表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冬の底で君を呼ぶ  作者: 最後に残った形


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

90/99

第6章 第3話:最後の準備


 朝は、静かなまま冷えていた。


 仮殿の板戸の向こうで、雪を踏む音が遠く鳴る。囲炉裏の火は細く残り、その赤さだけがこの場所を人の側へ引き留めていた。

 千歳は囲炉裏の前に座ったまま、灰の中の小さな火を見ていた。


 次で終わる。

 綾人はそう言った。

 たぶん本当に、その段階まで来ている。

 流し路と核の噛み合いは崩した。

 冬真の中の道も少し薄くなった。

 でも、意味の核は残った。

 だから次は、その“残したかったもの”を抱えたまま終わらせるしかない。


 それがどれだけ危ういことかも、もう十分わかっていた。


「……千歳」


 低い声に顔を上げる。

 冬真が壁際からこちらを見ていた。

 顔色は相変わらず良くない。

 でも、その目はちゃんとここを見ている。


「何」

「考えすぎ」

「そっちも」

 返すと、冬真は少しだけ目を細めた。

「俺は元からだ」

「便利な逃げ方」

「知ってる」

 そのやり取りに、ほんの少しだけいつもの温度が戻る。

 それだけで、胸の奥の硬さが少しゆるむ。


「冬真」

「何だ」

「今どこ」

 冬真は小さく息を吐く。

「……仮殿」

「わたしは」

「秋月千歳」

「綾人さんは」

「月代綾人」

「うん」

「満足か」

「まだ」

「だろうな」

 その返しが、少しだけ遠い。

 でも意味は届く。

 今はそれでいい。


     ◆


 綾人は朝から、仮殿の中央で札を並べていた。


 流し路用。

 核固定用。

 外周の封じ。

 そして、人を人の側へ留めるための細い札。

 今までと同じようでいて、置き方が少し違う。

 ひとつひとつの距離が狭い。

 重ねも深い。

 最終突入のための配置なのだと、見ればわかった。


「今日やるのは、最後の確認だ」

 綾人が低く言う。

「祓殿へ入る前の、か」

 冬真が問う。

「そうだ」

 綾人は頷く。

「固定の順」

「……」

「声の重ね方」

「……」

「お前たちがどこで崩れやすいか」

 千歳は膝の上で手を握り直す。

 最後の準備。

 それはつまり、もう逃げ場のないところまで来たということだ。


「千歳」

 綾人が呼ぶ。

「何」

「次の最深部では、お前の“戻し”はこれまでと少し違う」

「……」

「名前や位置確認だけでなく」

「……」

「意味の核へ届く呼び方を維持し続けろ」

 千歳は小さく頷く。

 言葉としてはわかる。

 でも、それを本当にやるとなると簡単ではない。

 名前だけではなく、その人との関係の深さそのものへ声を届かせる。

 そんなことが本当にできるのか、不安がないわけではない。


「不安そうだな」

 冬真が低く言う。


「不安だよ」

 千歳は正直に返した。

「むしろ何で平気そうなの」

「平気じゃない」

「そう見える」

「見えるようにしてる」

 あっさり返ってきた答えに、千歳は少しだけ言葉を失う。

 そうか。

 この人はまだ、そうやって見せ方で持ちこたえようとするのだ。


「それ」

 千歳は低く言う。

「次はなし」

 冬真が目を細める。

「何が」

「平気そうにするやつ」

「今さらだろ」

「今さらだから」

 一拍置く。

「もう一人で守る顔しないで」

 その言葉に、冬真の表情がほんの少しだけ止まる。

 綾人は何も言わない。

 止めないのは、それが必要な会話だとわかっているからだろう。


「……難しいこと言うな」

 やがて冬真が低く言う。

「今さらだよ」

 千歳が返すと、冬真は小さく息を吐いた。


     ◆


 午前のうち、綾人は実際の流れを仮殿の中で何度も確認させた。


 戸口からの圧が来たと想定する。

 冬真が視線を遠くへやる。

 千歳は少しずれた位置から呼ぶ。

 綾人は札を切り、外周の固定を重ねる。

 そのたびに言葉の順番を変えず、温度を変えすぎず、日常の雑音を混ぜる。


「今どこ」

「仮殿」

「わたしは」

「秋月千歳」

「綾人さんは」

「月代綾人」

「しつこい?」

「しつこい」

「面倒?」

「面倒」

「知ってる?」

「知ってる」


 何度も繰り返す。

 口にしている内容だけ見れば、どうでもいい。

 でも、どうでもいいから強いのだと今はわかる。

 感情を剥き出しにしすぎると、怪異に意味を食われる。

 だからこそ、暮らしの温度を持った雑音が必要になる。


「千歳」

 綾人が言う。

「はい」

「次の最深部では、ここにさらに一つ足す」

「一つ」

「そうだ」

 綾人は囲炉裏の灰を指でなぞった。

「“戻ってきたあとの現実”を先に置け」

 千歳は眉を寄せる。

「戻ってきたあと」

「たとえば」

 綾人は続ける。

「終わったら何を言うか」

「……」

「終わったら何をするか」

「……」

「それを、まだ終わる前に差し出す」

 千歳は少しだけ息を呑む。

 それはたぶん、ただ現実を確認するより深い。

 帰る場所そのものを先に差し出すやり方だ。


「効くの」

 問うと、綾人は短く答えた。

「効く可能性が高い」

「絶対じゃない」

「当然だ」

 容赦のない返答。

 でも、今はそれでいい。

 絶対だと言われる方が嘘になる。


「冬真」

 綾人が呼ぶ。

「何だ」

「お前もやれ」

「何を」

「戻る前提で思考を保て」

 冬真が小さく顔をしかめる。

「面倒だな」

「面倒な方を選べ」

「雑な指示」

「正しい指示だ」

 綾人は即答した。


     ◆


 昼過ぎ、少し休憩を挟んだあと、千歳は仮殿の裏手へ出た。


 雪はまだ残っている。

 踏み固められた白のあいだから、黒い地面が少し見える。季節はまだ冬の中にあるのに、どこかでわずかに終わりの匂いもした。

 寒い。

 でも、床下の湿った冷えとは違う。

 ただの冬の寒さだ。


「ここにいたか」

 綾人の声。

 振り向くと、綾人が外套を着たまま立っていた。


「少しだけ、息抜き」

 千歳が言うと、綾人は頷いた。

「必要だ」

「珍しい」

「お前が直前で硬くなると面倒だからな」

「結局そこも面倒なんだ」

「大抵のことはそうだ」

 平然と返されて、千歳は少しだけ肩の力を抜く。


「綾人さん」

「何だ」

「次」

 一拍置く。

「本当に終わると思いますか」

 綾人は少しだけ視線を遠くへやった。

 すぐには答えない。

 やがて、低く言う。


「終わらせる」

 千歳はその言葉を静かに受け取る。

「思う、じゃなくて」

「ここまで来て、思うで動く気はない」

 綾人は続ける。

「流し路も、核も、構造も、もう先送りはさせん」

「……」

「ただし」

 一拍置いて、

「何も失わずに済むとは言わん」

 その現実は痛い。

 でも、もう聞ける。

 痛いままでも、目を逸らさずに聞けるところまで、自分も来たのだと思った。


「千歳」

 綾人が低く呼ぶ。

「何」

「お前が次で崩れるとしたら」

「……」

「怖さより、欲だ」

 千歳は少しだけ眉を寄せる。

「欲」

「全部残したいという欲」

 図星だった。

 その言葉に反論できない。


「それは悪いことじゃない」

 綾人は続ける。

「だが」

「……」

「全部守るために一線を越えるな」

「……」

「最終局面では、どこかで止まる判断も必要になる」

 千歳はゆっくり頷く。

 難しい。

 でも、本当に必要な言葉だった。


     ◆


 夕方が近づくころ、仮殿の中で最後の確認が行われた。


「次」

 綾人が静かに言う。

「最深部で、冬真がまた自分を切る方へ寄る可能性が高い」

 千歳はすぐに冬真を見る。

 冬真は露骨に嫌そうな顔をした。


「またその話か」

「必要だからだ」

 綾人は返す。

「お前の癖は最後まで残る」

「……」

「だから先に潰しておく」

 冬真は何も言わない。

 否定できないのだろう。


「冬真」

 千歳が低く呼ぶ。


「何だ」

「次」

 一拍置く。

「本当に、一人で決めないで」

 冬真は少しだけ目を細める。

「それ、今日何回目だ」

「何回でも言う」

「面倒」

「知ってる」

「……」

「わたしも一緒に決める」

 その言葉に、冬真は一瞬だけ言葉を失ったように黙った。

 それから、ひどく小さく息を吐く。


「……わかった」

 千歳は目を瞬く。

「え」

「一応」

「一応って何」

「全部は無理でも」

 一拍置いて、

「勝手には決めないようにする」

 その返答は完璧ではない。

 でも、この人にしては十分すぎるくらい大きかった。


「善処よりまし」

 千歳が言うと、冬真の口元が少しだけ動く。

「厳しいな」

「当然」

「知ってる」

 その応酬を、綾人は何も言わずに聞いていた。

 けれど、最後に小さく頷く。

「それでいい」

 その一言が、今は何より重かった。


     ◆


 夜、仮殿の火が少しだけ落ち着いたころ、千歳は布団に入る前にもう一度だけ冬真を見た。


 顔色は悪い。

 疲れている。

 でも、ここにいる。

 今はまだ、そのことを確かめられる。


「冬真」

 小さく呼ぶ。


 少し遅れて視線が向く。

「何だ」

「今どこ」

 冬真はほんの少しだけ呆れた顔をした。

「仮殿」

「わたしは」

「秋月千歳」

「うん」

「しつこい」

「知ってる」

「……面倒」

「知ってる」

 そこまで返ってきて、千歳はようやく小さく息を吐いた。


 次で終わる。

 終わらせる。

 そのための最後の準備は、もう整いつつあった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ