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第9話 辺境への辞令

アドバンス共和国首都

中央総督府、軍務局


「ジェイク・マルセリア少佐。」

重厚な執務机の向こうから、

軍務局長が一枚の辞令を差し出した。

「貴官を、辺境防衛軍第一部隊長に任命する。」

「ありがとうございます。」

ジェイクは辞令を受け取り、記された文字へ目を落とした。


アドバンス共和国辺境防衛軍

第一部隊長


自ら提出した志願書が、正式に受理されたのだ。

「まさか、本当に通るとは思いませんでした。」

「通らないと思って志願したのか。」

「駄目でもともと、というやつですよ。」

ジェイクは悪びれる様子もなく笑った。

黒い髪に、深い青の瞳。

軍服は規定どおりに着ているものの、

その表情や態度には、どこか人を食ったような軽さがある。


「首都勤務を捨て、

自ら黒淵前線を志願するとはな、物好きな男だ。」

軍務局長は呆れたように息を吐いた。

「首都防衛より、楽しそうじゃないですか。」

「黒淵前線を遊び場のように言うな。」

「毎日同じ城壁を眺めてるより、

魔獣を斬ってる方が性に合ってるんですよ。」

口調は軽い。

だが、その言葉が単なる冗談ではないことを、

軍務局長も知っていた。


ジェイクは士官学校を上位の成績で卒業し、

首都防衛軍でも複数の討伐任務を成功させている。

前線で部下を置き去りにしたことはなく、

撤退時には必ず自分が最後尾に立った。

普段の態度について苦言を呈する者はいても、

軍人としての能力に、疑いを挟む者はいなかった。


「ところで。」

ジェイクは辞令を軍服の内側へ収めながら、顔を上げた。

「辺境には、美人が多いですかね?」

執務室の空気が止まった。


「……貴官は、何を目的に志願した?」

「共和国を守るためですよ。」

「今の質問のどこに使命感があった。」

「命懸けで赴任するんですから、

少しくらい楽しみがあってもいいでしょう?」

「今すぐ辞令を取り消してやろうか。」

「冗談ですって。」


軍務局長は深いため息を吐いた。

「先に言っておく。」

「何です?」

「貴官の上官となる司令官は、十七歳の少女だ。」

ジェイクが目を瞬く。

「……十七歳?」

「ああ。」

「辺境防衛軍の司令官が?」

「何度も聞き返すな。」

軍務局長の顔に、冗談を言っている様子はない。


「前司令官の一人娘だ。」

「…世襲ですか?」

ジェイクの声から、それまでの軽さが消えた。

兵士たちは、指揮官の判断へ命を預ける。

血筋や情だけで選ばれた者が上に立てば、

犠牲になるのは現場の人間だ。

「それは笑えませんね…。」

「世襲ではない。」

軍務局長は、きっぱりと否定する。

「辺境防衛軍は、共和国軍の中でも徹底した実力主義だ。

年齢も、家柄も、誰の子であるかも、あの場所では意味を持たない。」


机の上に置かれた人事資料へ手を伸ばす。

「黒淵で兵を守り、生還させられる者が上に立つ。

ただ、それだけだ。」

ジェイクは黙って、話の続きを待った。

「現在の司令官は、前司令官が亡くなった当時、

まだ十六歳の大佐だった。」


「……十六歳で大佐?」

「前線が混乱する中、臨時で全軍の指揮を引き継ぎ、

崩れかけた防衛線を立て直した。」

軍務局長は資料の一頁をめくる。

「その後も一年にわたり、司令官代理として実績を積み、

十七歳となった現在、准将へ昇任。

正式に辺境防衛軍司令官へ就任した。」


ジェイクは、何とも言えない顔で人事資料を見た。

「いや、十七歳で准将なのも大概ですけど、

十六歳で大佐だった時点でおかしくないですか?」

「年齢だけを見ればな。」

軍務局長は、ジェイクを真っ直ぐに見た。

「だが、能力を見れば何もおかしくない。

司令官に相応しい者が、彼女以外にいなかった。」


「共和国って、そこまで人材不足なんですか?」

「その言葉は、本人の前では口にするなよ。」

「普通はそう思うでしょう。」

「本人を見れば分かる。」

「また曖昧な…。」

「会えば分かる。」

その声には、奇妙なほどの確信があった。


「彼女が前司令官の娘だからあの席へ座っているのではないことも、

十七歳で准将となった理由もな。」

ジェイクは片眉を上げた。

「そこまで言われると、余計に興味が湧きますね。」

「物見遊山へ行くのではないぞ。」

「分かっていますよ。」

「それから。」

軍務局長は、目を細めた。

「年齢を理由に侮るな。貴官の上官だ。」

「任務中は、弁えています。」

ジェイクは先ほどまでとは別人のように姿勢を正した。

「ジェイク・マルセリア少佐、

辺境防衛軍第一部隊長の任、確かに拝命しました。」



――同じ頃。

辺境防衛軍本部を出たルリスティは、

夕暮れの道をゆっくりと歩いていた。


向かう先は、辺境防衛軍墓地。

共和国を守るために命を懸けた者たちが眠る場所。

その一角に、目的の墓石はあった。

ルリスティは墓前へ白い花を供え、静かに膝をついた。

「ただいま、お父さん。」


墓石には、簡素な文字が刻まれている。

クラウス・トリウリッド

共和国の英雄

辺境防衛軍前司令官


けれど、ルリスティにとってはただ一人の父親だった。

「今日も、皆さんは無事でした。」

「第五小隊の方々も、随分頼もしくなりましたよ。」

小さく微笑む。

「……大型種が出たので、少しだけ前へ出てしまいましたが。」

風が吹き。

墓前へ供えた花が、小さく揺れた。

『少しではないだろう。』

そんな父の声が聞こえたような気がした。

「やはり、怒りますか?」

幼い頃から。

誰かを守るために無茶をすると、父はいつも同じことを言った。


『お前は優しすぎる。』

『だからこそ、自分のことも大切にしろ。』

『何もかも一人で背負おうとするな。』


「難しいですよ、お父さん。」

ルリスティは、そっと墓石へ触れた。

「私は、ちゃんと司令官を務められているでしょうか。」

「まだ、お父さんには遠く及びませんが……。」


返事はない。

それでも、ここへ来ると、

不思議と一人ではないように思えた。


「皆さん、とても優しいんです。」

「お父さんが守ってきた辺境防衛軍は、今も変わっていません。

ですから、安心してください。」


そこで、言葉が途切れた。

ルリスティは、僅かに目を伏せる。


「……でも、少しだけ、会いたいです。」

「もう一度、お父さんと話したいです……。」

十七歳の少女の呟きは、夕暮れの風へ溶けていった。

しばらくして墓地の入口に、一人の男が姿を現した。


辺境防衛軍第二部隊長

マイク・クルトワ中佐

ルリスティの祈りを邪魔しないよう、

少し離れた場所で待っていたらしい。


「司令。」

「クルトワ中佐。」

ルリスティは立ち上がり、軍服の裾についた土を払った。

「何かありましたか?」

「明日、首都から新たな第一部隊長が着任します。」

「以前、お話しされていた方ですね。」

「ジェイク・マルセリア少佐です。」

クルトワは、手にしていた人事資料を差し出した。

「本人の志願による赴任だそうです。」

「自ら黒淵前線へ?」

ルリスティは僅かに目を丸くし、資料へ視線を落とした。


士官学校での成績。

首都防衛軍での戦績。

指揮能力。

部下からの評価。

いずれも申し分ない。


「第一部隊長として、十分な経歴ですね。」

「能力については問題ありません。」

クルトワは、一度だけ言葉を止めた。

「ただ…。」

「何でしょう?」

「女性関係が、かなり派手な人物としても有名です。」

ルリスティは資料から顔を上げた。

「そうなのですか?」

「首都では、女たらしとまで言われているとか。」

「勤務態度に問題は?」

「ありません。任務中は冷静で、公私の区別も明確だそうです。」

「でしたら、問題ありません。」


ルリスティは、再び資料へ視線を落とした。

「仕事に支障を来さないのであれば、

私生活について私が口を出す理由はないです。」

「気になさらないのですか?」

「辺境防衛軍に必要なのは、仲間を守り、部隊を正しく指揮できる方です。」

ルリスティは穏やかに微笑んだ。

「誰と交際しているかではありません。」

「……おっしゃるとおりです。」

クルトワは、僅かに目を伏せた。


ルリスティは、もう一度父の墓へ向き直る。

「お父さん。明日から、また少し賑やかになりそうです。」

夕暮れの空は、どこまでも穏やかだった。



翌日。

首都から長い鉄道の旅を終えた列車が、辺境の駅へ到着した。


「到着しましたよ、少佐。」

「ああ、長かった。」

列車を降りたジェイクは、大きく背伸びをした。

目の前に広がるのは、首都とはまるで違う景色だった。


黒や茶の煉瓦で造られた、堅牢な建物。

幾重にも重なる防壁。

巡回する武装兵。

並べられた魔導砲。

そのすべてが。

この町が、戦うための場所であることを示していた。


町の外れ、その先には。

大地を深く切り裂く、巨大な漆黒の亀裂が見える。


「あれが……黒淵か。」

「ええ。」

案内役の兵士が頷いた。

「我々辺境防衛軍が、百五十年間守り続けてきた、

共和国最南端の防衛線です。」

「思ったよりでかいな。」

「近くで見れば、さらに大きく感じますよ。」

ジェイクは、しばらく黒淵を見つめていた。


言葉では、何度も聞いてきた。

共和国の南方を閉ざし、今なお魔獣を吐き出し続ける場所。

世界の終わり。

けれど、実際に目の当たりにした漆黒の亀裂は、

想像していた以上の威圧感を放っていた。


「少佐?」

案内役の兵士に呼ばれ、

ジェイクはようやく黒淵から視線を外した。

「……いや。」

小さく息を吐き、再び辺境防衛軍本部へ続く道を歩き始める。

「辺境へ来たって実感が湧いただけだ。」


この時、

黒淵の先に何があるのかも。

これから出会う十七歳の司令官が、

やがて自分が命を預けるに足る上官となり、

自分の人生を大きく変える存在になることも。

ジェイクは、まだ知らなかった。


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