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鬼哭の湊  作者: 無暗道人
第三章
17/22

5

 湾来(わんらい)市内での抗争は、銃撃戦を最後にぱったりと絶えた。

 しかし抗争そのものが収まった訳ではない。湾来(わんらい)を取り囲むように、周辺地域に主戦場が移動している。

 おそらくクロノスの戦術だろう。後藤組の目を湾来(わんらい)の外に向けさせておいて、いきなり本部を急襲するといった辺りが狙いだろう。

 どちらにせよ、湾来(わんらい)は表面上は平穏を取り戻している。それは、人質として攫った政治秘書官を移動させる好機でもあるという事だ。

 待つしかなかった。今のところ、打てる手は打っている。ならばあとは待つしかない。人質が動かされるのを。あるいは、他の何かを。

 木曜日になると、夜の繁華街にもぽつぽつと客が戻り始めた。しかし河上は、飲みに行きはしなかった。連絡を受け損ねるという危惧もあるが、最近酒を飲もうという気にならない。

 嫌な感じがした。誰かに付けられている。ヴルムか、あるいは後藤組の者がまた狙ってきたのかと思ったが、背中に感じる気配はまとわりつく様に冷たい。明らかに以前とは質の違う何者かが付け狙っている。

 厄介な事にこちらは丸腰だった。会社に出るのに拳銃を隠し持ち続けるのは無理がある。徒手空拳でやりあうしかないだろう。幸い、気配は一人分しかない。

 下手に路地裏に誘い込む様な事は避けた。向こうも素人ではない、場所は向こうで選んでくれるだろう。


 工事現場に沿った路地で、先回りして佇んでいる男が居た。中肉中背で坊主頭の男だ。街頭の明かりを背にする様にしているので、影になって顔は見えない。

 二・三歩、男がゆっくりと近づいてきた。それに合わせてこちらも数歩下がる。やはりヤクザ者では無い様だ。

 男が立ち止った。河上も足を止める。河上が手練れだと知っているのか、すぐには襲い掛かってこなかった。数秒か、数十秒か、それとも数分か、そのままにらみ合った。

 男の右手が少し下がった。その瞬間、河上は身を打つ殺気を感じて、男の懐に飛び込みながら、拳を突きだした。

 左腕に熱い物を感じた。拳は男の顔面の、少し左の空を切った。すれ違い、向き直る。左の袖が切れ、血が出ていた。

 男の武器は5・60㎝くらいのチェーンだった。それを左右に振っている。河上は小刻みに右へ右へと移動した。男もそれに合わせて正対する位置取りを取り続ける。しばらく二人して、円周上を移動し続けた。

 風が鳴った。河上はとっさに後ろに飛びのき、反動をつけて前に出て、チェーンを持った男の右手を蹴り上げた。男の手からチェーンが飛ぶ。

 そのまま男の腰に抱き着いた。脳天に肘が打ち下ろされた。意識が遠くなりそうになるのをこらえ、男の体を引き倒す。

 だが男は引き倒されながらも、左手で河上の襟を掴み、巻き添えにした。しばらく地面を転げまわりながらもみ合い、離れた時には男の手はチェーンを拾っていた。

 また対峙。だが息が乱れていた。汗が顎の先から滴り落ちるのを感じる。しかし、男の息も荒かった。

 小刻みで、鋭い攻撃が来た。決して大振りはしてこない。隙を見せないので、河上は逃げの一手だった。チェーンが頭上で工事現場の金網とぶつかり、火花を飛ばした。

 避け続けていると、少しずつだが攻撃が大振りになってきた。だがこちらもきつくなってくる。一撃でもまともに食らえば終わりだ。

 金網に背を着け、攻撃を誘った。腰より少し高い位置にチェーンが来る。しゃがみ込んでかわす。チェーンが髪をかすった。

 勢い良く振りぬいたチェーンの先が、金網に絡まる。河上は弾かれた様に飛び込んだ。左脇腹に重い衝撃。引き抜いたチェーンに打たれた。しかし、河上も男の鳩尾に拳を喰らわせた。

 どちらも決定打にはならなかった。またしてもにらみ合う。もう一撃だ、河上は踏み込んで拳を突きだした。だが体が思うように動かない。男のチェーンもキレが無く、お互いに体をぶつけ合う形になった。

 もはや技も何も無く、ただもみ合っていた。脇腹が痛くて力が入らない。なにくそ、と振りぬいた肘が、男のこめかみに当たった。すかさず男の腹を蹴り飛ばし、距離を取った。

 男はよろめきながら、夜の闇に消えて行った。正直助かった。こちらも限界だった。


「河上さん、何かありましたか。こちらは動きはありませんが」

「襲撃を受けた。ただ、ヤクザ者とは明らかに違う、手練れだった」


 ホテルに帰りついて手当てをした後、井上に電話を掛けた。


「河上さんが手練れと言う相手ですか」

「肋骨にひびが入ったみたいだ。固定したから今は痛まないが」

「どれかの組織が、殺し屋でも雇ったのでしょうか?」

「今連中に、そんな余裕があるとは思えないがね。何者か気になる所だが、顔は良く見えなかったし、これといった特徴も無い。後を追う余裕も無かったしな」

「抗争をしている組織と我々以外に、何か変な動きをしている連中が居ないか、調べればいいんですか?」

「余裕があるならな。俺を消そうとした以上、俺達の動きが邪魔だと思っているというのは間違いないと思うが、それだけじゃ手がかりにもならん」

「明らかに他と違う動きをしている人間が居れば、浮き上がって見えるはずです。抗争の周辺で、他と違う動きをしている人間が居ないかを洗ってみます」

「そうしてくれ」


 どうもこの抗争には、河上達以外の何者かの影がチラついている。しかしその何者かは、姿どころが影さえ見せないのだ。目的すらも不明である。

 それでいて、こちら側の動向については、どの程度までかは分からないが、知られているようだ。ならば、また裏切者が紛れ込んでいるのか。

 そうだとしても、もうあぶり出しなどをしている余裕は無い。いつ状況が動いてもおかしくない所まで来ているのだ。


 金曜日。商会の事務所で仕事をするふりをしながら、河上はラジオのニュースばかり聞いていた。

 このところ全く仕事が手につかない。専務の前原に全ての判断を任せてしまって、自分は判を押す機械と化している。

 抗争は止んでいた。どういう訳か、またピタリと抗争が止んでしまったのだ。自然終結と言う感じとは明らかに違う。何らかの意図が働いている事は確かだった。

 事務所に井上からの電話がかかってきた。


「事務所に掛けてくるのは珍しいな」

「葛城さんからの緊急連絡がありまして」

「何があった?」

「今夜、石原議員が市内のホテルで面会をする様なのですが、その面会相手が後藤組の組長らしいのです」

「確かなのか?」

「それは何とも。ただ石原が湾来(わんらい)のホテルに行くのは間違いの無い事です」

「トップ会談という訳か。時間は分かるか?」

「そこまでは掴ませない様です。向こうも暗闘に長けた政治家ですから。とりあえずホテルを見張らせてはいますが、必ず現れるという保証はありません」

「仕事が終わり次第、俺もそっちへ行く」


 全ての発端である石原議員が湾来(わんらい)を訪れる。事態の収拾に自ら乗り出したという事か。状況から推測するに、湾来(わんらい)を掌中に収める事は一旦諦めて和平を結び、政治戦にまず集中しようというのか。

 それはつまり、救い出さなくてはならない人質が、手の届かない所へ行ってしまうという事でもある。厳しい状況になってきたが、向こうも追いつめられているようだ。


 石原議員がやって来るというのは、市内の高級国際ホテルだった。河上が着いたとき、特に警備が厳しい様子は無かった。

 井上が先に来ていたが、マスコミらしき姿は見当たらなかった。


「様子はどうだ?」

「つい三十分ほど前に、石原議員らしい人物がホテルに入りました。ただ面会相手らしき人物の姿は、まだありません」

「長居する訳にはいかない議員と違って、相手はこの街の住人だ。多分だがな。なら何日も前から部屋を借りておいて、議員が部屋を訪ねればいい」

「ではもう中に?」

「議員の取り巻きは何人くらいいた?」

「十人くらいでしたね。確認できた限りではですが」

「下手に武器を持って来なくて正解かな」

「これからどうします?」

「お前以外にもホテルを張っている奴がいるのか?」

「私の他に、三人居ます」

「少し離れたところに居ろ。葛城さんの部下が、石原議員を張っている所を見られてもまずいだろう。俺が一人で会ってみる」


 井上達を下がらせて、河上はホテルの一階ロビーの隅にあるソファに腰を下ろした。抗争が止んでいるのは、おそらく和平交渉をするためだ。逆に言えば、戦い続ける余裕が無くなって来たという事でもある。

 五分ほど待って、エレベーターから十人ほどの一団が下りて来た。一人を守る様に取り囲んでいる。河上は、行く手に立ちふさがった。


「石原議員殿とお見受けする」


 即座に左右を議員のボディガードに挟まれた。体を調べられる。


「武器は持っていません」


 ボディガードが堅い声で言う。


「名乗ってもらおうか」


 グレーのスーツを着た、押し出しの立派な男だった。頭に白い物が混じり始めていて、いかにもな政治家という格好の男だった。


「俺は河上(かわかみ)義介(よしすけ)と言うものだ。知りはしないだろうが」

「知っている。『紅夜叉(べにやしゃ)』だろう? なるほど君が先の戦争の英雄か」


 石原が少しお辞儀をした。


「そんな大層な物じゃないさ。大物政治家に名を知られているとは、光栄だね」


 左右の男は河上の腕を掴んだまま離さない。無理に振りほどこうとすると、更に強く押さえつけて来た。本気で振り払うのは簡単だが、今ここで荒事は避けたい。


「離してあげなさい」


 ボディガートが河上の腕を離す。


「後藤組組長との会談は上手く行きましたかね?」

「何故そう思うのだね?」

「この状況であんたが湾来(わんらい)に来る理由と言ったら、後藤組との和平しかないと思ってね」

「残念ながらその推測ははずれだ。私は和平を結びに来た訳ではない。勧誘に来たのだ」

「勧誘? へえ、なるほど。後藤組と和平を結ぶんじゃなくて、自分の下に就かないかと持ちかけた訳だ。確かにそっちの方があんたにとってはいいよな」


 そして、期待に応えられなかったクロノスとヴルムは見限るという事でもある。組織のために命を張って戦う男もいる人間の集団を、物の様にあっさりと。


「君は湾来(わんらい)での抗争に火を点けて回っているそうじゃないか。そんなに戦争が好きかね?」

「何の話だ?」

「後藤組とクロノスをぶつからせて、両方とも潰してしまう。考え方が平和的じゃないね。両方とも暴力犯罪組織だが、正義の味方でも気取っているのかね?」

「だから何の話だ?」

「後藤組はクロノスに対して何もしていないそうだ。抗争が起きるように仕組んだ者がいる様だね。私は平和主義者だから、ひとつ平和のために一肌脱ごうかと思ってね」

「殊勝な事で」

「市民の生活を守るのが、政治家の仕事だ」

「抗争を望んでいたのはあんたの方じゃないのかい。だが目論見が外れた。クロノスが弱いのか、後藤組が強いのか、二つの組織は五分の戦いをしていて、このままじゃ泥沼になる。あんたにとっちゃ百害あって一利も無い事になった」

「君、私の下に来ないか。度胸があって頭も切れる。君のような男が欲しい」

「夜叉を飼える人間が居るとは思わない事だ」

「やれやれ、戦場上がりは野蛮で敵わない」


 河上は嗤っていた。野蛮で結構。俺らが野蛮なら、テメエらははらわたが腐っているよ。


「そろそろ通してくれないかね」


 河上は脇へ除けた。ボディガードに囲まれた石原が、通り過ぎて行った。


 少し間をおいてホテルから出ると、井上が待ち構えていた。


「どうでしたか?」

「和平交渉かと思っていたら、傘下に入らないかと言う勧誘だったようだ。最も、あの様子じゃあ上手くはいかなかったようだがな。人の尊厳まで金で買えると思っている輩だ」

「なら、抗争は再燃ですか」

「おそらくな。そして石原議員としては、何が何でも対立派閥の弱みを吐かせたい事態になった訳だ。いよいよ近いうちに身柄の移動があるかもしれん」

「分かりました。監視の目をさらに厳重にします。市内に集中して良いと思いますが、どうでしょう?」

「それでいいだろう。下手に網を広げるよりも、狭く、目を細かくの方が良いはずだ」

「では、そういう方向で進めます」


 翌、土曜日になって、抗争は再燃を始めた。それと同時に石原議員の不正会計と、非合法組織との繋がり疑惑が、新聞の政治面に踊る様になった。

 いよいよこの抗争も、最終局面に突入したのだろう。まだ分からない事がいくつかあるが、大きな流れの中では些細な事でしかない。

 それは、自分の身に関しても同じ事だ。大きな流れの中では、一人の命などけし粒のようなものだ。舵取りを誤れば、即座に死ぬ。

 ホテルの部屋で、武器の手入れとも言えない確認を、何度も繰り返していた。肝心な時に何かあってはたまらないというのもあるが、それ以外の何かをするというのは、思いつかなかった。

 何度となく繰り返した確認をまた繰り返しながら、全てを片付けた後は、自分はどうするのだろうかと考えた。

 また何の変哲も無い、零細貿易会社の社長に戻るのだろうか。戻れるのだろうか。修羅場の熱さを思い出してしまったこの身に、もう一度平穏な暮らしは耐えられるのだろうか。

 武器を置き、鈴の紐を摘み上げて鳴らした。また少し音が低くなったような気がする。この鈴の元の持ち主である(かおる)が生きていた頃も、この鈴は鳴っていた。

 それは今よりもずっと高い音であったはずなのに、記憶の中の鈴の音は、今の錆びて低くなった音に上書きされている。


 フロントに電話が入った。待ちかねていた報告が、ついに来たかと思った。だが電話口の向こうでしゃべる井上の様子は、むしろ予想外の出来事が起きたという風だった。


「何があった?」

「とにかく急いでください。車を迎えにやるから、詳しい事はそこで聞いてください。私はこれから現場へ行きます。現地で会いましょう」


 井上が説明も無しにすぐ来てくれと言うのは、よほどの事の様だ。河上はすぐに部屋に戻り、拳銃と刀を持ってホテルの前に出た。

 それほど待たずして車はやって来た。飛び乗って、という感じで乗り、シートベルトを締める間も無く発車した。


「何があった? どこへ向かっている?」

「爆発です。ヴルムの構成員が集まっていたマンションの一室で、かなりの大爆発があって窓ガラスが吹っ飛んだそうです」

「張り込んでいたのか?」

「人質の秘書官が監禁されて居そうな場所の一つとして、何ヶ所か目星をつけていた場所の一つです」

「警察が来る前に調べようという訳か」

「そうです。だからぎりぎりまで飛ばします」


 夜の湾来(わんらい)を、エンジン音を高く鳴り響かせて、車は走り抜けていった。

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