↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マーヴェリア帝国物語  作者: 北村えり
第五章 星と黎明の記憶
PR
82/106

第81話 黎明を携える者

水面に映る星々が、静かに揺れていた。

広間の奥へ浮かび上がった扉には、二人の姿が並んで刻まれている。


星を抱く女性。

長い髪には、先ほどの浮き彫りと同じ白銀の鉱石が埋め込まれている。

その隣には、一振りの剣を携えた人間の男。

二人は向かい合うのではなく、同じ方角を見つめ、肩を並べて立っていた。


女性の周囲には、小さな聖霊たち。

炎の尾を引くもの、水滴のように透き通ったもの、鳥の翼や花弁をまとったもの。


男の背後には人間たちがいる。

剣を持つ者、鍬を担ぐ者、幼子を抱く者、傷ついた者を支える者。


男はその前へ立っているが、支配者のようには見えない。

彼自身も、人々と同じ先を見つめていた。


「……この二人。」

ヴィオレットの声が僅かに低くなる。


ルシアンもすぐに気づいた。

「騎士団本部の地下遺構で見た壁画と、よく似ていますね。」


初代皇帝レオン一世の像の地下。

そこにも、星を象徴する女性と、

昇る太陽の意匠を持つ剣を携えた男が、肩を並べて描かれていた。

あの時は、二人の名も関係も分からなかった。


ヴィオレットは女性像を見上げる。

「先ほど明かされた名から考えれば……こちらが、聖霊王アステリア。」


「では、隣の男性も、あの壁画と同じ人物なのでしょうか。」

ルシアンが剣を持つ男を見る。


クルトワは水晶灯を掲げ、二人の像を照らした。

「帝国側の遺構にも、この二人が?」


「はい。ただし、あちらには名は残されていませんでした。」

ヴィオレットが答える。


男の剣は、長く真っ直ぐに伸びている。

鍔の中央には、昇り始めた太陽を思わせる円形の紋章。


ルシアンが目を細めた。

「剣の形も似ています。」

「ええ。完全に同じものかは、まだ分かりませんが。」


その時、足元を調べていたクルトワが声を上げた。

「文字があります。」


女性像の下には、後に帝国へ残った皇統古代文字。

男の足元には、後に共和国へ残った古代文字。


ヴィオレットが女性像の側へ立つ。

「こちらは独立した碑文のようですね。」


クルトワも頷いた。


ヴィオレットが先に読む。

「『星の声を聞き、すべての命を繋ぐ者。

聖霊を束ね、人と共に歩む者。我らが王、アステリア』」


続いてクルトワが男の碑文を追う。

「『闇の中に道を切り拓く者。人の子らを守り、朝をもたらす者』」


風化した最後の一行へ水晶灯を近づける。

「……『黎明を携えし者』」


「黎明……。」

ヴィオレットの表情が変わった。

改めて、男の剣と昇る太陽の意匠を見る。

「帝国の建国神話に、よく似た言葉があります。」


ルリスティが尋ねる。

「どのようなものですか。」


「初代皇帝レオン一世は、黎明の剣を携えて人々を守り、

戦乱と魔物に覆われた大地へ朝をもたらしたと伝えられています。」

「初代皇帝……。」

ルリスティが小さく呟く。


クルトワも男の像を見る。

「では、この男性がレオン一世なのですか。」


「まだ断定はできません。」

ヴィオレットは慎重に答えた。

「一致する点は多いですが、名前はありません。帝国側の遺構でも、

この人物が初代皇帝本人であるとは明示されていませんでした。」


クルトワが周囲を見回す。

「それに、ここは現在の共和国領です。」


「ですが、この遺構が築かれた時代には、

今の国境そのものが存在していなかったのでしょう。」

ルシアンが静かに続ける。


人間と聖霊が共に暮らす壁画。

帝国に残った聖霊という概念。

共和国に残ったアステリアの名。

二つの国へ分かれて伝わった古代文字。


そして、双方の遺構へ残された、よく似た男女の姿。

すべてが同じ時代から切り離された断片なら、

この地に両国へ繋がる歴史が残されていても不思議ではない。


ルリスティは二人の像を見上げた。

「扉を開く方法を探しましょう。答えは、その先にあるはずです。」


◇


扉には、掌を置く窪みも鍵穴もなかった。


ルシアンとクルトワは左右へ分かれて魔力を調べ、ヴィオレットは碑文を読み直す。

ルリスティは胸元の星が向ける光を追った。


ジェイクは広間全体を見渡しながらも、

何かあればすぐルリスティへ手を伸ばせる距離にいる。


やがてルシアンが扉へ手を翳した。

「扉そのものに、強い封印はありません。」


ヴィオレットが扉を見上げる。

「では、何が開くのを妨げているのでしょう。」

「外から閉ざしているというより……何かを待っているように感じます。」


「何を?」

「分かりません。

ただ、皇族の加護や星の力だけを求めているわけではなさそうです。」


別の場所を調べていたクルトワも顔を上げた。

「水の流れが、この扉の前だけ途切れています。」


床を満たす浅い水は、扉の直前で左右へ分かれていた。

女性像と男の像の間から、扉の下へ続く細い溝だけが乾いている。


ヴィオレットが見下ろす。

「水を導くためのものでしょうか。」


「流れを塞ぐものはありません。それでも、水が入らないようになっています。」

クルトワが観測器を近づける。


ルリスティは胸元の星を掌へ乗せた。

銀光が溝へ伸びる。

だが、水面は僅かに揺れるだけだった。


「星だけでは、開かない。」

その様子を見ていたジェイクが扉を見上げる。

「碑文に、答えがあるのではありませんか。」

皆の視線が集まった。


ジェイクはまず、白銀の女性像を見る。

「アステリアについては、『人と共に歩む者』。」


続いて男へ。

「こちらは、『人の子らを守る者』です。」


異なる存在でありながら、同じ世界を生きること。

守るものを背負い、共に歩むこと。


ルシアンが二つの像の間へ立つ。

「一人の力では、開かない扉なのかもしれません。」


一度ルリスティとヴィオレットを見たが、すぐに首を横へ振る。

「先ほどと同じ条件なら、お二人へ反応するはずです。

ですが、この扉に描かれているのは、聖霊王と一人の人間です。」


その視線が、ジェイクへ向いた。

黒淵でルリスティの星の祝福が覚醒した時、その中心にいた人間。

さらにクリスティの太陽の祝福によって命を繋がれた者でもある。


それらが扉の条件と関係しているのか。

あるいは、まったく別のものを見ているのか。

今はまだ分からない。

だが、試す価値はあった。


そして何より、星を継ぐルリスティの傍へ立ち、共に歩むことを自ら選んだ者。

ルリスティも、その意味へ気づいた。

「大佐。こちらへ。」

「はい。」

ジェイクは何も尋ねず、彼女の隣へ立った。


ルリスティが白銀の女性の前へ。

ジェイクが、剣を携えた男の前へ。

二人は並んで扉を見る。


ルシアンが、先ほどの壁画を思い返す。

「アステリアは、人と聖霊の手を繋いでいました。」


二人の間へ視線を落とす。

「同じように、手を取ってみてはいかがでしょう。」


ルリスティの肩が僅かに動いた。

隣を見ると、ジェイクは急かさず待っている。

ルリスティは右手を持ち上げ、その左手へ重ねた。


ジェイクはすぐには握り込まない。

彼女の指が自ら掌へ収まるのを待ち、それから柔らかく包んだ。


その瞬間。

床の水が動いた。

左右から細い流れが生まれ、銀色の光を帯びながら二人の足元へ集まってくる。


「反応しました!」

クルトワが観測器を掲げる。

「何を基準に判定したのかは分かりません。

ですが、確かに二人へ反応しています!」


水は中央の溝へ注ぎ込み、扉の彫刻へ昇っていく。


アステリアの白銀の髪へ。

男の剣へ。

そして、二人の間へ。


石に刻まれた二人の指先が、淡く輝いた。

よく見れば、その手は僅かに触れ合っている。


次の瞬間、水面から光が立ち上がった。


◇


広間を満たす水が鏡へ変わり、遠い過去を映し出す。

鮮明ではないので、顔立ちや衣服の細部までは分からない。

それでも、色彩だけは水へ溶け込むように淡く残されていた。


白銀の髪を持つ女性が、焼けた森に立っている。

周囲には傷ついた聖霊たち。


その向こうから、一人の人間の男が歩いてきた。

手には、昇る太陽の意匠を持つ剣。

背後には、疲れ果てた人々。


女性と男は互いを警戒するように足を止めた。


聖霊と人間。

異なる存在。

それぞれが、傷ついた者たちを背負っている。


先に剣を下ろしたのは男だった。

女性も、聖霊たちを制するように片手を上げる。


言葉は聞こえない。

ただ二人が、互いの背後へ目を向けたことだけは分かった。


傷ついた聖霊たち。

疲弊した人々。

どちらにも、これ以上争う力は残されていない。


女性が手を差し出す。

男は一瞬だけ迷い、その手を取った。


水面が揺れ、広間に立つルリスティとジェイクの姿が遠い二人へ重なる。


ルリスティの指へ、僅かに力が入った。

ジェイクも静かに握り返す。


記憶は次へ移った。


人間たちが、聖霊の力を借りて家を建てている。

大地の聖霊が土を均し、風の聖霊が木材を運ぶ。

人々は聖霊のために泉を整え、花や木を植えていた。


その中心には、白銀の女性と剣の男。

二人は高い場所から指示を出すのではなく、

泥に汚れ、人々と同じように働いている。


男が石を運び、女性が傷ついた人間へ光を注ぐ。

時折、互いを振り返る。

その距離は、最初に出会った時より近くなっていた。


「これは……。」

クルトワが、思わず声を漏らす。


共和国の神話にも、帝国の建国伝承にも残されていない時代。

人間と聖霊が出会い、手を取り、一つの集落を築いていた。


水面が再び揺れる。


今度は、広い平野へ完成した石造りの街。

多くの人間と聖霊が行き交っている。

街の入口には、二つの紋章。


星。

そして、昇る太陽を抱く一振りの剣。


ルリスティとヴィオレットが同時に息を呑む。


星は、共和国の古い神話や祭具へ。

昇る太陽は、帝国の建国章へ。

現在は異なる国へ残る二つの紋章が、一つの街へ並んでいる。


ヴィオレットが呟く。

「帝国と共和国の始まりは……。」


クルトワが静かに答えた。

「少なくとも、双方の祖となった人々は、同じ街で暮らしていたのでしょう。」


同じ文化を持つ者たちが、後の時代に異なる国へ分かれていった。

今は、それ以上を断定できない。


水面の記憶が薄れていく。


最後に残ったのは、完成した街を見下ろす丘へ並ぶ二人だった。


男が何かを言う。

女性が振り返り、笑ったように見えた。


風が白銀の髪を揺らすと、男は自然に一房を取り、彼女の肩へ戻した。

女性は身を引かない。

むしろ、僅かに男へ寄ったように見える。


ヴィオレットはその姿を見つめた。


帝国側の地下遺構にも、同じように肩を並べる二人がいた。

偶然似た構図ではない。

同じ二人を描いている。

その確信が、さらに強くなっていく。


やがて記憶は途切れた。


◇


誰も、すぐには口を開かなかった。


ルリスティは、ジェイクと繋いだ手を見下ろす。


互いに守るものを背負い、警戒しながら出会った二人。

異なる場所で生きながら、同じものを守るために並んだ。

そして少しずつ、最初より近い距離へ変わっていった。


どこか、自分たちに似ている。

そう思った瞬間、頬へ僅かな熱が集まる。


「ルリスティ。」

ジェイクが低く呼ぶ。

「手を離しましょうか。」

皆の前で繋いだままでいることを意識し始めたと、気づいたのだろう。


ルリスティは、まだ閉ざされた扉を見る。

「……まだ、扉が開いていません。」

「そうですね。」


「ですから、このままで。」

「承知しました。」

ジェイクは笑わず、ただ手を包む力を僅かに柔らかくした。


少し離れた場所では、ルシアンが感心したように二人を見る。

「ルシアン。」

ヴィオレットが小さく呼ぶ。

「今は、遺構に集中してください。」


「もちろんです。」

そう答えながら、ルシアンは彼女のすぐ隣へ立った。

ヴィオレットは離れろとは言わなかった。


◇


水の記憶が消えると、扉の中央へ新たな文字が浮かび上がった。

皇統古代文字と共和国の古代文字が、一行ずつ交互に刻まれている。


ヴィオレットが読む。

「『異なる命が出会い』」


クルトワが続ける。

「『互いの痛みを知った』」


「『一人では守れぬものを』」


「『二人は、共に守ることを選んだ』」


最後の一文だけは、二つの文字が重なるように刻まれていた。


ヴィオレットとクルトワは顔を見合わせ、声を揃える。

「『その手が結ばれた時、世界に最初の朝が訪れた』」


扉に刻まれた黎明の剣章が輝いた。

男の剣へ白銀の光が集まり、ルリスティの胸元でも星が輝く。

二つの光が中央で重なり、扉が奥へ開いた。


その先には、長い回廊。

壁には、人間と聖霊が築いた街、広がる農地、

生まれた子どもを抱く家族、魔物から街を守る人々と聖霊。


だが、奥へ進むほど光景は暗くなっていた。


空を覆う黒い靄。

大地から現れる異形の影。

傷つき、倒れる聖霊と人間。


ルシアンが表情を引き締める。

「ここから先は、戦いの記録かもしれません。」


その時、ヴィオレットが開いた扉の男へもう一度目を向けた。

「……やはり。」

「ヴィオレット様?」


ヴィオレットは記録帳を取り出し、頁を開く。

そこには、昇る太陽と、その中央を貫く一本の剣。

「帝国の建国祭で、初代皇帝レオン一世の像へ掲げられる『黎明の剣章』です。」


クルトワが、記録帳と扉の意匠を見比べる。

「細部まで、ほとんど同じですね。

碑文でも、この男性は『黎明を携えし者』と呼ばれていました。」


ルシアンも男の姿を見上げた。

「長い外套。腰の短剣。左肩を留める円形の飾り。

騎士団本部の地下遺構で見た人物とも、帝都の初代皇帝像とも一致しています。」


ヴィオレットが頷く。

「建国伝承では、レオン一世は黎明の剣を携え、

魔物に脅かされていた人々をまとめたとされています。

ですが、建国以前の記録はほとんどありません。

どこで生まれ、誰と共に戦ったのかも。」


視線がアステリアへ移る。

「そして、初代皇帝の傍には名も伝わらない伴侶がいたとも語られています。」


クルトワが二人を見上げる。

「もし、この男性がレオン一世なら……共和国へ女神として伝わったアステリアと、帝国の初代皇帝が同じ時代、同じ場所にいたことになります。」


さらに、帝国側の遺構にも二人は並んで描かれている。

水の記憶では、二人が出会い、手を取り、人間と聖霊の街を共に築いていた。

一致するものは、あまりにも多い。


それでもヴィオレットは慎重だった。

「ですが、まだ推測です。この男性がレオン一世であることも、

アステリアがその伴侶であったことも、決定的な記録はありません。」


「ですが、確かめる価値はあります。」

ルリスティが回廊の奥を見る。

「帝国側の遺構に残された記録と照合できれば、

二つの国へ分かれた歴史を繋ぎ直せるかもしれません。」


リカルドが受け継いだ白銀の剣。

ルリスティへ渡された漆黒の魔導銃。

二つの武器が眠っていた、初代皇帝像の地下遺構。


「進みましょう。」

ルリスティはジェイクの手を離し、回廊へ一歩踏み出した。


指先から温もりが消える。

ジェイクも何も言わず、その隣へ続く。

歩き始める直前、彼の指先がルリスティの外套の端へ一度だけ触れた。


引き止めるためではない。

離れてはいないと伝えるような、短い接触。


ルリスティは振り返らず、歩調を僅かに緩めた。

ジェイクが隣へ並ぶ。

二人は同じ速度で、暗い回廊へ進んだ。


その先の壁には、巨大な黒い影が刻まれている。

大地の底から伸びる幾本もの根。

人間と聖霊の命を吸い上げ、空を覆う異形の種。


その前には、白銀の女性と剣を持つ男が背中を合わせて立っていた。


クルトワが水晶灯を掲げ、共和国の古代文字を追う。

「『災いは、空より来たのではない。海より来たのでもない』」


次の一文を前に、その声が止まった。

そして、ゆっくりと読む。


「『人の憎しみと、聖霊の嘆きを喰らい、大地の底で芽吹いた』」


ルシアンの表情が強張る。

ルリスティの胸元の星も、警告するように激しく明滅した。


クルトワが最後の一行を読み上げる。

「『我らは、それを――災厄の種と呼ぶ』」


遠い過去。

聖霊王アステリアと、黎明を携えし者が対峙した災い。

その正体を示す記録が、暗い回廊の先へ続いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。