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鬼哭の湊  作者: 無暗道人
第三章
13/22

1

 出社すると、流石に皆驚いた顔をしていた。何か言われる前に、酔ってチンピラと()めて殴られたんだ、と言っておいた。それで皆、一応納得したようだった。

 今日は金曜日。明日からは三連休に入る。ちょっと動くにはちょうど良かった。


「なあ、前原(まえばら)

「なんですか? 社長」

「今お前が進めているプロジェクトが軌道に乗ったら、本当に社長になってみないか?」

「なんですか、急に」

「なに、もう俺のやり方じゃあ、この先続かない。それに俺自身、仕事に張り合いが持てなくなってきたんだ。だから良いところで身を引いて、金だけ受け取るオーナーになろうかと思ってな」

「前にも言ったかもしれませんが、まだまだ引退には早いですよ。社長はまだ二十五にもなっていないじゃないですか。その気になれば、新しいやり方なんてものは、すぐに身に付きます」

「やる気さえ湧けばそうだろうけどな。まあいい、いつかはお前が社長になる。それだけ覚えてくれていればいい」

「なんですか、まるで明日にも居なくなるみたいじゃないですか」


 案外そうかもしれない、と思う。河上(かわかみ)がこれからやろうとしている事は、明らかに危険に首を突っ込む事だった。

 いくら葛城(かつらぎ)の頼みとは言え、そこまでする義理は無い。危険の無い程度に動き、それで駄目なら駄目だったでも良いはずだ。葛城も、昔の戦友にただで危険な仕事をさせる事は望まないだろう。

 自分があえてそれをやると決めたのだ。何故かと聞かれたら、答えられない。そうしたいと思ったからそうする。それだけの理由だった。

 ごく普通に仕事を終わらせ、時間が有ったので街を回って種を()いてから、待ち合わせの店に入った。すでに待ち人は来ていて、席に案内された。二人の若い男が待っていた。


「お前達が、葛城さんの部下だな?」


 二人はそれぞれ伊藤(いとう)井上(いのうえ)と名乗った。政治家である葛城の、まあ部下の様なものだ。河上がこの件を引き受けた時、葛城が人手を貸すと言っていた。


「とりあえず、俺が把握している状況を確認したい」


 河上が引き受けたのは、端的に言えば人探しだった。ただし、探す相手は葛城の盟友である某政治家の秘書官の男だった。

 男は数日前から連絡がつかなくなっており、最後に居場所が確認されたのが、この湾来(わんらい)だった。

 警察に持って行けばいい、という訳にはいかなかった。葛城は事件の裏に、敵対する政治家が居るのではないかと考えている。そうで無ければ、政治家の秘書が何日も失踪する理由が無い。

 その秘書官は、主人である政治家の表沙汰にできない事を知っているのだろう。その情報を引き出して、ライバルを失脚させるのが黒幕の狙いだという訳だ。だから迂闊に警察沙汰にすれば、引き出した情報をぶちまけて、自爆攻撃を仕掛けてくる恐れがある。

 兎にも角にも失踪した秘書官が、単純な金目的で攫われたのではなさそうだというのは確かだ。また自分から逃げる理由も、失踪後に身辺調査をしたが出なかったという。


「まあ、まずは何処の誰が秘書官を攫ったのか、見当くらいは付けないと探し様が無いな。写真は持って来たか?」

「こちらに」


 井上と名乗っていた方の男が写真を出す。とくに特徴と言うものは感じない男だった。


「早い所見つけなきゃ、死体で上がる事になるだろう。そうなるともう糸をたどれなくなる。お前達は、俺が指示を出して使って良いんだな?」

「河上さんの指示に従うよう、先生に言われています。先生への報告はいたしますが」


 伊藤と名乗っていた方の男は、葛城の事を先生と呼ぶ。政治家の事を先生と呼ぶのは珍しくないが、あまり年の違わない若い男が先生と口にしていると、学生に思えてくる。


「お前達は、明日から聞き込みをして回れ。連絡先は?」

「ホテルの番号は、こちらに」


 番号の掛かれたメモを受け取る。


「こっちの番号も渡しておく。平日の昼は事務所、それ以外はホテルだ。どちらにも出ないときは、ホテルのフロントに言っておいてくれ。こっちからかけ直す」


 伊藤が手を出して、差し出したメモを受け取った。ちょっと見た限りだが、伊藤は直情的、井上が思慮深く慎重な性格のようだった。


 土曜日の午前に、早くも進展があった。秘書官誘拐の目撃情報が上がったのだ。情報元は、昨夜待ち合わせの前に寄った情報屋の一人だった。

 複数の情報屋に金を握らせ、それらしい情報を探させていたのが役に立った。ただ情報屋は、金欲しさにガセネタを持って来る事もある。完全に信用するのは危険だった。

 とは言え情報の内容は、ある程度予想できていた事だったので、信用できると思った。すぐに井上達の連絡先に電話を入れる。


「河上さん、何か分かりましたか?」


 井上が電話口に出る。


「それらしい目撃情報があった。5日前にその秘書官と思われる男が、男数人掛かりに暴行されて、連れて行かれるところを見たという情報があった。人相も一致している」

「その男達と言うのが、何者か分かりますか?」

「はっきりとは分からん。だがやり口や風体からして、ヤクザ者だろうな」

「確か湾来には、後藤組と言う組織があると聞きましたが」

「いや、後藤組は古い組織で、もっと慎重なやり方をする。俺は新興のヴルムの方じゃないかと思っている」

「分かりました、その組織を探ってみましょう」

「相手はヤクザだぞ、下手な事をするな」

「大丈夫です。警察の方に手を回して、ヴルムに関する資料を閲覧させてもらうくらいなので、直接関わったりはしません」

「ならいいが、くれぐれも早まった真似だけはするなよ」


 電話を切り、ふと何か引っ掛かりを思えた。再び受話器を取る。



「こう短い間に、何度も仕事を依頼されるのは珍しいですね」


 興信所の応接室で茶を出しながら、山縣(やまがた)は言った。


「ちょっと今回の仕事は、面倒事になりそうなんだが」

「これでも元軍人ですよ」

「なら遠慮なく言わせてもらうが、ヴルムを洗って欲しい」

「ヴルムを? 構いませんが、どうしてまた」

「ある政治家の秘書官が攫われた。目撃情報から犯人はヴルムの構成員の様なんだが、どうにも腑に落ちん。

 ヴルムは後藤組に抑え込まれて伸び悩んでいるような組織だ、それが政治家の弱みなんか握ろうとするか?」

「伸び悩んでいるからこそ、政治家を脅し上げて急成長を狙っているとも考えられますよ」

「だが肝心の政治家が秘書を切っちまえばそれまでだ。ヤクザが政治家の犯罪をぶちまけたところで、まともに相手をしてもらえるとも思えん。

 だが背後に敵対する政治家が居れば話は別だ。そして被害者側もそう読んでいる」

「なるほど、それで私にヴルムの背後関係を調べろと」

「ヴルムの背後に直接政治家がいる訳ではないだろうと思っている。あんな弱小組織に影響力を持ったところで、たかが知れているからな。そうなると政治家まではたどれんかもしれんが、ともかく分かる所まで頼めるか?」

「お安い御用ですよ。むしろ興信所ってのは、相手企業の裏にそういうヤクザ者が居ないかを調べるのが本業みたいな所がありましてね」

「お手のものという訳か。分かった、頼む」



 山縣からの連絡が来たのは、翌日の午前中だった。


「早いな。それで、ヴルムの裏は取れたのか?」

「ええ、クロノスと言う組織を知っていますか?」

「東の大手組織だそうだな」

「ヴルムはクロノスと同盟を結んでいるようですね。最も、力に差の有る者の同盟が対等だった事は有りませんが」

「ヴルムはクロノスの下部組織か。クロノスは湾来進出を狙っているのか?」


 国際貿易港である湾来に勢力を張れば、武器や麻薬の密輸入で大きな利益を上げられるだろう。


「さあ、そこまでは。それでクロノスですが、石原(いしはら)って議員が大きな影響力を持っているって話です。実際、石原の地盤はクロノスの勢力圏と一致してますし」

「それだけ聞けりゃ十分だ。ところで、どっかに連れ去られている秘書官の居場所や安否については?」

「そりゃ、何も。多分どっかヴルムの所有している事務所か何かに監禁されてるでしょうが、そこまで行くと調べ様が無いですな」

「それもそうか。いや、助かった。金は振り込んでおくから、週明けに引き出してくれ」

「どうせまた何かしら依頼を受けるでしょうから、電話の前で待ってますよ」


 電話が切られた。確かに、こうなると有能な探偵である山縣は、引き続き使いたい。とりあえず今は、井上達のホテルに電話を掛けた。


「はい河上さん、伊藤です」

「今日はお前か。まあどっちでもいい。石原と言う政治家について知っているか?」

「かなりの有力議員ですね。二・三十人の議員を抱える派閥の領袖で、葛城さんらとは対立しています」

「なら、決まりじゃな。ヴルムの背後にはクロノスと言う大手組織がいた。そしてクロノスは、石原の影響下に有るらしい」

「待ってください、石原議員と言えば、大手貿易会社のF社を始めとした、経済界にも影響力の高い大物じゃないですか」

「へえ、F社のスポンサーって訳か。奇遇だな」

「何かあったんですか?」

「ちょっと前に、うちを買収しようとした。拒否したら嫌がらせをしてきたんで、担当を叩きのめしてやったよ」


 もしかしたら、あれでF社の進出が阻まれた事もあって、秘書官の誘拐と言う手に出たのかもしれない。


「河上さんて、聞いた通りの人みたいですね。ちょっと憧れますよ」

「馬鹿言え。憧れるなら、俺なんかよりずっと人間の出来た葛城さんを見習え」

「ともかく黒幕は石原議員。その下にクロノス経由で、直接の実行犯がヴルムですね?」

「まだ裏を取った訳じゃない。だから葛城さんに話を通して、石原議員の周囲を洗え。それで動きを止める事も出来るはずだ」

「分かりました、すぐに取り掛かります。河上さんは、この後どうなさるので?」

「肝心の、秘書官がどこに居るのか、どうやって助け出すかがまだだ。それを考える」

「分かりました。お気を付けて」


 勢いよく受話器を置く音がした。思わず受話器を耳から離す。

 秘書官を助け出す方法を考えると言ったが、さてどうしたものか。


 連休最終日の月曜。河上は自分のホテルから一歩も出ずに、待っていた。

 時間つぶしは酒をやるくらいしかないが、あまり飲まなかった。いつ荒事をやらなくてはならないか分からないし、何より飲む気になれなかった。何気なくいじった鈴が、やや低くなった音を立てた。

 どこに居るか分からない、たった一人の人間を探し出し、助け出すなど、不可能だった。しかもこっちは一人で、相手は何十人も戦闘員が居るのだ。

 方法があるとすれば、秘書官に構ってなど居られない状況にしてしまう事だった。それも、秘書官の身に危険が及びかねなければなお良い。

 上から預かった大事な人質だ、下手に傷を付ける訳にはいかない。危険が及ぶようになれば、必ず安全な場所へ移動させるはずだ。そこを襲撃して、奪い取る。

 問題は、どうやってそういう状況を作るかだった。とりあえず思いついた策をやってみる事にし、噂を流したが、魚が餌に食いついてくるかは分からなかった。

 深い眠りに落ちないように、決して横にならず座って微睡(まどろ)む。何度か微睡(まどろ)むと、部屋の中はもう真っ暗になっていた。風呂場だけ明かりを点け、シャワーも出しっぱなしにしておいた。部屋の鍵は開けてある。

 座ったまま寝ては起きる事を繰り返していると、戦場に居た頃をよく思い出した。鮮明に思い出すので、夢を見ているのかもしれないと思った。あの頃も、横になって眼る事など、ほとんど無かった。

 不意に気配を感じた。戦場の夢を見過ぎたか。静かに扉が開いた。夢ではない。時計は見えないが、時刻はすでに十二時を回っているはずだ。どうやら魚が掛かった様だが、仕留められるかが問題だ。

 侵入者は、シャワールームの明かりと音に引き寄せられるようにそちらへ向かった。音を立てない様に背後に回り込み、いきなり後頭部をスパナで殴った。

 侵入者は呻き声も上げずに倒れた。不意打ちとは言え、気絶する急所を一撃で打ち、気絶させた。勘が戻っている様だ。

 部屋の明かりを点け、侵入者の顔を見る。見覚えの有る男だった。木島(きじま)。子分のチンピラが、河上商会に嫌がらせをしてきた事を詫びに来た男だ。おそらく、ヴルムの幹部クラスだろう。

 予想以上の大物が掛かった。作戦が上手く行く確率は高まったが、反面危険も大きい相手だった。

 丸裸にして、手足を太い針金できつく縛った。どこに置こうかと考えて、空の浴槽の中に放り込んだ。声を上げても聞こえづらい。

 睡魔が襲ってきたので、横になって少しだけ寝た。


 シャワーを止めて、洗面器に水を入れた。それを木島の顔に浴びせかける。すぐに木島は目を覚ました。


「おはよう、良いお目覚めとはいかないだろうが」

「テメェ!」


 木島は以前会ったときとはまるで似つかない狂暴な顔をして、睨みつけてくる。


「悪いがお前が掴んだ噂は、全部俺が流したデマだ。無駄足だったな」


 目的は、ヴルムの構成員をおびき寄せる事だった。そこで自分のホテルの部屋を指定して、そこに葛城の不正蓄財の証拠があると言う様な噂を流した。

 噂の内容を多少変えて、もっともらしくし。井上と伊藤も使って、ヴルムの影響下にあると思われる酒場で、盛んに噂をばら撒いた。更に山縣を使ってヴルムの事務所をいくつか探り、匿名で密告文書も送った。

 ヴルムは今、クロノスと同盟関係にある。しかし力に差のある組織の同盟が、対等であるはずが無い。いずれヴルムは、クロノスの下部組織として飲み込まれる。

 しかしもし、クロノスの更に上に居る、石原議員を喜ばせるような手柄を上げれば、一挙に石原議員お抱えの組織として、クロノスと並べる。いや、クロノス以上の信用を得る事も出来る。

 悪くても、手柄を上げればヴルムの扱いは丁重になり、そう易々と飲み込まれる事は無くなるはずだ。だから木島は一人だけで乗り込んできた。クロノスから見れば独断の、抜け駆けだからだ。


「さて、洗いざらい吐いてもらおうか。とある政治家の秘書を攫って、知っている事を吐かせようとしているのはあんたらだろ? その秘書は今どこだ? それとももう、クロノスに引き渡したのか?」


 当然ながら、木島は答えない。むしろ殺意のこもった眼差しを向けてくる。

 鼻面を殴りつけた。何度か殴ると、鼻っ柱が折れて、鼻血が噴き出してくる。股間も蹴り上げた。木島は歯を食い縛り、額に汗を浮かべながらも、やはり殺意の眼差しを向けてくる。

 色々と痛めつけてみたが、決して口を割らなかった。工具でも持ちだして、歯を引っこ抜いたり、手足の指を一本ずつ潰すしかないか。

 一旦部屋に戻ると、すでに六時だった。今日は火曜だ、出社しなければならない。かと言って、その間木島を放置する訳にもいかない。

 シャワールームに戻ると、木島の口にはぎ取った服を裂いた布を押し込み、包帯状に裂いた布で口を塞いだ。これで声を上げる事も、舌を噛む事も出来ない。

 ボイラーを最大にし、シャワーの温度も最大まで上げた。これで七十度ほどのお湯が出る。熱湯のシャワーを、浴槽の中に入る様に向けて出した。風呂の栓は開けてあるので、溺死する事は無い。

 全ての作業を終えると、部屋のドアには立ち入り禁止の掛け札を掛けて、仕事に向かった。これでホテルの掃除婦も、部屋には入らない。それは長年ホテルで暮らしていて、確信があった。


 仕事終わりに、井上と伊藤もホテルの自分の部屋に呼んだ。騒ぎが起きている様子はないので、木島の事は誰にも気づかれていない。

 シャワールームを除くと、全身の皮膚が真っ赤に火傷した木島が、弱々しく横たわっていた。二人が思わず目を背けるのが、背中越しでも分かった。


「河上さん、こいつは?」

「ヴルムの木島って奴だ。まあ、幹部くらいだろう」

「復讐にしても、やりすぎでしょう」

「そんなつまらん事などするもんか。それに、俺にはこいつに復讐する理由は無い」

「なら、何故?」

「一つはこいつの知っている事を、洗いざらい吐かせるため。もう一つは、攫われた秘書官殿を助け出すには、戦争を起こすしかないと考えた事」

「戦争」


 伊藤が息をのむ。


「後藤組とヴルム、それにヴルムの背後に居るクロノスも巻き込んで、大戦争を起こしてやるのさ。そうなれば大事な人質である秘書官殿は、安全な場所に移動させようとするはずだ。そこを奪回する」

「しかし、この木島って男を痛めつけたのは河上さん、あんただ。復讐されるのは河上さんで、後藤組との戦争なんて」

「いや、こいつにしてみれば、後藤組にやられたというしかない。なぜならこいつがここに来たのは、お前達に頼んで撒いてもらった噂に食いついたからで、要はクロノスを出し抜こうとしたんだ。それを正直に言えば、どうなるかは想像がつく。

 だが後藤組にやられた事にすれば、先陣切って敵陣に斬り込んだ勇者として、それなりの扱いをされるって訳だ」


 シャワーを止め、木島の口を塞いでいた布を外す。テメェ、と弱々しく言った。


「聞こえていただろう? お前の所で攫ったはずの秘書官殿はどこか、ヴルムとクロノスと、さらにその後ろの政治家の事、知ってる事を洗いざらい吐いてもらうぜ」

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