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第7話 奈落門の先にある国

アドバンス共和国。


大陸北部に広がる、魔導技術の国。

黒や茶の煉瓦を基調とした街並みには、

鋼鉄の配管と淡い光を放つ魔力灯が並んでいる。


工房からは、機械の駆動音が絶え間なく響き。

街路には馬車が行き交い主要都市を結ぶ線路には、

魔力炉を動力とする汽車が走っていた。


帝国のような華やかさはない。


その代わり、堅牢で実用的で、

長い年月を生き抜くための知恵が、

国の至るところへ根づいていた。


共和国が発展させたのは、

魔術と機械を融合させた独自の魔導技術。


術式を通して、兵士の魔力を射出する魔導銃。

魔力によって威力を増幅する魔導剣。

都市や砦を守る防護障壁装置。

遠方の魔力反応を捉える観測装置。


共和国において。

魔術は、祈りでも神秘でもない。


解析し、組み立て、

誰もが同じ結果を再現できるようにするための技術だった。

聖霊という存在も、聖霊が人へ加護を与えるという概念も。

この国ではすでに失われて久しい。


そして、共和国の南には、

大地を深く切り裂く巨大な亀裂が存在する。

共和国の民は、それを黒淵こくえんと呼んでいた。


百五十年前。

共和国から南方へ続いていた唯一の街道が、

突如として現れた漆黒の亀裂に呑み込まれた。


亀裂からは、異形の魔獣が絶え間なく現れた。

陸路は断たれ、

海には巨大な海魔が現れ、

空は凶暴な竜に閉ざされた。

南との交流は、その日を境に完全に途絶えた。


共和国の子どもたちは、幼い頃からこの歴史を聞かされて育つ。

――かつて、黒淵の向こう側には、

マーヴェリア帝国という国があった。


だが、百五十年前。

黒淵の発生によって、帝国との行き来は完全に途絶えた。


それ以来、向こう側から一人の使者も現れていない。

帝国が今も存在しているのか、確かめる術はなかった。

長い年月の中で、

帝国は滅びたのだろうと考える者がほとんどになった。


黒淵の向こう側に、人の暮らす国はもう存在しない。

それが、共和国にとっての常識だった。


だからこそ、黒淵は国境ではない。

隣国へ続く道でもない。

共和国の民にとって、そこは、世界の終わりだった。



マーヴェリア帝国で一人の幼い皇女が奈落へ消えたあの日から。

十五年後――。


アドバンス共和国

黒淵前線

辺境防衛軍本部


「司令!」

若い通信兵が、勢いよく司令室へ飛び込んできた。

「黒淵北東部より、魔獣の群れを確認しました!」

戦況図を広げた執務机の前で一人の少女が、静かに顔を上げた。


「数は。」

「推定四十五!」

「種類を。」

「ワーグ種が四十二。大型種が三体です!」


少女の表情は変わらなかった。

細い指が、戦況図の北東部へ触れる。


「第五小隊を前へ。」

「第七小隊は右翼へ展開し、第五小隊を援護してください。」

「大型種三体には、第三小隊と防護障壁部隊を当てます。」

穏やかな声だった。


だが、下される指示に迷いはない。

「第四小隊は後方に残し、負傷者の搬送経路を確保。」

「魔導砲部隊は、味方が射線から外れるまで待機してください。」

「了解!」

通信兵たちが、一斉に動き始める。


その中で報告に来た若い兵士だけが、

不安を残した表情で少女を見つめていた。

「司令。」

「何でしょう?」

「俺たちは……勝てますよね?」

司令室が、一瞬だけ静かになった。


少女は、兵士の顔を真っ直ぐに見つめる。

軍服の脇で握られた兵士の指先が、僅かに震えていた。

黒淵前線へ配属されてから、まだ日が浅いのだろう。


「命令どおりに動けば、大丈夫です。」

少女の表情が、ほんの少しだけ和らいだ。

「皆さんが訓練してきたことを、私は知っています。

自分と共に戦う仲間を信じてください。」


兵士は強く唇を結び、敬礼した。

「了解しました!」

通信兵たちが、司令室を飛び出していく。

扉が閉じると、部屋には束の間の静けさが戻った。


少女は席を立ち、窓の外へ視線を向ける。

遠くに見えるのは、

大地を深く切り裂く巨大な漆黒の亀裂。

黒淵こくえん


百五十年前から共和国の南方を閉ざし、

今もなお深い闇の中から絶え間なく魔獣を吐き出し続けている。


少女は、机の端へ目を向けた。

そこには、古びた司令官章が置かれていた。

父が生前、身につけていたものだった。


「お父さん、今日も、忙しくなりそうです。」

少女は、誰にも聞こえないほどの声で呟く。

返事はない。

父は、もうどこにもいない。

それでも、判断に迷った時には、今も父の声が聞こえるような気がした。


『一人で、何もかも背負うな。』

『困った時は、周りを頼れ。』


少女は、僅かに苦笑した。

「……それができれば、苦労はしないのですが。」

その時、机の上の魔導通信器が激しく明滅した。


『司令!』

切迫した声が響く。

『大型種一体が、予測より早く右翼へ回り込みました!

このままでは、第五小隊の側面へ突入します!』


少女の表情が引き締まる。

「防護障壁部隊の到着は。」

『間に合いません!』

「被害予測を。」

一瞬。

通信が途切れた。

『……十五名以上です』


少女は、机の横に置かれた二丁の魔導銃を手に取る。

黒鉄色の銃身に刻まれた精緻な魔術式が、

持ち主の魔力に呼応して淡い青白い光を帯びた。


「私が出ます。」

『しかし、司令ご自身が前線へ出るほどでは――。』

「私が出なければ。」

静かな声が、相手の言葉を遮る。

「十五名以上が傷つくのでしょう?」


通信の向こうで、相手が息を呑んだ。

「ならば、ここに残る理由はありません。」

『……承知しました。』

「単騎で向かいます。到着まで三分。」


二丁の魔導銃を腰へ収め、少女は漆黒の外套を羽織った。

そのまま扉へ向かい、最後に一度だけ振り返る。

「それまで、誰も死なせないでください。」

『了解!』


司令室を出ると。

待機していた副官が、驚いたように駆け寄った。


「司令。ご自身で出られるのですか?」

「ええ。」

「ですが、正式に司令官へ任じられてから、まだ日が浅いのです。

司令が負傷されれば、辺境防衛軍全体の指揮に関わります。」

「分かっています。」


少女は足を止め、副官を真っ直ぐに見た。

「だからこそ、短時間で終わらせます。」

それから、いつもの穏やかな笑みを浮かべる。

「防護障壁なら、少しだけ得意ですから。」

そう言い残し、少女は軍馬の待つ厩舎へ向かった。


その名は。

ルリスティ・トリウリッド。

十七歳。

亡き前司令官、クラウス・トリウリッドの一人娘。


一年前。

父の死によって混乱した黒淵前線を、司令官代行として支え続け。

共和国史上最年少で准将へ昇進し、

辺境防衛軍司令官へ正式に任じられた少女だった。


漆黒の軍服を纏い。

二丁の魔導銃を携えて。


ルリスティは今日も、人々を守るために黒淵前線へ向かう。

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