子供は子供
慶長八年。
大坂城・西の丸。
「上様。」
家康が顔を上げると、茶々が真剣な表情で座っていた。
「秀頼様と千姫様の婚儀について、お話がございます。」
「はい。」
家康は静かに頷く。
豊臣家と徳川家。
この縁組は両家にとっても重要なものだった。
だからこそ、早いうちに婚礼だけでも済ませておきたい。
そう考える者は少なくない。
だが──。
「いや、早い。」
茶々は即答した。
「……はい?」
家康は思わず聞き返す。
「千姫はまだ七歳です。」
「はい。」
「秀頼も十歳。」
「はい。」
「早すぎます。」
「……。」
家康は腕を組んだ。
「しかし、諸大名への示威という意味では──」
「子供は子供。」
茶々は静かに言う。
「豊臣家の権威より、この子らの方が大事です。」
その言葉に、家康は返す言葉を失った。
「せめて、姫が十五、六になってから。」
茶々は深く頭を下げる。
「お願いします。」
家康はゆっくり頷いた。
「……秀忠とも相談いたしましょう。」
その頃、江戸城。
「殿。」
秀忠が顔を上げる。
「お江。」
お江は静かに座ると、小さく頭を下げた。
「お願いがございます。」
「何じゃ。」
「千を……。」
「うむ。」
「もう少しだけ、私の側へ置いてください。」
秀忠は少し驚く。
「大坂へは行かせぬ、と?」
「いいえ。」
お江は首を横へ振った。
「いずれは参ります。」
少しだけ目を伏せる。
「でも……まだ七歳です。」
秀忠は黙って妻を見つめる。
「大坂の姉上も、早いと仰っておいでと聞きました。」
黙っていた秀忠は、やがて口を開く。
「父上に、文を送る。」
そして、数週間後。
江戸の秀忠から届いた文を読み終え、家康は腕を組む。
「……やはり。」
少し考えた後、小さく頷く。
「早いの。」
一拍。
「淀の方が伯母とはいえ、千はまだ七歳。」
側に控えている正信も頷く。
「秀頼様も十歳にございまする。」
「うむ。」
家康は静かに笑った。
「祖父としても……もう少し親元に置いた方がよかろうて。」
正信は静かに頭を下げた。
「婚儀は十五になるまで待とう。」
こうして、婚礼は延期となった。
◇◇◇
それから二年後の慶長十年。
家康は将軍宣下を受けた秀忠へ将軍職を譲った。
「後は任せる。」
「はっ。」
自らは大御所となり、政務を支える立場へ移る。
……そして、その翌日。
「上様ぁぁぁぁ!!」
廊下の向こうから毛利輝元が、秀忠目掛けて泣きながら走って来た。
「上様ぁぁぁぁ!!どうかお助けをぉぉぉぉーーー!!」
「……え?」
「もう無理ですぅぅぅぅーーー!!」
「あ、あの!毛利殿!落ち着かれよ!」
泣き止まない輝元をそのまま引き摺り、秀忠は家康の元へと向かった。
「父上ぇ!」
家康が顔を上げると、秀忠に抱き付き引き摺られている輝元。涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃだ。
秀忠は疲れ切った顔をしており、その後ろに控える本多正純は困惑していた。
(まだ悩んでおったか……。)
家康はそっと天を仰いだ。
数刻後……
輝元をどうにか落ち着かせた家康は、茶を一口含んだ。
「跡目か?」
秀忠に鼻を噛んでもらった輝元はコクリと頷く。(おっさん、何やってんねん……。)
「跡目もです。」
「……も?」
秀忠は顔を上げる。
「……領地も。広すぎます。」
「知っておる。」
「中国八カ国もあります。」
「確かに、広いですな。」
正信は静かに目を閉じる。
「分配したいが、誰を何処にやれば良いのか、もう分かりませぬ。」
輝元は、秀忠から差し出された手拭いを受け取り、涙を拭う。
家康は静かに茶を啜る。
「正信。」
「はい。」
「地図。」
「はっ。」
こうして始まった『毛利どうする会議』
輝元が六、七年悩みまくった問題は、僅か半日で終わった。
◇◇◇
それから、数週間。
「大御所様。」
「む?」
正信が真顔だった。
「また問題が。」
「今度は何じゃ。」
「平和すぎます。」
「……。」
家康は嫌な予感がした。
「若い武士たちに働き口がございませぬ。」
「……。」
「戦が無いので。」
「……。」
「武功を立てる場も。」
「……。」
「ございませぬ。」
長い沈黙後、家康はぽつりと呟いた。
「それは……困るの。」
「はい。」
「小西殿を呼べ。」
「はっ。」
数刻後。
「お呼びでしょうか〜。」
小西行長が現れた。
「南蛮との交易は。」
「順調ですよ〜。……して、如何様に?」
家康は咳払いをし、武士たちの働き口について相談した。
行長は「ふむ……。」と小さく呟き、やがて顔を上げる。
「海外では、傭兵の需要がございまする。」
家康と正信は顔を見合わせる。
「……。」
「……。」
行長は首を傾げた。
「どうされました?」
家康がゆっくり口を開く。
「正信。」
「はい。」
「働きたい者は。」
「はい。」
「海外で働けば良いのではないか?」
正信は一拍考えた。
「……それです。」
行長も頷く。
「その方が皆さん幸せですよ〜。」
こうして、江戸幕府は本格的に傭兵事業へ乗り出すことになった。
その頃、佐和山城。
「父上ー!」
「何やー!」
重家が文を持って駆けて来る。
「徳川様、外国へ兵を送るらしいで!」
三成は薬草を干しながら頷く。
「ほう。」
「驚かへんの?」
「働き口が出来て良かったやん。」
「……終わり?」
「終わりや。」
その時、ガサガサ……と、畑の奥から聞き慣れた音がして、三成の目が細くなる。
「……おるな。」
「ん?」
「猪や。」
槍を掴む。
「父上。」
「何や。」
「天下、平和やな。」
三成は少しだけ笑った。
「せやな。」
そう言って、今日もまた猪を追い掛けて行った。




