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マーヴェリア帝国物語  作者: 北村えり
第五章 星と黎明の記憶
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第91話 次代を担う者

「お父様」


クリスティの声が、静まり返った会議室へ響いた。

ルーファスが目を開き、娘を見る。

クリスティは、すでに答えを決めていた。


卓上には、五百年以上前から残された記録が並んでいる。


聖霊王アステリア。

災厄の種。

黎明の剣。

星導の魔導銃。

聖霊王の涙。


そして、帝国と共和国が互いの力を持ち寄らなければ、

災厄を終わらせることはできないという事実。


「合同会議における帝国側の代表は、私が務めます」


室内の視線が、一斉にクリスティへ集まった。


驚きはあった。

けれど、その申し出を意外だと感じる者はいなかった。


クリスティは以前から、皇帝となる意思を明確にしている。

ルーファスの補佐として政務へ関わり、重要な会議へ同席し、

帝国の将来に関わる判断を学び続けてきた。


正式な皇位継承者としての地位こそ、まだ与えられていないものの、

すでに後継者としての責務を担い始めている。


「理由を聞こう」


ルーファスが告げた。


父としてではない。

帝国皇帝として、後継者の覚悟を確かめる声だった。


クリスティは真っ直ぐに父を見返す。


「今回の問題は、遺構の調査や災厄への軍事対応だけでは終わりません。

帝国と共和国が今後どのような関係を築くのか。

失われていた歴史を、どのように両国の民へ伝えるのか。

そして、聖霊王アステリアと帝国皇族の祝福をどのように位置づけるのか」


一つ一つ、言葉を確かめるように続ける。


「そのすべてが、次代の帝国へ繋がる問題です」


皇族の色は、権威を示すために生まれたものではなかった。

祝福も、聖霊を従わせるための力ではない。


だからといって、長く信じられてきた帝国の価値観を、

ただ否定すればよいわけでもなかった。


これまでの歴史と、その中で国を守ってきた者たちの思いを受け止めたうえで、

新たに判明した真実を未来へ繋がなければならない。


「私は、帝国の次代を担う者として、この会議へ出席する責任があると考えます」


ルーファスは黙って娘を見つめていた。


「共和国側の代表は、ルリスティとなる可能性が高い」

「はい」

「親友としてではなく、帝国の代表として向き合えるか」


問いかける声は穏やかだった。

だが、皇帝として譲ることのできない確認だった。


「ルリスティは、お前の大切な親友であり、実の双子の妹でもある」


クリスティは、目を逸らさなかった。


「そのことを否定するつもりはありません」


ルリスティは、大切な親友だ。

血の繋がりを知るよりも前から、互いの考えを知り、信頼を築いてきた。

そして今は、失われていた双子の妹でもある。


「ですが、合同会議の席で、ルリスティは共和国を背負う代表です。

私も、帝国を背負う者として向き合います」


クリスティの声に迷いはなかった。


「親友であるからこそ、

ルリスティが自らの国と立場を決して軽んじないことを、私は知っています」


ルリスティは、情に訴えて共和国の利益を譲るような人ではない。

だからこそ、クリスティも同じように帝国の責任を背負わなければならない。


「私が親友や姉としての感情だけで帝国の利益を譲れば、

ルリスティは決して喜びません。互いの国が何を守り、

何を必要としているのかを正しく示したうえで、共に進める道を探す。

それが、ルリスティに対する敬意でもあると思います」


ルーファスの瞳が、僅かに細められた。


隣では、レオンハルトとアレクシスも妹の言葉を聞いている。

クリスティが口にしているのは、理想だけではない。

異なる国と交渉し、

自国の利益を守りながら妥協点を探るという、現実の政治だった。


「私は、この日のためだけに皇帝を目指してきたわけではありません。

ですが、このような時に帝国を背負うために、これまで準備を重ねてきました。

帝国だけでは解決できない問題へ、帝国の代表として向き合うために」


長く積み重ねてきた覚悟が、その言葉へ表れていた。


この場で初めて生まれた決意ではない。

共和国での経験を経て、自ら皇帝を目指すと決めてから、

クリスティは次代を担う責任を引き受けるために学び、歩み続けてきた。


ルーファスは、しばらく娘を見つめたあと尋ねる。


「正式な権限が必要となるな」

「はい」


クリスティは頷いた。


「現在の私は、皇帝陛下の補佐として、事実上は後継者の責務を担っています。

ですが、共和国政府との正式な合同会議へ出席し、

帝国の将来に関わる合意を結ぶのであれば、曖昧な立場のままではなりません」


クリスティは、卓上へ置いた手を静かに握った。


「予定どおり、私が二十歳を迎える日に、正式な立太子の儀を執り行ってください」


会議室へ、静かな緊張が走る。


立太子そのものは、すでに検討されていた。


クリスティが皇帝となる意思を示してから、教育、公務、帝国内の支持、

兄姉たちの意向を確認し、必要な準備も進められている。


二十歳の誕生日を正式な節目とすることも、

以前から有力な予定として定められていた。


「そのうえで、皇太子として」

クリスティは父を真っ直ぐに見つめる。

「皇帝陛下の名代として、合同会議における帝国の全権を、私へお与えください」


それは、父へ庇護を求める娘の言葉ではない。

帝国の後継者が、自ら責任を引き受けるための申し出だった。


ルーファスはすぐには答えず、長机の傍らに立つ長男へ目を向けた。


「レオンハルト、異論はあるか」

「ありません」

返答は早かった。


レオンハルトはクリスティへ視線を向ける。


「クリスティは、すでに後継者として必要な責務を担っています。

正式な地位を与える時です」


第一皇子として生まれながら、

自らが皇位を望まないことは以前から明確にしている。

その一方で、兄として、帝国の将来を誰へ託すべきかを考え続けてきた。


ルーファスは、次にアレクシスを見る。


「アレクシス」

「俺も賛成です」

アレクシスも迷わず答えた。


「クリスティ以上に、次の帝国を任せたい者はいません」


普段の柔らかな笑みはない。

一人の皇族として、真剣に妹の覚悟を認めている。


「ヴィオレット」

「異論ありません」


ヴィオレットはクリスティを見つめ、静かに頷いた。


「共和国側で、ルリスティが自らの国と立場を背負って立つのなら、

帝国側から向き合う者はクリスティが最もふさわしいと考えます」


兄姉たちの答えを聞き、ルーファスは再びクリスティへ向き直った。


「分かった」

低く、静かな声だった。

「お前が二十歳を迎える日に、正式な立太子の儀を執り行う」


クリスティの瞳が僅かに揺れる。

それでも、姿勢は崩さなかった。


「そして、マーヴェリア帝国皇太子として、

私の名代として共和国との合同会議へ赴け」


ルーファスの声が、会議室へ明確に響いた。

クリスティは椅子から立ち上がり、皇帝である父へ深く頭を下げた。


「謹んで、お受けいたします」

その声に、迷いはなかった。


◇


ルーファスの視線が、次にリカルドへ向けられた。


クリスティの傍らに立つ赤髪の騎士。

リカルド・アークファイント。


帝国近衛騎士団第一隊長であり、幼い頃からクリスティを守り続けてきた専属騎士。そして今は、黎明の剣を継承した者でもある。


「リカルド」

「はい」


リカルドは一歩進み、ルーファスの前へ膝をついた。


「黎明の剣を継いだ者として、災厄との戦いへ赴く覚悟はあるか」

「ございます」

短い答えだった。

だが、揺るぎはない。


「剣が私へ何を求めているのか、そのすべてを理解したとは申しません」

リカルドは頭を下げたまま続ける。


「ですが、星導の魔導銃が道を開くのであれば、

私は黎明の剣をもって、その先にある根と核を断ちます」


「命を懸けるか」

ルーファスの問いに、リカルドは僅かに顔を上げた。

「必要であれば」

迷いのない返答だった。


「ただし」

リカルドの視線が、一瞬だけクリスティへ向けられる。

「姫様をお守りし、生きて戻る責務を果たしたうえで」


クリスティの瞳が僅かに揺れた。


以前のリカルドであれば、

自分の命を顧みず、ただ彼女を守ることだけを答えたかもしれない。


だが今は、自分も生きて戻ることを責務として口にした。

黎明の剣を振るう者が倒れれば、災厄を終わらせることはできない。

それ以上に、

クリスティが自分の帰還を望んでいることを、今のリカルドは知っている。


ルーファスは、しばらく彼を見つめていた。


「お前を、帝国近衛騎士団長へ任ずる」


会議室の空気が、大きく動いた。


クリスティが目を見開き、ヴィオレットとアレクシスも僅かに表情を変える。

リカルド自身も、一瞬だけ言葉を失った。


現在の近衛騎士団長は高齢を理由に退任を申し出ており、

すでに後任の選定が進められていた。

リカルドが有力な候補であることも、近衛騎士団内では広く知られている。


それでも、正式な任命がこの場で告げられるとは、本人も予想していなかった。


「陛下」

「黎明の剣に選ばれたからではない」

ルーファスは、リカルドの言葉を待たずに続ける。

「お前がこれまで、一人の騎士として積み重ねてきた働きを認めての任命だ」


若くして第一隊長となって以来、リカルドは皇族の護衛だけでなく、

団員の育成や部隊指揮にも携わってきた。

私情で命令を曲げず、それでいて守るべき者の意思を軽んじることもない。


黎明の剣を得る以前から、次期騎士団長にふさわしい実績を重ねていた。


「だが、これから帝国が迎える局面において、

黎明の剣を継ぐお前が騎士団を率いる意味は大きい」


ルーファスは告げる。


「次代の皇太子を護り、帝国の剣を率いよ。

そして、共和国との合同作戦が決した際には、帝国から派遣する部隊の指揮を担え」


リカルドは、しばらく頭を下げたまま動かなかった。

騎士団長となれば、クリスティ一人だけを守っていればよい立場ではなくなる。


帝国近衛騎士団全体を率い、皇族と皇城を守り、部下の命へ責任を負う。

災厄との戦いでは黎明の剣を振るう者であると同時に、

帝国から派遣される兵を預かる指揮官となる。


その重さを理解したうえで、リカルドはさらに深く頭を下げた。


「謹んで、拝命いたします。

帝国近衛騎士団長として、クリスティ様と帝国をお守りし、必ず任を果たします」


力強く、明確な声だった。


クリスティは、膝をつくリカルドを見つめていた。

彼が自分の騎士であることは変わらない。

けれど、これからは自分一人だけではなく、帝国の剣すべてを背負う。

それは、クリスティ自身がこれから国を背負うことと同じだった。


二人は互いの隣に立ちながら、

それぞれに、これまでより大きな責任を引き受けようとしている。


「アークファイント」


クリスティが呼ぶ。

リカルドが顔を上げた。


「これからも、よろしくお願いします」


皇女としてだけではない。

次代の帝国を担う者として、騎士団長となる男へ向けた言葉だった。

リカルドは、その意味を正しく受け止める。


「はい、姫様」


呼び方だけは、これまでと変わらない。

けれど、その声には、騎士団長として帝国を支える新たな覚悟が加わっていた。


◇


ルーファスは、卓上へ広げられた資料を改めて見渡した。


五百年以上前に二つの国へ分けられた記録と力が、

今、再び一つの問題を解くために揃おうとしている。


「ヴィオレット」

「はい」


「ルシアン」

「はい」


「詳細な報告書を、本日中に提出せよ」


ルーファスの声が、完全に皇帝のものへ戻る。


「共和国との共有範囲を除き、本件を帝国最高機密に指定する。

遺構、災厄の種、対の遺産について知る者を限定せよ」

「承知いたしました」

ヴィオレットとルシアンが、揃って頭を下げる。


「レオンハルトは、帝国内における影響と、必要となる法的措置を整理せよ」

「承知しました」


「アレクシスは、共和国への派遣を想定し、護衛部隊と補給計画の案を作成せよ」

「分かりました」


「リカルドは、現騎士団長からの引き継ぎを直ちに開始し、

合同作戦に参加可能な部隊を選定せよ」

「はっ」


「共和国から正式な提案が届き次第、合同会議へ向けた準備を開始する」


一つずつ、命令が下されていく。

失われた歴史を知っただけでは、未来は変わらない。

そこから何を選び、どのように行動するのかが問われている。


「そして」


ルーファスは、黎明の剣へ視線を向けた。

白銀の刀身が、卓上の灯りを静かに反射している。


「帝国は、この真実を独占しない」


誰も異論を挟まなかった。

アステリアの名も、災厄を終わらせる方法も、帝国皇族へ受け継がれた力の意味も、

帝国だけの権威として抱え込むべきものではない。


それは五百年以上前、レオン一世が二つの遺構へ込めた願いに対する、

今の帝国皇帝の答えだった。


「共和国と、対等な立場で協議する。

互いが持つ記録と力を差し出し、共に災厄を終わらせる道を探す」

「はい」


クリスティが答えた。

その声には、すでに次代を担う者としての覚悟が宿っている。


「必ず、帝国と共和国の双方が受け入れられる道を見つけます」

「容易ではないぞ」

「承知しています」


「それでも行くか」

「はい」

クリスティは迷わなかった。

「一つへ戻るためではなく――異なる国のまま、同じ世界を生きるために」


共和国側の遺構で、アステリアが未来へ残した願いを思い浮かべる。


ルーファスは、静かに頷いた。

その傍らには、黎明の剣を継ぎ、新たに騎士団長となるリカルドがいる。


そして遠い共和国では、ルリスティが星導の魔導銃と聖霊王の涙を携え、

同じ未来へ向けて動き始めている。


五百年以上もの時を越え、未来を託された者たちは、

それぞれが担うべき役目へ歩き始めていた。


一つの国へ戻るためではない。

異なる国のまま、共に生きられる世界を取り戻すために。


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