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鬼哭の湊  作者: 無暗道人
第二章
12/22

6

 夜の都内は明かりが絶えなかった。

 借金取りの事務所を後にした河上は、夜の街を歩きながら時々顔をしかめていた。

 すでに最後の汽車を逃している。都内ならばタクシーも有るだろうと思っていたが、車自体をほとんど見かけない。おかげで歩き回らねばならず、蹴られたところが痛む。

 明日も平日で仕事があるというのに、これでは遅刻確定だ。社長なので遅刻したところで怒られる事も無いが、都内で飲んでいたら汽車を逃して遅刻すると社員に言い訳をするのは、流石に体面が悪い。

 道の向こうから一台の車が走ってきた。ライトがまぶしく、思わず腕で遮る。脇を通り抜けた車が、少し後ろで停車した。


「よう、河上」


 杉が窓から顔をのぞかせる。


「杉か」

「こんな所で何してる?」

「ちょっと、野暮用を済ませたところだ。思いがけず長引いてな」

「乗っていくか。もう汽車もねえだろう」

「乗せてくれるってんなら、ありがたい」


 車の傍に歩み寄る。車には詳しくないが、緑色の車体をした外車だった。多分、相当に高い物のはずだ。


「ただ一つ、用事を頼まれてくれねえか」


 車のドアに伸ばしかけた手を止める。


「また厄介事じゃないだろうな」

「葛城さんの用事だ。今ちょっと困ってて、人手が欲しいそうだ。お前が頼まれてくれるとちょうど良いと思うがな」

「葛城さんの用事か。まあ、あの人の頼みなら、やぶさかでも無いかな」

「なら乗りな。詳しい話は本人から聞くんだな」


 車の助手席に乗り込んだ。杉が車を発進させる。あっという間にスピードに乗った。


「軍人の給料で、こんな車が買えるもんなのか?」

「まさか。実家からせびった金で買ったのさ」

「絶縁されたんじゃなかったのか?」

「戦争から帰ってきたら、手のひらを反して英雄扱いさ。まあ、都合の良い貯金箱として使わしてもらっている」

「現金なもんだな。俺たちゃ何のために体を張って戦ったのやら」

「そうしたかったから、だろ?」


 杉が鼻で笑う。河上も小さく鼻を鳴らした。そうしたかったから、そうした。その通りだ。俺達は誰の為でも無い、自分のために戦ったんだ。自分がそうしたかったら、あの修羅場を選んだのだ。


「つい最近、体が鈍った事を実感したよ。もうあの頃みたいな無茶はできないな」

「銃弾すらも避けて通るとまで言われた『紅夜叉』が、鈍ったか」

「笑い話にもならねえな。返り血で赤く染まった鬼なんて大層な異名をぶら下げていたが、その血もすっかり錆びついて黒くなったようだ」

「錆びついた、ねえ」


 どこか嘲笑う様な言い方だった。


「なんだよ」

「いや、そのまま朽ちていくつもりかと思ってな。お前はそんな大人しい玉じゃねえだろう」

「馬鹿言え。戦争が終わって、いまさら夜叉の血なんて、腐らせておく以外にどうしろってんだ」

「さあな。ただお前は大人しく枯れていくのを良しとできるような奴じゃない」

「知った風な口を」

「知ってるさ。元上官だぜ」

「お前が知ってるのは、五年前までの俺だろう」

「確かに。だが人間の根っこのところはそう簡単に変わるもんじゃないと思うがな。それと」

「それと?」

「俺の中ではまだ戦争は終わっていない」

「まだあんなものを引きずってるのか、てめえは」

「薄情な奴だな。お前は仲間の声を忘れたのか? ほとんどの奴は今も、荒野に屍を(さら)している」

「そうだな」


 忘れられるものではない。それでも忘れなければやっていけないだろう。


「自分で選んだ道とは言え、命がけで戦った連中に、誰も何も報いてはくれねえ。ただの戦争好きじゃねえ、誰かが戦う事が必要とされたから選んだのに、だ」

「そのくらいにしておけ」

「俺はな、耳の奥に死んでいった奴らの声がチラついて、夜も眠れねえ」

「耳鼻科に行きやがれ」


 投げやりに言ったが、杉は面白い冗談でも聞いた様に、低く笑った。


「ここで良い」


 葛城の話を聞いて、湾来(わんらい)まで送ってもらった頃には、夜明け前になっていた。


「てめえのホテルまで、まだあると思ったが?」

「寄る所がある。世話になったな」


 車を降りた。夜明け前の空気が清澄だ。


「河上」


 歩き始めた背中で、杉の声を受ける。


「本当は、お前の中の『紅夜叉』は、もう目覚めているんじゃないのか?」


 足を止めた。背後で車を出す音がする。目覚めただと、まるで今までの俺が眠っていた様じゃないか。

 郊外の墓地に入った。時間が時間なだけに、人の姿は無かった。だが墓場特有の、薄気味の悪い感じもしない。

 一つの墓の前に立った。最低限の管理はされているという感じの、寂れた墓石だ。手入れをしているのは、墓地の管理組合だろう。

 今日俺は、女を守れる男になったぜ、(かおる)。文字の崩れかけた墓石に、そう語りかけた。

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