16・言葉にできず
知っていて巻き込むのと、知らずに巻き込むこと。どちらが真に罪深いだろう。
どちらも変わらず愚かだと有紗は思う。
この世界の全てに絶望していたはずの有紗は、ウィオルという同行者に心を許しつつあった。
ちっぽけな約束を理由に傍にいてくれる人。
情を深めるには、二週間余りの時間は充分すぎるほどだった。
有紗は甘えすぎた。
だからきっと、バチが当たったのだ。
ウィオルの案内で辿り着いた港町は、彼の言う通り賑わっていた。
様々な国のものが行き交い、そこかしこに市が立つ。
彼の故郷は冬でも雪が空にちらつくのみで、積もることなどないのだという。
有紗はただぼんやりと町並みを眺めた。
約束の場所、ここでウィオルとの約束は途絶える。
「先に港に行く」
ウィオルに先導され、船着き場で旅券を押さえた。
貿易船の一画が旅客スペースとして保されているのだという。
ウィオルが決めたのは夜の便だ。一週間の船旅の後、違う大陸の国に着く。
「ウィオルさん……」
「何」
当然のように二人分の乗車券を購入したウィオルの服の袖を、有紗は引いた。
何故呼ばれたのか分からないという風に、ウィオルが有紗を見下ろす。
結局有紗は何も言えずに口をつぐんだ。
本当に、全部終わる?
今日、この国を出たら自由になるのだろうか。
そしたらこんな一方的な関係ではなく、この人の傍にいられるだろうか。
そんなことをとりとめもなく考えた。
期待すればするほど、叶わなかったときの絶望が増すと知っていたのに。
ウィオルは購入したばかりの旅券を有紗に渡した。
被ったフードの奥から見上げる有紗の頭を、ウィオルがぽんぽんと撫でる。
「飯を食いに行こう」
「……うん」
あるいは。
二人の間の縁となる約束が果たされなかったのは、必然だったのかもしれない。
不幸だったのは、有紗に協力者がいると判明した時点で、追手が彼らの国外逃亡を懸念していたことであろう。
各国の船が集まる港町など、警戒対象以外の何者でもない。
二人はまさしく罠の中に飛び込んだ兎であったのだ。
ウィオルは、きっと逃げ切る方に賭けた。その賭けに……負けただけだ。
ウィオルは町の抜け道をよく知っている。手を引かれて裏路地を抜けた瞬間、風を感じて有紗が顔を上げると同時に、ウィオルが有紗を抱えて飛びすさった。
慌ててしがみつくと、すぐに下ろされる。
そして突き飛ばされた。たたらを踏み、よろめいて数歩離れたところで、ウィオルの向こうに立ちはだかる人影に気づいた。
知らず、手が震えた。
有紗もよく知る白色の神官服……追手だった。
その数は十人ほどであろう。
「リサ、走れ!」
ウィオルが叫んだが、有紗は走り出せなかった。叫んだ彼が、走ろうとしていなかったから。
戸惑う有紗に、ふとウィオルが微笑んだ。
「すぐに追い付く。行け」
すぐっていつ?
だって貴方は、ここで足止めをするんでしょう?
彼一人置いて逃げるには有紗は、……彼に心を許しすぎていた。
躊躇したのは、時間にして凡そ数秒。
神官達が、有紗の方へ走ってくるのが見えた。
それをウィオルが阻む。
ウィオルは鍛えられたその腕で一人投げ、一人蹴飛ばした。彼は強かった。
きっと、有紗さえなければ、蹴散らして逃げ切れただろう。
それでも彼は、有紗を庇うためにその身を差し出した。
側頭部に拳を受け、地面に倒れこむ。
彼の頬を伝う赤を見て、有紗の目の前が真っ白になった。
力なく横たわる彼に駆け寄った。取った手が冷たい。当たりどころが悪く、気絶しているようだった。
すがったウィオルが、更に蹴飛ばされるのを見て、一瞬で覚悟を決める。
有紗は震える手を握りこみ、周囲の神官を睨み上げた。
ゆっくりと立ち上がる。
「やめて」
低くなる声に力を込める。歌ではなく言葉に奇跡を被せるは初めてだったが、出来ると確信していた。
ざわりと心のどこかが粟立った。悲鳴を上げそうになる心をねじ伏せて、言葉に音をのせる。
周囲がざわついたのが分かった。
歌で生き物を操れる、それは人間も。全てを思い通りにとはいかなくても、方向性を決めることぐらいは出来る。
「ついていけばいいんでしょう。条件がある」
「条件などあげられた立場だと?」
「黙って」
嘲るように口にした神官が強制的に黙りこむ。
声に込めたのは、殺気だ。
有紗は赦さない。ウィオルを傷つけた教団の神官も、巻き込んだ自分も。
彼の優しさにつけこんで、ずるずると離れられなかった自分を有紗は呪う。
終わりにしよう。もう、充分だ。
「彼のことを忘れて。彼は私を憐れんでくれただけで、何も知らない」
だから巻き込むな、これ以上。お願いだから。
「彼には関係ない。彼に手を出したら」
死んでやる。
その言葉で、自分にも暗示を掛ける。これは誓いだ。
その時は迷いなく動けるように、声で縛る。
元々、教団にとっては有紗一人確保できれば良いのだろう。
あっさり興味をなくしたように、神官達は有紗の腕を取る。何人もに抱えられるようにして歩かせられた。
「巫女様。大人しくついてくれば望むようにしましょう」
有紗は黙って腕を引かれた。一度だけ、振り返る。
地面に倒れ伏すウィオルの姿を脳裏に焼き付けた。その姿が消えないように、きつく目を瞑った。
外套のポケットの中で、託された二人分の旅券がぐしゃりと潰れた。
声を出さずに、ただ祈る。
どうか無事でいて。
ありがとう、ごめんね。……さよなら、もう二度と会わない人。




