があるが、詳しい事は知らなかった。
「遊びと小遣いと言えばね、たまには小遣い使って遊びたくなったんで、岡田の賭場に行ったんですよ。そしたら岡田は借金こさえて逃げ回ってるそうじゃないですか」
「そうなのか。最近見ないと思ったが」
白々しい。
「武市さんの所には来てないのかい。返す金が無くて泣きつくとしたら、当ては武市さん位でしょう」
「まあ、なんとかしてはやりたいと思うが、来ていないし、そもそもそんな金も無いからね。何せ見ての通り、しがない雑貨屋の親父だ。河上さんの方がよっぽど金持ちだろう」
「まあ、どのみち身から出た錆だ。同情なんてしねえよ。もし見かけたら、他人を巻き込む様な事だけは止めろと言っておいてくれ」
「伝えておくよ。見かけたらね」
これ以上は無駄だろう。決定的に揺さぶる材料が無い状況では、この男から何かを引き出せそうにはない。伊達に歳は食っていないという事か。
温くなったコーヒーを流し込み、雑貨店を後にした。
会社に戻ると帰りが遅いと専務の前原に怒られた。そう目くじら立てる事じゃないだろうと言うと、社長があまりだらしなくては社員に示しがつかないと言われた。
ここで言い争っても仕方が無いので、大人しく非を認めると、前原もあっさり引き下がった。
昔もこんな事があったなと思った。まだ戦場にいた頃で、叱ってくる相手は上官だった。ただし、直属の上官では無かった。一緒に行動する事が多かった砲兵の中隊長で、小言がうるさい所があったが慕われていた。
お世辞にも素行の良い方では無かったので、良く小言を食らったものだ。反発しても長くなるだけなので、いつも大人しく非を認めて、それで向こうも引き下がっていた。
口うるさい事しか覚えていないが、今となっては懐かしい。味方を逃がすために殿軍に立って砲をぶっぱなし続け、戦死した。
前原が事業計画書を持って来た。今のままの経営では先細ってしまうのは明らかなので、取り扱う品を大きく変えて、量も増やそうと言う計画だった。
「そう上手く行くもんかね? このままじゃ先細りだってのは確かに感じているが」
「会社に体力のあるうちにいろいろ試す方が、土壇場になって足掻くよりずっといいでしょう。新しい仕入れ先を見つけて交渉するのは、自分が行っても構いません」
「お前に任せれば心配はいらないだろうな」
「それじゃあ」
「すぐにとはいかんが、この計画は前向きに検討しておこう。何か切っ掛けが有れば、取りかかってもらうかもしれん」
それで前原は満足した様だった。最近はどういう仕入れをして、どこに卸すかという事も、前原の判断に任せる事が増えた。
前は全て自分一人でやっていた事だ。しかし最近は、以前と同じやり方が徐々にだが通用しなくなってきたと感じる。
五年も経てば世の中も変わるのだろう。それも、何も無くなったところから復興する五年間だ、変化も早い。
河上商会の経営も、前原の様な者に任せてしまうのが良いのかもしれない。前原が雇われ社長、自分はオーナーという事にして、働かずに金だけ受け取り、時々経営にケチをつける。
気楽な生活だろうが、そうなった時自分は何をするのだろうかと思った。隠居爺でもあるまいし、ささやかな楽しみを追ってその日暮らしをする気にはなれそうもない。
自分のする事が無くなる。もっと言えば、自分が必要とされなくなる。そうなったとき、俺はどう思い、何をするのだろうか。
自分も決して、戦後世界に適応できている訳ではないのだろう。
仕事の後に、安い居酒屋で飲む事にした。露店で酷い酒を売っていたのが、いつしか屋台になり、店になったところだ。
大して金は無いが、元気だけは有り余っているような連中でいつもにぎわっている。活気があると取るか、うるさいと取るかは人次第だろう。河上は嫌いでは無かった。
奥の席に座り、酎ハイを頼む。焼酎の炭酸水割り、炭酸水なんて物が出回り始めたのも、最近になってからだ。香りが良く立っていて、好みだ。
飲みながら、もう一度河上商会を取り巻く状況を整理した。嫌がらせを仕掛けてきたチンピラは新興組織ヴルムの者だが、身元を隠していた事と、兄貴分が詫びに来た事から、それ以上の関わりはなさそうだ。
ヴルムと対立している老舗の後藤組は、影も形も無い。組織の抗争が裏にあるという訳では無い様だ。やはり、街の顔役である武市と、武市に使われているらしい岡田の線だろう。
岡田が借金漬けだと言うのに河上商会を買いたいと言ってきたのが事の発端だ。岡田はただの代理人で、本当に商会が欲しいのは武市だろう。
しかし武市の本業は雑貨屋だ。最近はいろいろと手を広げている様だが、貿易に手を出すのは無謀すぎる気もする。それとも、経営は人に任せて自分はオーナーになる気か。
だとしても、何故うちなのだ。手頃な会社と言うならば他にもあるはずだ。それとも、方々に声を掛けているうちに一つなのか。しかしそれならそれで、うちだけに嫌がらせまでして狙う執拗さが分からない。
何としても武市が河上商会を欲しがる理由。そこが判然としない。単純に利益目的だとしても、河上商会を選んで狙う理由が何かあるはずだ。それは何だ。
店の中が急に騒がしくなった。元々騒がしいが、それとは異質な騒がしさ。見れば、若い男が二人向き合って、怒鳴り合っている。喧嘩だ。
それほど酔っている様には見えないが、かなり熱くなっているようだ。テーブルを叩いたり、椅子を蹴っ飛ばしたりしている。じきに殴り合いになりそうだ。
珍しい事ではない。格闘技でも観戦しているつもりで眺めていればいいのだが、やたらと殺してやるだのと吠えているのが気に障った。
席を立ち、近い方に居た男の肩を叩く。振り返った男の顔を張った。何が起きたか分からない、そんな顔をしていた。股間を蹴りあげる。店の中を反吐で汚すのは悪いから、腹は止めておく。
もう一人の方は、顔を正面から鷲掴みにして、テーブルの角に頭を二・三度叩きつけた。悲鳴を上げた男を、床に放り投げる。
「テメェらなぁ、気安く殺すだのなんだのと吠えるんじゃねえよ。なんなら俺が本当にやって見せようか」
本気だった。こいつらが食って掛かってきたら、本当に死ぬかもしれないやり方をしてやると決めた。そういう気迫は相手に伝わるものだと思っている。
男二人は転がる様にして店を出て行った。背中が、尻尾を巻いて逃げる野良犬そのものだと思った。
殺し、殺される。そういう事は昔はもっと身近だった。この街も戦場になった事があるのだ。そういう状況では、その気も無いのに脅しで殺すなんて台詞を吐く奴は居なかった。
言葉にするときは何時だって本気、必ず相手を殺るし、しくじれば自分が殺られる。その覚悟が有って言っていた。
いや、言葉にする前に行動する方が多かったか。無駄口叩いている暇が有ったら、一人でも多く敵を殺せ。そう言われたものだ。
本当に、口だけ威勢の良い根性無しが増えた。しかしそれもまた、戦争の時代が遠くなった証拠で、良い事なのかもしれない。それでも、寂しさの様なものがある。
ホテルに帰って、気まぐれにフロントで電話を借りた。こんな時間に迷惑だろうが、会いたくなった時に会いたいと伝える事の何が悪いと開き直る。
受話器を取ったところで手が止まった。旧友の、今の番号は何番だっただろうか。今まで一度もかけた事は無かった。




