表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冬の底で君を呼ぶ  作者: 最後に残った形


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

49/99

第3章 第7話:雪の日の続き


 その夜、千歳はなかなか眠れなかった。


 仮殿の囲炉裏は弱く熾っている。

 外では風もないのに、ときどき板壁の向こうで雪が小さく崩れる音がした。怪異の呼び声はない。鈴も鳴らない。

 それでも眠れないのは、静かすぎるからだった。


 静けさの中では、昼間に教わったことばかり頭に浮かぶ。


 残滓と呼び声の違い。

 冬真の記憶の継ぎ目が緩むこと。

 そして、自分の名前だけが強く残るかもしれないこと。


 嬉しいはずがない。

 それはたぶん、救いの形をした別の痛みだ。


 布団へ入っても、意識だけが落ち着かない。

 少し離れた場所では、冬真の呼吸が浅く上下している。眠っているのか、眠れていないのか、今の千歳にはもう判別がつかなかった。


「……寝ろ」


 不意に、暗がりの向こうから低い声がした。

 千歳は目を開ける。

「起きてたの」

「お前が寝てないの、気配でわかる」

「便利」

「うるさい」


 いつもみたいな返しだった。

 でも声は少し掠れている。


「冬真」

 千歳は暗がりの天井を見たまま言う。

「昼の話」

「何だ」

「雪の日の続き、まだあるよね」


 少しだけ、沈黙が落ちた。

 その沈黙が、もう答えみたいなものだった。


「……何でそう思う」

 やがて冬真が問う。


「断片」

 千歳は正直に言う。

「まだ途中だから」

 一拍置く。

「それに、あれが最初でも、あれだけで終わる感じじゃなかった」


 冬真はすぐには答えなかった。

 暗がりの中で、布団がわずかに擦れる音がする。

 たぶん、横を向いたのだろう。


「今じゃない方がいい」

 低い声。

「どうして」

「夜だから」

「それだけ?」

「……」

「また隠す」

 千歳が言うと、暗がりの向こうで冬真が小さく息を吐いた。


「全部じゃない」

 掠れた声。

「でも、今の時間に掘ると、ろくなことにならない気がする」

 その言い方は、いつもの誤魔化しだけではない気もした。

 本当に夜に近づけたくない記憶なのだろう。

 千歳はしばらく黙ったあと、小さく頷いた。


「……じゃあ、明日」

「ああ」

「約束」

「増やすな」

「増やすよ」

「面倒だな」

「知ってる」


 そのやり取りのあと、二人はしばらく何も言わなかった。

 眠れたのかはわからない。

 ただ、朝が来るまでの時間が妙に長かった。


     ◆


 翌朝、空は薄く晴れていた。


 仮殿の外の雪がやけに眩しい。

 冬の朝特有の、光だけが白く鋭い日だった。

 綾人は朝のうちから社へ行っていて、仮殿には千歳と冬真だけが残っている。


 囲炉裏の火に薬缶をかけながら、千歳はずっと落ち着かなかった。

 約束したからだ。

 明日、続きを話すと。


 冬真は壁際に座り、膝を立てて外を見ていた。

 昨日より顔色は少しだけましだ。けれど、その“少しだけ”を頼って安心する気にはなれない。


「……聞く」

 千歳が静かに言う。


 冬真は少しだけ目を向けた。

「何を」

「昨日の続き」

 一拍置く。

「雪の日のあと」


 冬真はすぐには返事をしなかった。

 湯気だけが二人のあいだで白く揺れる。

 やがて、深く息を吐く。


「お前」

「何」

「こういうところ、昔から変わらないな」

「どこが」

「一回気になると止まらない」

 千歳は少しだけ眉を寄せた。

「そっちに言われたくない」

「知ってる」


 そう言って、冬真はようやく視線を外から戻した。

 諦めた顔ではない。

 どこまでなら話せるか、また線を引き直す顔だ。


「雪の日のあと」

 冬真が低く言う。

「すぐ全部が変わったわけじゃない」

 千歳は黙って聞く。

「最初は、本当に“少しずつ”だった」

「……」

「熱を出す夜が減ったり」

「うん」

「逆に、俺の方が寝込んだり」

 千歳の胸が痛む。

 何でもない顔で言うな、と思う。

 でも遮らない。


「最初の頃は」

 冬真は続ける。

「先代も、完全に成功してるとは思ってなかった」

「成功」

「肩代わりが、どこまで保つかってこと」

 言葉が冷たい。

 でも、実際にそういう話だったのだろう。


「で、何度か」

 冬真は少しだけ目を伏せる。

「俺が呼ばれた」

 千歳の指先が強張る。

「あなたが?」

「ああ」

「どうして」

「千歳の方へ向いてた流れを、俺に割ったからだろ」

 当然みたいに言う。

 その言い方が苦しい。


「呼ばれたって」

 千歳は慎重に問う。

「どんなふうに」

「最初は夢」

 冬真が答える。

「井戸の底にいる感じとか」

 千歳の背筋がひやりとする。

「雪の中を、誰かの後ろ姿追ってる感じとか」

「……」

「起きると、足が泥だらけだったりした」


 千歳は息を呑む。

 それはもう、“少しずつ”で済ませていい話ではない。


「誰かに言った?」

 問いかけると、冬真は少しだけ口元を歪めた。

「言うと思うか」

「思わない」

「だろうな」

 その返しに、少しだけ腹が立つ。

 でも、本当にそうだったのだろうとも思う。


「先代だけは気づいてた」

 冬真は続ける。

「痣とか、札の減り方とかで」

「綾人さんは」

「もう少し後」

 千歳は小さく頷く。

 線が繋がり始めていた。

 先代が知っていて、途中から綾人も気づいて、でも自分だけは知らなかった時間。


「……何年くらい」

 やっとその問いを口にすると、冬真の表情が少しだけ止まる。


「何が」

「肩代わり」

 千歳は逃げずに言う。

「どれくらい続いてたの」


 冬真は答えなかった。

 沈黙が長い。

 長すぎて、それだけで大体の重さが伝わってしまう。


「冬真」

「……細かくは覚えてない」

 ようやく出た声は、少し低かった。

「全部を数えてたわけじゃない」

「でも」

「小さい頃からだ」

 一拍置く。

「それで足りるだろ」


 足りない。

 全然足りない。

 でも、その先を今無理に押せば、また閉じるとわかる。


 千歳は膝の上で手を握りしめた。

「足りない」

 それでも正直に言う。

「でも、今はここまでにする」

 冬真が少しだけ目を上げる。

「珍しいな」

「わたしだって学ぶ」

「何を」

「止め時」

 そう返すと、冬真の口元がほんの少しだけ緩んだ。


     ◆


 そのとき、不意に頭の奥で何かが鳴った。


 ぱき、と小さく。

 乾いた枝が折れるみたいな音。


「っ……」

 千歳は思わずこめかみを押さえる。


「千歳?」

 冬真の声が低くなる。

 大丈夫、と言おうとして、その前に視界が揺れた。


 白い。

 雪だ。


 見えているのは仮殿ではない。

 もっと昔の、神社の裏手。

 子どもの自分の目線。

 息が白い。

 足元は雪でぐしゃぐしゃだ。


 その向こうに、幼い冬真が立っている。

 今より小さい背中。細い肩。

 なのに、その前に立つ姿はやけにまっすぐだった。


 相手は先代神職だろうか。

 白い装束の裾が見える。

 そして、その奥の暗がりに、井戸の縁がある。


 ――本当にやるのか


 男の声。


 幼い冬真が答える。


 ――千歳の方が嫌だ


 短い。

 でも、はっきりしていた。


 次の瞬間、先代が札を一枚差し出す。

 幼い冬真がそれを取る。

 その手首には、すでに薄い黒ずみがあった。


 場面がぶれる。


 今度は別の夜。

 雪の廊下。

 幼い千歳が寝息を立てていて、その枕元に冬真が座っている。

 左腕を押さえている。

 苦しそうなのに、千歳の顔だけを見ている。


 ――今日は来なかった


 小さな声。

 それが冬真自身の声なのだと、後からわかる。


 場面がまた切り替わる。


 井戸の前。

 千歳が立っている。

 でも、その背中を引き戻す前に、冬真の方が先に一歩踏み込む。

 井戸の中から伸びた黒い気配が、冬真へ絡みつく。


 ――そっちじゃない


 泣きそうな子どもの声。

 それは千歳自身の声だった。


 そこで視界がぶつりと切れた。


     ◆


「千歳!」


 気づけば、冬真の声がすぐ近くにあった。

 肩を掴まれている。

 仮殿の囲炉裏の前。現実だ。

 息が浅い。

 こめかみが熱い。


「……見た」

 千歳は掠れた声で言う。


 冬真の顔色が変わる。

「何を」

「雪の日の、続き」

 呼吸を整えようとするが、うまくいかない。

「あなた、最初から……」

 喉が詰まる。

「最初から、ちゃんと自分で選んでた」


 冬真は何も言わない。

 でも、否定しない。

 その沈黙だけで十分だった。


「しかも」

 千歳は続ける。

「一回だけじゃない」

 胸の奥がぎゅっと縮む。

「何回もあった」

 冬真の指先が、肩の上でわずかに強張る。


「……どこまで見た」

 低い声。


「枕元」

 千歳は答える。

「わたしが寝てる横にいた」

「……」

「井戸の前も」

 一拍置く。

「先代に札、もらってた」


 冬真は目を閉じた。

 ほんの数秒。

 でもその数秒のあいだに、もう誤魔化せないと理解した顔だった。


「やっぱり」

 千歳の声が震える。

「最初から一人で抱えるつもりだったんだ」

「一人じゃない」

 冬真が低く言う。

「最初は先代がいた」

「でも、わたしには何も言わなかった」

「……」

「寝てる横で、何回も」

 そこで言葉が詰まる。

「何回も、そういうことしてたんでしょ」


 冬真は答えない。

 それが答えだった。


「……なんで」

 問いはもう何度目かわからない。

 でも、また同じところへ戻る。

「何でそこまで」


 冬真はゆっくり目を開けた。

 その目には、困ったような色と、諦めに近い色が混じっている。


「千歳」

 低い声。

「今さら、そこ聞くか」

「聞くよ」

 千歳は言った。

「だって、今見たの」

 喉の奥が熱い。

「小さい頃のあなた、全然迷ってなかった」


 その一言に、冬真は本当に少しだけ笑った。

 困るみたいに、でも否定できない笑いだった。


「……迷ってたら、間に合わないだろ」

 その答えが、胸を痛くする。

 正しい。

 でも、あまりにもこの人らしい。


「最低」

 思わず零すと、冬真は小さく息を吐いた。

「知ってる」


 千歳は笑えなかった。

 代わりに、胸の奥で何かが静かに固まっていくのを感じた。


 この人はずっとこうだった。

 目の前の自分を守るためなら、自分の先を削ることに躊躇がない。

 それが優しさだなんて、きれいに呼びたくなかった。

 でも、その不器用さごと知ってしまった以上、もう“守られるだけ”ではいられない。


「……冬真」

 静かに言う。


「何だ」

「今度は」

 一拍置く。

「わたしが、迷わない」


 冬真の目が少しだけ揺れた。

「何」

「あなたが勝手に抱える方に行こうとしたら」

 千歳はまっすぐ言う。

「今度はちゃんと止める」

「……」

「知らなかった頃みたいには、もう戻らないから」


 仮殿の空気が静かに張る。

 外はまだ白い。

 でも、物語の中では確かに何かが一段進んだ。


     ◆


 その少しあと、綾人が戻ってきた。


 戸を開けた綾人は、千歳と冬真の顔を見るなり、わずかに目を細める。

「何があった」

「記憶」

 千歳が先に答える。

「続きが戻った」


 綾人は一拍だけ黙ったあと、ゆっくり頷いた。

「そうか」

「先代もいた」

「……」

「最初から、何回もあった」

 綾人の視線が冬真へ向く。

 冬真は何も言わない。

 だから綾人も、それ以上は掘らなかった。

「なら、次はもっと深い層が来る」

 低い声。

「覚悟しておけ」


 その言葉は千歳へ向けられているようでいて、冬真にも向けられていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ