第3章 第21話:通り道の奥にあるもの
次の夜は、前の二晩よりも静かだった。
その静けさが、かえって不穏だった。
呼びが来ないのではない。
来る前に、こちらを測っている。
そんなふうにしか思えない静けさだった。
仮殿の囲炉裏を挟んで、千歳は札の置き位置をもう一度目でなぞる。
外周。
戸口。
囲炉裏の左右。
冬真の背後。
綾人が切った固定の札は、昨日より少し枚数が増えていた。
「増えたね」
千歳が言う。
綾人は床の線を見たまま答える。
「向こうも学ぶ」
「こっちもってこと?」
「そうだ」
短い返答。
でもその中に、今の状況がそのまま入っていた。
冬真は仮殿の壁へ背を預けたまま、静かに目を閉じている。
眠っているわけではない。
この数日で、千歳にもその違いはわかるようになっていた。
「冬真」
呼ぶと、少し遅れて目が開く。
「何だ」
「今どこ」
冬真は少しだけ眉を寄せた。
「定型になってきたな」
「いいから」
「……仮殿」
「わたしは」
「秋月千歳」
一拍置いて、
「しつこい」
そこまで返ってきて、千歳は少しだけ息を吐く。
大丈夫。
まだ今は、こっちにいる。
「今夜」
綾人が低く言う。
「もし来ても、昨日までと同じ押し返しだけで終わらせるな」
千歳が顔を向ける。
「どういうこと」
「通り道の手触りを、もっと掴む」
冬真が目を細めた。
「嫌な言い方だな」
「本音だ」
綾人は淡々と返す。
「押し返せるだけでは足りない。次の章では、もっと深く踏み込む必要がある」
千歳の胸がわずかに鳴る。
次の章。
つまり綾人も、もう第3章の終わりを見据えているのだ。
「通り道って」
千歳が静かに言う。
「向こうから来るだけじゃなくて、こっちからも少し見えるんだよね」
冬真の表情がほんの少しだけ止まる。
「……そうだ」
「だったら」
一拍置く。
「今夜、もし浅くでも来たら、どこへ繋がってるのか、少しでも見たい」
冬真がすぐに顔をしかめる。
「やめろ」
「何で」
「危ないからだ」
「それは知ってる」
「知ってて言うな」
冬真の声は少し強かった。
千歳はその強さを真正面から受ける。
「でも」
千歳は引かなかった。
「押し返すだけじゃ、ずっと同じことの繰り返しになる」
「……」
「次の章で通り道そのものに触るなら」
一拍置く。
「その前に、何があるのか知らないと」
冬真は答えない。
けれど、その沈黙はもう一方的な拒絶ではなかった。
嫌だ。
でも、正しいことを言われている。
そういう顔だった。
綾人が低く言う。
「千歳の言う通りだ」
冬真がそちらを見る。
「お前まで」
「次へ進むなら、観測は要る」
綾人は続ける。
「ただし深入りはさせない。覗くのは冬真経由ではなく、冬真が見た断片をこちらで拾う形だ」
千歳は息を呑む。
「できるの?」
「短時間なら」
綾人は頷く。
「深く来たときは無理だ。だが浅い揺れなら」
つまり今夜は、押し返すだけでなく、次への地図を取る夜になる。
そう理解した瞬間、千歳の胸は怖さと緊張でさらに重くなった。
◆
最初の揺れは、夜半前に来た。
からん。
鈴が一度だけ鳴る。
前の夜より遠い。
だが探るような鳴り方ではない。こちらの構えを知った上で、慎重に触れてくる響き方だった。
「来た」
冬真が低く言う。
千歳はすぐに位置へ入る。
綾人も戸口の札へ手をかける。
「浅い」
綾人が低く告げる。
「千歳、押し返しながら様子を見ろ」
「冬真」
千歳が呼ぶ。
「今どこ」
「仮殿」
「夜」
「夜」
「囲炉裏」
「ある」
返答はまだ早い。
からん。
もう一度、鈴。
今度は少しだけ低く鳴る。
「……冷たい」
冬真が掠れた声で言う。
「どこが」
「足元」
千歳の胸がひやりとする。
井戸ではない。
もっと別の場所だ。
「何が見える」
綾人が低く問う。
冬真の呼吸が少しだけ浅くなる。
「石」
「どこの」
「……階段?」
一拍置いて、
「違う」
また鈴。
からん。
今度は少し近い。
「冬真」
千歳がすぐに声を重ねる。
「今日、昼に何食べた」
冬真の目が少し揺れる。
「……味噌汁」
「具は」
「お前」
「何」
「そういうとこ、妙に細かい」
「必要だから」
そこに、かすかにいつもの温度が戻る。
綾人がその隙に札を一枚切った。
「続けろ」
「うん」
「階段じゃないなら、何」
千歳が問うと、冬真は少しだけ目を伏せた。
「……下りじゃない」
「上り?」
「横」
「横?」
綾人がはっとした顔になる。
「祓殿の床下か」
低い声。
冬真の肩がわずかに揺れる。
「……近い」
千歳は息を呑む。
祓殿の床下。
返し守を取りに行った本殿床下とは別に、まだ“横へ抜ける”古い通路があるのかもしれない。
「十分だ」
綾人が言う。
「切るぞ」
白い札が光る。
鈴が一度高く鳴り、それきり止んだ。
冬真が小さく息を吐く。
今夜の揺れは、昨夜までより浅かった。
だがその代わり、断片がひとつ拾えた。
「祓殿の床下」
千歳が小さく繰り返す。
「そこが通り道の一部かもしれない」
「全部じゃない」
綾人が言う。
「だが、口のひとつではあるだろう」
冬真は壁へ背を預けたまま目を閉じる。
「最悪だな」
「進展だ」
綾人が返す。
「お前の感想はいつも雑だ」
「そっちが前向きすぎる」
「今はそれでいい」
千歳は二人のやり取りを聞きながら、胸の奥で静かに理解する。
第4章は、きっとそこへ向かう。
祓殿の床下。
冬真の中へ繋がる通り道の口へ。
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