17
野営地には重い空気が漂っていた。
焚き火がぱちぱちと音を立てる。
いつもなら疲労と緊張で騒ぐ者もいるのに、今日は誰も口数が少ない。
理由は一つ。
――レンだ。
「あれ……何だったんだ……」
誰かがぽつりと呟く。
「転移……したよな……?」
「いや、あんな範囲見たことねぇぞ……」
「しかも魔法陣なし……」
「魔力ないんじゃなかったのかよ……」
しっ……
「あの……これ、どこ置けばいいですか?」
レンが木箱を抱えながら尋ねる。
「あ、あぁ……そこ……」
レンは礼を言い、何事もなかったように汚れた食器を洗い始めた。
なんなんだ……?
なんなんだ、この人は――。
そんな空気だった。
見張り交代の時間。
少し離れた場所で、エドガーは教官と向き合っていた。
焚き火の火が二人を照らしている。
エドガーは深く息を吐く。
「……魔力測定はしていたのですよね?」
教官は眉間を押さえながら答えた。
「入学前いなかったのだ。自己申告では“平均程度”との報告だった。」
そして苦々しく続ける。
「……召喚もできなかった子だ。むしろ平均以下だと思っていた。」
「馬鹿な。」
即答だった。
「あれだけの広域転移、見たことがありません。しかも装置もなしですよ!?」
あり得ない、とエドガーは低く吐き捨てる。
教官の声が低くなる。
「…あれは高位魔導士級だ。」
エドガーも無言で頷いた。
だが問題はそこではない。
「……本人が理解していない可能性があります。」
「……何をだ。」
「あれが異常だということを。」
ぱち、と薪が爆ぜた。
教官はしばらく黙っていた。
「……戦い方はどう見えた。」
エドガーは昼間を思い出す。
大百足を斬った瞬間。迷いはなく、躊躇もない。
まるで“害虫駆除”のような自然さだった。
「実戦経験があるように見えました。」
「一年で、か。」
「少なくとも魔物慣れしています。しかも相当。」
ふぅ、と教官は息を吐く。
力が強すぎる。
しかも本人に自覚がない。
扱いを間違えれば危険だ。
「……とにかく、上へ報告するしかないだろう。」
教官は頭を抱えるように呟いて、判断は早々に上へ投げるのだった。
今日はかなり体力が削られていた。
主に、三日間歩き続けたせいだ。
焚き火の前に座ったまま、レンはこくり、こくりと船を漕ぐ。
それを見ていたエドガーがため息を吐いた。
「……寝ろ。」
「いえ、そんなわけには」
「いい。倒れられる方が面倒だ。」
レンは少し迷ったあと、小さく頷く。
転移を見られた今、隠す意味も薄いと思った。
「ありがとうございます……おやすみなさい。」
そう言って、レンの姿がふっと消える。
静寂。
周囲の一年生たちは、もはや驚く気力もなかった。
「エドガー。」
低い声が背後から響く。
振り向いたエドガーは、顔をしかめる。同じ学年の青年だ。
銀髪。青金の瞳。
ロイド・リ・ヴァレリアが立っていた。
前線帰りなのだろう。
黒い外套には焼け焦げた跡がある。
「あの大百足は何だ?」
単刀直入だった。
誰がやった、と。
エドガーは数秒黙り、
「あー……レンだ。」
「レン……?」
教官と話したことをそのままロイドに伝える。
沈黙。
焚き火がぱち、と爆ぜる。
ロイドの目が細くなる。
「……そうか。」
「ああ」
エドガーは苦笑した。
「しかも本人は自分が何をしたか理解してない。」
「どういう意味だ。」
「あいつ、“普通にやった”と思ってる。」
ロイドは黙った。
その沈黙が逆に重い。
「……そいつはどこへいる?」
「…家に帰った」
エドガーは視線を逸らしながら言う。
「水をもらえるか?」
――!!
炊事の準備中だったレンは、鍋へ水を汲みながら顔を上げる。 そして思い出した。
――試験の時の、なんとか公子様だ。
「あ……どうぞ。」
慌ててコップを差し出す。 受け取る瞬間、指先が少しだけ触れた。
ロイドはそのまま水を飲み、
ふぅ――
小さく息を吐く。 そしてレンへ視線を向けた。
「……礼もなかったな。」
っ――。
礼。 お礼……!
レンははっとする。 試験の時、助けてもらったのに、うっかりそのまま消えてしまったことを思い出した。
「あ……ありがとうございました。その節は、おかげで助かりましたっ」
深く、深く頭を下げる。
その時、ふっと笑った気がした。
「ロイド・リ・ヴァレリアだ。」
静かな声だった。
「お前は?」
そう言って、ロイドは自然に手を差し出す。
「……あ、はい。レン・トワ・ヴィスタールと申します。」
静々とその手を取った。
「名前を教える気になったんだな?」
……っ。
「……あ、その節はほんとうに……あの……」
もごもごと口ごもる。
――硬い。
ロイドは僅かに目を細める。 剣だこだけではない。 長年、武器を握ってきた者の手だった。
レンはそんな視線に気づかないまま、ぺこりと頭を下げる。
―――こ、こわい。
その後、レンは教官、エドガー、ロイド、騎士団長に呼ばれた。
教官と騎士団長の顔が怖い。 屈強な男たちに囲まれ、子猫のように震えてしまう。
「時間がないので単刀直入に聞く。」
騎士団長が口を開いた。
「お前は何ができる?」
レンはこの人と直接話したことはない。 だが、ガロのお供として傭兵依頼に同行した際、ガロの後ろに隠れながら見たことはあった。
――黒属性とガロのことは言わない方がいいよね。
どこまで話していいかわからない。 父上や家族に迷惑をかけたくない。
でも、魔物を狩ることしか役に立てないなら――。
「――傭兵の経験があります。」
!!
「あ……エリア一つなら、一人で対応できます。」
!!!!!!
「あ……でも、休憩と睡眠は欲しいので、その間は誰かお願いしたいところではありますが……」
……すみません。と、小さく付け足す。
沈黙。
ふっ――
沈黙を破ったのはロイドだった。
吹き出すように笑う。
だが、それ以外は、
――は?
という顔で固まっている。
「それではまるで、“白狼”の――」
はっとしたように騎士団長が目を見開く。
「……あの白狼の連れか?」
こくこくとレンが頷く。
!!!!!!
「白狼とは……?」
エドガーが問う。
「……S級傭兵、と言ったところだろうか。」
「なっ!!」
「え!?」
今度はレンも驚いた。
――え、ガロってS級なの?
初めて知った。
「……白狼殿とは、どのような関係なのだ?」
教官が慎重に聞く。
「えっと……」
レンは少し照れくさそうに笑った。
「……七歳からの師弟関係です。」
沈黙。
「……七歳?」
「白狼と?」
空気が止まる。
ガロが有名だと知って、レンは少し嬉しくなった。
「……昨日の大型昆虫どもは、どこへやった?」
――ムカデ十体くらいはドワーフの森に転送したけど……素材を盗んだって言われるかな。
少し悩み、
「えっと……ドワーフの森奥に火山があって――マグマの中に捨てました。」
!!!!!!
これくらいならいいだろう。 どうせ毒を撒く魔物だし。
レンがそんなことを考えていると、
「……ドワーフ……?」
騎士団長が遠い目をした。
「……もういい。もうたくさんだ。」
教官が頭を抱える。
「お前……やるな。」
ロイドが笑いながら、ぽんとレンの頭を撫でた。
――ふぅ
皆が疲れたように息をはく。
「ごほん……では。」
騎士団長が咳払いをする。
「あなたの力を貸してもらえるだろうか。」
「もちろんです。」
レンは迷いなく笑顔で頷いた。




