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鬼哭の湊  作者: 無暗道人
第三章
18/22

6

 現場は八階建てのマンションの七階だった。窓ガラスが派手に吹き飛んでいる。


「なるほど、派手にやったもんだ」

「中に踏み込んでみたいのですが、状況も分からず踏み込むのも躊躇(ためら)われまして」


 先に現場に来ていた井上が、ここで起きた事件の簡単な概要を説明してくれた。部屋は後藤組の中堅構成員の住居で間違いないらしい。


「あれが見えるか、井上」

「どれですか?」

「あれだ、屋上から何か垂れ下がっているだろう」


 河上の言う通り、屋上から何かひも状の物が垂れ下がり、風に揺れていた。先端はマンションの七階、爆発のあった部屋の少し上辺りにある。


「電気配線か何かじゃないんですか?」

「それにしては太すぎる。あの太さのロープなら、屋上から人が降りて来る事が出来るだろうな」


 河上はマンションの裏手に回った。案の定、非常階段が下されている。


「非常階段と屋上、上下から挟み撃ちにしたんだな。いよいよ特殊部隊みたいなやり方だ」

「石原派でも我々でもない誰かが、行動に出たという事でしょうか」

「そう考えるしかあるまい。現場を調べる。着いて来い」


 不安な表情を抱えて非難する住人の波に逆らって、河上達は階段を上った。現場になった部屋は、入り口側から見る分には、特に何かあったようには見えなかった。


「たぶん大丈夫だとは思うが、一応俺が先行して、安全を確認する」


 河上が銃を構え、ゆっくりと扉を開ける。飛び込んだ。構えたまま、部屋の中を確認する。

 脅威は何も無かった。部屋の中は黒焦げてメチャメチャで、肉の焼ける嫌な臭いが漂っていた。


「危険は無い。ただ入るなら覚悟して入れ」


 井上とその部下が数人入ってくる。一歩足を踏み入れて怯み、顔をしかめ、一人吐いた。流石に葛城の手下だけあって、それなりに肝が据わっている。

 河上は電灯のスイッチを全部点けた。部屋の中はほとんど吹き飛んでいて点かなかったが、トイレやキッチンの明かりは生きていた。間接照明で、何とか薄明るい程度にはなる。


「こいつらは、後藤組の構成員でしょうね。三人、でしょうか?」

「この臭いは、工事現場で使う爆薬だな。ヤクザが良く使うやつだ。伊藤を吹っ飛ばしたのも、それじゃなかったか?」

「はい、多分それだろうと報告が上がっています。でもヴルムかクロノスの仕業では」

「無いだろうな。抗争の一部に偽装しようとしたんだろう。問題は誰が何の目的で吹っ飛ばしたかだが」


 惨状が酷く、警察の鑑識にでも任せなければ、手がかりになりそうなものは見つけ出せそうにない。

 これは探っても無駄かと河上が振り向くと、入り口の扉の内側に、穴が開いていた。近づいて見てみると、拳銃弾がめり込んでいた。


「ここに弾痕がある。という事は、吹き飛んだ奴らが応戦したんだな。妙な話だ」

「応戦するのは当然ではありませんか?」

「爆弾を使うのなら、戸を少し開けて中に爆弾を放り込めばいい。何も突入して、銃撃戦をする必要は無い」

「ではなぜ弾痕が?」

「銃撃戦の後に爆破したんだ。痕跡を消すためにな。つまり、最初から吹き飛ばす訳にはいかない。突入して銃撃戦をする必要があった」

「何かを奪いに来た?」

「おそらくな。戦争中に良く見た手口だ。奪ったのは物か、情報か、はたまた人か」

「ここに監禁されていた秘書官を奪われた?」

「そう考えるのが自然だ。見ろ、窓ガラスの破片が床に刺さっている。部屋の内側にだ。爆破で割れたのなら、全て部屋の外に飛ぶはずだ。

 爆破の前に外から破られて、床に刺さったのが爆破でも飛ばずに残ったんだ。そこまでするとなると、やはり人を攫うための作戦か」


 警察車両のサイレンが聞こえてきた。相当な数の様だ。


「行こう。これ以上ここに居る意味は無さそうだ」


 救出対象である秘書官を、何者かに先に奪われた。確証はないが、状況証拠としてそう結論付けるしかない。

 一体誰が、何の目的でそうしたのか。何も分からない。ただ一つ言えるのは、これまで築き上げてきた計画が、この一時で全て水泡に帰したという事だ。もはや、秘書官を救い出す手がかりは無い。

 一旦状況を整理するしかない。整理した結果、どうしようもないという結論しか出ない様な気もするが、ともかく考え直す時間が欲しかった。

 ホテルに帰った頃には、すでに夜明け前だった。どうせ今日は日曜なのだ、昼まで寝ていても良いだろう。河上は飛び込む様にベッドに身を投げ出して、そのまま眠りに落ちて行った。


 目が覚めると、午前十時を少し過ぎた頃だった。空腹を覚え、あまり美味くないホテルの食事でも食べようかと、フロントに降りて行った。

 何やら騒がしい事になっていた。人が大勢集まり、ラジオの音量を最大にしてニュースを流している。皆一様に薄い新聞を手に取って、熱心に読んでいる。号外だった。

 新聞置き場に残っている号外を手に取って、驚愕した。石原議員に収賄容疑、相手は万葉(まんば)に拠点を置く暴力犯罪組織。クロノスからの不正献金を報じた物だった。週刊誌のゴシップ記事ではなく、検察が動いているれっきとした事件だ。

 石原議員にとっては致命傷になりかねない事態だが、何故このタイミングでと思う。このタイミングで、証拠を検察に流した者が居るとしか思えない。

 河上はフロントの電話に飛びつき、井上に連絡を取った。出たのは井上ではなく、その配下の者だった。


「井上はどうした?」

「今朝方お出かけになったまま、まだお帰りになられません」


 舌打ちをしたが、確認をするだけならば、井上でなくても問題は無い。


「石原議員の収賄は、葛城さんの仕業か?」

「いえ、葛城さんもそこまで確かな証拠は握っていなかったとの事です」


 ならば、誰が情報を流したのか。

 後藤組か。抗争に決着を付ける一手として、敵の本丸親玉を狙い撃ったのか。しかし石原とクロノスの関係という、いわば内部の情報を、そう易々と掴めるものか。

 内部の裏切りと言う可能性は無いか。ヴルムなどは秘書官を強奪されて、もはや見限られる事は必至と言って良い状況に置かれている。やられる前に逆に、隠し持っていた切り札を使って反撃に出たのか。

 しかし秘書官を奪われてから、まだ12時間ほどしか経っていない。今朝になって検察が動き出したという事は、秘書官の強奪前から情報は流れていたはずだ。

 やはり、謎の勢力の仕業か。しかし特殊作戦を行える戦力を抱え、石原とクロノスの関係を示す証拠を掴む事の出来る存在とは、何なのだ。そして、何が目的なのか。

 抗争は下火になっていた。今となってはどうでも良い事だ。街は平穏な日曜日の姿を取り戻しつつあった。

 当ても無く街を散策する。繁華街、港、住宅街。今月に入ってから、ずいぶんいろんな事があったものだ。しかし、結局何も変わってはいない。あれほど頭を巡らせ、街を駆けずり回り、懐かしい血を熱くさせた人質事件も、結局は全て無駄な事だった。

 誰が、何のために行動したのかという疑問は残ったままだが、今更それを知ったところで、どうなるものでも無かった。石原議員は遠からず破滅するだろう。葛城派を脅かそうとする者は、もういない。

 あるいは秘書官を攫った何者かの狙いは、自分達が葛城派を攻撃する材料を得る事に有ったのかもしれないが、他にそんな政治勢力があるという話は聞かない。

 あったとしても、葛城が弱みを握られたくらいで、そう易々と窮地に陥るとも思えなかった。相手が大派閥の領袖でも無ければだ。

 自分のしてきた事は、何だったのだろう。ただ無駄なあがきをして、何も変えられないまま全ては終わろうとしている。

 思えば、戦争の頃からそうだったかもしれない。『紅夜叉(べにやしゃ)』の異名を奉られ、どれほど英雄として持ち上げられようと、戦争全体を見れば、何も変えてはいないのだ。

 一個人がどれほど知恵を巡らし力を振るったところで、大きな流れはお構いなしに進んでいく。結局は、そういう事だろう。

 今も、昔も、できる事も、するべき事も、無いのだ。偶々ある立場に居合わせた、ただそれだけの事だと思った。


 井上は、昼を過ぎても帰ってこなかった。それどころか、連絡も取れず、行方も分からなかった。

 流石に配下の者達が探し始めたが、河上は我関せずと、ホテルの部屋でベッドに身を横たえていた。時々、思い出した様に鈴を鳴らしてみる。今は、鬱陶(うっとう)しいだけだった。

 夕方になって、フロントに電話が来た。今更話す事も、報告を受ける様な事も無いとは思いながらも、やむなく電話を受け取りに降りた。


 見るに堪えなかった。

 川から引き上げられた井上の死体は裸で、手足はきつく針金で縛られて変色し、グローブの様に腫れ上がっていた。

 全身には無数の暴行の痕が残り、性器は切り落とされていた。なぶるだけなぶり、辱めた殺し方だった。


「何故、井上が殺されなければならん。井上は何処で何をしていた」

「分かりません。今朝早く電話を受け、その後すぐにどこかへ出かけて行きました。電話の相手も、どこへ行くかも言いませんでした」


 これまで慎重だった井上にしては、やけに不用心な行動だった。余程油断をしていたという事か。

 井上は、後藤組ともヴルム―クロノスとも直接関わってはいないはずだ。調べるにしても、張り込むにしても、必ず間に人を置き、何かあれば自分が出て行くというやり方を取っていた。

 それに抗争に火を点けて回る事には関与していない。あくまで抗争の推移を注視し、状況を把握して動き、機を見定める事に専念していたはずだ。消される理由が無い。

 何か、知ってはならない事を知ってしまったという事か。だが井上だけが何かを知ったという事は無いはずだ。知ってしまったとしても、それを誰にも告げないまま不用意に出歩くなど、考えられない。

 謎の勢力の仕業。そう考えるしかなかった。今、分かっている部分だけを見ると、井上に殺される理由は無いが、その何者かの立場に立てば、十分殺す理由もあるのかもしれない。

 全ては無駄だった、というのは取り消さなければなるまい。何も変えられない、何もできる事は無いというのも、違うと言わねばならない様だ。

 伊藤に続き、井上まで死なせた。戦争の頃は、何人死なせたか分からない。

 みな死なせずに済んだ人間だ。自分の手で、生き延びさせる事が出来たであろう人間だ。

 それを殺させたのは、自分の責任であり、殺した奴には、それ相応の報いを受けさせてやらねばならない。


 爆破されたマンションの部屋は、すでに警察によって立ち入りを禁止されていた。しかし現場の調査も一段落したのか、誰も居ない。

 誰も居ない事を確認してテープを潜り、部屋に入り込んだ。井上を殺したのは、未だ正体不明の勢力の仕業。そして殺した理由は、知られたくない何かを知られたかもしれないと考えたからだろう。推論だが、それ程間違ってはいないはずだ。

 そうなると、井上とその何者かの接点は、この部屋を調べたという事しかない。抗争に偽装しようとして居た辺り、自分達の存在を隠しておきたかったというのが理由ではないか。

 しかし、事件になった以上、警察の捜査は必ず入るはずだ。だというのにわざわざ井上を殺したのは、警察は彼らの存在に気付かないが、井上は気付く可能性が有ると思われたから、と考えるしかない。

 だが警察が気付かないのに、井上が気付くという事は有るのか。可能性は二つだ。一つは、何らかの政治的痕跡。葛城の部下として、言わば政治家見習いの井上ならば気付きかねない何か。

 もう一つは、河上が気付く可能性だ。河上が何者かの正体に気付き、一緒に居た井上もそれを知ったのではないか。そう考えて井上を殺した。

 後者と考えた方が、きれいに納得できる。危うい思い込みかもしれないが、どのみち手がかりは、この部屋しかない。

 部屋の中は焼け焦げ、爆風で傷んだ壁や床を(さら)してきれいに片づけられていた。警察が残らず持ち去って、調べているのだろう。

 損傷が酷くて、弾痕も分からなかった。探せば弾は出てくるだろうが、浜辺で針でも探す様な物だった。

 それでも何かないかと探し回った。何も見つからず、ただ今更の様に理解できるようになった事を、思い出すばかりだった。例えば河上を襲ったチェーン使いの男も、前もって河上を消そうと言う意思の表れと見るべきだろう。

 つまり井上を殺した何者かは、河上の知っている相手だという事になる。こちらが知っているから、向こうも神経質なくらい、正体を隠そうとしている。

 いや、それだけではなく、井上も知っている相手なのだろう。だからこそ井上は油断して、電話一本で誰にも行先を告げずに出て行った。告げる程の事でも無いと判断したという事だ。

 日が傾いて来て、電灯の壊れた部屋が暗くなってきた。これと言ったものも見つからず、虚しく部屋を後にするしかなかった。

 夜道を当ても無く歩き回った。闇雲に歩いたところで、何か手がかりが落ちている訳でも無いが、ホテルに帰って大人しくなどできるはずも無かった。

 それに、こうして歩いていれば、再び河上を消そうと襲い掛かってくるかもしれない。それを返り討ちにして、今度こそ尻尾を掴みたい。そのためにわざわざ、武器をホテルにおいて丸腰で歩いている。襲ってくれと言っている。

 細い路地で、一つの影がいきなり行く手を遮った。来たかと身構える。


「そうケンカ腰になるなよ」


 (すぎ)だった。


「なんだ、お前か」


 不機嫌に舌を鳴らす。


「なんだとはずいぶんだな。他に探してる奴でも居たのか?」

「まあ、そんなところだ」


 河上が構わず進むと、杉は壁にへばりつくようにして河上をやりすごし、後ろに就いてくる。


「石原はもう終わりだな。葛城さんもこれでしばらくは安泰だろう」

「そうだな。だが結局、俺が何かした訳じゃない」

「お前が大戦争を起こしたおかげで、石原は葛城さんに付け込まれる隙を見せたんだろう。十分活躍したと思うがな」

「石原に止めを刺したのは、葛城さんじゃない」

「へえ、そうなのか」

「誰だか知らん奴が、石原とクロノスの関係を示す決定的な証拠を流したらしい。そんなものがあれば、いつだって破滅させられただろうよ」

「自分のやった事が無駄だったんで、機嫌が悪いのか?」

「今更そんな事は気にしない。ただ俺を消そうとする奴が居て、そいつは俺と一緒に行動していた奴を先に消した」

「お前の方が先に襲われたんじゃないのか?」

「ん? ああ、確かに先に襲われたな。その時は返り討ちにしたが」

「だが井上はそんな腕も無く、殺された訳か」

「身内の裏切者じゃないかと思っている。でなければ、あの井上がそんな不用心に殺されに行くとは思えん」

「裏切者、ね」

「そう言えば、もう一人の方も裏切りで死んだ。こっちは井上を殺した奴らとは別件なんだが」

「そんな奴がいたのか?」

「少し前から使っていた探偵だ。腕がいいから信頼していたんだが、肝心なところで裏切った。

 多分、その裏切りで相当の金を得ただろうが、そんな目先の金で判断を誤る奴には見えなかっただけに、悔やみきれん失態だ。

 あれが無ければ、余計な介入を受ける前にけりをつけられたと思うんだがな」

「へえ。そいつは災難だったな」

「災難で済ませられるか。俺の失態で死なせたんだぞ。そして今、二人目だ。誰だか知らんが必ず見つけ出して、殺してやる」


 杉が歩みを早めて、河上の横に就いた。


「良い目をしてるじゃねえか。お前が『紅夜叉(べにやしゃ)』だった頃の目だ」

「だからどうした」

「なあ、そんなつまらねえ復讐よりも、俺と一緒に来ねえか? もっと派手に、もっとでかい戦争をおっぱじめてみたくはないか?」

「つまらん復讐だと? 今の俺にとっては、最優先にするべき事だ。何を投げ打ってもな。それに、戦争を始めるだと? 騒がしいのが好きなのも良いが、夢を見るのも大概にしな」


 杉の歩みが少し遅くなり、また河上の後ろに就く。


「なあ河上。俺もな、石原の手下どもから、葛城さんの友人の秘書官を奪い返すために、あれこれやっていたんだ」

「へえ、そうだったのか」


 意外な事ではない。元々この話を持って来たのは杉なのだ。杉自身の何かしらの行動をしていても、それほど驚く様な事でも無い。


「葛城さんの部下の井上。あいつも俺が動いている事は知っていた。特に何も力にはなれなかったから、お互いに知っている程度だったがな」

「そうか」


 やや間があった。二人とも沈黙したまま、しばらく歩いた。


「最後に井上に電話をした相手。それは俺だ」


 なにっ。そう言って振り向こうとして、どちらも叶わなかった。振り向けない、声が出ない。腹が焼けるように熱いと感じて目を落とすと、脇腹から刃が生えていた。


「す、ぎ」

「井上を殺したのは、俺だよ。石原を破滅に追いやったのも、秘書官を奪ったのも、全部俺だ。ついでに山縣(やまがた)、お前を裏切った探偵だが、あれも俺の部下さ」


 そういうことか。全てはこいつの仕業だったのか。探偵の山縣が言った、『一度として裏切りなどした事は無い』とは、そういう意味だったのか。


「何を、する気だ」

「それについては、後でゆっくりと話し合おうじゃないか」


 杉が刃を引き抜く。傷口から失血していくのを感じ、意識が遠くなる。

 歯を食い縛って踏みとどまろうとしたが、杉が刀を振りぬくのを、ただ見ているしかできなかった。

 衝撃。暗転。頭に峰打ちを喰らったのだ。薄れゆく意識の中、何故かその事だけは、はっきりと理解する事が出来た。


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