28
―――ぱたん、と扉が閉まる。
「レオニス王太子、久しぶり」
軽い声音。
そこに立っていたのは、隣国クラクスコ帝国の皇太子、ゼフィル・ドラヴェル・クラクスコ。
金髪に金緑の瞳。 私より六つ下の二十二歳。
留学時代からの付き合いもあり、気安く話せる相手だ。
その男が一人の護衛を連れ、事前連絡すら飛ばし、転移魔道具で突然現れた。
しかも今は執務室の中央に立ち、当然のような顔をしている。
ゼフィルの要望通り、側近達を全て下がらせ、防音魔道具まで起動済みだ。
「……ゼフィル、私は今忙し――」
「聞いてよ、レオニス!」
人の話を聞かない。
レオニスの言葉を遮り、ゼフィルは机へ身を乗り出した。
「うちの国に聖女がいるのは知ってるでしょ?」
クラクスコ帝国。
瘴気汚染領域を国土の四分の一も抱える大国。
“聖女”という存在によって均衡を保ち続けている国でもある。
「でさ、その聖女補佐の一人がめちゃくちゃ面倒なんだよ。助けてくれ」
「……」
なぜ今その話をする。
レオニスは眉間を押さえた。
「男爵令嬢のマリアって奴なんだけどさ。聖女補佐としては力もあるし、仕事もできる」
ゼフィルは深く椅子へ座り直す。
「でも今俺狙いでさ。俺、婚約者いるし。婚姻も控えてるわけ。」
ため息を吐いた。
「余計な揉め事に巻き込まれたくないんだよね」
そして。
ゼフィルは、にこりと笑った。
「最悪、殺すしかないかなって思ってる」
「……」
レオニスの眉がぴくりと動く。
だがゼフィルは軽い口調のまま続けた。
「聖女補佐だから表向きは守られてるけど、放置すると絶対面倒になるタイプなんだよ」
「……お前な」
「いや、俺もできれば穏便に済ませたいよ?」
本当にそう思っているのか分からない声音だった。
「…だからレオニス。引き取ってくれない?」
腕を組み、前のめりになる。
「この国は俺も大切にしてるし、大切な友人が修羅場ってるのは心が痛む」
さらりと言う。
「マリアには……できれば別の男に夢中になってほしいんだよね」
そして、笑顔のまま続けた。
「……ゼフィル」
「――黒い沼、だろ?」
空気が変わった。
レオニスの目が鋭く細まる。
「……!」
ゼフィルは笑みを消さない。
「詳しくは言えない。でも今、お前に伝えるべきだって婚約者が」
―――聖女か。
未来視。 あるいは予知。
噂程度には聞いたことがある。
「……マリアは置いていく」
ゼフィルは立ち上がった。
「殺さずに済むなら、その方がいい」
軽い声。
だが、その言葉だけは妙に本音に聞こえた。
「俺達の婚姻が済むまで好きに使え。……しっかりやれよ、レオニス」
そう言い残し、転移魔道具の光と共に姿を消した。
しばらくして。
こんこん、と控えめなノックが響く。
「……入れ」
扉が開く。
「皇太子殿下の勅命により参りました。聖女補佐、マリア・ルーメンと申します」
白いドレス。 金糸の刺繍が上品に散りばめられている。
淡い桃色の髪に、金色の瞳。
柔らかな微笑みを浮かべたその女性を見て。
レオニスは静かに思った。
――面倒事が増えた。
数名の侍女を従え、女は静かにレオニスの前へ現れた。
「……ルーメン嬢。こちらはそれほど時間がない」
レオニスは椅子へ深く腰掛けたまま問う。
「君に何ができる?」
面倒。
率直に言えば、それが第一印象だった。
だが同時に、 ゼフィルの婚約者――聖女が“今伝えるべき”と言った件が引っかかっている。
ならば、無視もできない。
「王太子様」
マリア・ルーメンは柔らかく微笑んだ。
「わたくしは聖女として、この国を導くことができますわ」
「……例えば?」
「瘴気を払うことができますの」
この国に瘴気はほとんど存在しない。
だが。
「……密度の高い瘴気も払えるのだな?」
黒い沼とは言わない。
あえて濁して問う。
マリアは微笑みを崩さなかった。
「わたくしに払えないものはございませんわ」
断言。
その自信に、レオニスは静かに目を細めた。
「……そうか。ならば協力を頼みたい」
「それはもちろんですわ」
だが次の瞬間。
「ただ……この身はゼフィル様のもの」
上目遣い。
甘えるような声音。
「寵愛を賜っておりますので、傷など負えばゼフィル様がお困りになりますの」
ちらり。
「ですから、護衛は多めにつけていただけると助かりますわ」
「……」
なるほど。
レオニスはようやく、 ゼフィルの言っていた“面倒”を理解し始めた。
「……善処しよう」
「ありがとうございます」
マリアは満足そうに微笑んだ。
いくつか確認を終え、マリアが退室する。
静寂。
レオニスは深く息を吐いた。
同時に届いていたレンの報告書へ視線を落とす。
魔道具使用不可。
闇属性による疲弊で長時間睡眠必須だ。
――闇属性が希少すぎて、誰もそこへ考えが至らなかった。
討伐遠征時のレンの姿が脳裏を過る。
眠そうにしながら、それでも自分の仕事をしていた少女。
……可哀想なことをした。
胸の奥が鈍く痛む。
だが。
感傷に浸っている時間など存在しない。
百年周期で発生すると言われる、 “異形”の大発生。
その兆候が、数日後に迫っている。
聖女がどこまで通用するのか。
レンの力は何なのか。
まだ何も分かっていない。
そして――。
「はじめまして! レンと申します! マリアさん、よろしくお願いします!」
「……ガロだ」
「セオンです」
「ディルクだ」
「よろしくお願いします。マリア・ルーメンと申しますわ」
「よし、全員揃ったな」
にかっと笑う男。
「この隊を預かる、ウィルだ。よろしくな」
北方騎士団所属。
大型魔物討伐を得意とする実戦部隊隊長。
その笑顔だけ見れば豪快な男だ。
だが。
「…………」
「………」
「……」
なぜだろう。
セオンは既に胃が痛かった。
二日前。
レオニス王太子に呼び出された時点で嫌な予感はしていた。
「ちょっと面倒でね」
そう言って王太子が示したのは、
レン
聖女補佐という、問題児の詰め合わせだった。
「ウィル隊と君たちに頼みたい。レンを見てきた君たちなら大丈夫だろう」
いやいや。
レンだけで既に手一杯なんですよ。
その上、訳あり聖女追加とか聞いてない。
絶対に身が持たない。
セオンは心の中で即座に叫んだ。
だが。
「……なるほど、了解しました」
隣でウィルが爽やかに頷く。
全然“なるほど”じゃない。
「聖女として前面へ出すと後々面倒だ」
レオニスは淡々と続ける。
「表向きは回復魔法に長けた諜報員として扱う」
「黒い沼を浄化できればそれで良し。無理なら回復要員だ」
しかも本人は渋々了承。
もう最初から不穏しかない。
レンの今後すら定まっていないのに。
そこへ更に問題児が追加された。
セオンは静かに思った。
――胃薬が欲しい。




