第8話 黒淵に立つ
黒淵北東部
そこではすでに、
魔獣の群れと辺境防衛軍が激しく衝突していた。
魔導銃から放たれる青白い光。
接近した魔獣を迎え撃つ魔導剣。
怒号。
爆発音。
大地を揺らす、巨大な足音。
「大型種が来るぞ!」
「防護障壁部隊はまだか!」
前方から迫る、二体の大型魔獣。
そして、隊列から外れて右翼へ回り込んだ一体、
三体の大型種が、第五小隊を包囲するように迫っていた。
その内側では、第五小隊がワーグ種の群れを必死に食い止めている。
「このままでは挟まれる!」
「隊列を崩すな!」
兵士たちが、迫り来る巨大な影を見上げた。
その時、戦場の後方から、鋭い蹄の音が近づいてきた。
「――多重防護障壁、展開。」
澄んだ声が、戦場へ響き渡る。
次の瞬間。
幾重もの半透明の光が、第五小隊を守るように広がった。
一枚。
二枚。
三枚。
正面と側面へ展開された光の壁に、大型魔獣が激突する。
ドゴォォォォン――!
凄まじい衝撃が大地を揺らした。
兵士たちは思わず、腕で顔を庇う。
けれど、光の壁は砕けなかった。
「司令だ!」
誰かが叫んだ。
軍馬から飛び降りた少女の、
長い白銀の髪が戦場を吹き抜ける風に揺れている。
共和国では滅多に見られない紫水晶の瞳が、
結界の向こうに迫る魔獣を真っすぐに捉えている。
漆黒の軍服に身を包んだ少女は二丁の魔導銃を構え、
兵士たちを守るように前線へ立っていた。
「お待たせしました。」
ルリスティは、大型魔獣の突進を受け止めた防護障壁へ、さらに魔力を注いだ。
光の壁に生じた亀裂が、瞬く間に修復されていく。
「防護障壁は、五分間維持します。」
二丁の魔導銃を構える。
黒鉄色の銃身へ刻まれた術式が、彼女の魔力を受けて強く輝いた。
「その間にワーグ種を殲滅し、大型種を分断してください。」
「一体ずつ、確実に仕留めます。」
「了解!」
兵士たちが、一斉に動き出した。
ルリスティの魔導銃から、青白い魔力弾が放たれる。
一発目は、大型種の眉間を覆う甲殻へ。
二発目は、横から飛びかかろうとしていたワーグ種の喉へ。
三発目は、第五小隊の死角へ回り込んだ魔獣の脚を正確に穿った。
左右の銃口が、それぞれ異なる標的を捉える。
少女の細い指が引き金を引くたび、
周囲のワーグ種が一体ずつ地面へ倒れていった。
「左翼が押されています!」
兵士の声が飛ぶ。
ルリスティは防護障壁を維持したまま、戦場全体へ視線を巡らせた。
「第七小隊の半数を左翼へ。」
「第二小隊は、中央を維持してください。」
「負傷者は防護障壁の内側へ。治癒班は前へ出すぎないように。」
「了解!」
命令が伝わるたび、乱れかけていた部隊の動きが整っていく。
兵士たちは、ルリスティの防護障壁に守られながら、
それぞれの役目を果たしていた。
「一体目を分断しました!」
「魔導砲部隊、射線確保!」
ルリスティが戦場を確認する。
味方はすでに、射線の外へ退避していた。
「撃ってください。」
その指示と同時に後方の魔導砲が、轟音とともに魔力の奔流を放った。
眩い光が、一体目の大型種へ直撃する。
巨大な身体が大きく揺らぎ、
続く兵士たちの集中攻撃を受けて地響きとともに崩れ落ちた。
「一体目、撃破!」
「残り二体!」
「防護障壁を前進させます。」
ルリスティが、一歩踏み出す。
残る二体の大型種を押さえていた光の壁が、
少女の動きに合わせてゆっくりと前進した。
巨大な魔獣たちが、力ずくで押し戻されていく。
二体の大型種を防護障壁で押さえながら、
二丁の魔導銃で、周囲の魔獣を撃ち抜く。
それだけではない、
戦場全体を見渡し各部隊へ的確な指示を送り続けている。
まだ十七歳。
華奢な身体つきも、その顔に残る幼さも。
彼女が本来ならば、まだ少女と呼ばれる年齢であることを示していた。
それでも、この戦場を支えているのは間違いなく彼女だった。
その時。
黒淵の奥が、不気味に脈打った。
深い闇が、まるで生き物のように蠢く。
ルリスティの胸の奥に、理由の分からない痛みが走った。
「……っ。」
一瞬だけ、呼吸が止まる。
何かを思い出したわけではない。
映像も、声も、何も浮かばない。
ただ、あの闇を見つめていると、胸の奥がひどく冷たくなる。
まるで、自分の一部があの場所を知っているかのように。
「司令!」
兵士の声で、意識が戦場へ引き戻された。
「大丈夫ですか!」
ルリスティは、黒淵から目を逸らした。
「……ええ。」
胸の奥に残る違和感を押し込み、再び二丁の魔導銃を構える。
「右側の大型種が動きます。第三小隊は、いったん距離を取ってください。」
大型種が、防護障壁へ激しく身体を叩きつけた。
光の壁が大きく揺れる。
ルリスティの靴が、僅かに地面を滑った。
「司令!」
「問題ありません。」
防護障壁へ、魔力を注ぎ直す。
少女の声は、いつもと変わらず穏やかだった。
「まだ、誰も欠けていません。」
その言葉を聞き、兵士たちの表情が引き締まる。
「総員、ここにいる全員で帰ります。」
ルリスティの声が、戦場へ届いた。
兵士たちが、一斉に応える。
「了解!」
「当たり前です!」
「司令を一人で帰すわけにはいきませんからね!」
その声を聞き。
ルリスティの表情が、僅かに和らいだ。
そして、迷いなく正面の魔獣へ銃口を向ける。
「ええ、今日も生きて帰りましょう。」
ルリスティの防護障壁が、
残る二体の間へ割り込み戦場を分断した。
第三小隊が一体を引きつけ。
再装填を終えた魔導砲部隊が、もう一体へ照準を合わせる。
兵士たちは互いの背中を守りながら、
ルリスティの指示どおりに攻撃を重ねていった。
やがて二体目が倒れ。
最後の大型種も、集中攻撃を受けて地面へ崩れ落ちた。
黒淵前線に、兵士たちの歓声が響き渡る。
「負傷者を確認してください。」
ルリスティは、
二丁の魔導銃を腰のホルスターへ戻しながら告げた。
「軽傷者、十二名!」
「重傷者はいません!」
一瞬の間を置いて報告した兵士が、満面の笑みを浮かべた。
「死亡者も、ゼロです!」
その報告を聞き、ルリスティは、ようやく小さく息を吐いた。
「そうですか。皆さんが無事で、何よりでした。」
疲労を滲ませながらも、穏やかに微笑む。
その笑顔を見て、兵士たちも笑った。
誰一人として、置いていかない。
守るためならば、自ら前線へ立つことも恐れない。
それが辺境防衛軍の兵士たちが知る、
ルリスティ・トリウリッドという若き司令官の姿だった。
けれど、共和国の誰も知らない。
彼女の白銀の髪と紫水晶の瞳が、
黒淵の向こう側で、今も存在し続ける国。
マーヴェリア帝国の皇族に受け継がれる色であることを。
彼女自身もまた知らなかった。
自分が、百五十年前に滅びたと教えられてきた、
帝国の失われた皇女であることを。
そこに、自分の帰りを待ち続ける家族がいることを。
自分が、その帝国から十五年前に奪われた、
失われた第三皇女であることを。
十五年前。
奈落の亀裂によって、
故国と家族から引き離された幼い皇女は、
今、
黒淵の北で、人々を守る司令官として立っていた。




