狸親父だって、人の親
三成到着の知らせを受け、家康は立ち上がる。
「どこに?」
「奥のお部屋へ。」
「では、参ろうかの……。」
家康は小姓の案内で、三成が滞在する部屋へと足を運んだ。
「徳川内府様がお見えにございまする。」
三成はゆっくりと首を垂れた。
家康は三成の前に腰を下ろし、声を掛ける。
「……治部殿、面を上げよ。」
「……はっ。」
その声は酷く疲れていた。
三成が顔を上げると、家康は眉間に皺を寄せた。
(これは……。)
目の前に座る三成は、疲労と失望が入り混じった、酷く疲れた顔をしていた。
家康は腕を組んで、三成をじっと見る。
(酷い有様じゃ……。疲れておるな。まさか、ここまでとは……。)
誰の目から見ても分かるほど、三成は疲れ切っていた。
長い沈黙の後、三成はポツリと小さくこぼした。
「……疲れた。」
家康は目を細める。
「大事にならずに、良かった。」
計算なのか、それとも一人の武人としてなのか、はたまた父親としての情なのか……。
それは、家康自身にも分からないが、静かにそう呟いた。
三成は、はぁーっと重い溜め息を吐き……愚痴り始めた。
「俺も言い過ぎたから……少しは歩み寄ろうかなって……。
俺が頭下げて、それで収まるんなら安いもんか思うてたのに。」
家康は黙って三成の言い分を聞く。
「福島は……市松はアホやから、酒チラつかせたらホイホイ来るやろうな思うて、伏見の酒蔵に手配しようと思うて……。
細川幽斎様のツテ頼ろう思うて……。幽斎様もお力添え下さったのに……。」
家康は僅かに眉を上げた。
普段の三成は、どんな場面でも武家口調を崩さない。
それが今は……近江訛り全開だ。
もう取り繕うのも、面倒になっているのだろう。
「松寿……黒田長政は面と向かって行っても俺の話なんて聞いてくれんやろうから思うて……。
お父上の官兵衛様に間入ってもらおう思うて、俺なりに手筈整えてたのに……。」
三成は天井を見上げる。
その頬から、一筋の涙が落ちたのだが、家康はそれを見ていないことにした。
「……そう思ってた矢先にこれかいな。」
三成の声から、失望の色が滲み出ていた。
「……もう知らん。あのアホども、勝手にしたらええわ。」
三成はガクリと首を落とした。
(よほど、失望が大きいようじゃ。
成る程……加賀殿、これは随分と厄介なモノを置いていきよったわ。)
家康は小さく息を吐く。
「……治部殿。呑むか?」
家康は静かにそう聞いてみると、三成はゆっくりと顔を上げた。
「……よろしいので?」
目を真っ赤にしたまま、家康を見つめる。
その目には、疲労と失望が滲んでいた。
「まぁ、愚痴ぐらいは……。」
「呑まな、やってられへん……。」
家康は控えていた侍女に命じ、酒と肴を用意させた。
少ししてから二人の侍女が酒と膳を持って来て、それぞれの前に置く。
侍女が酒器を持とうとしたので、家康が制した。
「今宵は儂がやる。其方らは控えの間へ。」
「「はい。」」
侍女たちは一礼して、控えの間に下がって行った。
「……ほれ、呑め。」
「はっ。」
二人で呑み交わしてからも、三成の愚痴は止まらない。
「正則は阿呆です。どうしようもない阿呆です。」
「うむ。」
家康は静かに酒を注いでやる。
「やけど、領地における統治は本物なんですよ。」
「分かるぞ。」
「治水工事に力注いで……百姓らの事を誰よりも考えてます。」
「よう見ておるな。」
「目ぇ離した瞬間、勝手しよるんで。
……後の処理、全部こっちやっちゅうねん。」
三成は、一気に酒をあおる。
「清正は馬鹿。でも、城造らせたら天下一です。」
「うむ。」
「嘉明は水軍衆として、よう纏めとるし。
長政も……流石は官兵衛様の息子やなって思うし……。」
三成の顔が赤い。酔っているようだ。
そりゃ、命のやり取りをした後だ、酔わないとやってられないだろう。
それから、三成は前田利家に『人に頼れ』と言われた事を家康に話した。
家康の脳裏に、在りし日の利家の姿が浮かぶ。
(加賀殿は、最期まで……。)
家康の口から自然と言葉が溢れた。
「……治部殿。実はな……。儂も利家公の見舞いに訪れた際、利家公から頼まれた。」
三成はゆっくりと顔を上げる。
「豊臣の息子どもは、声の大きい馬鹿ばっかだと。
だから、喧嘩になった際は間に立ってやってほしい。
止める大人があの馬鹿どもには必要だと。」
少し間を空けて、続ける。
「もし、三成が頼ってきたら……その時は少しだけでも良いので、手を貸してやってくれと……。」
三成の目からパタリと涙が落ちた。
「利家公は、最期まで其方らを案じておったぞ。」
「そうですか……。はぁ……叔父貴がここまで気ぃ使ってくれたのに。
叔父貴に会わす顔あらへんわ。」
ガックリと肩を落とす三成を見て、家康は心の中で大きな溜め息を吐く。
(若い頃の儂を見ているようじゃ……。)
幼い頃より、家の為にと織田の人質、今川の人質として過ごした。
今川義元が討たれた後、直ぐに岡崎へ帰還した。
その後も、駿河に残して来た妻子の救出、三河一向一揆に平定、織田との同盟、正室の築山殿と嫡男信康の武田内通疑惑……。
若い頃の家康は、少しも気が抜けない状態だった。
家の為、家臣の為、領民の為……。
眠れない夜が続いた事もあった。
目の前に居る三成が、若い頃の自分と重なる。
そう思うと、この親子ほど歳の離れた目の前の男が不憫でならなかった。
「……なぁ、治部殿。少し休んだらどうじゃ?
此度の件は……儂の方でなんとかしよう。」
三成は少し考え、「……せやな。」と小さく呟いて、顔を上げる。
「もう知らんわ。なんで全部俺やねん。
アイツら俺のことあちこちであーだこーだ言うて回ってるけど……。
その後ろで俺がどんだけ頭下げてきた思うてんねん。」
三成、止まらない。
「豊臣家とか、天下とか……もう知らん!
そんなに俺が邪魔なら、お望み通り退いたるがな!
あとはやりたい奴がやったらええねん!」
家康、ポカンとするが直ぐに気を取り直す。
「なれど……北政所様と淀の方の耳には入れておいた方が良かろうな。」
「明日、文を出します。」
そして、翌日。
二日酔いで痛む頭を抑えながら、三成は寧々と茶々への手紙をしたためていた。
その様子をそっと覗き見していた家康と正信は顔を見合わせる。
「二日酔いですね。」
「二日酔いじゃ。後で五苓散を持って行ってやれ。」
「はっ。」




