表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マーヴェリア帝国物語<二つの国と二人の皇女>  作者: 北村えり
第三章 皇城を照らす太陽
PR
32/41

第31話 誕生日の約束

夜も更けた頃。

クリスティの自室には、まだ明かりが灯っていた。


机へ向かう彼女の前には、

一枚の白いハンカチと銀糸。

そして、小さな裁縫箱が置かれている。


「クリスティ様。そろそろお休みになられませんと、

明日の公務に差し支えます。」

侍女に窘められても、

クリスティは針を動かしたまま

「もう少しだけ。」

と答えた。


最近、夜になるとこうして刺繍をしている。

それが何のためなのか、

侍女たちもとっくに気付いていた。


「今度こそ、ちゃんと上手に縫いたいんだもん。」

その言葉に、

侍女の一人が以前の作品を思い出したように目を細めた。


十歳の頃。

専属騎士となったアークファイントへ贈った、

銀糸で鷹を刺繍した白いハンカチ。

――本人は、鷹のつもりだった。


「以前のものも、愛らしゅうございました。」

「かっこいい鷹だもん!」

「はい。猫のように愛らしい鷹でございました。」

「もう!」

十九歳を目前にした皇女が本気で頬を膨らませると、

侍女たちは揃って笑いを堪えた。


それでも、あの不格好な銀の鷹を、

アークファイントは今も大切に持ち続けている。

もっと上手なものを作るから返してほしいと、何度頼んでも。


『私の宝物ですので。』

そう言って、一度も手放そうとはしなかった。

思い出すだけで、クリスティの頬が少し熱くなる。

「……だから。」

再び針を手に取る。

「今度は、ちゃんとしたものを渡したいの。」


もうすぐ、アークファイントの誕生日が来る。

つい最近、ようやく名前を知った自分の気持ち。

それを伝えるつもりは、まだなかった。

けれど。

「お祝いくらいは、してもいいでしょう?」

誰へともなく呟いて、白い布へ針を落とす。


一針。

また、一針。


銀糸が、少しずつ翼の形を作っていく。

幼い頃から、ずっと自分を守ってくれた人。


一度は自分が遠ざけてしまったのに、

三年の時を経て、自分の意思でもう一度帰ってきてくれた人。


その人へ。

ありがとうと、ちゃんと伝えたかった。

「想いは、伝えられなくても。」

ぽつりと零れた言葉に、侍女たちの手が止まる。

けれどクリスティは気付かない。

「せめて、感謝くらいは形にしたいから。」


柔らかく笑って、また針を進める。


一針。

また、一針。


お誕生日おめでとう。

今年も、お祝いできて嬉しい。

来年も。

その次も。

言葉にはできない願いを、

一つずつ銀糸へ縫い込むように。


その時。

銀糸が、ほんの一瞬だけ淡い光を帯びた。

侍女の一人が目を瞬かせる。

「……今、光りませんでした?」

「月明かりじゃない?」

窓の外には、白い月。


クリスティは気にも留めず、再び手元へ視線を落とした。


その胸に宿る想いが、銀糸へ僅かな光を宿したことにも気付かずに。



翌日。


「姫様。」

「ひゃっ!?」

背後から聞こえた声に、

クリスティは反射的に手元のものを背中へ隠した。


振り返った先で、リカルドが不思議そうに目を瞬かせる。

「……何をなさっているのですか?」

「何でもない!」

明らかに何かを隠した人間の態度だった。

当然、リカルドにも分かっているらしい。

けれど問い詰められるほど、クリスティは背中へ回した手に力を込めた。


「秘密だから。」

「左様でございますか。」

意外にも、リカルドはあっさり引き下がった。

それで安心したのがいけなかった。

「誕生日まで内緒なんだから。」

言ってから、クリスティは固まった。


リカルドも黙った。

「……私の誕生日でございますか?」

見る間に、クリスティの顔が赤くなる。

「今のなし!」

慌てて訂正するものの、

聞かなかったことにしてくれるはずもない。


困ったように眉を下げたリカルドは、

それでも何を用意しているのかまでは尋ねなかった。

ただ。

「ありがとうございます、姫様。」

静かに告げられたその一言に、今度はクリスティが返事に詰まった。

「……まだ、何も渡してないもん。」

「私のためにご用意くださっている。

それだけで、十分でございます。」

「……うぅ。」


しばらく俯いたあと。

クリスティはようやく顔を上げ、少し照れたように笑った。

「ちゃんと完成するまで、期待しないでね。」

「楽しみにしております。」

「だから、気が早いってば。」

結局、秘密にできたのは中身だけだった。



それから数日後。


夕暮れの庭園を歩きながら、

クリスティはふと隣――ではなく、

いつもの斜め後ろへ視線を向けた。


そこには今日も、変わらずアークファイントがいる。

もうすぐ誕生日が来る。

今年も、彼を祝うことができる。

なら、来年は。

その次の年は――。

ふと浮かんだ願いが、そのまま口から零れた。


「ねえ、アークファイント。」

「はい。」

「来年も、お誕生日をお祝いしていい?」

リカルドは少しだけ目を瞬かせたものの、

すぐに頷いた。

「もちろんでございます。」

その答えだけで、胸が温かくなる。

だからもう一つ。

「その次も?」

今度は僅かに不思議そうな顔をした。


「姫様がお望みであれば。」

それでも、迷いのない返事をくれた。

クリスティは嬉しそうに笑う。

「じゃあ、約束ね。」

これから先も。

来年も。

その次も。

彼が変わらず自分の近くにいて、

こうして誕生日を祝える。

まるで、それが当然であるかのように。

この時のクリスティは、そう願っていた。



その夜。

「できた……!」

机の上。

白いハンカチの隅には、銀糸で描かれた一羽の鷹。

今度は、誰が見てもちゃんと鷹だった。

クリスティは満足そうに眺める。

これなら、もう猫とは言わせない。


そして、用意していた小さなカードへ、

一文字ずつ言葉を書いていく。


『お誕生日おめでとう、アークファイント。』

『今年も、お祝いできて嬉しい。』

『来年も、その先も。』

『ずっと、お祝いできますように。』


最後まで書き終えると、

クリスティはしばらくその文字を見つめた。

好き。

その一言だけは、どこにも書かなかった。


「……また、お祝いできるといいな。」

カードとハンカチを箱へ収める。

蓋を閉じようとしたその直前、

銀の鷹が、小さくきらりと輝いた。


一針、一針。


少女は決して口にしないと決めた想いを、

知らず知らずのうちに、小さな鷹へ縫い込んでいた。


今年も。

来年も。

その先も。

大切な人が、どうか笑っていられるように。


その願いが近い未来。

奈落を越え。

一人の騎士を導く光となることを。

この時のクリスティは、まだ知らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ