表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マーヴェリア帝国物語<二つの国と二人の皇女>  作者: 北村えり
第三章 皇城を照らす太陽
PR
18/40

第17話 皇城の太陽

黒淵の向こう側。

――時は、十二年前へ遡る。


第三皇女ルリスティが奈落の亀裂へ消えてから三年。


マーヴェリア帝国皇城。


「お父様ー!!」

皇城の廊下に、元気な声が響き渡った。

その直後、ぱたぱたと小さな足音が近づいてくる。

「クリス! 廊下を走るな!」

「アレクシスお兄様が遅いんですー!」

「追いかけてる俺のせいにするな!」


長い白銀の髪をなびかせながら、

五歳になったクリスティが、

皇帝の執務室へ向かって全力で駆けてくる。

その後ろを十二歳のアレクシスが、

半ば諦めた顔で追いかけていた。


「お父様!見てください!」

クリスティが勢いよく扉を開く。

「今度は何だ。」

ルーファスは手にしていたペンを置き、娘へ目を向けた。

呆れたような声とは裏腹にその口元は、僅かに緩んでいる。


クリスティは満面の笑みを浮かべ、

その場でくるりと一回転した。

「お花の冠を作ったの!」

小さな頭には、少し歪な花冠が載っていた。

色とりどりの野花を編み込んだ花冠だが、

葉や細い枝があちこちから飛び出している。


「アレクシスお兄様が、手伝ってくれたんですよ!」

「花を摘むのは手伝った!」

アレクシスは、すかさず言い返した。

「でも、木に登れとは言ってない!」

「アレクシス。」

ルーファスは低い声で名を呼ぶと、

クリスティのドレスに絡んでいた小枝を一本摘まみ上げた。


「木登りは禁止したはずだが。」

「だから、俺は登れなんて言ってませんって!」

「お父様!」

クリスティが、勢いよく手を挙げる。

「アレクシスお兄様、

『あの枝の花を取ってこい』って言いました!」

「言ってるそばから売るな!」

ルーファスの視線が、ゆっくりとアレクシスへ戻る。

「なるほど。登れとは言わず、登るよう仕向けたわけだな。」

「父上、その言い方は悪意があります!」


執務室の隅で、

本を読んでいたヴィオレットの肩が、小さく震えた。

「ヴィオ姉様、笑ってる!」

「笑っていません。」

十歳のヴィオレットは、何事もなかったように頁をめくる。

「今、笑った!」

「気のせいです。」

「絶対、笑ったもん!」


クリスティが頬を膨らませる。

その様子を見ながら、

十四歳になったレオンハルトが静かに口元を緩めた。


三年前。

この皇城から、笑い声が消えた。

だが、あの日のことを覚えていないクリスティは、

今日も変わらずよく笑った。


クリスティが笑えば、家族もつられるように笑った。

クリスティが走れば、

誰かが叱りながらその後を追いかけた。


その小さな背中が、

止まってしまった家族の時間を少しずつ前へ進めていた。



「そういえばお父様、今日は、

レオンお兄様のお友達が来るんですよね?」

ルーファスに花冠の向きを直してもらいながら、

クリスティが首を傾げる。


「ああ。」

途端に、紫水晶の瞳がきらきらと輝いた。

「強い人!?」

「強いぞ。」

「レオンお兄様より?」

「……ほぼ互角だ。」

「じゃあ、レオンお兄様の次に強いのね!」

レオンハルトが、片方の眉を上げる。

「何だ、その理屈は。」

「だって、レオンお兄様は世界一強いもの!」

迷いのない即答だった。


アレクシスが、隣から顔を覗き込む。

「じゃあ、俺は?」

「二番!」

「今のは強さの順位か? 好きな順か?」

「どっちも!」

「俺、世界で二番目に強いのか。」

悪くないな、とアレクシスが満足そうに頷く。


ヴィオレットが、静かに紅茶のカップを置いた。

「では、私は何番でしょう。」

「三番!」

「理由を聞いても?」

「ヴィオ姉様は、お勉強ばっかりでちょっと怖いから!」

「そうですか……。」

ヴィオレットの肩が、珍しく僅かに下がった。


それを見たクリスティが、慌てて椅子から飛び降りる。

「ヴィオ姉様、泣かないで!」

「泣いていません。」

「でも、元気ない!」

クリスティはヴィオレットへ駆け寄ると、その身体へぎゅっと抱きついた。

「クリスが、ぎゅーしてあげる!」

ヴィオレットは少し迷ったあと、小さな妹の背中へそっと腕を回した。

「……少しだけ、元気になりました。」

「やったー!」

執務室へ、再び笑い声が広がった。



「失礼いたします。」

しばらくして、一人の少年が執務室へ入ってきた。

燃えるような赤い髪、夜のように深い黒い瞳。

まだ十四歳でありながら、

その立ち姿には年齢に似合わぬ落ち着きがあった。

少年はルーファスの前まで進み、背筋を伸ばして一礼する。

「リカルド・アークファイント。ただいま参上いたしました。」

「久しいな。」

「陛下。ご無沙汰しております。」


レオンハルトが、旧友へ歩み寄った。

「元気そうだな、リカルド。」

「レオンハルト様こそ。」

「相変わらず堅いな。」

「陛下の御前ですので。」

短い会話だった。

けれど、遠慮のないレオンハルトと、

生真面目に返すリカルドの様子だけで、

二人が以前から親しくしていることは十分に伝わった。。


「クリスティ。」

ルーファスが娘を呼ぶ。

「なぁに?」

「こちらが、レオンハルトの友人だ。」

クリスティは、レオンハルトの背後からひょこりと顔を出した。

「……。」

「……。」

紫水晶と黒の瞳が、正面から合う。

クリスティはしばらくリカルドを見上げたあと、

とてとてとその目の前まで歩いていった。


そして、首が痛くなりそうなほど大きく顔を上げる。

「おおきい。」

「ありがとうございます……?」

礼を言うべきなのか判断できず、

リカルドの返答が僅かに疑問形になった。

クリスティは今度は右へ、続いて左へと移動し。

珍しい生き物でも観察するように、リカルドの周囲をぐるりと回る。


「かみ赤い。」

「はい。」

「燃えてる。」

「燃えてはいません。」

「すごい!」

クリスティが、その場でぴょんと跳ねた。


「お名前は?」

「リカルド・アークファイントです。」

「アークファイント?」

「はい。」

「アークファイント!」

「はい。」

「アークファイントー!」

嬉しそうに何度も呼ばれ。

リカルドは僅かに眉を寄せた。


「なぜ、姓だけなのですか?」

「だって!」

クリスティは、満面の笑みを浮かべる。

「アークファイントって、すごく強そう!」

「名前だけで判断しないでください。」

「アークファイント!」

「聞いてください。」


まったく聞く様子のないクリスティは、

今度はリカルドへ向かって両手を伸ばした。

「赤い髪、触ってもいい?」

「え?」

「だめ?」

僅かに眉を下げ。

紫水晶の瞳で、じっと見上げてくる。

その顔を前にしてすぐに断れる者は、

この皇城にもほとんどいなかった。


「……どうぞ。」

リカルドは小さく息を吐くと、

クリスティの手が届くよう、その場へ片膝をついた。

「やったー!」

小さな両手が、赤い髪へ伸びる。

わしゃわしゃと、容赦なく撫で回された。


「ふわふわ!」

「髪質の感想を言われたのは、初めてです。」

「アークファイントの髪、好き!」

「……。」

リカルドは、

生まれて初めてどう反応すればよいのか分からなくなった。

その様子を見ていたレオンハルトが、肩を震わせる。

「リカルド、諦めろ。

クリスが気に入った相手は、もう逃げられない。」

「不穏なことを言わないでください。」


その後、リカルドはクリスティに連れられて、

皇城の庭園を歩くことになった。

花壇の花を一輪贈られ。

三歩進んだだけで見つかるかくれんぼに付き合い。

最後には木へ登ろうとした小さな身体を、

後ろから抱えて止めることになった。


「一回だけ!」

「駄目です。」

「アレクシスお兄様は、やらせてくれるのに!」

「だから、俺は止めていると言っているだろ!」

遠くから響くアレクシスの抗議を聞きながら。

リカルドは、腕の中で足をばたつかせる皇女を、

決して地面へ降ろさなかった。



おやつの時間。

一日中振り回されたリカルドは、

クリスティの向かいで静かに紅茶を飲んでいた。

クリスティは床へ届かない足を揺らしながら、

楽しそうに焼き菓子を頬張っている。


その周囲では、アレクシスが今日の騒動を大げさに語り。

ヴィオレットが淡々と訂正し。

レオンハルトが笑いながら二人を眺めていた。

リカルドは、笑い合う家族の姿を静かに眺めていた。


三年前。

皇妃殿下を失い、深い悲しみに沈んでいた皇城を彼も知っている。


けれど今は、クリスティが笑えばルーファスの表情が緩み。

アレクシスが声を上げて笑い。

ヴィオレットさえ、僅かに口元を和らげる。

「クリスティ殿下が笑うと、皆様も笑われるのですね。」

リカルドがそう呟くと。

ルーファスは、焼き菓子を頬張る娘へ慈しむような目を向けた。

「ああ。」

その声には、深い愛情が滲んでいた。


「この子は、この皇城の太陽だからな。」

クリスティは話の意味も分からないまま、

楽しそうに次の焼き菓子へ手を伸ばしている。

その姿を見つめながら、

リカルドはその言葉を胸の内へ静かに刻んだ。


気づけば、空は茜色に染まっていた。

「アークファイント……。」

「何でしょう。」

目を擦りながら近づいてきたクリスティは、

そのままリカルドの脚へ寄りかかった。

「抱っこ。」

リカルドは僅かに迷ったあと、小さな身体を慎重に抱き上げた。


クリスティは嬉しそうに目を細め、彼の肩へ頬を寄せる。

「また来てくれる?」

「機会があれば。」

「じゃあ、クリスの騎士になって。」

小さな手が、リカルドの服をぎゅっと握った。


リカルドは、腕の中にいる小さな皇女を黙って見つめた。

今日、初めて会ったばかりの少女。

笑いながら自分の髪へ触れ、花を贈り。

一日中、無邪気に自分を振り回した少女。

彼女が笑うたびに、家族の表情まで明るくなった。


――この子は、この皇城の太陽だからな。

ルーファスの言葉が、胸の奥に蘇る。


騎士になることは、幼い頃から決めていた。

皇族を守り、帝国を守る。

けれど今まで、その誓いには具体的な姿がなかった。

今、初めて守りたいと思う光が、目の前にあった。

リカルドは、クリスティの小さな身体を抱き直した。


「……お約束いたします。」

「ほんと?」

「はい。」


十四歳の少年は、真っ直ぐに紫水晶の瞳を見返した。

「いつか私が正式な騎士となった時には、

必ず、クリスティ殿下をお守りします。」

夕日を映した黒い瞳が、静かに細められる。

その言葉を聞くと、

クリスティは安心したように目を閉じリカルドの肩へ頬を寄せた。


その日。

一人の少年が交わした、小さな約束。


けれど、リカルド・アークファイントは。

その約束を、決して忘れなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ