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マーヴェリア帝国物語  作者: 北村えり
第四章 巡り合う太陽と星
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第74話 今年も、来年も、その先も

クリスティが皇帝を目指す意思を告げた、その日の午後。

皇城内、第二皇女の居住区にほど近い専属騎士の控室。

リカルドは、机の上へ広げていた書類を閉じた。


共和国からの帰還報告。

黎明の道を通過した際の記録。

奈落門周辺で確認した状況について、皇帝から求められた所見。

そして、翌日以降のクリスティの公務と護衛予定。

確認を終えた書類は、机の端へ整然と重ねられていた。


その隣には、小さな白い箱が置かれている。


約五か月前。

クリスティの部屋で見つけた、誕生日の贈り物。

箱の中に収められていた二枚目のハンカチは、

今も騎士服の内側、心臓に近い場所へしまってある。

美しく刺繍された銀の鷹。

そして、箱へ添えられていたカード。


『お誕生日おめでとう、アークファイント』

『今年も、来年も、その先も』

『ずっと、お祝いできますように』


リカルドは、胸元へ静かに手を添えた。

共和国でクリスティと再会した時、考えるより先に身体が動いた。

人目も立場も忘れ、強く抱き締めた。


生きている。

温かい。

もう一度、腕の中にいる。

それを確かめることしかできなかった。


帝国へ戻ったら、必ず想いを伝える。

そう決めていたはずだった。

だが帰還してから、すでに十日が過ぎている。


護衛を終え、クリスティの部屋の前まで送り届けたあと。

何かを言おうとして、

結局いつもの挨拶だけを残して立ち去ったことも、一度ではない。


あの日。

自分は彼女の想いを拒んだ。

皇女と騎士だから。

身分が違うから。

彼女には、自分より相応しい未来があるから。

そう言いながら、自分の気持ちは何一つ伝えなかった。


今さら想いを告げることは、彼女の優しさへ甘えるだけではないのか。

再び彼女の人生へ、自分の存在を押しつけることにならないか。

答えの出ない問いを繰り返していると、控室の扉が二度叩かれた。


「はい。」

返事をすると、扉が開く。

姿を現したのは、レオンハルトだった。

「殿下、こちらまで、いかがなさいましたか。」

リカルドはすぐに立ち上がる。

「お前に用がある。」

レオンハルトは室内へ入り、後ろ手に扉を閉ざした。


机へ積まれた書類。

その隣に置かれた白い箱。

そして、胸元へ手を添えたままのリカルドを順に見る。


「今日の護衛は終わったのか。」

「はい。姫様は現在、ご自室でお休みになっております。」

「では、ちょうどよい。」

レオンハルトは腕を組んだ。

「最近、クリスティの部屋の前で、

何か言いたそうにしては黙って帰っているそうだな。」

リカルドの動きが止まった。


「……誰から、そのことを。」

「本人だ。」

「姫様が?」

「ああ。自分が何かしたのだろうかと、心配していた。」

リカルドの表情が目に見えて硬くなる。


「申し訳ございません。」

「私へ謝ってどうする。」

レオンハルトは小さく息を吐いた。

「お前は、クリスティへ伝えるべきことがあるのではないのか。」


リカルドはすぐには答えなかった。

クリスティが自分へ告白したことを、レオンハルトは知らない。

その想いを、自分が拒んだことも。


「姫様との間にあったことを、私の口からお話しすることはできません。」

リカルドは静かに頭を下げた。

「そうか。」

レオンハルトは、それ以上問い詰めなかった。

代わりに、真っ直ぐリカルドを見る。

「では、一つだけ聞く。お前は、クリスティを大切に思っているのか?」


迷う必要などなかった。

「はい。」

リカルドは、はっきりと答える。

「何よりも。」

レオンハルトの表情が僅かに緩んだ。


「ならば、伝えろ。」

「しかし――」

「クリスティは今日、自分の進む道を決めた。

自ら皇帝を目指すと、父上へ告げた。」

「姫様が……。」


驚きはあった。

だが同時に、不思議なほど納得もしていた。

共和国で人々と出会い。

離れ離れだった妹と巡り会い。

二つの国を繋ぐ道の上へ立ったクリスティ。

あの経験を、自分だけのものとして終わらせる女性ではない。


「まだ候補にすぎない。

これから学び、皇帝としての資質を示さなければならない。」

レオンハルトは続ける。

「だが、あの子は自らその責任を背負うと決めた。」


その未来が、どれほど険しいものになるのか。

リカルドにも分かっていた。

二つの国を繋ごうとすれば、反対する者も現れる。

善意だけでは越えられない壁もある。

皇帝となれば、一人の女性として望むものすべてを、自由に選べるわけでもない。


「お前が何を迷っているのか、私には分からない。」

レオンハルトは親友の黒い瞳を見据えた。

「だが、クリスティが自分の未来を選んだのなら、

お前も自分の意思で答えを出せ。」

「……。」

「騎士だからという理由で、あの子の未来を勝手に決めるな。」


その言葉が、胸の奥へ深く突き刺さった。

まさに、あの日の自分がしたことだった。

クリスティのためだと言いながら、

彼女の想いも未来も、自分一人で決めようとした。


「お前は、あの子の選んだ道を支える覚悟があるのか。」

リカルドは目を閉じた。

皇女としてのクリスティ。

いつか、皇帝になるかもしれないクリスティ。

どの道を選ぼうとも、そばで守りたい。

その願いは、何一つ変わらない。


「あります。」

リカルドは顔を上げた。

「どのような道を選ばれようとも。

姫様が望まれる限り、おそばでお支えしたいと願っております」

「ならば行け。」

レオンハルトは踵を返した。

「何を伝えるべきなのかは、お前自身が一番よく分かっているのだろう。」


「レオンハルト殿下。」

扉へ向かう背中を、リカルドが呼び止める。

「ありがとうございます。」

レオンハルトは、肩越しに僅かに振り返った。

「礼なら、クリスティを笑わせてから言え。」

それだけを告げ、控室を出ていった。


◇


一人になったリカルドは、机の上の白い箱へ手を伸ばした。

蓋を開き、あの日のカードをもう一度読む。

『今年も、来年も、その先も』

あの日、クリスティは勇気を出して、自分へ想いを伝えた。

今度は、自分の番だった。


リカルドは胸元から、銀の鷹が刺繍されたハンカチを取り出した。

箱へ丁寧に戻し、銀色の紐を結ぶ。

結び目が一度だけ、上手く作れなかった。

魔物の大軍を前にした時も、巨大な魔物と対峙した時も、

手が迷うことなどなかったというのに。


リカルドは小さく息を吐き、慎重に結び直した。

そして白い箱を手に、控室を出た。


◇


第二皇女の居住区へ近づくほど、胸の鼓動が速くなる。

やがて、見慣れた扉の前へ辿り着いた。

この十日間、何度もここまで来た。

そして、何も言えずに戻った。


だが、今日は帰らない。

リカルドは白い箱を持つ手へ力を込め、静かに扉を叩いた。


「はい。」

扉の向こうから、聞き慣れた声が返ってくる。

「姫様。」

「アークファイント?」

すぐに足音が近づき、扉が開いた。


白銀の髪には、共和国でルリスティと揃えた青い鳥の髪飾り。

紫水晶の瞳が、驚いたように見開かれる。


「どうしたの?」

「姫様。少し、お時間をいただけますか」


クリスティの視線が、リカルドの手にある白い箱へ落ちた。

見覚えのある箱だった。

あの日、自分が銀色の紐を結び、渡せないまま部屋へ残した贈り物。

紫水晶の瞳が、僅かに揺れる。


「それ……。」

けれどリカルドは、まだ何も答えなかった。

「中で、お話ししてもよろしいでしょうか。」

「……うん。もちろん。」

クリスティは戸惑いを残したまま、扉を大きく開いた。

「入って。」


◇


部屋の窓辺には、深紅の薔薇が飾られていた。

魔術によって保存された花は、

クリスティが姿を消した日と変わらぬ姿で咲いている。

リカルドが白い箱を机へ置くと、

クリスティはそれを気にしながらも、先に薔薇へ目を向けた。


「侍女たちから聞いたよ。

私が戻るまで枯らさないでって、頼んでくれたんでしょう?」

「はい。」

「ありがとう。」

クリスティは嬉しそうに微笑んだ。


だが、その視線はすぐに机の上の箱へ戻る。

「アークファイント。」

「はい。」

「その箱、どうして持ってきたの?」

声には、僅かな不安が滲んでいた。


リカルドは箱の前へ立ち、静かに答える。

「姫様へ、一度お返ししなければならないと思ったからです。」


クリスティの表情が強張る。

「……返すの?」

「はい。」


「嫌。」

ほとんど間を置かず、クリスティは首を横へ振った。


「それはアークファイントにあげたものだもん。

渡せなかったけど、そうしたかったの。」


「姫様。」

「だから、返さないで。」


リカルドは、その言葉を静かに受け止めた。


「はい。姫様のお気持ちは承知しております。」


そう告げてから、白い箱の蓋を開く。

中から、美しい銀の鷹が刺繍されたハンカチを取り出し、両手へ載せた。


「ですが私は、まだこの贈り物を姫様から直接受け取っておりません。」

「え?」

「あの日、姫様は直接お渡しくださるおつもりでした。

けれど、その機会を私は失いました。」


奈落へ消えた日。

誰もいない部屋。

開かれた箱。

何度呼んでも返ってこなかった声。


「私はあの日から、姫様ご自身から受け取る日を待っておりました。」

リカルドは、ハンカチをクリスティへ差し出した。

「ですから今度こそ、姫様の手で私へお渡しいただけませんか。」


クリスティの瞳から、一粒の涙が零れた。

「……うん。」

震える手を伸ばし、ハンカチを受け取る。

一針ずつ想いを込めて縫った銀の鷹。

渡せなかった贈り物を、もう一度両手へ載せる。


クリスティは涙を拭い、深く息を吸った。

「アークファイント。」

「はい。」


ハンカチを、改めてリカルドへ差し出す。

「お誕生日、おめでとう。」

リカルドの黒い瞳が揺れた。

「少し遅くなっちゃったけど。」

「いいえ。」


「今年も、来年も、その先も。」

カードへ書いた、届かなかった願い。

「ずっと、お祝いできますように。」


リカルドは両手で、大切にハンカチを受け取った。

二人の指先が、ほんの一瞬触れ合う。


「ありがとうございます、姫様。」

深く頭を下げ、再び顔を上げる。

「今度こそ、確かにお受けいたしました。」


クリスティは、泣きながら笑った。

「うん。」


ようやく渡すことができた。

ようやく、受け取ってもらえた。

けれどリカルドは、ハンカチを胸元へしまわなかった。

両手で持ったまま、クリスティを見つめている。


「姫様。もう一つ、お伝えしなければならないことがございます。」

クリスティの笑みが、僅かに消えた。

「あの日、姫様は私へお気持ちを伝えてくださいました。」


勇気を出して告げた言葉。

そして、受け入れてもらえなかった想い。

クリスティの指先が、僅かに強張る。


「……また、あの時と同じことを言うの?」


不安を隠しきれない声だった。

リカルドは、はっきりと首を横へ振った。


「いいえ。」


そして、クリスティの瞳を真っ直ぐに見る。


「忘れなければならないのは、姫様のお気持ちではありません。

私があの日、姫様へお伝えした言葉です。」


リカルドは、銀の鷹を胸元へ抱き口を開いた。

「私は、姫様のお気持ちから逃げました。

騎士だから。身分が違うから。姫様には、私より相応しい方がいるから。」

一つずつ、自らの過ちを認めるように言葉へ変える。

「そう言って、自分の想いを何一つ伝えず、姫様の幸せを勝手に決めました。」


クリスティの瞳へ、再び涙が浮かんだ。

「姫様は何も悪くありません。悪いのは、言葉にしなかった私です。」


「……分からなかったよ。」

小さな声が落ちる。

「何も言ってくれなかったから。」


「はい。」


「私、アークファイントは、私を主人としてしか見てないんだって思ってた。」

「そのように思わせたのは、私です。」


「でも、共和国で抱き締めてくれたから……少しだけ期待したの。」

クリスティの声が震えた。

「それなのに、帝国へ戻ったら、また何も言わなくなったから。

やっぱり、私の勘違いだったのかなって。」


「違います。」

リカルドの声が強くなる。

クリスティが、驚いたように目を瞬かせた。


「あの日、姫様を抱き締めたのは、主人が無事だったからではありません。」


黒い瞳が、真っ直ぐクリスティを見つめる。


「失ったと思っていた、大切な女性が、

生きて目の前へ戻ってきてくださったからです。」


クリスティの瞳から、涙が溢れた。


リカルドは深く息を吸う。

もう逃げない。

今度こそ、言葉にする。


「いつから、姫様を大切に思う気持ちが、

騎士としてのそれだけではなくなったのかは分かりません。」


五歳の少女が、自分の後ろを一生懸命ついて歩いていた頃か。

不格好な銀の鷹を贈られた頃か。

それとも、少女が一人の女性へ成長していく姿を見守るうちだったのか。


「気づいた時には、姫様をただお守りしたいのではなく、

一人の男として、誰より近くでお守りしたいと願っておりました。」


「……アークファイント。」

「ですが、その願いを分不相応だと決めつけました。

姫様の未来を、私などが縛ってはならないと。」


リカルドは僅かに目を伏せた。

「その結果、姫様を傷つけただけでした。」


「……ばか。」

クリスティの唇から、涙混じりの声が零れる。


「はい。」

「本当に、ばか。」


「そのとおりです。」

「言ってくれなきゃ、分かんないよ。」

「はい。」


リカルドはゆっくりと頷く。

「だから今度こそ、お伝えします。」

膝はつかない。

主人へ忠誠を誓う騎士としてではなく。

一人の男として、正面からクリスティの瞳を見る。


「クリスティ様。」


奈落へ消えた瞬間。

初めて呼んだ名前。

今度は、本人へ届けるために呼ぶ。


「私は、あなたを一人の女性として愛しております。」


静かな部屋へ、その言葉が落ちた。

クリスティは息を呑み、胸元で両手を強く握り締める。


「あの日、あなたを拒んだのは、愛していなかったからではありません。」

リカルドは、逃げずに続けた。

「愛していたからこそ、私より広い未来があるのだと、勝手に思い込みました。」


だが、それはクリスティの未来を想ったのではない。

自分が傷つくことを恐れ、彼女のためという言葉へ隠れただけだった。


「あなたの未来を、私が決めるべきではありませんでした。

あなたのお気持ちを否定してよいはずもなかった。」

リカルドは、銀の鷹を持つ手へ力を込める。

「そして、私自身の想いからも、逃げるべきではありませんでした。」


クリスティは声を出せず、ただ涙を流している。


「今日、あなたが皇帝を目指す道を選ばれたと伺いました。」

「……うん。」

「容易な道ではないでしょう。」


二つの国を繋ぐ皇帝。

反対も、敵意も、数え切れない責任も背負うことになる。


「それでも、あなたがその道を進まれるのであれば。」

リカルドは真っ直ぐに告げた。

「私は、あなたの選んだ未来ごとお支えしたい。」

クリスティの瞳が大きく揺れる。


「今年も、来年も、その先も。」

贈られた言葉へ、今度はリカルドが願いを返す。

「あなたが私を望んでくださる限り、

どうかあなたのお誕生日を、私に祝わせてください。」


僅かに声を震わせながら続ける。

「そして、いつの日か、あなたの隣に立つことを願うことも、

お許しいただけないでしょうか。」


クリスティは涙を拭おうともせず、大きく頷いた。

「うん。許す……じゃないね。」

泣きながら、太陽のように笑う。

「お願いします。」


リカルドの瞳が、大きく揺れた。

「私も、アークファイントに隣へ来てほしい。」

「クリスティ様……。」

「でも、それまでにも、ちゃんと伝えてね!」


クリスティは少しだけ頬を膨らませる。


「今までみたいに、何も言わないのは駄目。

好きって、言葉にしてくれなきゃ分からないから。」


リカルドは僅かに目を伏せたが、逃げることはしなかった。


「一生、言葉でも行動でも、あなたへ伝え続けます。」

「約束?」

「騎士としてではなく、一人の男としてお約束いたします。」


クリスティは一歩だけ、リカルドへ近づいた。

リカルドは動かなかった。

けれど、後ろへ下がることもしなかった。

クリスティは二人の間へ、そっと手を差し出す。


「アークファイント。」

「はい。」

「私も、ずっとあなたが好き。」


リカルドは、受け取ったハンカチを胸元へ大切に収めた。

それから、差し出された手を取る。


主人を支えるためではない。

一人の女性が、一人の男へ差し出した手。

指先を包むように、恐る恐る。

それでも確かに握る。


「ありがとうございます、クリスティ様。」


低い声が、僅かに震えていた。

二人は手を重ねたまま、しばらく互いの顔を見つめる。

やがてクリスティが、涙の残る顔で小さく笑った。


「私たち、ずっとお互いのことが好きだったのに、

全然分かってなかったんだね。」

「……そのようです。」


「アークファイントが何も言わないからだよ。」

「返す言葉もございません。」


「本当に、恋愛が下手なんだから。」

「姫様にだけは、言われたくないように思います。」


「どういう意味?」

「姫様も、十分に不器用でいらっしゃいます。」

「私はちゃんと告白したもん。」


リカルドは沈黙した。


「アークファイント?」

「その点につきましては、私の完敗です。」


クリスティは目を丸くし、それから堪えきれずに笑った。


リカルドの口元にも、僅かな笑みが浮かぶ。

互いを想いながら、あまりにも遠回りをした。

言葉にしなければ、想いは届かない。

二人はようやく、そのことを知った。


やがてリカルドは、名残惜しそうにクリスティの手を離した。

そして、長年守り続けてきた半歩斜め後ろへ戻る。

恋人となった今も。

そこは変わらない。

クリスティを守る専属騎士として、リカルドが選び続けてきた場所だった。


クリスティは一度だけ振り返り、いつもの位置へ立つ彼を見る。

「やっぱり、そこなんだね。」

「はい。」

リカルドは静かに頷いた。


「今の私は、クリスティ様の専属騎士ですので。」

「恋人にもなったのに?」

「それでも、あなたをお守りする役目は変わりません。」


あまりにも真面目な返答に、クリスティは少しだけ頬を膨らませた。

けれど、不満ではなかった。


半歩斜め後ろ。

幼い頃から、振り返れば必ず彼がいた場所。

これからも、そこにいてくれる。

今までとは違う想いで。

今までよりも深く、自分を愛しながら。


「じゃあ。」

クリスティは前を向きながら、柔らかく笑った。

「いつか、ちゃんと隣に来てね。」


リカルドの黒い瞳が僅かに揺れる。


「……はい。」


すぐには叶えられない約束。

それでも、いつの日か。

主人と騎士としてではなく。

一人の男と、一人の女性として、同じ場所へ並び立つ日を願って。


「その日が来るまで。」

リカルドは、いつもの半歩後ろから告げた。

「この場所で、あなたをお守りします。」


クリスティは振り返らなかった。

ただ、嬉しそうに目を細める。


「うん。よろしくね、アークファイント。」

「はい。クリスティ様。」


窓辺では、深紅の薔薇が変わらぬ姿で咲いている。

リカルドの胸元には、二枚のハンカチ。

幼い少女の想いと、一人の女性の想い。

二羽の銀の鷹は今度こそ、確かにその持ち主へ受け取られていた。


今年も、来年も、その先も。


リカルドはまだ、クリスティの半歩後ろを歩く。

いつの日か、本当にその隣へ並ぶ日が来るまで。



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