第18話 その誓いにふさわしく
リカルド・アークファイント
十四歳
平民の出でありながら、剣の才を認められ、
第一皇子レオンハルトと共に、騎士を目指す少年。
皇族とは、生まれた世界が違う。
本来ならば、あれほど無邪気に名を呼ばれることさえなかったはずだ。
『クリスの騎士になって。』
夕日に照らされた紫水晶の瞳が、何度も脳裏に浮かんでは消えた。
◇
翌日。
皇城の廊下を歩いていたリカルドへ、レオンハルトが横目を向けた。
「今日は、随分と静かだな。」
「……そうでしょうか。」
「昨日から、ずっと考え込んでいるだろう。」
リカルドは答えず、窓の外へ目を向けた。
眼下の庭園では、クリスティが侍女たちに囲まれながら遊んでいる。
何がそれほど楽しいのか。
白銀の髪を揺らし、声を上げて笑っていた。
その笑顔につられるように、周囲の侍女たちの表情も明るく緩んでいる。
「クリスティとの約束か。」
レオンハルトに言い当てられ、リカルドは僅かに目を伏せた。
「軽率だったと、思われますか?」
「お前が?」
「あの場で、必ず守ると約束しました。」
昨日まで、騎士になることに迷いはなかった。
剣を磨き、帝国へ忠誠を尽くし、皇族を守る。
それが騎士というものだと理解していた。
けれど、その誓いが、具体的に誰へ向けられたものなのか考えたことはなかった。
「私はまだ、正式な騎士ですらありません。」
リカルドは、庭園で笑うクリスティへ目を向けた。
「昨日、必ずお守りすると約束しました。
ですが今の私に、その資格があるとは思えない。」
「なら、これからなればいい。クリスティのそばへ立てる騎士に。」
レオンハルトが、あっさりと言った。
「随分と簡単に言うものだな。」
背後から低い声が響いた。
二人が振り返ると、ルーファスが立っていた。
「父上。」
「陛下。」
ルーファスは窓辺まで歩み寄り、庭園の娘へ視線を向ける。
「リカルド。」
「はい。」
「昨日の約束を、子どもの戯れで終わらせるつもりはあるか。」
「ありません。」
迷いはなかった。
「ならば、その言葉に相応しい騎士になれ。」
リカルドが息を呑む。
「皇女のそばへ立つ者に必要なのは、剣の腕だけではない。
忠誠も、判断力も、何があろうと守り抜く覚悟も必要だ。」
そして、静かにリカルドを見る。
「身分ではなく、お前自身がその役目に値すると示せ。
それができた時、クリスティがなおお前を望み、
お前の意志も変わっていないのなら――私は止めん。」
リカルドは姿勢を正した。
「承知いたしました。」
その時、
「アークファイントー!」
庭園から、明るい声が届いた。
白銀の髪を揺らしながら、クリスティが大きく手を振っている。
「また来てねー!」
リカルドは、その姿を見つめた。
今はまだ、あの方のそばへ立つ資格はない。
けれど、いつか必ず。
あの笑顔を守れる騎士になる。
クリスティが望んだからではない。
皇帝に命じられたからでもない。
自らの意志で。
それが、
十四歳のリカルド・アークファイントが、
その日初めて自分自身に立てた誓いだった。
◇
それから、五年の月日が流れた。
マーヴェリア帝国皇城。
謁見の間には、帝国騎士団の正装に身を包んだ者たちが整然と並んでいた。
その中央、深紅の絨毯の上で一人の青年が片膝をついている。
燃えるような赤い髪。
真っ直ぐ前を見据える、深い黒の瞳。
十九歳となったリカルド・アークファイントは、
濃紺の騎士服に身を包んでいた。
立襟や袖口には銀糸の刺繍。
胸元には、正式な騎士となった証である帝国騎士団の徽章が輝いている。
騎士見習いとしてのすべての課程を終え。
この日、リカルドは正式な騎士となった。
そして今、新たな任を受けるため、皇帝ルーファスの前に跪いていた。
「リカルド・アークファイント。」
「はい。」
ルーファスの低い声が、静かな謁見の間へ響く。
「これまでの働きと、騎士としての資質を認め――」
その傍らには、十歳になったクリスティが立っていた。
普段の明るい笑顔は控え、今日ばかりは皇女らしく背筋を伸ばし、
少し緊張した面持ちでリカルドを見つめている。
「本日をもって、
第二皇女クリスティ・フォン・マーヴェリアの専属騎士に任ずる。」
五年前。
幼い皇女と交わした約束が今、正式な命として告げられた。
「謹んで、お受けいたします。」
リカルドは右手を胸へ添え、深く頭を垂れた。
「我が剣と誇りにかけて。」
ゆっくりと顔を上げる。
黒い瞳が、ルーファスの傍らに立つクリスティへ向けられた。
「生涯、クリスティ殿下へ忠誠を尽くし、その御身をお守りすることを誓います。」
その誓いを受け、侍従が一枚のマントを捧げ持って進み出た。
白銀のマント。
光を受ければ白く、陰へ入れば淡い銀灰色にも見える。
縁には繊細な銀糸の刺繍が施され。
留め具には、マーヴェリア帝国の紋章が刻まれていた。
皇族だけに許された紫とは異なる。
白銀は、皇族の傍らに立ち、その身を守る者の色。
そのマントは、皇族専属騎士にのみ着用を許された特別な証だった。
侍従からマントを受け取ったのは、クリスティだった。
小さな手で大切そうに抱え、跪くリカルドの前へ進む。
「アークファイント。」
「はい、姫様。」
リカルドが僅かに頭を下げた。
クリスティは緊張した面持ちのまま、白銀のマントをその肩へ掛ける。
十九歳になったリカルドと、十歳のクリスティ。
身長差のため、留め具へ手を伸ばすだけでも少し背伸びが必要だった。
それでも、クリスティは侍女の手を借りることなく、
自分の手で銀の留め具を留めた。
かちり、と。
小さな音が、静かな謁見の間に響く。
白銀のマントが、濃紺の騎士服を覆うように静かに背へ落ちた。
燃えるような赤い髪が、その白銀の上で鮮やかに映える。
五年前。
『クリスの騎士になって。』
そう願った小さな皇女が、今自らの手で彼を正式な騎士として迎えた。
クリスティは一歩下がると、皇女として静かに告げた。
「これより、私の騎士として、よろしくお願いいたします。」
ほんの僅かに、その声が震えていた。
リカルドは、白銀のマントを肩に受けたまま、改めて深く頭を垂れる。
「御意にございます。」
謁見の間に、厳かな拍手が広がった。
けれど、クリスティは、
周囲の音など聞こえていないかのようにリカルドだけを見つめていた。
紫水晶の瞳が、見る間に嬉しそうに輝いていく。
任命式が終わると、ようやく皇女としての緊張から解放されたのか、
クリスティはいつもの笑顔でリカルドを見上げた。
「これから、よろしくね。アークファイント。」
「はい、姫様。」
リカルドは、白銀のマントを翻して改めて騎士の礼を取る。
「必ず、お守りいたします。」
それは、任命式に必要な形式だけの言葉ではなかった。
五年前。
腕の中にいた小さな少女へ告げた約束を、
リカルドは一度も忘れていなかった。
◇
任命式を終えたリカルドが控えの間へ戻ると、扉の陰から白銀の髪が覗いていた。
「姫様?」
声をかけると、隠れていたクリスティが少し気まずそうに姿を現した。
その手には、小さな箱が抱えられている。
「どうなさったのですか?」
「アークファイントに、渡したいものがあるの。」
そう言いながらも、クリスティは箱を背中へ隠してしまう。
任命式で白銀のマントを掛けた時よりも、
今の方がずっと緊張しているように見えた。
「私にですか?」
「うん。でも……笑わないでね?」
「笑いません。」
「本当に?」
「お約束いたします。」
その言葉を聞いて、クリスティは意を決したように箱を差し出した。
「これ。専属騎士になったお祝い!」
リカルドは両手で受け取る。
蓋を開けると、中には白いハンカチが丁寧に畳まれていた。
その一角には、銀色の糸で何かが刺繍されている。
丸みを帯びた胴体、左右で長さの違うなにか。
糸の間隔も不揃いで、何度も縫い直した跡が残っていた。
リカルドは、しばらく刺繍を見つめる。
「これは……。」
クリスティが、不安そうに顔を覗き込んだ。
「猫でしょうか?」
「猫じゃないもん!」
間髪を入れず、抗議の声が返ってきた。
「鷹! 銀の鷹だよ!」
「鷹……。」
「今、もう一回猫だと思ったでしょう!」
「いえ。」
「絶対思った!」
クリスティは頬を膨らませ、
リカルドの手からハンカチを取り返そうとする。
「もう返して! もっと上手に作り直すから!」
けれど、リカルドは取り返されまいと、ハンカチを胸元へ引き寄せた。
「お返しできません。」
「どうして?」
「私が、姫様からいただいたものですから。」
「でも、全然鷹に見えないでしょう?」
否定する言葉は、すぐには出なかった。
その代わり、リカルドはクリスティの指先へ目を向けた。
小さな傷が、いくつも残っている。
「姫様が、ご自身で?」
「……うん。」
クリスティは少し恥ずかしそうに、両手を背中へ隠した。
「アークファイントは強いから、強そうなものがいいかなって。」
「それで、鷹を?」
「どこまでも飛んでいけるし、遠くからでも大切なものを見つけられるでしょう?」
クリスティは、少し照れたように笑った。
「それに、五年前の約束をちゃんと覚えていてくれたから、
私も何かあげたかったの。」
紫水晶の瞳が、柔らかく細められる。
リカルドは、もう一度ハンカチへ目を落とした。
決して上手な刺繍ではない。
翼は左右で形が違い。
鷹と言われなければ、別の動物に見えるかもしれない。
けれど、そこに込められた時間と想いは、
どのような高価な品にも代えられなかった。
「ありがとうございます、姫様。大切にいたします。」
リカルドは丁寧にハンカチを畳み直すと、騎士服の内側へしまった。
白銀のマントの下、心臓に最も近い場所へ。
「使わないの?」
「使えば、汚れてしまいます。」
「でも、ハンカチは使うものでしょう?」
「これは、姫様からいただいた大切な贈り物です。」
リカルドは、胸元へそっと手を添えた。
「使うためのものではありません。」
クリスティは目を瞬かせたあと、
嬉しさを隠しきれないように、満面の笑みを浮かべた。
「アークファイント。」
「はい、姫様。」
「これからは、ずっと一緒だね!」
リカルドは、僅かに目を細めた。
「はい。」
白銀のマントを肩に纏ったまま、
今度は正式な専属騎士として、クリスティの前へ片膝をつく。
「これより先、何があろうとも。」
胸へ手を添え、真っ直ぐに紫水晶の瞳を見上げた。
「私は、姫様のお側におります。」
クリスティは嬉しそうに頷く。
「約束だからね。」
「お約束いたします。」




