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「聞いたよ? “レン様”だったかな? 随分と英雄扱いされていたそうじゃないか」
にこり、と笑う。
だが目はまったく笑っていない。
レオニス・フィス・アルテミア。
この国の王太子、二十八歳。
水色の髪に灰色の瞳。そして、その奥にはレンより深い緑色の虹彩が宿っている。
後ろには二人の近衛騎士が控えていた。
「―――?」
レンはぽかんと首を傾げる。
今日は午前中、そのまま学園で授業を受けていた。
以前と違うのは、“お疲れ様です”と声を掛けられることが増えたくらいだ。
いつも向けられていた視線も、少し柔らかくなった気がする。
昼食後は、入学式の日に見つけた、ホール裏の森側にある東屋でお茶を飲んだ。
学園にいる時の、いつもの過ごし方だ。
そして午後。
王城へ呼ばれ、レオニスの執務室へ来たのだが――。
「……懸念は当たったな」
レオニスがぼそりと呟く。
「――?」
今回の実地遠征で、一年生たちは完全にレンへ心酔しかけていた。
危険な兆候だ。
レンに頼り、自分たちの力量を見誤る。
今回の一年生程度なら教育でどうとでもなるが、この熱が広がるのは好ましくない。
レオニスは、かつて隣国で起きた“ある事件”を思い出していた。
……まあ、それは今はいい。
実のところ、休日に入った頃から、レオニスはレンへ数名の監視を付けている。
だが、その監視たちが驚くほど役に立たなかった。
とはいえ、神出鬼没に転移するレンへ付いていける者など、そうそういない。
報告によれば――。
辺境伯領では、部屋から直接転移してしまうため途中から追跡不能。
その後、エレナと買い物へ行き、ロイドと合流。
“非常に仲睦まじかった”
以上。
レオニスは報告書を閉じた。
……どうでもいい。
学園での様子は、
朝、一年生たちから感謝の言葉を送られていたこと。
重い装備を着けたまま、一生懸命走っていたこと。
授業態度は真面目だったこと。
昼食時、小さな口でちょこちょこと食べており、生徒たちが微笑ましそうに見守っていたこと。
その後、不明。
「……監視の質も落ちたものだな」
不明部分を除けば、ほぼ“可愛いレン観察記録”ではないか。
討伐遠征の報告を聞いた時点で、レオニスは即座に動く必要があると判断していた。
あの奇天烈な戦い方。
――闇属性だ。
すぐに身元を調べさせ、レンの兄であり近衛騎士でもあるアルバート・トワ・ヴィスタールを呼び出した。
必要ならば、母と妻を人質に取る準備までして。
「アルバート・トワ・ヴィスタール」
冷えた声が響く。
「貴殿は父オルフェと共に、黒魔法を用いて謀反を企てているのか?」
近衛騎士たちが静かに空気を張り詰めさせる。
さて、どう出る。
「……は?」
アルバートは目を見開いた。
「む、謀反……???」
虚偽判定の魔道具は反応しない。
本気で意味が分かっていない顔だった。
「……レン・トワ・ヴィスタールとは何者だ?」
その瞬間、アルバートの空気が変わった。
じっとレオニスを見据える。
敵か。
それとも、敵になるのか。
そう問いかけるような視線だった。
やがてアルバートは、観念したように息を吐く。
「私の妹は、王家の……王国の敵ではありません」
力強い声だった。
「あの子は幼い頃から、騎士になることを夢見て努力してきました。……黒魔法持ちなのは事実ですが」
「……やはりか」
この国では、属性報告の制度は薄い。
強い属性持ちは、髪や瞳に色が宿るため見れば分かるからだ。
それからレオニスは、アルバートからレンの能力を聞き出した。
転移。纏装。反射。収納。
どれも魔道具は虚偽反応を示さない。
事実なのだろう。
騎士たちは言っていた。
“黒豹を纏った子猫”だと。
……まさに、その通りではないか。
討伐時は獰猛な黒豹のように魔物を狩る。
だが終われば、ぽやぽやとして警戒心ばかり強い。
危ういほど無自覚だ。
レオニスはレンを見る。
「しばらく、私の監視下に入ってもらう」
「――?」
「諜報部のお手伝いをしてくれ」
にこり、とレオニスは笑った。
近衛騎士に案内され、レンは竜舎へ足を踏み入れた。
―――!!
そこには二頭の竜がいた。
艶のあるチョコレート色の鱗。 茶色の瞳。
リュークより一回り小さいが、それでも十分巨大だ。
レンを見た瞬間、一頭が低く唸った。
「グルルル……」
「こら、落ち着いて」
竜を宥める声。
視線を向けると、そこには二人の男がいた。
一人は、青灰色の長い髪を後ろで緩く束ねた細身の男。
柔らかな笑みを浮かべているが、目だけは妙に冷静だ。
もう一人は、短く切った濃紺の髪に鋼色の瞳を持つ大柄な男。
腕を組み、じっとレンを見下ろしている。
……こわい。
レンは無意識に手をぎゅっと握った。
近衛騎士が咳払いする。
「こちら、諜報部所属のセオン・ワーティス、ディルク・ハーゼン両名だ」
レンは慌てて背筋を伸ばした。
「は、はじめまして! レン・トワ・ヴィスタールと申します! レンと呼んで下さいっ! 本日よりお手伝いを賜りました! 十七歳です! よろしくお願い致しますっ!」
ぺこり、と勢いよく頭を下げる。
「……セオンです。二十六歳。よろしく」
細い目を少し和らげながら、セオンが答えた。
綺麗な人だ、とレンは思う。
今まで周囲にいた騎士たちとは全然違う。
線が細く、どこか中性的だった。
「ディルクだ。三十三」
短く返した男は、まだレンを観察している。
こ、こわい。
レンはさらに姿勢を正した。
二人とも黒い装備を身に纏っている。
……セオンさん、重くないのかな。
細い身体へ視線が向いた。
「……何?」
「っ!? い、いえ!」
セオンがくすりと笑った。
「君、思ったこと顔に出るね」
「で、出てません!」
「出てる」
後ろからディルクが即答した。
「うぅ……」
レンがしゅんとする。
セオンは肩を竦めた。
「まあいいや。君、転移ができるんだよね?」
「は、はい!」
「王太子殿下から、“まずアルテミア全土を覚えさせろ”って言われてるんだ。竜で飛びながら地形を覚えてもらうから」
「よろしくね」
にこり、と笑う。
レンもほっとして笑い返した。
その横で、ディルクが口を開く。
「無理なら無理と言え」
――?
「竜に乗りながら地形覚えるなんざ、簡単なことじゃない。落ちたらどうする」
「王太子様の預かりもんだぞ」
「だ、大丈夫です!」
レンは慌てて頷く。
「一人でも乗れます!」
「「?」」
空気が止まった。
セオンがゆっくり瞬きをする。
「……一人で?」
「はい!」
レンはこくこく頷いた。
「今、連れてきます!」
「「は?」」
そう言って。
レンがすっと消えた。
「……え」
「……おい」
数秒。
沈黙。
そして。
ゴォォォッ――――!!
巨大な影。
二頭の竜が一斉に頭を下げた。
現れたのは、竜たちより一回り以上巨大な黒竜だった。
漆黒の鱗。
金色の瞳。
圧倒的威圧感。
その背から、レンがひょこっと顔を出す。
「お待たせしました! ルークといいます!」
にこにこしている。
「ギャウ」
黒竜が低く鳴いた。
セオンとディルクは固まった。
二頭の竜は完全に服従姿勢だ。
戦っていないのに、頭を下げている。
あり得ない。
竜同士で“頭を下げる”とは、敗北と服従を意味する。
つまり。
この黒竜は、存在だけで格上。
「……嘘でしょ」
セオンが引きつった声を漏らす。
「……冗談だろ」
ディルクも低く呟いた。
だが。
当のレンだけが不思議そうに首を傾げる。
―――?
クラクスコ帝国では、強い竜へ頭を下げる光景は珍しくない。
レンは、ルークと行くと皆こうなるので、“挨拶”くらいにしか思っていなかった。
自分が連れてきた存在の異常さを、まるで理解していなかったのである。




