第四章 霊媒師OJT2
会社を出てから約1時間後のPM12時50分、僕らは東京都H市の依頼現場に到着した。
車をアパート前にある駐車場に停めさせてもらい、社長が依頼者に現着した事を電話連絡している間、僕は一足先に車から降りた。
3月の終わり。
スーツだけでは多少肌寒く感じるものの、このところ急に桜の開花が始まり、今ではもう七分咲きだ。
僕は男で花を愛でるという感覚は薄いけど、それでも桜の花は美しいと思う。
このアパートに11年も縛られている田所さんも、桜の花を見る事はあるのだろうか?
「エイミー、待たせたな。依頼主の村越幸恵さんに連絡がついて、部屋の鍵を持ってすぐに来てくれるそうだ。5分程度で着くらしい」
「……いよいよですね。なんだか緊張してきました」
「大丈夫だ。俺もジジィもいるから安心しとけ」
「ありがとうございます。あれ?そういえば先代の姿が見えないですね」
「ったく、どこ行ったんだろうな?もしかしたら、どこかで居眠りこいてるのかもしれん」
「あはは、先代は幽霊恐くないのかな?って、先代も幽霊か。でもこんな時に眠れるって先代大物だなぁ」
「大物かー確かにそうかもなー。でもな、霊が眠るっていうのは、」
と、社長が何か言いかけたその時、
「あの……さっき電話してくれた“おくりび”の清水さんかしら?」
遠慮がちな女性の声に僕らが振り返ると、そこには白髪まじりのふくよかな、アパートオーナーである村越幸恵さんが立っていた。
◆
「室内のクリーニングは済んでますから、どうぞそのままお入りください」
そう言って開けてくれた103号室のドアから、社長と僕は失礼しますと声を掛け中に入らせてもらった。
ドアを押さえていてくれた村越さんは、申し訳なさそうな顔をしながらも玄関にすら入ろうとはしない。
「ごめんなさいねぇ。私、どうしても怖くって……」
「大丈夫ですか?ご無理をなさらないでくださいね。改めまして村越様、この度はご予約いただいた日に訪問できず大変申し訳ございませんでした。本来担当させて頂く予定だった弊社スタッフも途中帰宅する事無くこちらに向かい続けてはいたのですが、おそらく件の女性の妨害がありまして、どうしても辿り着く事が出来ませんでした」
「ああ、それはいいのよ。途中で担当の方から何度も連絡もらっていたし予想してた事でもあるから……いえね、言いにくいのだけど清水さんのところにお願いするより前に、近所のお寺さんにお祓いをお願いしてたの。それこそ車で15分くらいの場所にあるお寺なんですけど、その時もここまで来れなかったんですよ。途中でタイヤがパンクしたり、エンジントラブルがあったりでね。住職さんも頑張ってくれてタクシーを使ったり、自転車に乗ってみたり、最終的には歩いて来ようとしてくれたのだけど、やっぱり駄目でした。だから今回も半分諦めていたんですよ。本当によくここまで来てくださいました」
「さようでございましたか。助けを求めてそれが叶わなかった時、さぞご不安だった事と心中お察しします」
「そうねぇ、本当に薄気味悪いわ。でも今回だけはどうしても、なんとかしたいのよ。実はね、この部屋ずっと空いていたんだけど、やっと入居者が決まったの。ほら、あんな事があったでしょう?だから今までもこの部屋だけ家賃を下げたり、アパート名変更したり色々やってきたの。でも結局入居してくれても幽霊が出るってすぐに出て行かれちゃうじゃない。今度の入居者はわざわざこの部屋指定で申し込んでくれてね。なんでも地方から上京してくるんだけど少しでも家賃の安い所を探してたんですって。こっちにしたら安くたって、ずっと空き家にしとくよりよっぽどありがたいですからねぇ。できれば長く住んでほしいのよ。だからどうかお願いしますね」
「さようでございましたか。そういったご事情でしたら、入居の方がいらっしゃるまでになんとかお祓いと浄化を完了させたく存じます。それで、入居日はいつになるのでしょうか?」
「それがね……明日なの」
今まで余程大変な思いをしてきたであろう村越さんは、とにかく話が長かった。
その気持ちわからないではない。
以前“お客様相談センター”で勤務していた時も、ご意見を頂戴するお客様方の長時間に及ぶお話に、僕はいつだって話の腰を折る事なく耳を傾けていた。
なんらかの理由でお怒りのお客様の中でも、ご自身の貴重な時間を費やして、わざわざこちらに電話を架けて頂けるというのは大変ありがたい事なのである。
裏を返せばそれだけ期待をしてくれているという事になるからだ。
村越さんは僕達にクレームをつけている訳ではない。
約束の日に訪問できなかった事だって許してくださっている。
ただ今までの苦労と、今度こそお祓いを成功させてもらいたいという期待感から言葉が溢れ止まらないのだと思う。
だけど__
僕のメンタルは限界を迎えている。
実際村越さんの応対をしているのは社長であって僕ではない。
僕は社長の後ろで、ただ馬鹿みたいに突っ立っているだけ__
いや、違う。
僕はこの場この状況で、絶叫もせず、嘔吐もせず、ただ突っ立っている自分自身を褒めてやりたいと本気で思っている。
ああ、だけど、もう無理だ。
だって、そこにいるんだよ。
意識して別の事を考えて気を逸らしていたけれど、もうこれ以上視えない事にはできない。
僕をじっと見つめてる。
ああ、耳鳴りがひどくなってきた。
同時に全身鳥肌が立つ。
身体中から冷たい汗が滴り落ちて、
動悸が激しくなってきた。
そして血と吐瀉物の臭いにグニャリと視界が歪み__
「それじゃあ私は家に戻っていますので、何かあったら連絡してください。お祓い……よろしくお願いしますね」
遠くで村越さんの声がした。
それを最後に僕の耳から音が消え、
全身の力が抜けた。
歪んだ視界に床がどんどん近くなる。
僕が最後に視たものはひどく痩せこけた女の人で、
その顔はどす黒く顔はグシャグシャに潰れていた。