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マーヴェリア帝国物語  作者: 北村えり
最終章 二つの光が照らす朝
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第102話 二つの光

「核が、目を覚ます」


ヴィオレットの声が暗闇へ落ちた直後、黒淵の奥底から巨大な鼓動が響いた。


一度。


足元を貫く星の道が大きく揺れる。


二度。


左右を覆っていた黒い霧が、まるで呼吸するように膨らんだ。


そして三度目の鼓動とともに、暗闇そのものが裂けた。

その奥から、巨大な黒い塊がゆっくりと浮かび上がってくる。


一見すれば、巨大な球体にも見えた。

だが、その表面は絶えず形を変えている。


硬い外殻が現れたかと思えば濁った液体へ崩れ、

幾重にも絡み合う黒い根の間には、

人の顔にも見える歪みが浮かんでは闇へ沈んでいく。


球体から伸びた無数の根は黒淵の壁へ深く食い込み、

上下すら分からない暗闇の彼方まで続いていた。

一本一本が脈打つたび、黒淵全体から濁った魔力が吸い上げられ、

核へ流れ込んでいる。


「これが……」

クリスティが息を呑んだ。


百五十年もの間、二つの国を隔て、無数の魔獣を生み、

世界へ災厄を流し続けてきたもの。


帝国では奈落門と呼ばれ、共和国では黒淵と呼ばれてきた災厄。

そのすべての根源が、今、目の前にある。


突然、核の表面へ一筋の亀裂が走った。

その隙間から黒い光が迸る。


「避けろ!」


アレクシスの声に全員が左右へ散った。


直後、黒い光が先ほどまで彼らのいた場所を貫き、星の道を深く抉る。

銀白色の光が激しく明滅し、足元を支える経路そのものが大きく揺らいだ。


「経路の維持率が急速に低下しています!」

ルシアンが観測術式へ魔力を注ぎ込みながら声を上げる。

「このまま核から攻撃を受け続ければ、帰還路が保ちません!」


「構造を解析するわ」

ヴィオレットが杖を構えると、紫色の観測術式が幾重にも展開され、

その隣へルシアンの黄金の術式が重なった。


二人の魔力から伸びた光が核へ向かう。

しかし、黒い根の周囲へ触れた瞬間、観測術式が激しく弾き返された。


「防壁があるわ。それも、一つではない」

ヴィオレットが眉を寄せる。


術式を組み直してさらに深く観測すると、

核の周囲には性質の異なる魔力層と、

複雑に捻れた空間の歪みが幾重にも重なっていた。


一つを崩しても、壁へ伸びた根からすぐさま魔力が補充され、

傷ついた箇所が瞬く間に修復されていく。


ルシアンも流れ込む魔力を追い、表情を険しくした。

「周囲の黒淵そのものが、核へ力を供給しています」


「ええ。根を通じて、ほとんど無尽蔵に補充しているのね」

ヴィオレットの視線が鋭くなる。

「このまま外側から削っても、本体には届かないわ」


再び核から黒い光が放たれた。


今度はアレクシスが前へ出る。


両手で構えた剣へ魔力を巡らせ、迫る光へ斬撃を叩き込んだ。

凄まじい衝撃とともに黒い光が左右へ分かれ、星の道の外へ消えていく。


「それなら!根から全部斬ればいい!」

押し戻されながらも踏み止まり、アレクシスが叫んだ。


「数を見てから言って!」

ヴィオレットが即座に返す。


核から伸びる根は、数十や数百という数ではなかった。

黒淵の壁そのものを覆い尽くすほど存在し、その一本を斬っても、

別の場所からすぐに新たな根が生まれてくる。


リカルドが黎明の剣を構え、近くを通る一本へ斬撃を放った。

白銀の刃が黒い根を断つ。


だが、切断面から細い根が次々と伸び、

互いに絡み合いながら瞬く間に元の太さへ戻ってしまった。


「刃は通ります」

リカルドは再生していく根を見据えた。

「ですが、このまま一本ずつ斬り進めば、核へ届く前に剣の力を消耗します。

決定打にはなりません」


その言葉に呼応するように、核が再び脈打った。

黒い根が一斉に星の道へ向きを変える。


最初は数本だったものが、瞬く間に数を増し、

生き物の群れのように突入部隊へ襲いかかった。


「来るぞ!」


アレクシスが先頭へ立ち、迫る根を剣で薙ぎ払う。


横から伸びた三本をジェイクの魔導大剣がまとめて叩き潰し、

リカルドの黎明の剣はクリスティへ伸びた根を白銀の軌跡とともに斬り落とした。


ルリスティも二丁の魔導銃を構え、

ヴィオレットとルシアンの観測術式を狙っていた細い根を次々と撃ち抜いていく。


「右側を!」

「承知しました!」


ルリスティの指示を受け、ジェイクが魔導大剣を振り抜いた。

砕かれた根が黒い霧へ変わる。

だが、その霧さえ核へ吸い戻され、すぐに別の根として形を取り戻した。


いくら斬っても、撃っても、終わらない。

黒淵そのものから力が流れ込み続ける限り、核も根も再生し続ける。


「このままでは、こちらの魔力が先に尽きます!」

ルシアンが叫んだ、その時。


途切れかけていた通信術式から、激しい雑音に混じって声が届いた。


『――総司令官、聞こえますか!』

クルトワだった。


ルリスティは迫る根を撃ち落としながら応える。

「聞こえています!」


『先ほど、選抜護衛班と直衛班の帰還を確認しました!

突入部隊七名が災厄の核へ向かったとの報告も受けています!』


ルリスティの表情が、ほんの僅かに緩んだ。

あの兵士たちは、無事に地上へ辿り着いたのだ。


『負傷者は救護班へ引き渡し、

戦闘可能な者はすでに外周防衛隊へ再合流しています!』


「分かりました。ありがとうございます」


安堵している暇はない。

それでも、自分たちをここまで送り届けてくれた者たちが無事だと知れたことは、

ルリスティの背を確かに押した。


『地上では魔獣の増加が続いています!ですが、共同軍は戦線を維持しています!』


通信の向こうからは、剣戟と魔導銃、魔導砲の轟音が絶え間なく聞こえてくる。


『外周防衛隊の結界班が、星の道周辺へ流れ込む魔力の遮断を続けています!

帝国の結界術師も共和国の防衛術式班も、まだ配置を維持しています!』


そこへガレスの落ち着いた声が割り込んだ。

『遠距離支援群も、入口へ接近する大型種と飛行型を排除しています。

共和国狙撃班、魔導砲隊、帝国長距離魔術班、すべて戦闘を継続中です』


続いて、リディアの声も響く。

『外周防衛隊も持ち堪えています! 帰ってくる場所は、必ず守ります!』


その直後だった。

核へ流れ込んでいた魔力が、僅かに乱れる。

ヴィオレットが弾かれたように顔を上げた。


「供給量が落ちたわ!」


地上共同軍が、ここからは見えない場所で魔獣を食い止め、

黒淵へ流れ込む力を確実に削っている。


帝国の術式も、共和国の兵装も。

今は一つの指揮のもとで、同じ災厄を弱らせていた。


『こちらは持たせます!』

クルトワの声が再び響く。

『そちらを、終わらせてください!』


そこで通信が途切れた。


ルリスティは目を閉じることなく、その言葉を真正面から受け止める。


「必ず」

両手の魔導銃を握り直した。

「終わらせます」


◇


地上からの供給が僅かに弱まったことで、

核を覆う魔力の流れにも一瞬だけ乱れが生じていた。

ヴィオレットはその機会を逃さず、観測術式をさらに深く伸ばしていく。


「遺構の記録どおりだわ」

「内部まで見えますか?」

ルシアンが問いかける。


「ええ。黒淵の壁へ伸びた根を通じて、

周囲に蓄積された魔力が核へ流れ込んでいる。

その大半が、防壁と根の再生に使われているわ」


ヴィオレットは観測術式をさらに深く伸ばした。

紫の光が核を覆う魔力の流れを一つずつ読み取り、

幾重にも重なった歪みの内部構造を浮かび上がらせていく。


今、必要なのは災厄の成り立ちを確かめることではない。

黎明の剣を核の本体へ届けるために、どこへ道を開けばいいのか。


ヴィオレットは複雑に歪んだ内部構造を追い、そのさらに奥へ観測術式を通した。


「見つけたわ」


ルシアンがすぐに彼女の捉えた情報を術式へ重ねる。


「核本体までの内部座標を抽出します」


黄金の光が紫の術式を補強し、

幾重にも捻れた空間の中へ複数の座標が浮かび上がった。


そのほとんどは途中で途切れ、核へ到達する前に歪みの中へ消えている。

だが、その中にただ一つ。

最奥まで繋がる可能性を示す座標があった。


「ここよ」

ヴィオレットがその一点を指し示す。

「外側の防壁を削る必要はないわ。

この座標へ星導の魔導銃で道を穿てば、複雑な歪みを越えて核本体まで届く」


ルリスティは二丁の魔導銃をホルスターへ戻し、胸元の銀色の星へ手を伸ばした。


「分かりました」


指先がレリーフへ触れる。

銀白色の光が腕へ絡みつき、やがて漆黒の長大な銃身を形作った。


星導の魔導銃。

黒淵そのものへ道を開いた時と同じ遺産が、再びルリスティの手へ顕現する。


その隣へ、クリスティが立った。

太陽の祝福が金銀の光となって広がり、ルリスティだけでなく、

リカルドやアレクシス、ジェイク、ヴィオレット、ルシアンまで柔らかく包み込んでいく。


その光が星導の魔導銃へ流れ込むことはない。

星の力は、ルリスティ自身のもの。

太陽の光は、その力を使う彼女と、

これから開かれる道を進む者たちを守るためにある。


「ルリスティ。ここにいるよ」

クリスティがそっと妹の肩へ手を置いた。


「はい」

その一言だけで十分だった。


ルリスティは巨大な銃床を肩へ当て、

ヴィオレットとルシアンが投影した座標へ銃口を合わせる。


核が大きく脈打った。

こちらの意図を悟ったかのように、黒い根が一斉に二人へ殺到する。


「二人には触れさせるな!」

アレクシスが叫び、前方から迫る根を剣で薙ぎ払った。


「左側は俺が!」

ジェイクの魔導大剣がルリスティの側面を守るように振り下ろされ、

複数の根をまとめて叩き潰す。


反対側ではリカルドが黎明の剣を構えた。

「右側は私が引き受けます」


白銀の斬撃が走り、クリスティへ伸びた根を一つ残らず切断する。


その間もヴィオレットとルシアンは観測を続け、

歪みの中にある核の座標をルリスティの前へ示し続けていた。


「座標に変化なし!」

「総司令官、そのまま狙ってください!」


ルリスティは息を整え、引き金へ指をかける。


――星を継ぐ者へ、闇を撃ち抜く銃を。

銃口に銀白色の星が生まれた。


「道を、開きます」


引き金を引く。

星の光が放たれた。


眩い一条の光が幾重にも折り重なった歪みを貫き、

核の本体へ向かって一本の道を撃ち開いていく。

外側を覆う黒い魔力が左右へ弾け、複雑に捻れていた空間が押し開かれていった。


そして、その奥に隠されていた核の本体が姿を現した。


赤黒く脈打つ巨大な結晶。


そこへ黒淵の壁から伸びた無数の根が束ねられ、

周囲から吸い上げた濁った魔力を送り込んでいる。


「核本体を確認!」


ヴィオレットの声が響いた。

同時に、遺構で示されていた役割が一つの流れとして繋がる。


星が、核へ至る道を開く。

黎明の剣が、その道の先で災厄の根と核を断つ。


そして核の完全消滅が確認された、その後にだけ。

聖霊王の涙が、傷ついた世界を癒やす。


「リカルド!」

アレクシスが左右から押し寄せる根を押し返しながら叫んだ。


ジェイクも魔導大剣を振り抜き、星の光が開いた道の入口を確保する。

「行け、アークファイント卿!」


リカルドは黎明の剣を両手で構えた。

白銀の刃は変わらぬ光を放ち、

その身体をクリスティの太陽の祝福が柔らかく包んでいる。


――太陽を護る者へ、黎明を切り拓く剣を。

遺構へ刻まれていた言葉が脳裏に蘇る。


リカルドは一度だけ、クリスティを見た。


守るべき主君。

愛する女性。

そして、この戦いの先でも同じ時を生き、もう一度ともに踊ると約束した人。


「アークファイント!お願い!」

クリスティが叫ぶ。


リカルドは深く息を吸った。

「承知しました、姫様」


地面を蹴る。

星が開いた光の道を、核へ向かって駆けた。


左右から黒い根が襲いかかるが、アレクシスの剣が一方を弾き、

ジェイクの魔導大剣がもう一方を叩き潰す。


ヴィオレットとルシアンの観測術式が、核の位置と周囲の魔力変動を伝え続ける。


クリスティの太陽の祝福はリカルドの身体を包み、

傷と疲労を抱えた身体へ、あと一歩進むための力を与えていた。


星が開いた道。

太陽が支える身体。

仲間たちが守る背後。

誰一人欠けても、ここまで辿り着くことはできなかった。


リカルドは黎明の剣を振り上げる。

核が最後の抵抗をするように脈打ち、正面から黒い光を放った。


リカルドは避けない。

黎明の剣を正面へ構え、そのまま黒い光の中へ踏み込んだ。


白銀と漆黒が激突する。

鎧が軋み、腕へ焼けるような痛みが走った。

籠手の隙間から血が滲み、視界まで黒く染まりかける。

それでも、足を止めなかった。


「私は、この剣で」


一歩。

黒い光を押し返す。


「太陽を護ると誓いました」


さらに一歩。

背中を包む金銀の光が、まだ前へ進めと支えている。

リカルドは黒い光を斬り裂き、ついに核の目前へ到達した。


「そして――」

黎明の剣を大きく振り上げる。

「皆が帰る未来を、切り拓きます」


白銀の刃が振り下ろされた。

核へ束ねられていた無数の根ごと、赤黒い結晶へ深く食い込む。


一瞬。

世界から、すべての音が消えた。


次の瞬間、核の中心から巨大な亀裂が走った。

一本の亀裂は瞬く間に数を増し、赤黒い結晶全体へ広がっていく。


轟音とともに核が砕けた。

そこから伸びていた黒い根も一斉に崩れ、光の粒へ変わり始める。


「やった……?」

クリスティが小さく呟いた。


黒淵を満たしていた霧が薄れ、長く響き続けていた鼓動も止まる。

静寂が訪れた。


ルリスティの手にあった星導の魔導銃も役目を終え、

銀白色の粒子へほどけながら胸元の星へ戻っていく。


だが、ヴィオレットとルシアンだけは観測術式から目を離さなかった。

砕けた核の魔力反応が、急速に低下している。


「核反応、低下」

ルシアンが数値を読み上げた。

「残存率、十……五……」


ルリスティは胸元に下がるもう一つのペンダントへ手を伸ばす。


聖霊王の涙。

核が完全に消滅した後にだけ使うことのできる、

傷ついた世界を癒やす最後の遺産。


透明な雫へ指が触れようとした、その時だった。


「使わないで!」

ヴィオレットの鋭い声が飛ぶ。


ルリスティの手が止まった。


「まだよ!」

「ですが、核の反応は――」

「消えていない!」


ヴィオレットは観測術式へさらに魔力を注ぎ込んだ。

紫の光が、砕けた核の周囲から黒淵内部に残る歪みの奥へ伸びていく。


その隣でルシアンが息を呑んだ。

「核の一部が、歪みの奥へ潜り込んでいます!」


通常の目では捉えられない場所を、二人の観測術式が映し出した。


拳ほどの大きさしかない、黒い欠片。

先ほどまでの巨大な核と同じ魔力が、そこへ濃縮されて残っている。


「完全には消えていないわ」

ヴィオレットが声を張る。

「まだ災厄は生きている!」


黒い欠片から、細い根が伸びた。

一つは黒淵の壁へ。

もう一つは、ルリスティの胸元にある透明な雫へ。


「聖霊王の涙を狙っています!」

ルシアンが叫ぶ。


この状態で聖霊王の涙を使えば、大地の傷だけではなく、

生き残った災厄までその癒やしの力へ触れることになる。

核が再び力を得る危険がある。


「離れてください!」

ジェイクが即座にルリスティの前へ出た。


現実側へ伸びてきた根へ魔導大剣を振り下ろし、その先端を叩き潰す。

しかし、核本体はすでに別の次元層へ逃れ始めていた。


「このままでは消えます!」

ルシアンが観測術式を維持しながら叫ぶ。

「次元の歪みの向こうへ完全に隠れたら、こちらから干渉できません!」


「逃がさないわ!」

ヴィオレットが杖を掲げた。


紫の術式が黒い欠片の位置を追い、その上へルシアンの黄金の観測術式が重なる。

二人は核を引き戻すのではなく、逃げ込んだ次元層の座標を必死に追い続けた。


「座標を捉えました!」

「でも、急速に遠ざかっているわ!」


ルリスティは胸元の銀色の星を掴んだ。


「なら、私が道を開きます」

「司令」


ジェイクが振り返る。

ルリスティは、観測術式の向こうに示された黒い欠片を真っ直ぐに見据えていた。


「星導の魔導銃は、歪んだ次元の向こうへ正しい道を開くための銃です」


銀白色の光が再び腕へ絡みつく。

長大な漆黒の銃身が、彼女の両手の中へ形を取った。


「逃げた先まで、道を繋ぎます」


ジェイクの表情が僅かに険しくなる。

ルリスティはすでに、黒淵そのものへ道を開き、

さらに核本体へ至る道を撃ち抜いている。


魔力の消耗は明らかだった。


「司令。魔力が――」

「できます」


ルリスティは即答した。

ジェイクは何かを言いかけたが、その紫水晶の瞳を見て、言葉を変えた。


「……やるのですね」

「はい」


一瞬だけ、深い青の瞳が揺れる。

それでも、ジェイクは止めなかった。

魔導大剣を構え、いつものようにルリスティの背後へ立つ。


「ならば、撃つまでのすべてを俺が守ります」


その隣へクリスティも立った。金銀の太陽の光が再び広がり、

疲労の色が濃いルリスティの身体を柔らかく包み込む。


その光が星導の魔導銃へ流れ込むことはない。

ただ、妹が最後の一撃を放つまで立ち続けられるよう、弱った身体を支えていた。


「わたしもいるよ」


ルリスティが隣を見る。

クリスティ自身も疲労で顔色を青ざめさせている。

それでも、浮かべているのはいつもと変わらない、太陽のような笑顔だった。


「一人で立たなくていいの」


ルリスティはその言葉を受け止め、小さく頷いた。


「……はい」


その時、観測術式が強く輝いた。


「座標、再捕捉!」

ヴィオレットが声を上げる。

「総司令官、前方十一度! 位置情報を送るわ!」


ルシアンの術式が観測結果を光の座標へ変換し、ルリスティの前へ投影する。


アレクシスは群がる根を剣で薙ぎ払い、

その傍らではリカルドも黎明の剣を構え直していた。

先ほど核へ叩き込んだ一撃によって白銀の輝きは僅かに弱まり、

両腕からも血が滲んでいる。


それでも、剣の光はまだ消えていない。


ルリスティが銃口を上げた。

照準の先には、黒淵内部の歪みへ逃げ込もうとしている最後の災厄がある。


「星を継ぐ者へ」

銀白色の光が銃口へ収束していく。

「闇を撃ち抜く銃を」


引き金を引いた。

星の光が放たれ、ヴィオレットとルシアンが示した座標へ一直線に突き進む。


黒淵内部の歪みが押し開かれ、暗闇の中へ再び一本の光の道が穿たれた。

その奥へ潜んでいた黒い欠片が、今度こそこちらから捉えられる位置へ露出する。


「アークファイント!」

クリスティが叫んだ。


リカルドは、すでに走り出していた。


星が開いた道へ踏み込み、残された力を振り絞って黎明の剣を振り上げる。

黒い欠片が逃れようと激しく震えた。


ヴィオレットとルシアンは観測術式でその位置を追い続け、

アレクシスは新たに伸びる根を次々と斬り落とす。

ジェイクの魔導大剣も、

ルリスティとクリスティへ迫る闇を一つ残らず叩き潰していった。


全員の力が、再びただ一つの目的へ向かっている。


リカルドは黒い欠片を真っ直ぐに見据えた。

黎明とは、ただ朝を待つことではない。

長い夜を斬り開き、自ら光へ辿り着くこと。


「終わりです」


黎明の剣を振り下ろす。

白銀の刃が最後の欠片を両断した。


音はなかった。

小さな黒い核は一瞬だけ白い光へ変わり、そのまま跡形もなく消滅する。

それでも、誰一人として動かなかった。


ヴィオレットは観測術式を凝視している。


一秒。

二秒。

三秒。


どこにも、新たな魔力反応は現れない。

ルシアンも別の観測術式を展開し、黒淵全体と、

その内部に残る歪みを慎重に確認していく。


「周辺反応、なし。黒淵内部にも、新たな核反応はありません」


ヴィオレットもさらに深く術式を通した。

核と同じ魔力波長。

黒い根の痕跡。

そして、先ほど逃げようとした欠片と同じ反応。

そのすべてを何度も確かめた末、ようやく長く息を吐く。


「災厄の魔力波長、消失」

紫水晶の瞳が仲間たちへ向けられた。

「黒淵内部の全域において、災厄の核の完全消滅を確認しました」


誰も、すぐには声を上げなかった。


百五十年もの間、二つの国を隔て続けてきた災厄が、本当に終わった。

その事実を、まだ誰も完全には受け止めきれていない。

けれど、黒淵を満たしていた鼓動はもう聞こえなかった。


壁を覆っていた黒い根も次々と光の粒へ変わり、

遠くから響いていた魔獣の咆哮さえ、少しずつ薄れていく。


ルリスティは、ゆっくりと星導の魔導銃を下ろした。

長大な銃身が銀白色の光へほどけ、胸元の小さな星へ戻っていく。


そして、その隣に下がる透明なペンダントへ、今度こそ手を伸ばした。

ヴィオレットもルシアンも、もう止めない。


完全消滅は確認された。

聖霊王の涙を使う時が来たのだ。


ルリスティは透明な雫を両手で包み込んだ。

その内側で、柔らかな光が静かに揺れる。


「聖霊王アステリア」


共和国では、古い神話の中に名だけが残されていた存在。

帝国では、その名さえ歴史の中から失われた初代皇帝の伴侶。

本当は、一人の人間を愛し、その人が生きる世界と未来を守ろうとした聖霊の王。


「あなたが守ろうとした世界を――」


ルリスティの隣へクリスティが立ち、

聖霊王の涙を包む彼女の手へ、そっと自分の手を重ねた。


「今度は、私たちが繋ぎます」


聖霊王の涙が、二人の手の中から静かに浮かび上がる。

透明な雫は柔らかな白い光へ変わり、

本物の涙を思わせる一滴となって黒淵の底へ落ちていった。


触れた場所から、静かな波紋が広がる。

光の波は砕けた核の跡を通り、黒淵全体へ伝わっていった。

長い年月の中で広げられ、歪められてきた世界の傷が、ゆっくりと閉じ始める。


黒淵の奥へ残っていた歪みが消え、

そこから流れ込んでいた濁った魔力も途絶えていく。


乱れていた空間は少しずつ本来あるべき形へ戻り、

黒い霧も、壁を覆っていた闇も、次々と透明な光へ変わっていった。


五百年以上前に封じられ、百五十年前から再び世界を蝕み続けていた傷が――

今、ようやく完全に癒やされようとしていた。


「成功……したの?」

クリスティが呟いた、その直後だった。


足元の星の道が大きく揺れ、銀白色の光へ次々と亀裂が走る。

道の一部が砕け、無数の光の粒となって暗闇へ散り始めた。


「黒淵そのものが消滅を始めています!この場所も、もう長くは保ちません!」

ルシアンが観測術式を見ながら声を上げる。


それを聞いたアレクシスは、すぐに剣を肩へ担ぎ直した。

「終わったなら、次にやることは一つだ!」


全員を振り返ったその顔には、ようやくいつもの明るい笑みが戻っている。

「帰るぞ!」


ジェイクもすぐにルリスティの傍らへ寄った。


「司令、走れますか」

「問題ありません」


そう答えた直後、ルリスティの身体が僅かに揺れる。

ジェイクは何も言わず、その腕を支えた。


「その状態で『問題ありません』は通りませんよ」

「まだ、倒れるわけにはいきません」

「ええ。ですから、倒れないよう支えます」


反対側では、リカルドがクリスティの前へ進み出ていた。


「姫様、失礼いたします」

「アークファイント?」


クリスティが聞き返すより早く、その身体を抱き上げる。


「歩けるよ!」

「存じています。ですが、崩れ始めた道を走るなら、

私がお運びした方が早いでしょう」


リカルドは傷ついた両腕の痛みを表へ出さないまま立ち上がった。


クリスティは一瞬だけ目を丸くしたものの、

すぐに彼の腕へ滲む血へ気づいて眉を寄せる。


「アークファイントも怪我をしているでしょう?」

「剣を振るうことも、姫様をお運びすることも可能です」


「無理はしないでね」

「姫様を抱き上げたまま倒れるような失態はいたしません」


ほんの僅かに迷ったあと、クリスティは彼の首へ腕を回した。


「……うん。お願い」

「承知しました」


ヴィオレットも帰還経路を確認しようと杖を掲げかけたが、

その腕をルシアンがそっと支える。


「帰路の観測は、僕が引き継ぎます」

「まだ、私にもできるわ」

「知っています」


ルシアンは短く笑った。


「ですが、帰った後もヴィオ様には仕事が山ほどあるでしょう?」

「……当然よ」

「なら、ここでは少しだけ頼ってください」


ヴィオレットは僅かに眉を寄せたものの、その手を振り払うことはなかった。


その時、さらに大きな振動が走った。

星の道へ伸びた亀裂が一気に広がり、足元の一部が大きく崩れ落ちる。


「急げ!」


アレクシスの声を合図に、全員が来た道を駆け出した。


その背後では、災厄の核が存在していた場所から眩い光が溢れ出し、

百五十年もの間世界を隔て続けてきた黒淵の闇を、内側から次々と呑み込んでいく。


やがてその光は、長い夜の終わりを告げるように――

地上へ向かって昇っていった。

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