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まあ、こんなものだろうと河上は思った。
浴槽の底で右手と右足の皮を剥がれた木島が、血の滲んだ生々しい傷口を晒して呻いている。
七十度の熱湯をシャワーで浴びせ続け、ゆっくりと深い火傷を全身に負わせた。火傷を負った皮膚は、カミソリを使うと面白いほど簡単に剥げた。表皮だけではなく、真皮までが剥がれたので、再生する事が無い。
手の皮を剥いだ時はまだ耐えていたが、右足の皮を剥ぎ、左足に取り掛かろうとしたところで音を上げた。
木島は秘書官の居場所は知らなかったが、ヴルムとクロノスの関係、クロノスに強い影響力を持っている石原議員などについては、裏が採れた。
「伊藤、井上、お前ら車は持っているか?」
「個人の物でなくてもいいのなら、葛城先生の事務所の車を一台借りてあります」
「ならそれを回してきてくれ。急ぎでだ」
伊藤が車を取りに出る。
「私は何をすれば?」
「こいつに包帯を巻いてやれ。その上から、適当に服を着せてやれ。俺のやつを使って良い」
井上はやや鼻白んだが、黙って包帯と服を取りに行った。
河上はその間に、フロントに降りて電話を掛けた。
「またあんたか、河上さん」
「こんな時間に済まないね、山縣さん。ちょっと来てほしいんだ、それも今すぐ」
「今度は何をさせる気だ?」
「道案内だよ。ヤクザ者を一人医者に連れて行く。真っ当な医者に見せる訳にもいかないから、隠れてやっている様な無免許医を紹介してほしい。それもヴルムに近い奴だ」
「そういう事か。場所はあんたのホテルか?」
「そうだ」
「なら三十分で行く」
伊藤が車を持って来て、山縣もやって来た。井上は手際が良く、木島の傷はきれいに隠されている。
歩く事もままならない木島を河上と井上で支えながら、人目につかないように車に乗せた。
伊藤がハンドルを握り、山縣が助手席で道案内をする。車が狭いので井上は残って、葛城へ報告をする。
河上は木島と共に後部座席に乗り、道すがら刷り込む様に耳元でささやいた。
「お前を医者に連れて行ってやる。組にはその医者から連絡を取ってもらえ。
お前は一生俺の事を忘れないだろう。その傷が疼く度に、俺にいたぶられた事を思い出すんだ。
復讐するならすればいい。だがそれはお前がもっと大物にのし上がってからにしろ。すぐにつまらねえチンピラなんか寄越したら、クロノスに駆け込んで全部ぶちまけてやる。
お前がクロノスを出し抜いて政治家のご機嫌を取ろうとした事も、洗いざらいしゃべっちゃならねえ事までしゃべった事もだ。どうなるかは言わなくても分かるだろう?
お前をやったのは後藤組だ。そしてお前は自力で抜けだした。そうなればお前の傷も、名誉の負傷として通用する。後藤組が知らないと言っても、クロノスは信用しないだろうからな。
戦場じゃ一番先に敵に斬り込んで、一番先に負傷した奴は英雄だ。生きて帰って来たのなら、なおさらだ。英雄か、裏切者か、好きな方を選ぶんだな」
山縣の案内した先は、とあるマンションの一室だった。無免許の医者の隠れ家は、場所を知っていても見つけにくい。だからわざわざ山縣に来てもらった。
木島を玄関前に転がして、医者を呼び出す前にもう一度言い含めた。
「最後にもう一つ教えてやろう。じきにこっち側の政治家が、お前らの親玉である石原議員の周りを調べ始める。石原の影響力が強いクロノスにも捜査の手が入るだろう。ピンチになるって訳だ。
ここで踏ん張れば、ヴルムはクロノスと対等になれるかもしれないぜ。後藤組を叩き潰して、ヴルムが湾来の裏社会を握る。
そうなれば表の方も、石原議員の息のかかった企業が進出してきて、名実ともにこの街は石原議員と、お前らの物だ。クロノスなんか鼻で笑えるようになるぜ」
山縣が医者を呼びだした。出てくる前にさっさと退散する。顔を見られて、それが医者の口からヴルムの方にばれても面倒だ。
「後は反応を待つだけだな」
「河上さん、あんた攫われた政治家の秘書官を探していたんじゃないのかい。なんだってあの男をあれだけ痛めつけた?」
山縣が、らしくもなくこちらの事を聞いてきた。
「ちょっとばかし面倒な事になってね。それはあんたも知っているだろう? この面倒な事態をどうにかするために、戦争を起こす事にしたのさ」
「戦争ね。そっちの若いのと、残ったもう一人は?」
「俺の手下だ」
「あんたが手下を抱えているような奴だとは思わなかったよ」
「この仕事の依頼主からの借り物だ」
「なるほど、合点が言ったよ。あんたはどう見ても一匹狼って感じだからね」
「それより、また仕事だ。じきに戦争が起きるだろうが、ヴルムが誰かを安全な場所に移動させようとするはずだ。それを張ってくれ」
「その誰かが、攫われた政治家の秘書官という訳ですか」
「多分な」
「ま、張っては見ますが、一人の人間の護送ですからね、見落としたとしても私の責任じゃありませんよ」
「分かっている」
すでに複数の情報屋に、同じ事を頼んでいる。山縣に依頼するのは、目を一つ増やす事に過ぎない。
ともかく音楽は掛けたのだ、みんな派手に踊り出せ。
連休明けの火曜日、まだ動きはない。しかし上の方、政治家同士の争いでは、葛城らが石原の周りを突き始めたはずだ。
葛城もあれで、戦場上がりの戦友である。こちらが動きやすいように、上手く引っ掻き回すような立ち回りをしてくれる事だろう。
連休の間にたまった決済を片付けると、河上は闇市の方へ足を向けた。戦後すぐはどこもかしこも闇市だったが、今も残っているのはもう、ブラックマーケットと呼ぶ方がしっくりくる、非合法市場だった。
買い求めたのは、武器だ。これからは、喧嘩というレベルを超えた事をする必要も出てくるかもしれない。
生活が苦しい軍人の横流しや、戦場で拾ったジャンク品を修理したものなど、中古の武器は大量に流れている。
刀を一振り買い求めた。あまり頓着した事は無いが、軍刀では無く打刀で良いのがあった。無銘だが、手によくなじむ。刀身も痩せてはいない。
「もっと良い値がしてもよさそうなもんだがね?」
「今じゃ軍隊は一人に一丁小銃を持たせているご時世だからね。刀剣類は骨董品として価値が有る物以外は、よほどの物好きしか買わないよ」
「俺はもの好きって訳か。まあ、高くつくよりはいい。くれ」
「まいど」
「拳銃も欲しい。できればリボルバーが良い」
「兄さん戦争でもする気かい?」
「闇商人の癖に、客に興味を持つのはいただけないな」
「今時珍しい客なもんでね。リボルバーなら、こいつはどうだ?」
見覚えの有る型の拳銃が、カウンターの上に置かれる。
「旧式軍用拳銃か。いいだろう、慣れてる物の方が良い」
両手で構える。歪みや摩耗は無さそうだ。
「弾の方は、普通のメタルポイントでよろしいので?」
「ホロウポイントがあればそれも欲しい」
対人殺傷力に特化した弾頭だ。ただし堅い物に弱く、対物貫通力は無いと思った方が良い。
「そんなら凄いのをお見せしましょうか」
店主は奥の方に入り、一発の弾丸を持って来た。テーブルの上に置かれたそれを手に取って眺める。
「こいつはオーバーロードか」
火薬量を増やした非正規品の弾だ。正規品でもマグナム弾のような、火薬を増やした高威力弾はあるが、オーバーロードは銃を傷めたり、腕を骨折する危険もあるほどの威力を誇る。
「こんな物を、一体どれだけ在庫抱えしてんだ?」
「それは、企業秘密と言う奴で」
「まあいいだろう。こいつを六発だけくれ。後はメタルポイントでいい」
刀と拳銃、それに弾でかなりの出費になった。不当に高いとは思わなかったが、貯金は使い果たしてしまった。
経費という事で後で葛城に請求するという手もある、と気づいたのは、買ってしまってからだった。そんな事は考えず、ただ貯金をはたいて武器を買い求めた。
元々執着が有る訳でも無い金だったが、我ながらずいぶん思い切って使ったものだ。
目立たぬ様に拳銃と弾は紙袋に入れ、刀は柄袋に入れる。それでもつい触りそうになった。
その度に手を止めて、錆びかけた鈴を撫でた。低い音が、夜の闇に吸い込まれて行った。
水曜日に最初の動きがあった。情報屋が、ヴルムのボスの屋敷に人が集まっている事を伝えてきた。
後藤組も当然その動きは掴んでいるはずだが、こちらは気にしている様子も無いらしい。ヴルムが後藤組と争っているとは言え、抗争を起こす理由が後藤組には無い。
それにもともと組織の規模に大きな差があるのだ。ヴルムが後藤組に噛みつくなど、そんな無謀な事はしないと思っているのだろう。背後にクロノスが居る事を、後藤組は知らないはずだ。
本格的な動きは、木曜日になってからだった。朝刊に、昨夜後藤組の組長が狙撃されたというニュースが載っていた。弾は組長のボディガードに当たったらしい。
河上は事務所で仕事に勤しみながら、ラジオのニュースに耳を傾け続けた。後藤組の報復は、迅速で徹底していた。市内のヴルムの拠点に襲撃が相次いでいる。
普通ならば、この辺りで終息するだろう。若い構成員を何人か自首させて、恨みによる犯行だと言わせる。後藤組は組長狙撃の報復を果たし、手痛くやられたヴルムはしばらく鳴りを潜める。
だがそうはならないはずだ。大本の石原議員に手を入れられている石原―クロノス―ヴルムの側は、守りを固めるよりも、攻勢に出た方が身を守れるはずだ。
それには政治秘書官から情報を引き出し、それを基にした敵対政治家への攻撃も含まれる。ならば、秘書官の価値はより高くなったはずであり、抗争に巻き込まれて死なせる様な事はしたくないはずだ。
昼飯を食いに外に出た。街はあちこちに警察の機動隊が検問を敷いており、緊張が高まっていた。入った食堂にも、客の姿は少ない。市民は息を潜めているという格好だ。
午後に入ると、抗争は次の段階に入ったという感じだった。ヴルムがゲリラ戦で反撃に出ている様だ。後藤組の事務所などに、一発二発と銃弾が撃ち込まれ、犯人は逃亡中。そんなニュースがひっきりなしに流れていた。
ただ肝心の、秘書官の姿は見えてこない。もしやもう、湾来には居ないのか。そうだとすると手が出せなくなる。
情報屋の情報を待つ以外の方法は無いものかと、井上達のホテルに電話を掛けた。
「何かありましたか、河上さん」
出たのは井上だった。
「いや、何も無いから、そっちはどうかと思ってな」
「こちらも有力な情報はありませんね」
「伊藤はどうしている?」
「車を出して、ドンパチやっている現場を見に行ってますよ」
「おい、あまり危ない事はさせるな。連中と直接かかわるのは、俺だけでいい」
「私も自重するようには言っていますが、頭より足を使うタイプの伊藤は、じっとしていられない様で。
それに少しでも葛城先生や河上さんの役に立とうと、気負っている感じもありますね」
吉田の事が頭をよぎった。行動派なところが似ているのかもしれない。ただそれでも、やたらに首を突っ込むのは危険すぎる。
「縛り付けてでも無茶をしない様に抑えておけ。お前らの顔を知っているのは木島だけだから、狙われる事は無いはずだが、万が一があってからじゃ遅い」
「分かってます。あいつも分別が無い訳じゃないですから、ぎりぎりの一線は超えないように気を付けるでしょう」
「そう願う」
結局、これと言って有力な手掛かりは得られなかった。
一夜明けて金曜日の朝刊には、一面大見出しで抗争の最新情報が載っていた。夜の内に後藤組とヴルムが、派手に銃撃戦をやって死者を出したようだ。
新聞では抗争の詳しい様子は知りようも無いが、写真に写った破壊の様子や、周辺住民の証言などからして、お互いにライフルを持ちだしての本格的な銃撃戦をした様だ。警察が現場で押収した証拠品の中にも、ライフルの弾や薬莢があるという。
ヴルムに対して組長狙撃の報復をした後藤組だが、更にヴルムが反撃して来たので、より本格的な攻撃を仕掛けたのだろう。
ところが弱小組織と侮っていたヴルムには、後藤組と張り合えるだけの武器が、クロノスから流れていた。という訳だ。
後藤組の武装も思った以上に充実していたが、とにかく抗争は激しさを増している。密かに人一人を移動させるには、良い隠れ蓑のはずだ。今は、待つしかなかった。
昨日と同じ様に、ラジオのニュースに聞き耳を立てながら仕事をする。だが妙な様子だった。抗争がピタリと止まったのだ。
お互いに相手の武装の充実ぶりに驚き、一旦体勢を立て直そうとしているのだろうか。それにしても、全く何も無いというのは妙だった。
そもそも何故クロノスは動かない。ヴルムが先陣切って後藤組と戦争を始めた今、クロノスが本格的に進出してきて、後藤組を潰しに掛かるのが当然だ。
いくら武器を支援をしたところで、ヴルム単独ではいずれ後藤組に潰される。そうなればクロノスは、せっかく手に入れた湾来への足掛かりを失う事になる。見過ごせる事態では無いはずだ。
結局その日は何の事件も無いまま終業時間になり、帰路に就いた。
金曜日の仕事終わり、抗争も収まる気配を見せているという事で、繁華街には人気が戻り始めていた。
尾行られているという事は、すぐに解った。上手い尾行ではない。密かに様子を探るよりも、仕掛けてくるタイミングを計っているという感じだった。
襲われてやろうと思った。何でもいいから手がかりが欲しかったし、抗争が止んだ理由にも迫れるかもしれない。刀は目立つので持ち歩けないが、拳銃は持っていた。ただし、弾は弾倉のメタル弾六発だけだ。
人気のない所に行けば出てくるだろうが、やるからには有利な場所で戦いたい。人通りの少ないエリアに入り込まないようにしながら、港の方へ向かった。
大型の貨物船が入るエリアから外れて、個人所有のクルーザーなどが泊めてあるエリアに入った。ここならこの時間は誰も居ない。
ほとんど明かりが無く、真っ暗に近い岸壁は、注意しないと海に落ちそうなほどだった。
歩きながら敵の人数を探る。全部で五人か六人、背後についているのは三人だ。後は先回りして、前を塞いでくるだろう。
突然、全力で走り出した。固い足音が夜の岸壁に響く。後ろから追ってくる足音。この先は直角に折れる岸壁の角だ。曲がってすぐ、泊めてあるクルーザーに飛び乗って、身を潜めた。
悲鳴。水に落ちる音。追う事に夢中になっていた一人が、岸壁が無くなっている事に気付かずに海に落ちた。一人が見失った河上を追って駆け抜けていく。もう一人は、落ちた男を引き上げようとする。
良い的だ。仲間を引き上げようとしている男に狙いを定めて、発砲した。男が海に転げ落ちる。岸壁に上がり、来た道を戻る。
角を曲がる前に、銃声を聞きつけて戻ってきたもう一人に向けて一発撃った。影が物陰に飛び込むのが辛うじて見えた。
岸壁を戻り、途中で脇道に入る。しばらく息を潜めながら、追手の様子を窺った。三人いる。海に落ちた奴は含まれていない。集まって二言、三言交わしては、また散っていった。
完全にこちらが主導権を握っていた。例え一対百でも、物陰に潜んで隙を窺っている一人と、いつどこから襲ってくるか分からない一人を駆り出す百人では、腰が引けるのは後者だ。
鋼鉄製のワイヤーの切れ端が落ちていた。切れ端と言っても、6・70㎝はある。拾ってベルトに挟んでおいた。
追手の位置関係を頭に入れながら、真ん中に居る一人に狙いを定めた。ここで銃声を上げれば、前後から挟み撃ちを喰らう事になるが、分断するという事でもある。
やり過ごしてから飛び出し、背中に二発撃ち込んだ。倒れた男をまたぎ、すぐに走り出す。正面に一人、行く手を塞いだ。正確な狙いも着けず、片手で撃つ。全弾撃ち尽くした。
銃撃から身を隠そうと物陰に潜んだ男が、また姿を現した。その時にはもう河上は至近距離に迫っていて、男に体当たりを喰らわせた。男が海に落ちる。
銃声がして、物陰に飛び込んだ。最後の一人が拳銃を撃ちながら近づいてくる。河上は舌打ちして銃をポケットに突っ込んだ。ワイヤーを手にする。
後ろで水音。海に叩き落とした男が、這い上がってこようとしていた。顔を出したところで、顔面に思い切り蹴りを入れた。男が再び海に落ちる音。
銃を持った男が、河上が海に飛び込んだと思ったのか、駆けて来た。いきなり目の前に飛び出し、驚く男にワイヤーを振るった。男の頬が裂け、血の筋が走る。
後ろに回り込み、ワイヤーで首を絞めた。銃口をこちらに向けてこようとする。頭を壁に叩きつけてやった。やがて男の体から力が抜けた。完全に締め落とした事を確認すると、海に放り込んだ。
最後の一人辺りを締め上げて、情報を吐かせようと思っていたが、上手く行かなかった。海に叩き込んだ男も、すでに姿は無かった。
河上はリボルバーの弾倉に残った薬莢を海に捨てた。




