第1話 明日も続くと信じていた日常
「おとうしゃまー!」
その日、マーヴェリア帝国の皇城には、
幼い笑い声が響いていた。
白亜の城は、今日も穏やかな陽光に包まれている。
皇帝執務室の扉が勢いよく開き、
二人の幼い少女が揃って部屋の中へ駆け込んできた。
「おとうしゃま! みてみて!」
「クリス、はやいよぉ……。」
よく似た顔立ち。
柔らかな白銀の髪。
紫水晶のように輝く瞳。
マーヴェリア帝国、
第二皇女クリスティと第三皇女ルリスティ。
二人は、まだ二歳になったばかりの双子の皇女だった。
「こら、廊下を走ってはいけないよ。」
書類から顔を上げた男が小さく息を吐く。
マーヴェリア帝国皇帝。
ルーファス・フォン・マーヴェリア。
厳しい声とは裏腹に
机を離れたルーファスは、
駆け寄ってきた二人を軽々と抱き上げた。
「きゃー!」
「たかーい!」
左右の腕に抱かれた双子が、楽しそうに笑う。
「まったく。お転婆なお姫様たちだ。」
「ふふっ。それは、あなたが甘やかしすぎなのですよ陛下。」
執務室の入口から鈴の音のような声が届いた。
そこに立っていたのは、一人の女性。
陽光を溶かしたような金色の髪。
穏やかなオリーブグリーンの瞳。
慈愛に満ちた微笑みを浮かべる、
マーヴェリア帝国皇妃。
フェリシア・フォン・マーヴェリア。
彼女の後ろには。
呆れたような表情を浮かべる長男、レオンハルト。
母の隣で静かに微笑む長女、ヴィオレット。
双子を抱き上げた父を羨ましそうに眺める次男、
アレクシスの姿があった。
「父上、それでは仕事になりませんよ。」
「レオン、お前までそんなことを言うのか。」
「事実です。」
レオンハルトは冷静に答えた。
ルーファスの腕の中で、
ルリスティが不思議そうに首を傾げる。
「おとうしゃま、おしごと?」
「うむ。お父様は少し忙しいんだよ。」
「じゃあ、ルーがおてつだいする!」
「クリスもー!」
クリスティも、負けじと元気よく手を挙げる。
「父上、俺も手伝います!」
アレクシスまで声を上げると、レオンハルトが深く息を吐いた。
「アレクシスまで加われば、ますます仕事になりません。」
「兄上は真面目すぎるんだよ。」
「お前はもう少し落ち着け。」
「なんだと!」
言い合いを始めた兄弟を見て、
ルーファスは堪えきれずに声を上げて笑った。
フェリシアも口元へ手を添え、
ヴィオレットは楽しそうに目を細める。
双子には、兄たちが何を言い争っているのか分からなかった。
それでも家族が笑っていることが嬉しくて、
父の腕の中で声を上げて笑った。
その光景を見守る侍女たちの顔にも、
自然と穏やかな笑みが浮かんでいた。
大陸の中央では、
今も奈落門から現れる魔獣との戦いが続いている。
それでも、少なくともこの日の皇城は穏やかだった。
皇帝は、ただ一人の妻を深く愛し。
子どもたちは皆、父と母の愛に包まれながら、
健やかに育っていた。
皇城には、家族の笑い声が満ちていた。
この幸せが。
明日も。
明後日も。
変わることなく続いていくのだと。
誰も疑っていなかった。
――その時までは。
誰も知らなかった。
数時間後に、この家族が一人の母を失い。
一人の娘を、
奈落の向こうへ奪われることになるなど。
そして、その日から十七年後。
引き裂かれた双子の皇女が再び巡り会い。
二つの国の運命を大きく動かすことになるなど。




