第88話 五人の報告会議
――クルトワ中佐視点
辺境防衛軍の砦へ帰還した翌日。
司令官執務室の隣にある小会議室には、遺構調査へ参加した五人が集まっていた。
共和国辺境防衛軍司令官、ルリスティ・トリウリッド。
第一部隊長、ジェイク・マルセリア大佐。
帝国皇女、ヴィオレット・フォン・マーヴェリア。
帝国宮廷魔術師、ルシアン。
そして、第二部隊長であるクルトワ中佐。
机の中央には、遺構内で書き写した碑文や魔力構造の記録、
水鏡に映された記憶の断片、簡略化した見取り図が並べられている。
五百年以上もの間、失われていた歴史。
聖霊王アステリアと初代皇帝レオン一世、皇族の祝福の起源、
災厄の種、聖霊王の涙。そして、星導の魔導銃と黎明の剣。
どれも両国の未来を左右しかねない情報ばかりだった。
当然、極めて厳粛な会議になるはずだった。
「では、遺構で確認した情報を整理します」
司令官が席へ着き、全員を見渡す。
普段と変わらない冷静な声を聞きながら、
クルトワは書記用の紙を広げ、筆を取った。
「最初に、公開範囲を決める必要があります」
マルセリア大佐が続ける。
「遺構の発見そのものを隠し通すことは不可能です。
しかし、確認した内容をすべて公開すれば、混乱を招きます」
「特に聖霊王の涙ですね」
ルシアン殿が頷いた。
「傷ついたものを癒やす強大な力があるとだけ伝われば、
各方面から利用を求められる可能性があります。
ですが、あれは傷病者を無制限に癒やすための道具ではありません」
「災厄の種を滅したあと、傷ついた大地へ再び命を迎えるための力です」
ヴィオレット殿下が補足する。
会議の内容に問題はない。
発言も判断も適切であり、今のところ議題から外れた話も出ていない。
ただ、昨日の帰還時から、クルトワが認識している変化があった。
マルセリア大佐の機嫌がよい。
表情そのものは普段と大きく変わらないものの、声は僅かに柔らかく、顔色もいい。
遺構へ向かう前はまだ重傷からの回復途上で、
医務官から歩行時間まで制限されていた男とは思えないほどだった。
一方、司令官は必要がなければマルセリア大佐の方を見ようとしない。
発言を求める時には見るし、必要な確認もする。
だが目が合うと、ほんの僅かに視線を逸らす。
昨日、二人が人前でごく自然に手を取っていたことも、クルトワは覚えている。
何があったのか、詳細までは知らない。
そして、知る必要もない。
少なくとも、職務上は。
「司令官」
クルトワは口を挟んだ。
「何でしょう」
「マルセリア大佐の傷についてですが、帰路で悪化した様子はありませんでしたか」
「ありません」
回答は早かった。
「帰還前にも確認しました」
「司令官が直接?」
「……はい」
返答が、僅かに遅れた。
クルトワは筆先を止める。
「なるほど」
それ以上は尋ねなかった。
すると、隣からマルセリア大佐が穏やかに続ける。
「司令官の処置がよく効きました」
司令官の手から筆が落ち、小さな音が会議室へ響いた。
「司令官?」
「問題ありません」
無表情のまま筆を拾っているが、耳だけが赤い。
クルトワは一度マルセリア大佐へ目を向けた。普段と変わらぬ顔をしている。
ただし、機嫌はやはりよい。
「話を戻しましょう。報告書は二種類に分けます」
司令官が言った。
「一般報告と、最重要機密報告ですね」
ヴィオレット殿下が応じる。
「一般報告には、古代遺構を発見した事実と、
人間と未知の存在が共存していた記録が見つかったことまでを記載する」
「聖霊です」
ルシアン殿が訂正した。
「共和国側では、まだ正式に認められた概念ではありませんが」
「その点も難しいですね」
クルトワは筆を走らせる。
「共和国では、アステリアは神話上の女神として伝わっています。
いきなり『女神ではなく、すべての聖霊を束ねる王だった』と公表しても、
受け入れられるとは限りません」
「帝国でも同じです」
ヴィオレット殿下が静かに答えた。
「聖霊王という存在は理解できます。ですが、その方が初代皇帝の妻であり、
私たち皇族の祖先だったことは知られていません」
「しかも、帝国ではアステリア様の名が失われ、
共和国では聖霊そのものが忘れられている」
ルシアン殿が続ける。
「片方の記録だけを読めば、どちらも真実の一部しか分かりません」
「だからこそ、照合が必要です」
司令官が頷いた。
その瞬間、隣に座るマルセリア大佐と目が合う。
二人は一瞬だけ黙り、マルセリア大佐の口元が僅かに緩んだ。
すると司令官の頬へ赤みが差し、すぐに資料へ視線が戻される。
クルトワはその一連の変化を見たが、筆は止めなかった。
遺構に関する記録を思い出したのであれば、そのうち報告される。
そうでなければ職務とは関係がない。
どちらにせよ、今尋ねる必要はなかった。
机の反対側では、ヴィオレット殿下とルシアン殿にも少し変化がある。
ヴィオレット殿下はいつもどおり静かで落ち着いており、
ルシアン殿も会議中にふざけるような男ではない。
だが、こちらも機嫌がよい。
ヴィオレット殿下が発言するたび、分かりやすいほど嬉しそうに彼女を見る。
「帝国側へ持ち帰る資料は、この三点でよいでしょう」
ヴィオレット殿下が机の上の写しを確認する。
「はい」
ルシアン殿が即答した。
「ヴィオレット様の判断が最適だと思います」
「内容を確認しましたか」
「もちろんです」
「まだ手元へ取っていませんが」
「ヴィオレット様が選んだのであれば、間違いありません」
「ルシアン」
ヴィオレット殿下の声が少し低くなる。
怒っているようには見えないが、耳が赤い。
昨日から、似た現象を何度か見ている。
クルトワは一度だけ二人へ目を向けた。
ルシアン殿は幸せそうだった。
ヴィオレット殿下は普段以上に無表情だった。
つまり、こちらにも何かあったのだろう。
詳細を確認する必要はない。
「共和国政府への報告についてですが」
クルトワは何事もなかったように話題を戻す。
「中央から使節団を招く形がよいと思います。
司令官と聖霊王の涙を移動させるより、こちらへ来てもらう方が安全です」
「同意します」
マルセリア大佐が答えた。
「遺構そのものも共和国領内にあります。
政府関係者が現地に近い場所で説明を受ける方が、理解も早いでしょう」
「ただし、遺構の位置は使節団の全員には公開しません」
司令官が言った。
「警備上の理由ですか」
「それだけではありません」
司令官は机上の地図へ視線を落とす。
「遺構は、アステリアとレオン一世が未来へ託した場所です。
共和国の資産として独占することも、帝国へ明け渡すこともできません」
「両国のものでもない」
ヴィオレット殿下が静かに応じた。
「二人が未来に生きる者へ残したものです」
「はい」
司令官とヴィオレット殿下が見つめ合う。
今度は、どちらも視線を逸らさなかった。
遺構の最深部で、司令官は初めてヴィオレット殿下を「お姉様」と呼んだ。
昨日、砦へ戻ってからも二度、その呼び方を耳にした、
ガレス中佐とオリビアが揃って固まっていたことを、クルトワは覚えている。
今の姉妹の間には、調査へ出発する前にはなかった穏やかな繋がりが生まれていた。
「帝国への報告は、ヴィオレット様とルシアン殿へお願いします」
司令官が少し迷ってから続ける。
「承知しました」
ヴィオレット殿下が頷いた。
「一度、帝国へ戻り、皇帝陛下へ直接報告します」
「僕からは、聖霊と魔力構造について説明します。
共和国側の記録と帝国側の資料を照合する必要があることも」
ルシアン殿も続ける。
「合同会議の開催も提案してください」
司令官が言う。
「帝国へ向かうのですか」
ヴィオレット殿下の問いに、司令官は首を横へ振った。
「今は砦を離れられませんし、共和国政府への報告もあります」
「それに、遺構発見直後に司令が帝国へ向かえば、
共和国側へ不要な疑念を生みます」
マルセリア大佐が補足した。
「では、帝国側がこちらへ来ます」
ヴィオレット殿下は妹を見つめる。
「そうしていただける方がいいと思います」
司令官は静かに答えた。
言葉は公的だった。
それでも、クルトワには分かる。
ヴィオレット殿下は妹を帝国へ連れて帰ろうとしているのではない。
ただ、もう一度会う約束を確かなものにしたいのだ。
「必ず戻ります」
ヴィオレット殿下の言葉に、司令官が僅かに目を見開く。
「帝国へ報告し、必要な準備を整えたら、必ずここへ戻ります」
「……はい」
返事は小さい。
だが、その表情は以前より柔らかかった。
隣では、ルシアン殿がまた嬉しそうにヴィオレット殿下を見ている。
その視線に気づいたヴィオレット殿下の耳が、僅かに赤くなった。
クルトワは見なかったことにした。
「機密報告書の作成については、今日中に役割を分担しましょう」
マルセリア大佐が口を開く。
「帝国古代文字は、私が担当します」
「聖霊と魔術理論は僕が」
ヴィオレット殿下とルシアン殿が続ける。
「共和国古代文字、地質構造、遺構内部の術式は私がまとめます」
クルトワも自分の担当を書き込んだ。
「軍事的危険性と、情報公開による影響は俺が」
「最終的な公開範囲と、共和国政府への報告内容は私が判断します」
マルセリア大佐に続き、司令官が締めくくる。
役割が決まった。
極めて合理的で、無駄のない分担だった。
「では、本日は一度休息を取り、午後から各自作業を開始するということで」
クルトワが全員を見渡す。
「異議ありません」
「僕も」
「同意します」
三人が順に頷いた。
司令官が会議を終えようとした、その時だった。
「一つだけ、確認しても?」
ルシアン殿が手を上げる。
「何でしょう」
「帰還前の野営地ですが――」
司令官とマルセリア大佐の動きが僅かに止まり、
ヴィオレット殿下も隣のルシアン殿を見る。
「昨夜、僕とヴィオレット様が外へ出た時――」
「ルシアン」
静かな声だった。
ルシアン殿は一瞬だけ目を瞬いたあと、すぐに理解したらしい。
「……失礼しました。警備上、特筆すべき事象はありませんでした」
何事もなかったように言い直すと、マルセリア大佐も即座に続けた。
「俺からもありません」
司令官の顔が赤くなる。
クルトワは四人を見渡した。
昨夜の野営地で、何かがあったらしい。
そしてルシアン殿とヴィオレット殿下は、それを見なかったことにしているらしい。
遺構に関する情報ではない。
警備上の問題もない。
ならば。
「承知しました。議事録への記載は不要とします」
「ありがとうございます」
なぜかマルセリア大佐が答えた。
クルトワは少しだけ彼を見る。
だが、理由を尋ねる必要はなかった。
「それでは、会議を終了します」
司令官が立ち上がり、全員も席を離れた。
ヴィオレット殿下とルシアン殿が先に会議室を出る。
二人の距離は以前より僅かに近く、扉を出る直前にはルシアン殿が何かを囁き、
ヴィオレット殿下が顔を赤くして彼の腕を軽く叩いていた。
クルトワには声が聞こえなかった。
聞き取ろうとも思わなかった。
そのあと、マルセリア大佐も立ち上がる。
「司令」
「何ですか」
「午後の作業前に、傷の状態を確認していただけますか」
「……昨日、医務官から問題ないと言われたでしょう」
「司令の判断も仰ぎたいと思いまして」
「医療班へ行ってください」
「司令の処置が、最もよく効きますので」
司令官の顔が再び赤くなる。
「大佐、あとで、執務室へ」
「承知しました」
マルセリア大佐は、恐ろしく機嫌のよい顔で会議室を出ていった。
残されたクルトワは、机の上の資料を整理する。
遺構から帰還して以来、四人の様子には確かに変化があった。
目が合えば逸らす者がいれば、以前より距離が近くなった者もいる。
そして、妙に機嫌のよい男が二人。
だが体調に問題はなく、判断力も任務への集中も保たれている。
遺構について秘匿すべき情報を隠している様子もない。
何より、昨日までより四人とも少し表情が穏やかになっていた。
ならば、職務上は何の問題もない。
クルトワは議事録の最後へ記す。
『調査参加者五名、全員に重篤な負傷なし。精神状態も安定。任務遂行に支障なし』
そこで一度、筆を止めた。
昨日の帰還時から今日の会議までを思い返し、
少し考えたあと、もう一文だけ付け加える。
『なお、一部参加者に平時と比較して顕著な気分高揚が認められるが、
職務上の問題なし』
原因については記載しない。
確認する必要もない。
クルトワは議事録を閉じた。
後日、この一文を目にしたマルセリア大佐とルシアン殿が、
揃って何とも言えない顔で視線を逸らすことになる。
だが、その理由についてもクルトワ中佐が追及することはなかった。
職務に不要な推測はしない。
それが彼の方針だった。




