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マーヴェリア帝国物語  作者: 北村えり
最終章 二つの光が照らす朝
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第100話 国境を越える者たち

星導の魔導銃が放った開道の光が、ゆっくりと銀白色の粒子へほどけていく。


光はルリスティの胸元へ集まり、

やがて再び、銀色の星を象った小さなレリーフへと姿を変えた。


黒淵を撃ち抜いた一筋の経路には、今も星の光が残っている。

その周囲をクリスティの太陽の祝福が金銀の光で照らし、

これから道を進む者たちを守るように広がっていた。


ルリスティは両腰に収めていた二丁の魔導銃を抜き、迫り来る魔獣へ銃口を向ける。


黒淵から、最初の一体が飛び出した。


星の光に照らされた道を四本の脚で駆け上がる、巨大な獣型の魔獣。

全身は黒い外殻に覆われ、裂けた口には鋭い牙が幾重にも並んでいる。

赤い瞳が、地上へ集った兵士たちを捉えた。


その背後から、さらに二体、三体と続き、瞬く間に数を増やしていく。

魔獣は次々と暗闇から姿を現し、開かれた道を埋め尽くした。


やがて現れるのは、獣型だけではなくなった。

地面を這うもの。

人の何倍もの巨体を持つもの。

歪な翼を広げ、黒淵の上空へ舞い上がるもの。


百五十年間、闇の奥へ溜まり続けていた災厄の眷属たちが、

星の光によって開かれた出口を目指し、一斉に地上へ押し寄せてくる。


「混成前衛隊、構えろ!」

アレクシスの号令が戦場へ響いた。


最前列では帝国騎士たちが盾を並べ、

その間へ魔導剣や大型魔導剣を携えた共和国兵が入る。


盾と結界で魔獣の突進を受け止める者。

開いた間隙へ踏み込み、魔導の刃を振るう者。

今日まで合同訓練で繰り返してきた陣形が、迷いなく組み上げられていった。


「第一射撃群、魔力収束!」


前衛の後方では共和国の魔導銃兵が一斉に銃を構え、

その隣では帝国魔術師たちが杖を掲げる。

銃身に刻まれた術式が青白い光を放ち、

魔術師たちの足元にも幾重もの魔法陣が広がった。


「第一撃、放て!」


魔導銃と攻撃魔術が、ほぼ同時に放たれる。

青白い魔力の奔流と、炎や雷をまとった魔術。

それぞれ異なる体系から生まれた攻撃は、

互いの軌道を妨げることなく魔獣の群れへ突き刺さった。


最前列を走っていた魔獣の身体が大きく揺れ、一体が倒れる。

その巨体へ後続が乗り上げ、隊列が僅かに崩れた。


だが、群れは止まらない。

倒れた同胞を踏み越え、魔獣たちはそのまま地上へ殺到する。


「結界班、前方二百歩へ広域防御結界を展開!」

クルトワの声が統合通信術式を通じ、共同軍全体へ届いた。


帝国魔術師たちの杖が一斉に地面へ突き立てられ、幾重もの術式が連結する。

混成前衛隊の前方へ巨大な光の壁が立ち上がった、その直後。

魔獣の群れが結界へ激突した。


轟音が大地を揺らし、透明な壁が激しく震える。

鋭い爪が振り下ろされるたび、光の波紋が幾重にも広がった。


「射出口を形成する!」

結界班の指揮官が叫ぶと、光の壁へ一定の間隔で小さな穴が開く。

共和国の魔導銃兵たちは、誰に指示されるまでもなくその後方へ移動した。

何度も合同訓練で繰り返した動きだった。


「第二撃!」


魔導銃から放たれた光が射出口を通り抜け、

結界へ爪を立てていた魔獣の頭部や関節を正確に撃ち抜いていく。

帝国の結界が兵士たちを守り、その内側から共和国の魔導銃が敵を撃つ。

二つの軍が持つ力は、すでに別々のものとして動いてはいなかった。


「結界右側、負荷上昇!」


一体の大型魔獣が何度も巨体を結界へ叩きつけている。

分厚い外殻に覆われた頭部がぶつかるたび、光の壁へ細い亀裂が走った。


「右側へ火力を集中!」


クルトワの指示を受け、射撃群が一斉に銃口を移す。

帝国魔術師たちも同時に攻撃術式の照準を合わせた。

しかし、分厚い甲殻が魔導銃と魔術の双方を弾き返す。


『外殻の接合部を確認!』


観測班の声が通信術式へ飛び込んだ。

帝国魔術師の観測術式と共和国の魔導観測装置、

それぞれが導き出した結果が戦況図の上で一致する。


『前脚の付け根です! 右前脚の内側!』


意図を理解した結界班が、壁の右側だけを一瞬開く。

その僅かな隙間から、魔導銃と攻撃魔術が露出した外殻の接合部へ集中した。

青白い光と炎が隙間へ食い込み、大型魔獣の右前脚が大きく崩れる。


「混成近接隊、今だ!」


光の壁が左右へ開いた。

帝国騎士たちが盾を構えて飛び出し、その隣を共和国の魔導剣兵が駆け抜ける。


騎士たちが盾と剣で魔獣の注意を引きつける間に、

共和国兵が傷ついた前脚へ魔導の斬撃を叩き込んだ。

青白い刃が外殻の隙間を抉り、巨体が大きく傾く。


そこへ、帝国騎士の剣が首元へ振り下ろされた。

魔獣は悲鳴を上げ、地面へ倒れる。


近接隊が結界内へ戻る間も、後方から魔導銃と攻撃魔術が後続を押し返し、

最後の一人が帰還すると同時に結界が閉じた。


「戻れ!」


突然、一人の共和国兵が叫んだ。

結界へ戻ろうとしていた帝国騎士の背後へ、細長い魔獣が飛びかかっている。

共和国兵の魔導銃から光が放たれ、その肩を撃ち抜いた。


だが、致命傷には至らない。

体勢を崩した魔獣は進路を変え、そのまま射撃を行った共和国兵へ襲いかかった。


近すぎる。

銃を構え直す時間はなかった。


共和国兵は魔導銃を片手で下げると、腰から魔導短剣を抜いた。

短い刃へ術式の光が走り、振り下ろされた爪を受け流す。


次の瞬間。

帝国騎士の剣が、魔獣の首を斬り落とした。


「助かった!」

振り返った騎士へ、共和国兵は短剣を構えたまま叫ぶ。

「礼は後だ! 次が来るぞ!」


新たな魔獣が二人へ迫っていた。

帝国騎士はすぐさま共和国兵の前へ立ち、盾を構える。


「俺が止める!」

「なら、俺が仕留める!」


盾が牙を受け止める。

その肩越しに共和国兵が魔導銃を突き出し、魔獣の開いた口へ魔力を撃ち込んだ。

光が爆ぜ、巨体が地面へ崩れ落ちる。


二人は、互いの名前すら知らなかった。

生まれた町も、どのような人生を送り、どんな戦場を生きてきたのかも知らない。

百五十年間、互いの国の存在さえ知らずに生きてきた者たち。

それでも今、この瞬間だけは、互いの背中を迷わず預けられる戦友だった。


◇


黒淵の上空へ舞い上がった飛行型の魔獣が、地上部隊の頭上で旋回を始めた。

歪な翼が冷たい風を巻き起こし、黒い羽根のような魔力の塊を地上へ降らせる。


「上空、敵性反応!」


観測班の警告と同時に、結界班が頭上へ防御術式を展開した。

黒い魔力が光の壁へ突き刺さり、激しい火花を散らす。


地上の魔獣へ向けていた射撃群が上空へ銃口を変えようとした、その時。


「地上への攻撃を止めるな」

静かな声が、それを制した。


遠距離支援群を率いるガレス中佐。

長距離魔導銃の銃床を肩へ当て、黒淵の上を飛ぶ魔獣へ照準を合わせている。


その周囲では共和国第三部隊の狙撃兵と、

帝国魔術師団の長距離攻撃班が同じ標的を追っていた。


「距離、八百二十。風向き、北東」

ガレスは照準器から目を離さない。

「次の旋回で高度を落とす。魔術班は左側の退路を塞げ」


帝国魔術師たちの杖先へ、雷を帯びた術式が集まった。

飛行型の魔獣が翼を畳み、地上の救護区画を狙って急降下を始める。


「今だ」


魔術師たちが、魔獣の左側へ一斉に雷撃を放った。

退路を塞がれた魔獣が反射的に右へ軌道を変える。

そこは、ガレスが最初から狙っていた射線だった。


長距離魔導銃から放たれた光が、夜明け前の空を一直線に切り裂く。


魔獣が再び軌道を変えるより早く、弾丸が翼の付け根を撃ち抜いた。

歪な翼が根元から千切れ、巨体が空中で回転しながら黒淵の外側へ墜落する。

その落下地点へ、小型の魔獣が群がっていった。


ガレスはすぐに通信術式を開く。

「遠距離支援群、第二射点へ照準。墜落個体を中心に半径三十を制圧する」


『魔導砲、収束を開始します!』

『長距離魔術班も準備完了!』


「クルトワ中佐。地上部隊を射線から外してください」

『すでに退避を開始しています。十秒後に攻撃可能です』


クルトワが戦況図を確認し、射線上にいる混成近接隊へ移動を命じる。

帝国騎士も共和国兵も、通信を受けた瞬間に同じ方向へ後退した。

最後の一人が射線から消える。


『射線確保!』


ガレスは照準器の向こうから目を離さない。

「撃て」


魔導砲と長距離攻撃術式が、ほぼ同時に放たれた。

太い光の柱と炎の奔流が戦場を横切り、墜落した飛行型と、

その周囲へ群がっていた魔獣をまとめて呑み込む。

轟音とともに黒い影が吹き飛ばされた。


一撃の結果を確認したガレスは、すでに次の飛行型へ照準を移している。


「二番、右から来る。高度六百」


共和国の狙撃兵たちが一斉に長距離魔導銃を構え、

その隣で帝国魔術師たちも新たな術式を組み上げた。


「突入部隊の頭上へ近づけるな」

「了解!」

異なる軍服の兵士たちから、揃った返事が返った。


◇


開かれた星の道の前方では、アレクシスが迫る魔獣を次々と薙ぎ払っていた。


「突入路から退かせろ!」


巨大な魔獣の懐へ踏み込み、武器を振り上げる。

魔力を帯びた一撃が下顎へ叩き込まれ、巨体が宙へ浮いた。


「この道は、俺たちが使う!」


吹き飛ばされた魔獣が、後続の群れを巻き込んで転がる。


その隙へリカルドが踏み込み、黎明の剣を振るった。

白銀の軌跡が走り、道の中央へ伸びていた魔獣の脚が斬り落とされる。


「姫様、お進みください」

「でも、まだ魔獣が――」

「我々が排除します」


リカルドは振り返らない。

クリスティを守る位置を崩さず、剣先は迫る敵から一度も逸れていなかった。


その反対側では、ジェイクが魔導大剣を振り抜く。

実際の重量へ術式による加速を重ねた一撃が、

三体の魔獣をまとめて横へ吹き飛ばした。


大剣を振り切った直後。

ジェイクの頭上を魔導銃の光が通過する。

背後から飛びかかろうとしていた魔獣の額を正確に撃ち抜いた。


ジェイクは振り返らないまま笑った。

「ありがとうございます、司令」


ルリスティは両手の魔導銃を構え直す。

「前を塞ぐものを排除しただけです」

「それで十分です」


「大佐も、前を見てください」

「俺は、あなたの周囲を見ています」


ジェイクは魔導大剣を肩へ担ぎ直した。

「それが俺の役目ですから」


新たな魔獣が迫る。

ルリスティは片方の銃口を上げ、

アレクシスの側面へ回り込もうとした個体の脚を撃ち抜いた。


同時に、クリスティの太陽の祝福が広がる。

暖かな金銀の光は突入部隊だけに留まらず、

その周囲で戦う共同軍の兵士たちまで包み込んだ。


疲労で鈍りかけていた身体へ力が戻り、乱れていた魔力の流れが整っていく。

傷を負った兵士たちも、再び武器を構えた。


「皆さん! 必ず一緒に帰りましょう!」

クリスティの声が戦場へ響く。


帝国騎士が剣を掲げた。

共和国兵の魔導銃や魔導剣にも、再び強い光が灯る。


「皇太子殿下に言われて、倒れていられるか!」

「前衛、まだ押し返せるぞ!」


「射撃群、魔力を再収束!」

「魔術班も続け! 前線を支える!」


異なる部隊の声が戦場の各所から重なっていった。

太陽の祝福は、国によって人を選ばない。

帝国兵にも共和国兵にも、同じ暖かな光が降り注いでいた。


◇


外周防衛線の中央では、リディアが巨大戦斧を振るっていた。

全身へ魔力を巡らせる。

脚から腰、背中、肩、そして腕へ。

小柄な身体に秘められた力が一瞬で引き上げられ、

身の丈を超える戦斧が唸りを上げた。


横薙ぎの一撃。

群れの先頭を走っていた魔獣が、二体まとめて弾き飛ばされる。


「次!」

リディアは戦斧を回転させ、その勢いを殺さずに肩へ担ぎ直した。

「左翼混成隊、前へ! 外周を抜かせないでください!」


『魔導剣兵を左翼へ回します!』

クルトワは戦況図から目を離さないまま答える。


魔導剣を構えた共和国兵たちが帝国騎士の隊列へ加わり、

盾を構えた騎士が魔獣を受け止める。

その左右から魔導剣兵が切り込み、

さらに後方では共和国の魔導銃兵と帝国魔術師たちが援護攻撃を続けていた。


その前方へ、新たな大型魔獣が姿を現す。

背には幾重もの棘。

足元の小型魔獣を押し潰しながら、外周防衛線の中央へ向かって進んでくる。


「大型個体、正面!」


射撃群と魔術班が同時に標的を捉え、魔導銃と攻撃魔術が一斉に放たれた。

だが、大型魔獣は頭部を下げ、分厚い背中の外殻で攻撃を受け止める。

青白い魔力と炎が弾け、外殻の表面へ焦げ跡を残した。

それでも進行は止まらない。


『正面からの攻撃は通りません!』


合同観測班の報告を受け、

クルトワは魔獣の動きと周囲の部隊配置を瞬時に確認した。


『射撃群は左右へ展開! 前脚の関節を狙ってください!

大型魔導剣隊は転倒後に備えろ!』


兵士たちが二手へ分かれる。

左右から撃ち込まれる魔力を、大型魔獣は腕で頭部を守りながら耐え続けた。

その進行方向には、負傷者を収容する救護区画がある。


リディアが戦斧を握り直した。


「私が止めます!」

『エーヴァルト副団長! 正面から行かないでください!』

クルトワが声を張り上げる。


「止めなければ救護班まで到達します!」

『倒すなとは言っていません!』


クルトワは戦況図へ指を走らせた。

『あと五歩だけ、後ろへ引きつけてください!』

「五歩も?」

『射撃群の射線が通りません!』


「三歩で十分です!」

『交渉している場合ですか!』


リディアは戦斧を構えたまま、大型魔獣との距離を測る。


「では、四歩で!」

一瞬の沈黙のあと、クルトワが諦めたように応じた。

『……分かりました。必ず合図を待ってください!』

「承知しました!」


大型魔獣が地響きを立てながら迫る。

リディアは戦斧を構えたまま、その巨体との距離を測った。


一歩。

二歩。

三歩。

四歩。


その瞬間、リディアが地面を蹴る。


『左右の射撃群、撃て!』


ほぼ同時にクルトワの号令が飛び、

左右へ展開していた魔導銃兵と魔術師たちが一斉に攻撃を放った。


狙うのは、魔獣の前脚。


集中した魔力が関節の隙間へ食い込み、

右前脚が大きく崩れる。巨体が傾いた、その瞬間。


『大型魔導剣隊、左脚を断て!』


重装兵たちが一斉に踏み込み、

術式の光をまとった巨大な魔導剣を左前脚へ叩き込んだ。

複数の刃が厚い外殻を同時に切り裂き、

両脚を失った魔獣の巨体が、地響きを立てて沈み込む。


「今です、副団長!」

「任せてください!」


リディアが跳躍する。

巨大戦斧を頭上まで振り上げ、全身を巡る魔力を腕から刃へと集中させた。


「共同軍の道を――」

戦斧が振り下ろされる。

「塞がないでください!」


凄まじい轟音とともに、刃が大型魔獣の外殻を叩き割った。

巨体が地面へ沈み、石と土が舞い上がる。

リディアは戦斧を引き抜くと、すぐに後方へ飛び退いた。


『射線が開きました!』

クルトワが叫ぶ。


倒れた大型魔獣の向こうには、密集して迫る魔獣の群れ。


『遠距離支援群、収束完了』

ガレスから報告が届いた。

『共和国魔導砲隊、帝国長距離魔術班、ともに攻撃可能です』


クルトワが戦況図を確認する。

『味方の退避を確認。攻撃を許可します!』


「遠距離支援群、撃て」

ガレスの命令と同時に、魔導砲から太い光が放たれた。


その両側から帝国魔術師たちの攻撃術式が走り、

光と炎の奔流が開かれた射線を一直線に進む。


群れの中央で魔力が爆ぜ、地上を覆っていた魔獣たちがまとめて吹き飛ばされた。


リディアは、舞い上がる土煙の中で戦斧を肩へ担ぐ。


「ほら、四歩で足りましたよ!」

『あとで距離の測定方法について話し合いましょう!』


「勝ってからなら、いくらでも!」

『必ず覚えていてください!』


「善処します!」

『それは覚えていない者の返事です!』


通信を聞いていた近くの帝国騎士と共和国兵から、思わず小さな笑いが漏れた。

ほんの一瞬だけ。

それでも、その僅かな余裕があれば、もう一度武器を握ることができる。


リディアは再び前線へ。

クルトワは後方指揮へ。

ガレスは遠い射線の先へ。


戦い方も、立つ場所も異なる。

それでも、突入部隊が必ず帰ってくる場所を守るという目的だけは、

完全に一致していた。


◇


戦場の各所で、兵士たちは互いの軍服を見る前に手を差し伸べていた。

魔力を使い果たして膝をついた共和国兵へ、帝国騎士が肩を貸す。


「立てるか」

「まだ、銃は撃てます」

「なら、俺の後ろから撃て」


帝国騎士が盾を構える。

共和国兵はその背中へ身体を預け、震える腕で魔導銃を持ち上げた。


傷ついた帝国兵のもとへは、共和国の衛生兵が駆け寄る。


「傷を見せてください!」

「俺は帝国軍だぞ」

「軍服を見れば分かります! いいから動かないで!」


魔導器具が傷口へ当てられ、応急処置の術式が展開される。


そのすぐ隣では、

帝国の治癒術師が共和国兵の裂けた軍服を切り開き、傷口へ治癒魔術を注いでいた。


共和国の魔導錬金術師が過熱した魔導銃を冷却している間は、

帝国騎士がその前へ立って魔獣を食い止める。


術式の不安定になった魔導剣を、帝国魔術師が一時的な補助魔術で支えた。

破損した帝国騎士の盾には、共和国の錬金術師が補強術式を刻む。

魔力の再収束に時間が必要な共和国兵の前には、帝国魔術師の結界が張られた。


合同訓練の間に、互いの装備や術式について学んできた。


けれど、訓練で交わす合図と、

命を預ける戦場で差し出される手は、同じものではない。


百五十年間、この場所は二つの国を隔てる境界だった。

相手の存在さえ知らず、互いの声も届かなかった場所。

誰も越えることのできなかった黒い亀裂。


その前で今、異なる軍服をまとった者たちが、

互いの背を守り、互いの傷を治し、互いの武器を支えている。


名前を知らない者もいる。

もう二度と顔を合わせない者もいるかもしれない。

それでも、今だけは関係なかった。


負傷した者がいれば手を伸ばす。

背後へ敵が迫れば撃つ。

盾が足りなければ、自分が前へ立つ。

誰も、隣にいる者がどちらの国の兵士なのかなど気にしていなかった。

そこにいるのは、同じ未来へ帰ろうとしている戦友だけだった。


◇


星の道の入口へ、さらに多くの魔獣が集まり始めた。

突入部隊が奥へ進もうとするたび、群れがその前を塞ぐ。


アレクシスが一体を斬り伏せても、その背後から二体が現れる。

リカルドとジェイクも左右から敵を排除しているが、あまりにも数が多い。


「このままでは、突入の開始が遅れます!」

ルシアンが声を上げた。


ヴィオレットは黒淵から流れ込む魔力波を見つめ、表情を険しくする。

「星の道が安定している時間には限りがあるわ。ここで止まるわけにはいかない」


「ですが、地上へ魔獣を残したままでは――」

クリスティが振り返った。


共同軍の兵士たちは、今も無数の魔獣を相手に戦っている。

傷ついた者も多い。

魔力を消耗した者もいる。

それでも、誰一人として退こうとはしていなかった。


「行ってください!」

後方から声が飛んだ。


誰の声かは分からない。

帝国兵か、共和国兵かも分からない。

けれど、その声へ続くように別の兵士が叫ぶ。


「ここは我々が守ります!」


「突入路を閉じさせるな!」


「総司令官たちを核まで届けろ!」


共和国兵が魔導銃を撃ち、

その射線へ入り込もうとした魔獣を帝国騎士が盾で押し返す。


「百五十年越しに、ようやくここまで来たんだ!」

一人の老兵が叫んだ。身につけているのは共和国の軍服だった。


「今さら魔獣ごときに、未来を邪魔させるか!」


その声へ応えるように、今度は帝国騎士たちが剣を掲げた。


「行け!」


「後ろは任せろ!」


「必ず終わらせてくれ!」


次々と声が重なっていく。

帝国兵の声も、共和国兵の声も、やがてどちらのものなのか分からなくなった。


それでよかった。

この場所へ集った全員が、同じ者たちを先へ送り出そうとしている。


ルリスティは魔導銃を握る両手へ力を込めた。


共同軍の総司令官として、地上で戦う兵士たちの状況を無視することはできない。

けれど今、ルリスティにしか果たせない役目は、この先にある。


そのために地上の指揮をクルトワへ託し、

帰還路を守るために仲間たちはここへ残ると決めたのだ。


それでもなお、もう一度後ろを振り返ろうとした時、

大きな背中がその視界を塞いだ。

ジェイクだった。


魔導大剣を構え、迫る魔獣とルリスティの間へ立っている。


「前だけを見てください。後ろは――」


そこでジェイクは言葉を切り、一度だけ周囲を見渡した。


剣を持つ者、魔導銃を構える者、杖を掲げる者、巨大な魔導武器を振るう者。

そして、傷ついた仲間を支える者。


帝国兵も、共和国兵も関係なく、

全員がルリスティたちを未来へ送り出すために戦っていた。

その光景を見つめ、ジェイクの口元へ小さな笑みが浮かぶ。


「俺たちが守ります」


ルリスティの紫水晶の瞳が揺れた。

昨夜も、今朝も、ジェイクは「後ろは、すべて俺が守る」と言った。

その約束は変わらない。

星の道へ入れば、彼は誰より近くでルリスティの背を守るだろう。


けれど今、そのさらに後ろには、二つの国の人々がいる。

クラウスが愛した共和国も、自分が生まれた帝国も、もうどちらか一方ではない。

皆が同じ未来へ帰るために、同じ場所で戦っている。


ルリスティはほんの一瞬だけ目を閉じ、

それから総司令官の顔で星の道へ向き直った。


「地上共同軍へ通達」

統合通信術式が、ルリスティの声を全隊へ届ける。

「突入部隊は、これより黒淵内部へ進入します」


魔獣の咆哮と剣戟、魔導銃や魔導砲の轟音が絶え間なく響く戦場。

それでも、総司令官の声は雑音に埋もれることなく、

地上で戦うすべての兵士へはっきりと届いた。


「帰還路を任せます」

『承知しました、総司令官。地上の指揮はお任せください』


クルトワが即座に応じ、続いて戦斧を構えたままのリディアの声が飛ぶ。


『必ず守り抜きます!』


『遠距離支援群が、突入路へ近づく敵を排除します。安心してお進みください』


ガレスの落ち着いた声に続き、通信術式の向こうから無数の声が重なった。


『任せてください!』


『必ず帰ってきてください!』


『未来で待っています!』


ルリスティはその声を聞きながら、胸元の銀色の星へ一度だけ指先で触れた。

星導の魔導銃が撃ち開いた道は、今も暗闇の奥へ続いている。

指を離すと、ルリスティは両手の魔導銃を構え直した。


「道を開きます」


二つの銃口へ魔力が収束し、ほぼ同時に二条の光が放たれる。

交差した魔力は、道の正面へ群がっていた魔獣の脚と頭部を正確に撃ち抜き、

一瞬だけ群れの隊列を崩した。


その隙を逃さず、アレクシスが地面を蹴る。

「突入部隊、俺に続け!」


最前衛として星の道へ飛び込み、その後をリカルドがクリスティを守る位置で追う。

ジェイクはルリスティのすぐ後ろへつき、

ヴィオレットとルシアンも観測術式を維持しながら続いた。


クリスティとルリスティは、走り出す直前に一度だけ互いを見る。


「行こう、ルリ」

それは、二人だけの呼び名だった。


ルリスティも小さく頷く。

「ええ、クリス」


二人の白銀の皇女は並んで星の道へ足を踏み入れ、

そのまま仲間たちとともに黒淵の奥へ駆けていった。


背後では、地上共同軍が迫る魔獣の群れを押し返し続けている。

結界が輝き、魔導銃と魔導砲が吠え、剣と魔導武器が黒い身体を斬り裂く。

帝国の魔術と共和国の魔導技術が互いを補い合い、

核へ向かう者たちの帰還路を守っていた。


突入部隊は、未来を切り拓くために進む。

地上へ残った者たちは、その未来へ続く道を決して閉じさせないために戦う。


ルリスティたちが星の道を進むにつれ、地上の光は少しずつ遠ざかっていった。


黒淵の内部は、外から見えていた以上に広く、深い。

上下すら定かではない暗闇を、星の光によって穿たれた道だけが一直線に貫き、

その周囲をクリスティの太陽の祝福が柔らかく照らしている。


壁のように蠢く黒い霧の向こうから、魔獣の声が絶え間なく響く。

足元には、まるで巨大な何かが脈打っているかのような振動が伝わっていた。

災厄の核は、この先にある。


先頭を走るアレクシスが武器を構えた。

「まだ来るぞ!」


道の両側に広がる闇から、赤い瞳が次々と浮かび上がる。


リカルドとジェイクが左右へ開き、ヴィオレットとルシアンが観測術式を展開する。

クリスティの周囲には太陽の光が集まり、ルリスティも両手の魔導銃を構え直した。


立ち止まる者はいない。


背後には、自分たちの帰還を待つ共同軍がいる。

前方には、終わらせるべき百五十年の災厄がある。

突入部隊は迫る魔獣を退けながら、さらに黒淵の奥へ進んでいった。


その時。

さらに深い暗闇から、これまでの魔獣とは明らかに異なる、重い羽音が響いた。


一度。

二度。


巨大な何かが翼を動かすたび、星の道全体が震える。

アレクシスの足が、一瞬だけ止まった。ヴィオレットも弾かれたように顔を上げる。


そして、星の光さえ届かない暗闇の奥で。

二つの巨大な翼が、ゆっくりと開いた。

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