18・この心は
あとどれぐらい、心を凍らせればいいだろう。どうすればこの痛みを感じなくなるのか。
巫女としての役目を取り戻した有紗は、言われるがままに各地を巡る生活に戻っていた。
力を使うたびに、心はただ静かに冷えていく。
一度逃げた有紗の警備は、以前よりもずっと厳しい。
寝衣にくるまり目を閉じるときですら、有紗は1人にはならない。
人の気配を振りきるように瞼を閉じれば、訪れるのは眠りではなく暗闇ばかりだ。
きつく目を閉じて息を殺していると、別れ際のウィオルの姿が脳裏に甦る。
青褪めた頬に伝う赤。冷えていく掌。
失うかもしれないと思った。
この世界で、初めて名前を呼んでくれた人。
巫女でない有紗に約束をくれた人。
この世界に来て、有紗は全てを失った。
帰る場所も、大事な人も、全部。
巫女としての自分しか求められない場所で、ウィオルにどれほど心を救われたことか。
その彼を失ったら、ひとりぼっちのこの世界で、きっともう立ち上がれない。
今の有紗にできるのは、ただ祈ることだけだ。
どうか、無事であってください。
どうか、幸せに暮らしてください。
どうか、……有紗のことを忘れてください。
今まで大して信じてもいなかった神様に、祈る。
理不尽なこの世界で、せめて祈りぐらいは聞き届けてくれてもいいじゃないか。
祈りの夜を重ねて、どれほどの時が経っただろう。
雪が溶けた冬の終わり。ふと空を仰いだ有紗は、もうしばらく雪空を見ていないことに気がついた。
雪深いクレイドルの地に思いを馳せる。
もうあの場所でも雪は止んだだろうか。
ウィオルは、あの場所に戻ったのだろうか。
あの場所にあるのは、苦い思いと裏切った人々だ。
この世界で唯一、巫女でなくいられた場所。誰も巫女としての有紗を求めず、ただの少女と扱った。その事実がどれ程得難いものだったか、きっと彼らはしらない。
いっそ、忘れたままだったならこんな思いは、せずにすんだだろうか。
スロー再生のテープの様に、ゆっくりゆっくりと時間が過ぎて行く。
曖昧な日々の中で、常にないざわめきを感じて有紗は我に返った。与えられた任務をこなして、宿泊先に落ち着いた矢先のこと。
部屋の外、バタバタと慌ただしく行き交う足音と苛立った様な声。
怪訝に思うも、巫女に外の情報は与えられない。
部屋内に配置された警備の者が、廊下を覗きに行った。
もう1名の者が窓を開けて外を確認する。
「うぐっ」
椅子に座って視線を床に落としていた有紗は、変な音を聞いて顔を上げた。
窓を覗いていた警備の者が、大きく仰け反っていた。白目を剥いている。
呆然と立ち上がった有紗は窓に目を遣りぽかんとした。
足が。
窓枠の上から延びてきた足が、人を蹴飛ばした体勢のままゆらゆらと揺れている。
有紗が状況を掴みきれないうちに、足の持ち主は器用に窓枠に足を掛けて窓枠をくぐった。
息を呑む。
灰色の瞳、眉尻に残る傷跡すらも忘れたことはなかった。
「ウィオルさん」
この場所にいるはずがない人。
危なげなく床に降り立ったその人は、まっすぐ有紗を見た。
「リサ」
呼び掛けられても彼女は、ただ呆然とすることしかできなかった。
ラスト1話です。




