第1章 第18話:決められていく日取り
昼過ぎ、村はあからさまにざわつき始めた。
雪雲は薄く切れ、日差しが出ているのに、空気の重さは朝より増している。井戸端でも、納屋の前でも、道端でも、話題はひとつだった。
千歳が仮殿に移されたこと。
家へ札が打たれたこと。
そして、いよいよ儀の準備が本格化するのではないかという噂。
冬真は家で休まされていた。
正確には、休めと何度も言われた末、母に部屋へ押し込まれていた。
だが寝ていられるはずもない。
障子の向こうを人の足音が何度も通る。
知り合いの声も、知らない村人の声も混じる。
みんなが同じように“それとなく”千歳の家の様子を探り、社の意向を知りたがっている。
この村では、誰かの人生がいつも共同体の話になる。
冬真は布団から起き上がり、机の端へ置いてあった水を飲んだ。
左腕は朝よりは少しだけましだが、完全には動かない。肩を回すと背中の痕まで鈍く痛む。
そこへ戸が開いた。
入ってきたのは綾人だった。
いつも以上に無駄のない顔をしている。
「休んでいたか」
「寝てたように見えるか」
「見えないな」
綾人は短く答え、そのまま部屋の中へ入る。
「村長たちと話してきた」
「で」
「最悪ではないが、良くもない」
いつも通りの物言いだった。
だがその“良くもない”の中身が嫌なものであることは、表情を見ればわかる。
「言え」
冬真が低く促す。
「儀の日取りを早めようという話が出ている」
その一言で、空気が張った。
冬真は机の端を強く握る。
「ふざけてる」
「同感だ」
「お前が同感でも状況は変わらない」
綾人は黙って頷いた。
「昨夜の異変を“供物が不安定になり始めた兆候”と見る者がいる。このまま冬を引っ張るより、早めに捧げた方が村は安全だと」
理屈としては、村人らしい。
個人ではなく共同体を守るために、一人を差し出す。
昔からずっとそうしてきたから、今も迷いなくそれを繰り返す。
「千歳は」
冬真が問う。
「まだ正式には知らされていない」
「まだ?」
「今日の夕刻、村長と神職が家へ行く予定だ」
綾人の目がわずかに冷たくなる。
「“準備の確認”という名目でな」
冬真はすぐに立ち上がろうとして、左腕に痛みが走り、舌打ちした。
「行く」
「無理だ」
「無理でも行く」
「その状態で何をする」
「追い返す」
「力尽くでか」
「必要ならそうする」
綾人は短く息を吐いた。
「お前が出れば、余計に話がこじれる」
「こじれても関係ない」
「ある」
綾人の声が低くなる。
「今必要なのは、村に逆らう姿を見せることではない。千歳自身の意思を、少なくとも一度は正面からぶつけさせることだ」
冬真が眉を寄せる。
「何だそれ」
「今までの千歳なら、流されるまま頷いていた可能性が高い」
「……」
「だが今は違う。少なくとも昨夜のあとなら、“嫌だ”とは言えるかもしれない」
たしかに。
第15話で、千歳は“嫌だ”と口にした。
それは大きい変化だ。
けれど、その場で村長や神職を前にして同じように言えるかどうかは別問題だった。
「だから」
綾人が言う。
「お前は表に立つな。表に出れば、千歳がまたお前を庇う方へ傾く」
その一言が、痛いほど的確だった。
冬真は黙る。
そうだ。
自分が目の前で無茶をしていれば、千歳はすぐ“自分が我慢すればいい”へ戻る。
だから本当は、戦う場面こそ見せたくなかったのだ。
「……千歳は、何て言ってる」
「怖がっている」
綾人は淡々と答える。
「だが逃げるだけではない。考えようとはしている」
少しだけ安堵する。
同時に、その“考えようとしている”こと自体が危うくも思えた。
「お前はどうしたい」
綾人が問う。
そんなもの決まっている。
行かせない。
日取りを早めるなんて、絶対に認めない。
「止める」
冬真が言う。
「どうやって」
「知らない。でも止める」
綾人はしばらく冬真を見ていたが、やがて小さく頷いた。
「なら今日の夕刻までに動ける頭だけは戻せ」
「命令か」
「助言だ」
「命令みたいなもんだろ」
「そうだな」
そこで会話が切れる。
冬真は机の上の水をもう一口飲んだ。
冷たさが喉を通る。
「……千歳には」
少し迷ってから、冬真が言う。
「日取りが早まる話、知ってるのか」
「薄くは察している」
「じゃあ」
「だが詳細までは言っていない」
綾人は続ける。
「お前が直接言うな。今のお前が言えば、感情だけが先に立つ」
その通りだった。
だからこそ腹立たしい。
冬真は目を閉じた。
夕刻。
村長と神職。
準備の確認。
全部が嫌な方向へ繋がる。
この回は第1章ラスト前の加速装置だ。
“供物の儀”が噂ではなく具体的な予定として迫り始め、次の話で千歳本人がその圧力と対面する流れを作る。




