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早朝からホテルの従業員に起こされた。昨夜帰って来てから飲んだ酒がまだ残っていて、不機嫌丸出しで部屋の戸を開けたが、すぐにただ事ではないと悟った。井上が繰り返し電話をかけてきていた。
急いでフロントに降りて行って、受話器を取る。
「河上だ、何があった?」
「朝早くから済みません。とりあえず、端的に結論からお伝えします」
井上の声は、感情を押し殺した響きがあった。
「伊藤が死にました。殺されたとみて間違いないと思います」
「なんだと、おいどういう事だ」
井上の話によれば、街中を嗅ぎまわっていた伊藤は、昨夜とある駐車場で爆死したという。車に爆弾を仕掛けられていたようだ。ちょうど、河上が埠頭で派手にやっていた頃の事だという。
「お前は何も無かったか?」
「今のところは。しかし、次は私か河上さんが狙われても不思議は無いでしょう」
「俺はもう襲われた。返り討ちにしてやったがね。こうなると少しでも情報を得られなかったのは痛恨だな」
「ヴルムの仕業でしょうか?」
「分からんが、そうとしか考えられん。ともかくお前はこの街を離れろ。葛城さんの元に帰るんだ。都内はヴルムもクロノスも、直接の影響力は持っていない」
「ここで私が戻ると、葛城さんを巻き込まないでしょうか?」
「むしろ、下手に葛城さんほどの大物政治家を巻き込む事は避けたいはずだ。それに、葛城さんもあれで戦場上がりだぜ、そこらのヤクザに殺されるたまじゃない。
今はとにかくヤバい事になった。自分の身を守る事を第一に考えた方が良い」
「河上さんはどうするので?」
「自分の身が第一と言っただろう。他人の心配をしている暇が有ったら、早いとこそこから離れた方が良い。俺は俺でどうにかする」
「分かりました。連絡も、今後は控えるようにします」
「それが良いだろう。達者でな」
電話を切ると河上は、部屋の荷物をまとめに掛かった。四年間住んだホテルだが、チェックアウトした方がいいかもしれない。少なくとも、しばらくは離れていた方が良いだろう。早めに決着を付けられないときは、来週からの出勤も止めておくしかない。
先走って単独行動をする伊藤は、狙いやすかった事だろう。やはり、無理にでも止めておくべきだった。そうしなかったのは、何か掴んでくるのではないかと、どこかで期待していたからだ。
「馬鹿野郎が」
壁を思いっきり殴りつけていた。久しく忘れていた痛みだ。拳のではない。戦友を失う痛み。さっきまで馬鹿話をして笑っていた奴が、自分の隣で、目の前で、銃弾に倒れ、消えていく痛み。今更思い出す事も無いと思っていた。
この借りは高くつく。俺にこの痛みを思い出させた奴には、それ相応の報いを受けさせてやらねばならん。
問題は、どうしてこうなったかだった。後藤組とヴルムの抗争は止み、クロノスは動きを見せなかった。そして河上が狙われ、伊藤が殺された。
考えられるのは、木島が本当の事をしゃべったという事だ。河上だけでなく、伊藤や井上の存在と顔も知っている。
しかし抗争が始まった事からして、最初のうちは確実にこちらの望み通りの証言をしたはずなのだ。それが途中から真実を言うというのは、筋が通らない。
木島の証言に何かしらの不審を持った組織が、本当の事をしゃべらせたという事が考えられる。しかしその場合でも、別ルートでの情報がなければ、そこまでするとは思えない。
抗争がピタリと止んだ事を考えると、木島をやったのは河上だという情報は、後藤組の方にも流されているかもしれない。
抗争中のヴルムが後藤組を訪れて、事情を話すというのも考えにくい。ならばクロノスが、独自のルートで真実を掴んで動いたという事か。しかしそれならそれで、どこから情報が漏れたのか。
ゆっくり考えている時間は無かった。貴重品と武器だけをまとめて、ホテルを出た。部屋はまだ借りておくが、残してきた物は捨てても構わない物ばかりだ。元々、多くを持つ方ではない。
街をしばらくぶらついてみたが、特に狙われている気配は感じなかった。白昼堂々人気の多い所で襲うほど、連中も馬鹿でも無鉄砲でも無い。
いっそしばらく街を出ればほとぼりも覚めるだろうが、それでは情報を流して伊藤を死に追いやった奴への糸も切れてしまう。狙われ続ける事が、唯一の糸口だった。
居酒屋に入った。まだ日が高くなり切っていない時分なので、客はほとんどいない。初めて伊藤・井上の二人と顔を合わせた店だった。
ビールを注文する。土曜日の事だ、昼間っから飲む客が居ない訳でも無い。一口飲んで、こんなに苦かっただろうかと顔をしかめる。
鈴を弄びながら、次の手を考えようとする。死んだ奴の事ばかり思い出した。伊藤は河上の、腕っぷしでもめ事を始末する無法を、武勇伝と捉えて憧れていた。
馬鹿を言え、俺なんかより、人間の出来た葛城さんを見習え。そう言ってやったのは、ついこの間の事だ。
結局伊藤は、葛城では無く河上に憧れ、無謀な事をして死んだ。強く止めなかったと言う点では、河上が殺した様なものだ。
昔も、そういう奴らが何人もいた。『紅夜叉』に憧れを抱き、見よう見まねで無謀な戦い方をして、虚しく死んでいった奴が大勢いた。
それに対して自分が何かをいう事は無かった。勧めもせず、止めもせず、ただ冷たく眺めているだけだった。
自分に憧れを抱き、後に着いてくる人間を、突き放して止めさせるでも無く、かと言って率い、守ってやる訳でもなかった。
それが無駄に多くを死なせる事になったと、今にして思う。突き放すでも、面倒を見るでも、『紅夜叉』に憧れたために死ぬ奴を、減らす事はできたはずだ。
だが自分は、ただ見ていた。自分に憧れ、そのせいで無謀に死ぬ奴らを、ただ見ていたのだ。それは、自分が殺したに等しい。
今になったまた、あの頃と同じ過ちを繰り返して、また一人死なせなくて良い人間を死なせた。
全く、どうしようもないくらい、自分はあの頃と何も変わっていない。河上商会の社長として、小さな貿易会社を経営して、真っ当に生きている自分など、擬態に過ぎなかったようだ。
一ヶ所に腰を落ち着けているのは危険だと考えたので、街の中を移動し続けた。ときどき尾行られている気配はあるが、すぐに消えた。五人掛かりで始末できなかった相手を、すぐにまた襲う事はしない様だ。
しかし襲われないというのも、かえって面倒だった。今はもう、襲ってきた相手を捕らえて情報を吐かせるくらいしか、やり様が無い。
わざと人通りの少ない路地を歩いてみたりしたが、全く襲撃は受けなかった。しかし、もう襲撃される事が無い訳ではないだろう。いずれ十人二十人に武器を揃えてやって来るはずだ。そうなると、流石に勝ち目が無い。
危険を承知で挑発してみるしかなかった。抗争の現場後を巡り、ヴルムの事務所と思われる場所をしばらく眺めてみる。我慢できなくなった奴が一人二人、襲い掛かってくるのが一番都合が良い。
伊藤も同じ場所を回ったのだろうかと思った。回っているうちに目を付けられ、顔を覚えられ、殺されたのか。抗争中で気が立っているならば、ありえない事ではない。
しかしそれだと伊藤の死は、抗争が止み、河上が襲撃された事と無関係という事になる。もし本当に無関係ならば、わざわざ車に爆弾を仕掛ける様な殺し方をするだろうか?
マンションの建ち並ぶ住宅街に足を踏み入れた。この辺りは比較的静かなもので、ヤクザ者の事務所も、抗争の現場もあまりない。
ふと既視感を覚えた。最近この辺りに来た事がある。なんとなく、景色に見覚えがある。いつの事だったか。
木島を運び込んだ闇医者が、この辺りのマンションの一室で開業していたと思いだした。伊藤の運転する車に乗って来たのだ。
今頃あの医者は儲かっているかもしれない。今は止んだとはいえ、一時はかなり激しい抗争だったのだ。負傷者も多かった事だろう。当然、まともな病院になど行けば、警察が待ち伏せている。
足を止めた。あのとき木島を運んだのは、河上を含めて三人いた。井上は残り、河上と伊藤と、もう一人。
そいつは木島が後藤組にやられたのではない事を知っている。河上が何をしようとしているかも知っている。そして、伊藤と井上が河上の手下になって動いている事を知っている。
むしろ、事の真相を知っているのは、当事者以外ではあの男しかいない。
興信所はビルの二階にある。今は明かりが点いていない。ビルの裏に回り、非常階段の方に回った。
非常階段の地上に近い部分は、跳ね上げ式のはしごになっていて、引き上げられていた。非常階段からの侵入防止のためだが、大して困難な障害でも無い。
適当な長さと強度のある物をゴミ置き場から拾ってきて、音が出ないように布を巻く。金属製の古い配管だった。
それにロープを結び付けて、振り回して投げる。音も無くはしごに掛かったそれを引くと、はしごは軋んだ音を立てて降りて来た。
二階に上がり、非常口の扉に手を掛ける。やはり鍵は掛かっていない。非常口に鍵を掛けると、本当に非常時に逃げられなくなる恐れがある。
慎重に、気配を探りながら中へ入った。誰も居ない事を確認すると、奥の席に座って、この席の主が戻ってくるのを待った。
午後八時を少し過ぎた頃になって、人が来た気配があった。事務所の入り口の鍵が開けられ、入ってきた人影が壁を探る。
「やあ、山縣さん。あんたを待っていたよ」
明かりが点くと同時に、声を掛けた。山縣は飛び退くように身を引いた。
「どこから入った?」
「非常口からお邪魔しました」
「困るな。用件があるなら電話をしてくれればいいのに、心臓に悪いだろう」
「電話をすると、逃げられちまうかもしれないのでね」
「逃げる? 私が、君からかね? どうしてだ。そんな理由は」
「あるだろう? 裏切者」
立ち上がり、銃口を山縣に向けた。銃だけでなく、帯刀もしている。
「待ってくれ。ヴルムに喋った事は謝るが、連中に武器を突き付けられては仕方が無かったんだ。連絡をしようにも、私も身を隠さなくては危なかった」
「あんたが突き付けられたのは、武器じゃなくて札束だろう。いや、むしろ自分から売りに行ったんじゃないのか?」
「邪推もいい加減にしてくれないか」
「ならどうしてあんたが事の真相を知っていると、ヴルムの連中が知っていた? どうして抗争が激しくなってから、いきなり止んだ?
お前は自分の握っている情報が、最大限高く売りつけられるようになるのを待ってから、ヴルムに情報を売ったんだ。いや、抗争の止まり方からして、後藤組にも同時に情報を流したか?」
銃口を向けたまま歩いて近づく。山縣は両手を上げて、動かない。
「伊藤がヴルムに殺されたのは、間違いなくお前のせいだな。それと、ヴルムの木島もあんたの犠牲者か。
木島も可哀想な奴だ。俺に痛めつけられ、お前のせいでもう一度、組織内で拷問をされたに違いない。真相が知られちまった今、あいつはもうどこにもいないだろう」
「伊藤君はともかく、ヤクザ者一人、どうなろうと君には関係ないだろう」
「関係無いだと。ああそうだ、確かにあいつがどうなろうと俺には関係ない。
だが自分の組織にために体を張った一人の男が、テメエみたいな小狡くて、計算高いドブネズミのために、屈辱的に死ぬ羽目になった。それが我慢ならねえ。
俺も一枚噛んでいるだけに、なおさらだ。はらわたが煮えくり返っている。伊藤と木島を殺したのはお前だ。だがお前が二人を殺す原因を作ったのは俺だ。その始末は着けなきゃならん」
並べられたデスクやソファが邪魔で、山縣の後ろに回れない。正面から、山縣の鼻先に銃口を向けた。
「ここで銃声を上げてみろ。あっという間に人が集まって来るぞ」
「今更俺がそんな事でためらうと思うのか? 探偵の癖に、人間観察が甘いぜ。だから俺が復讐に来るとも分からず、裏切りなんて事ができるんだぜ」
「私は、一度として裏切りなどした事は無いよ」
「ほざけ」
山縣の姿が消えた。腰を落として銃口から逃れ、上げていた両手で銃を持つ河上の手首を掴み、奪い取ろうとする。
河上は山縣を思い切り蹴った。緩んだところで体を捻りながら、腕を回す。山縣の体がきれいに宙で一回転して、仰向けに倒れた。追撃に脇腹を蹴りつけ、うつ伏せにさせて銃を背中に押しつける。
「やるじゃないか、大した度胸だ。ちょっとびっくりしたぜ。あんたが元中尉だって事を忘れていた」
銃をゆっくりと離し、左手に持ち替える。山縣の右手を踏んで、刀を抜いた。
「確か、足を負傷して軍人を辞めたんだっけな? なら今度は、こいつで情報屋を辞めるんだな」
振りぬいた。絶叫。山縣の右手から、親指を除いた四本の指が落ちた。
「殺さないのは温情じゃない。復讐だからだ。その手を見るたび、テメエの薄汚さのツケを思い出せ」
山縣は、何も答えなかった。気を失っている。すぐに撤収に移った。刀には、血も付いていない。腕は落ちていない。と言うより、かなり思い出しつつあるようだ。
後藤組とヴルム―クロノス連合の間に抗争を起こし、石原議員の意向でヴルム攫われた秘書官を奪い取る計画はとん挫したかのように見える。
しかし、マッチ一本擦れば大爆発する状況は、変わっていない。クロノスは湾来進出の野望が叶うか挫かれるかの瀬戸際だし、ヴルムも木島の抜け駆けが明るみに出て、立場は悪くなっている。どうにか汚名を返上したいはずだ。
そして葛城が上手くやってくれていれば、黒幕である石原議員も苦しい状況のはずだ。何とか活路を見出したいはずであり、それには攫った秘書官の口から、葛城ら敵対グループの弱みを握って反撃に出るのが一番いい。
つまり、作戦変更をする余裕は無く、とん挫したかに見える作戦を復活させる目は残っているという事だ。
そして抗争を再燃させる事が、河上自身の身を守る事にもなる。抗争が激しくなれば、ヴルムも河上に構ってはいられなくなるはずだ。選択の余地は無い。
問題は、どうやって抗争を再燃させるかだった。派手に音楽を掛け過ぎた。河上の存在を知られてしまった以上、湾来で火を点けて回るのはもう、不可能だった。
ブラックマーケットの雑踏に紛れ込みながら、後藤組の内情に詳しい情報屋を探した。ヴルムに手を回すのはもう無理だ。煽るなら、後藤組の方だろう。
ようやくその筋に詳しいと自称する情報屋を見つけた。後藤組に関して、知っている事を全て教えてくれと頼む。
「あんた、河上さんだね?」
「だったら、どうだっていうんだ?」
「いやなに、すっかり有名人だってだけさ。へへへ」
「御託はいい。知っている事を、洗いざらい吐け」
「これだね」
情報屋が両手を開いた。
「足元見んじゃねえよ」
「嫌なら良いですよ。こちとらびた一文負ける気はありやせんでね」
河上は銃を取り出して、情報屋に突き付けた。
「情報を聞いた後にこいつを食らわして、料金取り返しても良いんだぜ」
「御冗談を。そんな事をすれば、どこの情報屋も二度と旦那と口を利かなくなりまさぁ」
しばらくにらみ合った。河上が銃をしまい、五枚、情報屋の手に押し付ける。
「残りは話を聞いた後だ。ロクでも無い情報しか持ってなかったら、踏み倒すぞ」
「へいへい。ならとっておきをお教えしましょう。後藤組の組長に可愛がられていた男が、少し前に万葉に行きやした。弁当屋をしているとか」
「万葉? クロノスの縄張りに入り込んだのか」
「後藤組も暢気してた訳じゃありません。クロノスが湾来進出を狙っている事を知って、偵察を送ったんですな。場合によっちゃ、敵の足元に噛みつく事も出来る。ま、クロノスがヴルムとつながっている事に気付いたのは、つい最近のようですが」
なら、まだその男は万葉に居るはずだ。それも後藤組の組長に可愛がられていた男となれば、なおさら都合が良い。
「良い事を聞いた。残りの支払いだ」
河上は少し横を向き、抜き打ちに刀を振りぬいた。情報屋の首が、ニヤついた笑みのまま宙を舞う。
今は手元にある金だけが全財産だ。貯金も使い果たしているし、今後のために資金はある程度確保しておきたい。
情報屋の体から支払った金を取り返すと、河上は駅へ向かった。まだ今日の最終列車には間に合うはずだ。




