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鬼哭の湊  作者: 無暗道人
第四章
21/22

3

 寝ていたのは短い間なので、体が鈍ると言う様な事は無かった。部屋の中で、筋を伸ばすように軽くストレッチをすれば、もう元の様に動かす事が出来た。

 葛城からの電話が来たのは、木曜日の事だった。事が事とは言え、かなり早い。本当に政治生命を犠牲にする覚悟で、あらゆる手を尽くして探し求めたのだろう。


「本当ならば、軍に働きかけて動かしたいところだが、なにぶん杉がクーデターを起こそうとしているという証拠が無い」

「気付いたときにはもう始まっていて、上の方は追認するしかない。杉が得意としていたやり口だ。証拠を掴ませる様な事はしないさ」

「行くのか」

「ああ」

「お前一人になるぞ」

「俺の個人的な問題なんでね。一人で片を付ける気でいる」

「ぎりぎりまで各所に働きかけてみるが、いよいよとなったら私も行く。退役兵をかき集めれば、少しはマシな戦いができるはずだ。だから、早まるなよ」

「それは相手次第だな。これからクーデターを起こしますって時に、指を(くわ)えて見ている訳にもいかないだろう」

「河上。お前は」

「言うな。何も言うな」

「分かった。だが必ず私も駆けつけて見せる。それだけは覚えておいてくれ」


 最後までおせっかいな人だ。そんな事をすれば、葛城の政治家としての全ては終わる。我が身の事を考えるなら、直接関わる事は避けるべきなのに、全て承知の上で世話を焼く。

 結局葛城も、大馬鹿野郎だ。

 四年間暮らしたホテルの部屋と、最後の別れをする。そのつもりでいたが、特に何かをしようとは思わなかった。ただ必要な物だけを持って、電気を消して部屋を出る。そしてフロントで、部屋をチェックアウトした。部屋に残した物は捨てて構わないと告げた。

 ホテルを出ようとすると、恵美が立っていた。


「行くの?」

「ああ」

「もう戻ってこないの?」

「部屋をチェックアウトしたからな」


 恵美の脇を歩いて通り過ぎる。恵美が振り返った。


「あなたって、何も怖くないのね」


 足を止めた。


「お前には助けられたからな。二度とその面見せるなは、取り消しだ。今度会ったときは、また一緒に昼飯でも食おう」


 振り向かずにそう言って、答えを聞かずにまた歩き出した。待ってるから。そう小さくつぶやく声が聞こえた様な気がした。


 日が落ちた。海が、墨のように黒々としている。

 都内の外れ、倉庫街の一角だった。葛城の情報によると、ここのある倉庫が杉の父親名義で借りられている。

 杉の父親は、杉家の本拠である地方に戻ったきり、何年も上京していないはずだった。

 それだけでは怪しいという程度しかないが、近づいて見てここだと確信した。押し殺して、押し殺しきれない殺気が漂っていると感じた。

 まだ日のあるうちにそれを確認し、日が落ちるのを眺めながら、待った。

 あなたって、何も怖くないのね。恵美の言葉を思い出した。怖いものならあるさ。自分が自分で無くなる事だ。

 この五年間。河上は河上では無かった。今の世に必要ないものだと、在ってはならないものだと、自分を押し殺して生きて来た。

 そうして自分を見失って生きる事は、何よりも怖かった。しかしそうするしかなかった。だから、それを忘れようと努めた。そうしているうちに、何を忘れようとしているかすら忘れてしまった。

 残ったのは、ただ空虚な抜け殻。生きながら死んでいる誰かだった。それこそ最も恐れていたはずなのに、気付けばそうなっていた。

 だがそれも、今日で終わることだろう。

 鈴を鳴らす。一つ鳴らす度に、昔の事を思い出しては、こぼれ落ちて行く様に思えた。一つ、また一つ。

 河上商会の日々。戦争が終わった時の事。その一月前に、薫が死んだ事。日下部の死、吉田の死、そのほか多くの戦友達との日々と、彼らの死。

 戦争をしていた頃からさらにさかのぼり、親父が死んで食うために義勇軍に参加した事。母が死んだときの事。両親ともにまだ生きていた、幼い日の僅かな思い出を最後に、思い出す事は無くなった。

 五年間持ち続け、錆びて音の低くなった鈴を握りしめた。腕を大きく振り、投げた。

 水面に落ちる音は聞こえなかった。夜空と区別がつかなくなった、遥かな水平線の向こうまで、飛んでいった様な気がした。


「行くか」


 刀の切れ味は申し分ない。拳銃に弾は込めた。体は動く。度胸は決めた。

 河上の、最後の戦争が始まった。


 倉庫の巨大な扉を開けて、正面から堂々と入った。真っ直ぐに歩く。四方から、殺気と僅かな戸惑いのこもった視線を感じる。

 月が出てきたようだ。窓から青白い光が差し込む。杉は、倉庫の奥で箱に腰を下ろしていた。


「待っていてくれたのかな、杉」

「待っていたさ、河上。お前は必ず来ると思っていた。だからそれまでクーデターはお預けにしておいたのさ。

 一応、答えを聞いておこうか。俺と一緒にもう一度戦争を始める気は無いか、河上」

「無い」

「断言するんだな。なら、何故お前はここに来た?」

「なあ、杉よ。戦争の頃は、楽しかったなぁ。俺は仲間内で一番年下だったけど、あの頃が俺達の青春だと感じているのは、俺だけじゃないと信じている」

「ああ、そうだ。あの頃が一番楽しかった。生きているだけで嬉しかった。これから先、たとえ何年生きようと、あの頃の様に熱く輝く日々は無いだろう」


 杉が、遠い目をする。


「それを理解できるのは、俺達だけだよな」

「ああ。他の誰にも、戦争を知らない奴らにも、上で卓上演習をしながら唸っている奴らにも、俺達の感じた熱は分からない。あれは、俺達だけのものだ」

「そうだとも。だからな、杉。もうやめにしよう。俺達の戦争は、終わっちまったんだよ」

「だからこそ、もう一度。とは思わないのか?」


 杉の言葉に、熱が、感情がこもってきたのが分かる。


「それが本心だろう、杉。お前はクーデターを起こす理由を、正義を、正当性を、いろいろ御託を並べていたが、結局はもう一度戦争がしたいだけだ。俺達の青春を、また感じたいだけだろう」


 杉は、何も言わない。それこそが何よりも雄弁に物語っている。


「でもよ、それはお前の身勝手だ。いや、俺だって同じ気持ちはあるから、俺達の身勝手だ。俺達の身勝手に、関係無い連中を巻き込む様な事は止めようぜ」

「なら、どうしろっていうんだ?」

「安心しろ。武器を納めて元通り、持って行き場の無い情熱を抱えたまま、我慢して生きろなんてことは言わねえ。

 戦争がしたいなら、思う存分やればいい。ただし、俺達だけでだ。今ここで、俺が相手になってやる」

「お前が?」

「お前の軍勢は何人だ? 一個中隊なら、百人以上は居るんだろうな。百以上対一人じゃちょっと物足りないかもしれないが、一人の方は音に聞こえた『紅夜叉(べにやしゃ)』だ。多少は面白い戦争になると思うぜ?」


 杉がうつむき、肩を震わせる。だがすぐにこらえきれずに声を上げて笑う。


「河上よお。やっぱりお前が一番面白いぜ。なんで俺がお前を待つのか、自分でもはっきりした答えは分からなかったんだが。それを聞きたくて待ってたんだ。そう今なら言えるぜ」

「余裕こいてる場合じゃねえぞ。もう宣戦布告はしちまったからな。大将が敵の目の前で無防備さらしてると、怪我すっぞ」


 河上が拳銃を抜いて杉に銃口を向ける。杉が左手を上げた。武装した兵が周囲から現れて、河上を囲む。半分ほどは刀剣や槍を構えているが、残り半分は銃、ライフルに銃剣を着けている者も居る。

 河上が気を発した。河上の気に打たれて、杉の兵が一瞬怯む。河上は銃をぶっぱなしながら、右手の一団に突っ込んだ。

 三人が血を吹き、残りは物陰に隠れる。河上も物陰に飛び込んで、リロードする。

 激しい弾幕が集中してきた。積み上げてあるコンテナは数こそは少ないものの、金属製だ。多少は弾除けになるだろう。コンテナに当たった銃弾が火花を散らしている。

 弾の跳んでくる方向から敵の位置を割り出すと、コンテナの陰から飛び出した。別の陰に移るまでの間に、横合いから隠れていた敵を撃つ。

 陰に滑り込んで、素早く空薬莢を捨てる。頬を掠めていたが、問題無い。弾幕が少しはマシになった様な気がする。

 ここの陰は高さが低いが、背後に少し余裕があった。身を低くしたまま下がり、クラウチングスタートを切った。踏み切って跳躍し、コンテナを踏んでもう一段跳ぶ。

 三方から銃声が聞こえる。大丈夫だ、平面的な左右の動きよりも、上下の動きを加えて立体的に動く的は、より狙いづらい。

 向かいの陰に隠れていた一団に、撃ち下した。体を捻りながら二人が倒れる。陰に飛び込んで、残っていた一人の胸に銃口を押しつけ、引き金を引いた。

 これでようやく十人くらい倒しただろうか。やはり拳銃一丁で銃撃戦をするのは無理がある。こちらは同士討ちの危険が無いのだから、乱戦に持ち込みたい。

 しばらく息を潜めると、銃撃も止んだ。どちらが先に動くか、先に動かれたらそれに対してどう出るか。緊迫した対峙が続く。

 屍を突き飛ばした。一瞬おいて反対方向へ飛び出す。屍に集中する閃光の、根元を狙って撃つ。短い呻き声が三回聞こえた。

 また物陰に滑り込み、弾を捨てた。初めは弾幕が集中してくるが、またすぐに止んだ。無理攻めはしてこない。こちらの弾がいつまでも持たないという事を読まれている。

 弾切れだった。正確に言えば、六発のオーバーロード弾は残っている。だがいつ銃そのものを壊すか分からない弾だ。過信はできない。

 それでも、もうこれしかない。六発全部を弾倉に込めた。これを使うからには、一発で一人は確実に仕留めたい。

 オーバーロードを装填すると、こちらからは動かずに、ひたすら待った。長い長い時間が過ぎていく。

 何度か散発的な銃撃があった後、一斉に物陰から姿を現し、ゆっくりとこちらに迫ってきた。

 余り近付かれると、金属製のコンテナと言えども撃ち抜かれるかもしれない。それでもぎりぎりまで、敵が河上の潜む物陰に顔をのぞかせるぎりぎりまで、引き付けた。

 ここだ。飛び出した。敵が銃を構える。だが俺の方が速い。両手でしっかり握り、最も近い敵の頭を狙って引き金を引いた。

 腕を持って行かれそうな衝撃と、今までとは違う異様な音がした。体内で開いて殺傷力を高めるホロウポイント弾と、非正規過剰火薬弾であるオーバーロードの組み合わせは、頭をめちゃめちゃに破壊した。

 撃たれた兵の頭が爆発した。そうとしか言いようのない光景に、歴戦の兵も怯む。河上はできるだけ兵が固まっている所を狙って二発、撃ち込んだ。

 撃たれた兵が吹き飛ぶように倒れる。屍が後ろの数人を押し倒して、倒れた。

 ライフルを構えた兵が一人、銃口をこちらに向けて、気合と共に迫ってきた。拳銃から右手を離して、刀の柄を握る。抜き打ちに、右手を斬り飛ばした。

 右手を失った兵の体を盾に突撃し、敵への集団に肉薄する。左手だけでもった拳銃を、兵の腹に押しつけた。反動が酷く、片手ではとても狙いを付けられたものではないが、これならば問題無い。

 ゼロ距離でオーバーロード弾を撃ち込まれて、兵の体は一瞬だが本当に宙を舞った。左手の中で、銃がバラバラになるのを感じた。四発持ったのだ、上出来と言うべきだろう。

 刀一本で敵を斬り伏せて行く。なます切りだった。敵は距離を取って囲もうとするが、常に張り付いた距離を保つ。

 敵を全て斬ってしまう様な事はしない。常に数人を残し、撃てば同士討ちと言うプレッシャーをかけ続ける。後ろを取って動きを拘束し、敵の持つ銃を別の敵兵へ向けて撃ちまくる。

 それでまったく銃撃が無くなる訳ではないが、大分弾幕密度は下がった。


「剣兵! 援護を求む!」


 銃を持った兵が退き、入れ替わりに刀を構えた兵が押し出してきた。


「ほう、銃で殺せぬこの紅夜叉を、斬れると思うか?」


 刀を構えた兵が幾重にも河上を取り囲む。河上は地摺りにし、構えるともなく構える。

 また長い固着が訪れた。しかし銃撃戦の時とはまるで違う。河上を囲む兵は気を一つにして、気で河上を押し殺そうとするようである。対して河上は、四方から圧迫してくる気を、ただ一人で押し返している。

 せき止められた水が鉄砲水となって噴出する様に、怒涛の勢いで気が、全てが動き出した。 四方から一斉に斬りかかってくる無数の白刃。だが河上は、前だけを見ていた。

 地を這うように身を低くして踏み込み、足元の死角に滑り込む。そこから体を跳ね上げて、突き上げる様に斬り上げる。

 斬り上げた刀を返して二の太刀を斬りおろし、そこから横に薙いで三の太刀とする。流れる様に斬り捨てながらも、立つ位置は最初に踏み込んだところからほとんど変わらない。

 向こうから斬りかかってくるのなら、切り払えばいいだけだ。再び銃撃を主体に攻めてこようとしたとき、こちらから斬り込めばいい。

 見る間に死体の山が築かれてゆき、邪魔に思えて来た。床もコンクリが打ってあるので、流れる血が溜まり、足を滑らせる。

 河上は折り重なる死体を蹴飛ばして、蹴散らし、足場の良い所を求めて前に出た。行く手を塞ぐ敵を、その刀ごと両断する。

 立ち位置を変えて、また襲い来る敵を次々と斬り伏せる。見る間に足元に屍が折り重なってゆく。

 河上を取り囲む兵は、すでに半数ほどに減っている。しかし、河上の刀も(まく)れ、切れ味が落ちている。遠巻きにしていた銃兵が、再び前に出て来た。

 地面を蹴って飛び出し、刀を構えた兵の間をすり抜け、銃剣の着いたライフルを持った兵の腹に、刃をねじ込んだ。

 銃を奪い、とにかく近くにいる敵を狙って撃った。頬を貫通した。舌打ちを漏らす。

 前装式銃だった。さすがにクーデターを起こす兵に、最新式の後装式銃を数多く配備する事は出来なかったようだ。

 頬を撃ち抜かれた兵の胸に、銃剣を突き立てる。抜いて、次の敵の喉の下を突いた。抜きながら大きく後ろに跳んで、後ろから迫る敵を押し倒す。

 押し倒されて倒れる兵に向かって突き出した。目の下に突き刺さった。引いても抜けない。右の拳を振るって殴りつけると、銃剣が折れた。

 ただの筒になった銃を逆さに持ち、手当たり次第に殴りつけた。一人は頭蓋骨をかち割る感触がした。もう一人は右腕の骨をへし折った。

 拳銃が落ちている。二丁拾い。両手にそれぞれ持って、走り回りながら撃った。片方は三発撃ったら弾が切れた。投げ捨て、もう片方を撃つ。二発撃ったら弾詰まり(ジャム)を起こした。自動拳銃(オートマチック)では手荒に使うとよく起こる。

 回転弾倉(リボルバー)を拾った。弾もある。撃ち合いはせず、接近戦に持ち込んだ。腹を殴るつもりで銃口を密着させ、撃つ。一人ずつ、確実に風穴を開けていく。

 五人殺ったところで、脇から斬りかかられた。なんて事は無い攻撃だったはずだが、屍の腕を踏んで態勢を崩した。立て直そうとせず、背中から倒れた。

 転げまわり、四肢を踏ん張って止まる。右腕を斬られたが、まだ浅い。だが銃を落とした。

 丸腰になった河上に、一斉に敵が殺到した。正面から来る敵の腹に蹴りを入れて飛ばし、左右から包み込むように迫る敵の横合いに出る。こめかみに掌底を撃ち込んだ。

 後ろから迫る敵の鳩尾に肘を叩き込む。突き込んでくる敵の腕と胸倉を掴み、足を払って押し倒した。頭からコンクリの床に落ちる。

 ライフル銃兵の腰に組み着いた。腰の後ろに銃剣を差したままだった。銃剣を奪い、頸動脈を経つ。

 銃剣を口に咥え、ライフルをもぎ取って引き金を引いた。コキンと音がしただけで、弾が出ない。

 役立たずめ。投げ捨てたライフルが床で音を立てる。途端に、ベーンと音がして、弾が前髪を掠めて行った。

 嫌な殺気を感じて、跳び退った。銃撃。弾幕が河上のいたところを抜け、背後の兵を撃ち殺した。もはや同士討ちを躊躇(ためら)ってはいられなくなったようだ。

 今のは流石に虚を突かれた。滑り込んだコンテナの陰でそう思う。起き上がろうとすると、影が覆いかぶさってきた。冷たい光。

 銃剣だけをナイフにして、突き下ろされる。突き下ろされる銃剣の鍔と、河上の銃剣の刃が打ち合って金属音を立てる。切っ先が僅かに河上の胸に沈み、血の染みが広がる。

 切っ先がさらに突き刺さるのを覚悟で、頭突きを食わらせた。体重を掛けていた敵には相当効いたらしく、鼻を押さえて転げまわる。

 立ち上がり、腹に一発蹴りを入れ、体を丸めてうずくまる敵の、後ろ脇腹に銃剣を深々と差し込んだ。

 次の武器を拾う。刀、刃が欠けている。捨てた。別の刀。まあ、いいだろう。

 構えて向き合う。すでに敵は、半数ほどまで減っていた。


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