6
その頃から、少しずつ変化もあった。
オルフェが視察へ向かう時。
魔獣討伐へ出る時。
黒い外套と鎧姿を見るたび、レンの目はきらきらと輝いた。
「父上かっこいい!」
そう言われれば、悪い気はしない。
オルフェも、レンが少しでも懐いてくれるならと、時間を見つけては相手をした。
竹刀を持ち出し、ちゃんばらごっこをしたこともある。
もっとも。
遊びのつもりだったのはオルフェだけで、レンは毎回本気だったが。
「やー!!」
「待て待て待て、本気で脛を狙うな!」
そんな声が屋敷へ響くことも増えていった。
だが――。
イリスとレンの間には、まだどこかぎこちなさが残っていた。
アフタヌーンティーでも。
散歩でも。
会話はする。
笑顔も向け合う。
けれど、お互いにどこか遠慮してしまうのだ。
レンは、イリスが嫌いなわけではない。
ただ、どう接すればいいのか分からなかった。
そしてイリスもまた、苦しんでいた。
再会しても、レンを思い出せない。
それが、何より辛かった。
さらにリカルドから、レンが生まれて間もなく教会へ預けられていたことを聞かされた時。
イリスの心は深く傷ついた。
「俺、レンのこと抱っこしてたんだよ」
夕食の席で、リカルドが懐かしそうに笑う。
「お風呂も手伝ったし、一緒に寝たりもしてた」
その言葉を聞いた瞬間。
イリスは耐えきれなかった。
ぽろり、と涙が零れる。
「え……母上?」
リカルドが困惑した顔になる。
令嬢時代なら、人前で涙を見せるなど講師に厳しく叱責されていただろう。
けれど。
もう限界だった。
「イリス」
オルフェが静かに抱き寄せる。
アルバートも優しく背を擦っていた。
レンは突然泣き出した母に驚き、固まっている。
全部、自分のせいだ。
妊娠を秘密にしようなどと思わなければ。
驚かせたいなどと浮かれなければ。
こんなことにはならなかった。
なんて愚かなのだろう。
「あなた……ごめんなさい……」
震える声で呟く。
けれど。
「いいんだ」
オルフェは否定した。
子どもたちも。
誰一人として責めなかった。
だからこそ、余計に苦しかった。
そんなイリスへ、オルフェは静かに言う。
「これから少しずつ知っていこう」
「レンのことも、家族としての時間も」
その言葉に、イリスは小さく頷いた。
涙を拭い、レンへ向き直る。
「レン、驚かせてごめんなさいね」
「リカルドも、また聞かせてほしいわ」
そして少しだけ迷ってから、そっと続けた。
「……レン」
「不甲斐ない母親でごめんなさい」
「わたくし、あなたのことを知りたいの」
「いっぱい教えてくれる?」
レンはぱちぱちと目を瞬かせたあと、ぱっと表情を明るくした。
「剣が好き!」
「ふふ、知ってるわ」
「馬と、ウィルと、お肉と、父上――」
オルフェがぴくりと反応する。
「――の鎧!」
がくっ、と肩を落とした。
それを見て、イリスがくすくす笑う。
「ふふ」
「俺は?」
アルバートがにこっと笑う。
「もちろん、アルバートお兄様もリカルドも大好きよ」
アルバートは満足そうに頷き、どこか勝ち誇った顔でオルフェを見る。
先に名前を出されたことが嬉しいらしい。
「母上は?」
イリスが少し驚いたように目を瞬かせた。
「え?」
「母上の好きなものも教えて」
その瞬間。
イリスの胸が、じんわりと温かくなった。
それから、二人の会話は少しずつ増えていった。
ゆっくりと。
本当にゆっくりと。
家族になっていくように。
そして――。
アウラが生まれたことで、二人の距離はさらに近づいた。
イリスが産気づいた夜。
レンは泣きながらオルフェに抱きついていた。
「母上……あの……」
不安そうに震える声。
オルフェに抱かれたまま、寝室へ入る。
「うっ……ふ、ぅ……」
まだ余裕はあるとはいえ、イリスの呼吸は乱れ始めていた。
それでもレンを見ると、優しく微笑みたくなる。
「レン、どうしたの……?」
「母上、痛い……?」
レンの目からぽろぽろ涙が落ちる。
「……この子も、母上の思い出を取ったら……」
部屋の空気が止まった。
レンは泣きながら続ける。
「私が全部、母上に教えるわ」
「だから……っ、ぐす……」
「私のこと忘れても大丈夫だから……頑張ってくださいね……」
「……レン――」
オルフェがレンの背を優しく擦る。
イリスは目を見開いたまま、震えていた。
そして次の瞬間。
ぼろぼろと涙を零す。
「今回は医師もたくさんいるわ……」
大丈夫よ、声が震える
「あなたを、絶対に忘れないっ……!」
「母上ぇぇ……!」
そうして。
アウラは無事に生まれた。
出産を終え、疲れ切った身体でイリスは隣を見る。
忘れていない。
ちゃんと覚えている。
レン――。
オルフェがはいって来たので呼びたかった。
けれど。
当のレンは、安心したのかオルフェの腕の中ですうすう眠っていた。
涙の跡を頬に残したまま。
それを見て、イリスはくすりと笑う。
「もう……仕方ない子ね」
オルフェは絶句した。
腰まであった綺麗な黒髪が――。
耳よりも短くなっている。
さらりと揺れる短髪。
首筋が見えていた。
可愛い。
……いや、違う。
待て、今なんと言った?
「父上ー! 私、騎士になります!」
「…………は?」
そして今に至る。
「見て父上! 戦士の耳飾り!」
「!!!?」
オルフェは本気で気を失いかけた。
物理的に強い、魔獣相手でも怯まない。
そんな男が、ぐらりとよろめく。
こんな経験は初めてだった。
息子たちですら、ここまでにはならなかった。
……娘だからなのか。
レンが嬉しそうに近づいてくる。
「ほら!」
片耳を見せられ、オルフェの顔が引き攣った。
赤い。
明らかに開けたばかりだ。
痛々しいほど赤い耳に、二つの輪の耳飾りが揺れている。
黒い輪と、銀色の輪。
きらきらしている。
いや、そうじゃない。
痛そうだ。
ものすごく痛そうだ。
教会で闇属性だと判明してから、まだ五日しか経っていない。
そりゃ倒れそうにもなる。
オルフェはぎぎぎ、と首を動かした。
レンの後ろ。
片手で顔を覆っているウィルへ、無言の威圧を飛ばす。
任せろと言ったよな?
ウィルはすっと目を逸らした。
どうしてこうなった。
塞ぎ込むかと思っていた。
怖がるかと思っていた。
だからウィルへ任せた。
なのに。
蓋を開ければこれである。
だが、確かにレンは元気だった。
夕食もいつも通り。
むしろ前向きですらある。
オルフェも安心していたのだ。
ちゃんばらだって、いつも以上に付き合った。
長い髪を後ろで一つに結んだレンは、以前より活発に見えた。
汗を流しながら竹刀を振る姿は、本当に楽しそうだった。
そして先ほど。
肩で息をしていたレンを見て、オルフェは少しだけ手を抜いた。
竹刀を弾かせる。
「参った」
そう降参してみせたのだ。
すると。
「やったー!!」
満面の笑みで飛びつかれた。
可愛かった。
とても。
……それが二時間前。
そして現在。
「父上に勝利したことで、私は騎士になる権利を得ました」
「――――?」
「このたび、わたくし、レン・トワ・イェーガーは、騎士になることを宣言しましす!」
「…………」
なぜ噛む。
可愛い。
違う違う。
オルフェは深く息を吐いた。
「……レン」
低い声で呼ぶ。
「なんの話だ?」
同時に、背後のウィルへ圧を向ける。
ウィルは乾いた笑いを漏らした。
「いやー……はは」
「俺もなんのことだか」
―― 一日前。
「なぁ、オルフェはお前が騎士になりたいって知ってんのか?」
ウィルが何気なく聞いた。
レンは当然のように頷く。
「毎日稽古つけてもらってるからね」
兄上、それ遊びだと思うぞ。
ウィルは真顔になった。
「……ちゃんと話してみろよ?」
レンは考えた。
そして結論を出す。
勝ったら言おう。
その翌日。
レンは人生で初めてオルフェへ一本取った。
嬉しかった。
本当に嬉しかった。
だから。
勢いのまま行動した。
「メイド長、耳飾りあけて」
「ダメです」
即答だった。
イリスはアウラの健診で不在。
ならば。
「……自分でやるか」
騎士になるのだ。
これくらい、自分でやらなければ。
レンは別のメイドへ近づいた。
「針ってどれくらい大きいの?」
裁縫用の針箱を見せてもらう。
その中から、長い針を見つけた。
そして。
がしゃん!
「きゃっ!」
わざと針箱を落とし、その隙に一本借りる。
さらにアウラ用に置かれていた聖水も拝借した。
準備完了。
「よし!」
ぶすっ。
「い、いったぁ……!!」
涙目になりながら針を押し込む。
貫通。
急いで聖水をかける。
「黒の輪……完了……」
痛い。
めちゃくちゃ痛い。
でも。
「……二個目……」
今しかない。
ぶすっ。
「あぁぁぁ……っ!」
じわっと涙が滲む。
「ふ、ふぅ……」
銀の輪、完了。
耳ががんがんする。
でも格好いい。
レンは満足した。
そしてそのままウィルの元へ向かったのだ。
「父上に勝ったー!」
「あぁ、見てたよ。やるな」
笑いながら振り返ったウィルは。
次の瞬間。
ざくっ。
「…………」
レンは短剣で自分の髪を切り始めた。
周囲の騎士たちも絶句する。
さらさらと黒髪が落ちていく。
「ざんぱつしきしまーす」
「えーーー!????」
騎士団に悲鳴が響いた。
そして現在。
オルフェは両膝をついていた。
「……俺のせいだ」
「いや違うだろ」
ウィルが真顔で否定する。
「レン、なんで先に言わなかった。俺、確認しろって言ったよな?」
「ウィルが前に、“背中で語れ”って言ってた」
「違うだろ!!!」




