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冬の底で君を呼ぶ  作者: 最後に残った形


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第1章 第20話:三日後の前で、同じ方を見る


 村長たちが去ったあと、座敷にはしばらく誰も声を出せなかった。


 戸が閉まり、外の足音が遠ざかっても、部屋の空気は重いままだった。三日後、という具体的な日付が、もうそこに置かれてしまっている。


 志乃が最初に口を開いた。

「……本当に、三日後なの」


 その問いに答えたのは綾人だった。

「まだ最終の通達ではありません」

「でも、ほとんど決まりなんでしょう」

 志乃の声が震える。


 綾人はすぐには否定しなかった。

 その沈黙だけで十分だった。


 志乃は口元を押さえ、俯く。

 娘を守りたい母としての顔と、村の習いに逆らいきれない村人としての顔が、同時にそこにあるのが見えた。


 冬真はそれ以上見ていられず、視線を逸らす。

 千歳も同じだったらしい。小さく息を吐いて立ち上がる。


「ちょっと、外の空気吸ってきてもいい?」

 志乃が顔を上げる。

「一人じゃ――」

「庭先だけ」

 千歳はそう言って、冬真の方をちらりと見る。

「……見張り付きで」


 冬真は何も言わなかったが、その意図はわかった。

 話したいのだ。

 母の前でも、綾人の前でもなく、二人で。


 綾人が軽く顎を引く。

「庭から出るな」


 千歳は頷き、座敷を出た。

 冬真も遅れて立ち上がる。左腕はまだ鈍く痛んだが、さっきまでよりは動く。

 綾人が低く言った。

「無理はするな」

「するつもりはない」

「その顔で言うな」


 返さずに廊下へ出る。

 裏庭へ回ると、雪の上に薄い日が差していた。井戸の周囲だけ灰と札で囲われ、昨日までの庭とはまるで別物だ。

 千歳はその井戸から少し離れた柿の木の下に立っていた。


 冬真が近づくと、彼女は振り向いた。

「来ると思った」

「お前がああいう顔するときは、大体そうだろ」

「何それ」

「昔からだ」


 千歳が小さく目を見開く。

 それから、少しだけ口元を緩めた。

「覚えてるんだ」

「そりゃな」


 言ってから、少しだけ間が空く。

 こういうささいな会話ができること自体、つい数日前なら考えられなかった。


 けれど今は、その少しの温度すら、三日後という現実に押し潰されそうになる。


「三日後だって」

 千歳が先に言った。

「思ったより、短いね」


「ああ」

 冬真は短く答える。

「怖い?」

「……怖い」


 素直な返答だった。

 冬真は少しだけ安堵する。怖いと言えるなら、まだ“仕方ない”に飲まれてはいない。


「でも」

 千歳は続ける。

「昨日までとちょっと違う」

「何が」


 千歳は視線を雪へ落とした。

「昨日までは、ただ怖いだけだった」

 ゆっくり息を吸う。

「今は、怖いのと同じくらい、嫌だって思ってる」


 その言葉に、冬真は頷いた。

「それでいい」

「いいんだ」

「いい」

「村のためでも?」

「関係ない」

 即答すると、千歳は少しだけ苦く笑う。


「ほんとに、そこだけは迷わないね」

「迷ってほしいのか」

「ううん」

 千歳は首を横に振る。

「そこ迷われたら、たぶん今のわたし、立てない」


 その本音が、胸に静かに落ちる。


 冬真は柿の木の幹へ軽く背を預けた。

 千歳は二歩ほど離れたまま、でも昨日よりは近い距離にいる。


「……代わる手があるんでしょ」

 不意に千歳が言う。


 冬真は眉を寄せる。

「綾人さんと、さっき目が合ってた」

「よく見てるな」

「そういうとこは昔からだって、さっき言ったのそっちだよ」


 返されて、少しだけ言葉に詰まる。

 千歳は続けた。


「あるなら、知りたい」

「全部はまだ言えない」

「全部じゃなくていい」

 そこはブレない。

「でも、わたしが何も知らないまま三日過ごすの、もう無理」


 冬真は目を閉じる。

 たしかにそうだ。千歳はもう供物の儀を知った。自分が呼ばれていることも、冬真が何かを引き受けていたらしいことも知っている。

 その状態で“全部任せろ”は、もはや単なる排除でしかない。


「……契約を崩す方法を探してる」

 冬真はゆっくり言った。

「社の奥にあるものと、村の結びつきを切る」

「できるの?」

「簡単じゃない」

「代償がある」

 千歳は断定に近い口調で言った。


 冬真は沈黙する。

 それだけで答えになった。


「それって」

 千歳が低く問う。

「また、冬真が払うもの?」


 ここはまだ、言えない。

 最後の最後でバレる構造を守るなら、核心はここで曖昧に留めるべきだ。

 だが、完全否定もしない。

 千歳はもうそこまで鈍くない。


「……まだ決まってない」

 冬真はそう答えた。


 千歳はしばらくこちらを見ていた。

 信じていない。けれど今はそれ以上詰めても答えが出ないことは、わかっている顔だった。


「ねえ」

 少しして千歳が言う。

「わたし、何したらいい」


 冬真は目を上げる。


「守られてるだけ嫌だって意味じゃなくて」

 千歳は慌てて言い足す。

「邪魔しないために、じゃなくて……ちゃんと同じ方見たい」


 その言葉が、不意に胸の奥へ深く入ってくる。

 同じ方を見る。

 それは、これまでの千歳なら選ばなかった言い方だ。

 自分を後ろへ下げるのでも、横へ退くのでもなく、“同じ方”と言った。


 成長だと思う。

 同時に、やはり危ういとも思う。

 この先もっと大きな真実を知ったとき、その姿勢がそのまま自己犠牲へ傾く可能性はまだ残っているからだ。


「今は」

 冬真は慎重に言葉を選ぶ。

「夜を一人で過ごさない。呼び声に応じない。何かあったら隠さない」

「それだけ?」

「それが一番難しい」

「……たしかに」


 千歳が苦く笑う。


「あと」

 冬真は続ける。

「自分がいなくなればいい、みたいな考え方をするな」


 千歳の表情が止まる。

 図星だった。


「してない、と言いたいけど」

 千歳は小さく言う。

「昨日、一瞬だけ、した」

「知ってる」


 その一言に、彼女が目を見開く。


「だから」

 冬真は低く続ける。

「もうするな」

「そんな簡単に」

「簡単じゃなくていい」

 一拍置く。

「でも、やめろ」


 その言い方が命令に近いと、自分でもわかっている。

 けれど他に言い方が見つからない。


 千歳は少しだけ黙ってから、ゆっくり頷いた。

「……努力する」

「善処じゃなくて?」

「努力」

「微妙だな」

「十分でしょ」


 少しだけ、二人とも息を抜く。


 その直後、井戸の方で、からん、と鈴の音がした。


 二人の空気が一瞬で変わる。

 冬真が反射で千歳を庇うように半歩前へ出る。千歳も息を呑んだが、今度は無意識に前へ行こうとはしなかった。


 井戸の周囲に張られた札が、かすかに震えている。

 灰の輪の中に、黒い染みがじわじわと滲みかけて――しかし、そこで止まった。

 綾人の結界が効いているのだろう。


「……まだ昼なのに」

 千歳が呟く。


「近くなってる」

 冬真が低く言う。


 昨夜の件で、向こうはもう遠慮をやめたのだ。

 日が落ちてから、ではなくなりつつある。


 千歳が冬真の背を見て、小さく言った。

「じゃあ本当に、三日も待ってくれないんだね」


「待たせる気もないんだろ」

 吐き捨てるように返す。


「ねえ」

 千歳がもう一度呼ぶ。


「何」

「三日で、本当に何とかなるのかな」


 その問いに、冬真はすぐには答えられなかった。

 大丈夫だ、と言いたい。言うべきなのかもしれない。

 けれど今の自分には、それはただの空虚な励ましにしかならない。


「何とかする」

 結局出たのは、それだった。


 千歳は少しだけ目を細める。

「ずるい」

「便利だからな」

「そういう意味じゃない」


 その言い方に、冬真はようやく小さく息を吐く。


「……大丈夫とは言えない」

 正直に言う。

「でも、諦める気はない」

 千歳が黙って聞いている。

「お前も諦めるな」


 その言葉に、千歳はゆっくり頷いた。

「うん」


 第1章ラスト直前のこの回は、「儀まで三日」という時間制限の中で、千歳が“ただ守られるだけ”ではなく、同じ方を見る意志を持ち始める」地点に着地する。

 ただし、まだ真相の核心までは届かない。

 ここから章末では、さらにもう一段、次章への強い引きを作る必要がある。


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