19・夢の果て
距離を開けたまま見つめあう。リサは幽霊でも見たような顔をしていた。
「迎えに来た」
彼女に会って何と言うかは決めていなかった。
愕然と見つめるリサの顔を見た時にぽろりとこぼれた言葉は、思った以上にしっくりしてウィオルは自分で納得する。そうだ、この言葉を伝えに来たんだ。
「な……」
唇を戦慄かせたリサは、言葉が見つからなかったようで泣きそうに顔を歪めた。
「何でここにいるの」
「言い忘れてたことがあって」
そのため、彼女の居場所をつきとめた。デガンや彼の知り合いの協力のもと、こうして奇襲を掛けて侵入を果たしたわけである。
ウィオルが見る前でみるみる蒼白になったリサは、つかつかと距離を詰めた。胸ぐらを掴まれる。
「やめて。私は自分で巫女に戻った。もう関わらないで」
彼女の細腕で掴まれたところで、衛士として鍛えたウィオルはびくともしない。代わりに彼女の拳が震えていた。
覗き込んだ黒曜の瞳は、動揺を表してゆらゆらと揺れている。
それを見て不意に、庇護欲に見舞われる。
傲慢だろうか、虚勢を張ることしかできない彼女を、守りたいと思った。
その気持ちのまま手をのばす。
「リサ、俺は。出会って良かったと思ってる」
髪に触れると、びくりと体が竦む。
巫女として見た目を整えられた彼女は、記憶がなかったときよりも危うげに見えた。
「正直、リサの事情を全て知ったわけでもないし、教会があっさり逃がしてくれないだろうことも分かる」
俯くリサの頬を挟んで上向ける。
精一杯の虚勢で保たれた歪んだ表情を見て、ウィオルは笑った。
答えなどとっくに出ていたのだ。きっとあの約束を交わした日から。
「それでも一緒にいこうと思った」
「逃げてもまた捕まる」
「そしたらまた迎えに来るさ。何回でも」
リサの見開いた瞳が震えた。溢れた滴が指を濡らす。
涙は、後から後から溢れてウィオルの手を伝って床へ零れる。
零れる涙を拭おうともせずに、リサはウィオルの腕を掴んだ。揺さぶる。
「あなたは」
バカなの? と呟く声にウィオルは笑顔で返す。
言葉の代わりに体を抱き寄せた。
「バカだな」
家族でも友人でもないリサの手を取る自分は、他人から見たらひどく愚かだと感じるだろう。
今はまだ胸を満たすこの感情に名前はつけられないが、この先ずっと一緒に歩いていくのも悪くない。
感慨に浸っていると、窓の下で目を回していた見張りの男が呻いたので、速やかに再度沈めた。
手を引いて窓際に向かえば、リサが下を覗き込んで半眼になる。
「ここ3階……」
「上の部屋から来たんだ」
窓から身を乗り出して、頭上に垂れるロープを示す。
今いる部屋の窓からも持参したロープを垂らした。
するすると下に降り、ウィオルは頭上を仰いだ。
窓から身を乗り出すリサに向かって腕を広げる。
「来い!」
躊躇うリサを呼ぶ。
ぎゅっと唇を結んだリサは、ロープを掴んだ。窓枠を乗り越える。
彼女の非力な腕では体重を支えきれず、落下した体を下で受け止めた。
「ウィオル」
「……は、腕が痺れるな」
「……カッコ悪い」
「言ってろ」
暫し腕の中の温もりを抱き締める。リサも何も言わずにウィオルの肩に顔を埋めた。
次に顔を上げたとき、リサは泣いていなかった。
まっすぐ顔を上げ、立ち上がりウィオルの腕を引く。
「行こう」
「ああ」
先など見えずとも、彼女がいればきっと道を見失うことはない。
そう確信してウィオルは歩きだす。
自然と繋いだ手を強く結び直した。
*****
穏やかな昼下がり。
急峻な山間の町、その外れに建つ家の中で、彼女は安楽椅子に背を預けていた。
ゆらゆらと揺られながら、手元の編み針を動かす。
少しずつ形を表し始めてきたそれは、少々不格好な小さな靴下だ。
矯めつ眇めつ出来栄えを眺めていると、家の奥からトタタと軽い足音が駆け寄ってきた。
「おかーさーん」
安楽椅子にすがりついた少年の髪は濡れ羽色、瞳の色は深い灰色だ。
「なぁに」
「これ、妹にあげる!」
「あら」
差し出された花冠を彼女は笑って受け取った。それからゆっくり丸みを帯びた自身のお腹を撫でる。
彼の妹と会えるのは、1つ季節が巡って夏がくる頃の予定である。
「おかーさん、お腹さわってもいい?」
「どうぞ」
怖々と手を触れた少年は、むむむと眉を寄せた。
「赤ちゃんねてる?」
「そうかもねぇ」
「早く会いたいなぁ」
口を尖らせる少年を彼女は抱き寄せた。「苦しい」と文句を言いつつもぎゅっと抱きついてくる少年の頭を撫でる。
不意に玄関で鍵の開く物音がしたので、パッと少年が顔を上げた。
「おとーさんだ!」
急には立ち上がれない彼女を置いて、少年が玄関に駆けていく。
彼女が背もたれから背中をあげる間に、少年を腕に抱き上げた彼が戸口から顔を覗かせた。
灰色の瞳を笑ませた彼は、彼女を見て口許を緩ませる。
「ただいま。リサ」
「おかえりなさい、ウィオル」
歩み寄ってきた彼は、少年ごと彼女を抱き締めた。
挟まれた少年が声をあげて笑う。二人も視線を合わせて笑った。
笑いながら、少しだけ彼女は涙を滲ませる。
何があっても手を離さずにいてくれた彼がいたから、今がある。
幸せだ、すごく。
前の世界で失ったものには比べられないけど、確かに腕の中にある幸せ。
きっと彼が手を離さずにいてくれたから、手にはいったもの。
「出会えてよかった」
小さく呟くと彼が目を丸くした。昔と比べて少しだけ笑い皺の増えた目許を、すぐに柔らかく笑ませる。そして僅かばかり照れたように彼女の耳元に唇を寄せたのだった。
「俺も」